平川祐弘のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
14世紀のペスト下で巣籠もり中の、男女10人による百物語を、21世紀のコロナパンデミック中に読もうと購入しましたが、めちゃめちゃ時間がかかりました。
イタリア人の名前に馴染めず、10人のうち誰が男性かも分からないまま読み進めましたが、やがて、それぞれが物語りを始めると登場人物も爆発的に増え、収集がつかない事に。読むスピードも極端に遅くなりました。
4日目ぐらいで気付きましたが、Oで終わる名前が男性、Aで終わる名前が女性ですね。ネイーフィレだけ例外で女性です。これから読む方はこの点を押さえて読んだ方良いです。常識だったらすいません。ただ、10人が語る物語の中の登場人物は時代が違ったり、そもそも異邦人だったりするのでこの法則は当てはまりません。
10人それぞれの性格とか関係性まで読み解こうとするとドツボにハマります。なんか主要人物を除いて、作者のボッカッチョも設定がいい加減なんだそうです。とは言え、重要な役回りを担った人物や、恋愛関係にあった人物もいるようで、なかなか難しいです。
下巻は10日物語の8日目から最終日10日目まで。
8日目、9日目は作者のボッカッチョも筆が乗ってきて絶好調。鈴付きの小太鼓だの、すり鉢とすり粉木だの、毛皮だの、どこまでが普通の話で、どこからがエロティックな例えなのかもはや判別できません。
最終日は一転してお行儀が良い話。巣籠もり生活を脱して社会復帰する準備でしょうか。最後は爽やかに終わろうと思ったのかもしれません。
しかしながら、『欲望を抑えて体面を保ったロリコン老王』とか、『初夜に親友と入れ替わった話』とか、なかなか爽やかに成り切ることが出来ません。
極めつけは最終話の問題作です。この話しはペロー童話にもグリゼリディスとして収められているので、ご存知の方も多いかも知れません。私もペロー版を読んだことがありました。チョーサーのカンタベリー物語にも同じ話が出てくるそうです。
まあ、寓話なんでしょうが、話者ディオーネオ(もしくは作者ボッカッチョ)も否定的、wikiによるとカンタベリー物語のチョーサーも「自分の妻を試す夫なんて愚か者だ」と注釈しているそうです。
なのに、何故収録するのか。
デカメロンに描かれる世界は、保険制度など現代とあまり変わらない社会的仕組みを有している面も有りますが、身分格差や男女格差など人権意識はかなり低めです。処罰意識もかなり強めで残酷。さすが14世紀!
ボッカッチョは艶笑話の体をとりながらあからさまにこれらを取り上げる事によって、当時の宗教的社会的常識や価値観に疑問を呈したかったのではないでしょうか。
しかるに700年経った現在でも、これらが払拭された訳ではありません。取ってつけたような用語でレッテルを貼って満足するのではなく、まだまだボッカッチョのように異議申し立てし続けていかなきゃいけないんだなぁと感じた古典名作読書でした。 -
Posted by ブクログ
中巻、10日間のうち4日から7日目の物語です。
坊さん(教会)の悪口に飽きたのか、この巻は恋の話が多いです。しかし不倫多いですね。いや、別に良いのですが。
不倫じゃなくても「娘の親の許しさえ出ればすぐにでも娶ろうと2人の青年はいずれも色めき立っている。もし申し込みが断られた際は、たとえいかなる手段を講じてでも、女を我が物にしようと2人とも心中思っている。」と穏やかでない。
とは言え、この時代も無法世界ではありませんから、不倫も掠奪もバレるとタダではすみません。特に不倫が見つかった女性は命懸け、現代の芸能界より厳しいです。
そこまで恋愛に命をかける。やはり娯楽が少ないからでしょうか?それともイタリアだから?
とは言え、恋愛話やそれに絡む艶笑話はさほど面白くありません。エロの表現では日本に分があるようです。
一番面白かったのは本文ではなく、六日ニ話の注釈「鴨川の水でも汲んで、お帰りなはれ。」かな。なるほど解りやすい。
追加情報
文庫本表紙の女性が猟犬に襲われている絵は5日8話目のフィロメーナのお話しからのカットです。 -
Posted by ブクログ
ペストから逃れ、巣籠もりをするフィレンツェの10人の若者が、暇つぶしにそれぞれ1話づつ、10日間で100話の短い物語を語りあいます。
語られる話は宗教がらみか艶笑話、もしくはその両方が絡んだ小噺が多く、やはりイタリアはキリスト教国なのだな、エロは必須なのだなと感じました。
話の舞台はイタリア国内ほもちろん、フランスやイギリスはおろか、アフリカやアラブ圏にまでおよび、当時(14世紀!)のヨーロッパの世界観や多様性が感じられました。
長年に渡って繰り返された十字軍の失敗とか、当時の教会の腐敗とか、歴史的背景を勉強しなおして読んだ方が良いのでしょうが、難しいですよね。Wikiで調べるのがやっとです。
デカメロンはいくつかの翻訳本が出版されていますが、翻訳年が新しい平川祐弘先生訳の河出書房版を選びました。注釈や解説の充実ぶりが素晴らしいです。読書中、ずいぶんこれに助けられました。
上巻は1日目から3日目の3日間のお話しです。
女性の地位が恐ろしく低い中世のお話しですが、最初の3日間は女性が主導します。3日目の締めでは女王ネイーフィレが男性陣、特にフィローストラトに「皆様もわたしたちからなにかと道理をお習いになると良いと思います」とピシャリと言いきってます。カッコ良い。
当時の上流階級の、かなり進歩的な考えの人たちだったんでしょう。 -
Posted by ブクログ
歴史に名を残すダンテの文学作品、「神曲」です。政治活動に深く関わっていたダンテが政変に巻き込まれてそこから永久追放された後に綴った文学作品であり、まずこの地獄編は人間省察の本であるとも言えるでしょう。人間が地上でどのような悪行を重ねるとどのような地獄に落ちるのかと言うことを詩的に文学的にこれでもかと言うほどの文章では表現できないような恐怖や狂おしいほどの苦悩の様の有り様を生生と活写している本です。
ダンテがこの本を通して一貫して訴えたいことは因果応報と言う理念のもと、現実に名誉を得て現世では有名だった方などが地獄で生々しく激しい責め苦を受けている姿を描写している様は非常に面白いものがあり、何故そのような責め苦を受けているのかの理由なども記載しており、因果応報とはこのような事かと理解されます。
一生の間に1度は読んで起きて本であると言えるでしょう。 -
Posted by ブクログ
ペストが猖獗を極めた十四世紀フィレンツェ。恐怖が蔓延する市中から郊外に逃れた若い男女10人が、面白おかしい話で迫りくる死の影を追い払おうと、十日のあいだ変わるがわる語りあう百の物語。(裏表紙より)
まず、「デカ」はギリシャ語で「10」、「メロン」は「日」という意味だそうだ。(この本のことは前から知っていたのだが、長い間、結構真剣に(食べ物の)メロンが関係しているのだと思っていた笑)
さて、内容についてだが、あからさまな性的描写(とは言っても、そのものど直球に言及しているわけではないのでキツい下ネタと言ったほうがピッタリか)が多く、少し不愉快に感じたのでので評価は星3。よく言えば、生の寿ぎ? 勿論、本作が十四世紀に書かれたのだということを考慮に入れねば適切な評価というものは出来ないだろうが、やはり(同じ言うにしても)ベールに包んで表現して欲しかったというのが正直な感想である。
とはいえ、読んでいて愉快な話がとても多かった。登場してくる人物は多岐に渡り、バラエティ豊かである。印象に残ったのが、坊さん(キリスト教の僧侶)にロクな人がいないということである。女とイチャイチャしているような僧侶か、若しくは狡賢い人にいいように利用されるような愚鈍な僧侶かしかいないのである。日本でデカメロンに当たるような書物は今昔物語集のような気がするが(的外れだったらごめんなさい)、こんなにお坊さん(こちらは仏教の僧侶)はボロクソに描写されているのだろうか? 当時の社会で、よく焚書されなかったものだ。それとも、ペストの流行で教会の権威が堕ちていたということなのだろうか? また、何かにつけて女性は男性に劣っていると主張されるのが、目についた(昔の作品にはよく見られることだが)。このような社会では、女性の生き方は今とかなり違うだろうな、と想像した。 -
Posted by ブクログ
>詩行が独立して読むだけでは意味が通ぜず、興趣も湧
かず、註釈が必要とされるような部分は、詩的作品としては欠陥作品というべきであろう。残念なことにこの種の傾向は煉獄篇末尾から天国篇全体を通じて強まる傾向にある。
>君ら生きている人々はなにかというとすぐ原因を
天のせいにする、まるで天球が万事を
必然性により動かしているかのような口吻だ。
仮にそうだとすれば、
君ら人間の中には
自由意志は滅んだことになり、善行が至福を
悪行が呵責を受けるのは正義にもとることとなる。
天球は君らの行為に始動は与えるが、
万事がそれで動くのではない。仮にそうだとしても
善悪を知る光や自由意志が君らには与えられている。
そしてこの意志は初期の戦いでは
天球の影響を受けて苦闘するが、もし意志の力が
十分に養成されているならば、すべてに克てるはずだ。
君らは自発的に、より大きな力、より良き性質に
自由に服することができる。その性質が君らの中に
もう天球が左右できないような智力を創り出す。
だから、現在の世界が正道を踏み外しているとするなら、
原因は君らの中にある。君らの中に求めるべきだ。(十六歌)
>疲労困憊するなどと繰返して言いながら、私たちがここまで夢中になって『神曲』のなかを歩みつづけてこられたのは、結局は訳者平川祐弘の流麗明快で活気に満ちた訳文のみごとさによるものにほかならぬことに、あらためて気がつく
平川先生の訳と注釈の頼もしさ、さながらダンテを導くウェルギリウス先生の如しなので解説めちゃくちゃ分かるになった。そしてあらすじ知るだけなら漫画でもいいかと思ったけどダンテ達と一緒に歩く読書“体験”が重要だったと思うから「『神曲』のなかを歩みつづけ」るという表現にも共感