平川祐弘のレビュー一覧

  • 神曲 天国篇

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    天国篇では当時のスコラ哲学の神学議論を前提としたダンテの宗教観が最も直接的に表れている分、やはり読み進めるのに苦労するのは否めない。それにしても全篇に渡って挿入されているギュスターヴ・ドレの荘厳な挿絵と平川祐弘による読みやすくリズム感のある素晴らしい日本語訳、そして各歌ごとの丁寧な前文と詳細な解説がなければ、この全3篇100歌14233行からなる叙事詩を読み切ることはとても叶わなかっただろう。3の数字を基底とする、幾何学的に構築されて無限へと向かおうとするこの世界観にボルヘスが夢中になるのも無理はない。

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    2013年03月19日
  • 神曲 煉獄篇

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    地獄や天国と違って煉獄というのは日本人になかなか馴染みがないのだけど、そもそもキリスト教内でもプロテスタントや正教会は煉獄の存在を認めてないのだから仕方がない。地獄が信心を持たない者がその罪によって裁かれる場所なのに対して、煉獄は信者として救済を約束されていながらも生前の罪を浄化するために設けられた苦しみの場であるというのも始めて知って興味深かった。内容は一層混み入ったテーマやさほど有名でない人物議論に入っていくが、ウェルギリウス先生と共に行く煉獄山の登山光景は地獄の重苦しい雰囲気と違ってどこか爽やか。

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    2013年03月18日
  • 神曲 地獄篇

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    難解として知られるダンテの『神曲』だが、地獄篇は様々な作品の引用元として使われているためか多少冗長に感じつつも楽しむことができた。興味深いのは『ニコマコス倫理学』からの引用がさらりと出てくること。アリストテレス哲学は十字軍遠征時にイスラム圏から逆輸入された思想であり、『神学大全』でそれがキリスト教内に体系化されてからまだ数十年しか経っていないはず。またギリシャ・ローマ時代の偉人達がイエス以前に生まれていたという理由だけで地獄の第一層に落とされている描写は、中世におけるキリスト教の絶対性を物語っている。

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    2013年03月17日
  • 神曲 天国篇

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    地獄篇・煉獄篇を経て終局たる天国篇(Paradiso)へ。

    ダンテは遂に、至高天にて、"天上の薔薇"とも呼ばれる光の中心に「いっさいの望みの究極(はて)」である神を観るに到る。

    「ただそれだけが真実な、崇高な光輝の/光線の奥へ、さらに深く、はいっていった」 「その光の深みには/宇宙に散らばったもろもろのものが/愛によって一巻の書にまとめられているのが見えた」(以上、第三十三歌)

    全三篇、粘着的なまでに体系的な、宗教という強迫観念の大伽藍を見せつけられた。



    ダンテ自身が冒頭で述べているように、天国篇は地獄篇・煉獄篇に比して難解であり退屈でもある。神的宇

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    2012年08月21日
  • 神曲 煉獄篇

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    二人の詩人、ダンテとウェルギリウスは二十四時間の地獄めぐりを経て、大海の島に出た。そこにそびえる煉獄の山、天国行きを約束された亡者たちが現世の罪を浄める場である。二人は山頂の地上楽園を目指し登って行く。永遠の女性ベアトリーチェがダンテを待つ。清新な名訳で贈る『神曲』第二部煉獄篇。

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    2011年10月20日
  • 神曲 地獄篇

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    ネタバレ

    ダンテ『神曲』地獄編,河出書房,2008(初版1966)
     再読(2009/8/12)。基本的にはウェリギリウスに導かれて、ダンテが地獄を旅する話である(ちょっと『西遊記』みたいだ)。
     ダンテ(1265-1321)はフィレンツェに生まれ、法王党として政治にかかわり、1302年、故郷を永久追放された。『神曲』は1300年頃の設定で書かれており、ダンテの敵が地獄で手ひどく罰せられ、大便のなかでのたうちまわっていたり、自分の首を提灯のようにさげて彷徨っていたりする。師匠がじつは男色の罪を犯していて、引かれていく途中だったり、亡者が地獄の鬼(悪魔?)に鞭打たれていたり、貪欲な亡者がぐるぐる回って、ぶ

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    2014年12月11日