平川祐弘のレビュー一覧
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ペストが猖獗を極めた十四世紀フィレンツェ。恐怖が蔓延する市中から郊外に逃れた若い男女10人が、面白おかしい話で迫りくる死の影を追い払おうと、十日のあいだ変わるがわる語りあう百の物語。(裏表紙より)
まず、「デカ」はギリシャ語で「10」、「メロン」は「日」という意味だそうだ。(この本のことは前から知っていたのだが、長い間、結構真剣に(食べ物の)メロンが関係しているのだと思っていた笑)
さて、内容についてだが、あからさまな性的描写(とは言っても、そのものど直球に言及しているわけではないのでキツい下ネタと言ったほうがピッタリか)が多く、少し不愉快に感じたのでので評価は星3。よく言えば、生の寿ぎ -
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>詩行が独立して読むだけでは意味が通ぜず、興趣も湧
かず、註釈が必要とされるような部分は、詩的作品としては欠陥作品というべきであろう。残念なことにこの種の傾向は煉獄篇末尾から天国篇全体を通じて強まる傾向にある。
>君ら生きている人々はなにかというとすぐ原因を
天のせいにする、まるで天球が万事を
必然性により動かしているかのような口吻だ。
仮にそうだとすれば、
君ら人間の中には
自由意志は滅んだことになり、善行が至福を
悪行が呵責を受けるのは正義にもとることとなる。
天球は君らの行為に始動は与えるが、
万事がそれで動くのではない。仮にそうだとしても
善悪を知る光や自由意志が君らには与えられている -
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結局、日本人よ自国に自信を持て!(でも、英語はしっかり勉強しなさいよ!)ということ?
中国に対して(だけでもないけど)ハッキリ態度を示さないから、あーだこーだ言われたことが、日本像となって世界には「そのように」見られている。
アメリカのような戦勝国は、非人道的なことが為されていても、それはバッシングされない。
しかし、明治期からの日本の革新には目覚しいものがあり、我々は古典を読んで、その精神的自信を得ると良い。
あ、あとエリート教育促進すべし。
……という要約が上手く勘所を捉えられていなかったら、すいません。
そうですね、まあ、仰有る通りかもしれませんが、何がそんなにカリカリさせるのか不明 -
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ネタバレ目次より
・天国篇
・詩篇
天国篇はほぼ宗教論に終始していて、今までの映像的な描写は格段に少なくなり(挿絵も激減)、小難しいやり取りが続きます。
“君たちはおそらく
私を見失い、途方に暮れるにちがいない”
さて、地獄篇からの懸案事項、「キリスト以前に死んだ善人が地獄にいることの是非について」にとうとう回答が!
“その男の考えること、為す事はすべて
人間理性の及ぶかぎりでは優れている。
その生涯を通じ言説にも言動にも罪を犯したことがない。
その男が洗礼を受けず信仰もなくて死んだとする。
その彼を地獄に堕とすような正義はどこにあるのだ?
彼に信仰がないとしてもそのどこに罪があるのだ?”
“ -
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ネタバレ左手の堤へ鬼たちは向かったが
出かける前にみな自分たちの隊長に向かって
合図にしたでべえをして見せた。
すると隊長の方は尻からラッパをぷっと鳴らした。
時代を超えて読まれる名著中の名著。お堅いのかと思いきや、放屁場面が出てきた…。ルネッサンスの時期に、キリスト教の世界がどのように思われていたかがよくわかる本。口語訳である上に、背景が注に書かれているので分かりやすい。地獄、煉獄、天国編があるのだが、登場人物が実話や神話に基づいているのに驚いた。つまり、ダンテが地獄に落としたいと思っていた人は見事に地獄でお会いすることになる。マホメットはキリスト教を信じていたが、そこから分裂してイスラム教を -
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地獄篇・煉獄篇を経て終局たる天国篇(Paradiso)へ。
ダンテは遂に、至高天にて、"天上の薔薇"とも呼ばれる光の中心に「いっさいの望みの究極(はて)」である神を観るに到る。
「ただそれだけが真実な、崇高な光輝の/光線の奥へ、さらに深く、はいっていった」 「その光の深みには/宇宙に散らばったもろもろのものが/愛によって一巻の書にまとめられているのが見えた」(以上、第三十三歌)
全三篇、粘着的なまでに体系的な、宗教という強迫観念の大伽藍を見せつけられた。
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ダンテ自身が冒頭で述べているように、天国篇は地獄篇・煉獄篇に比して難解であり退屈でもある。神的宇