上間陽子のレビュー一覧
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「言葉を失ったあとで」というタイトルだが、中には言葉を失うほどの壮絶な経験をした人々の言葉をなんとか引き出してケアに繋げようとするそれぞれの現場について語られていた。
DVや虐待、性被害などは身体の傷だけでなく、心の傷も深く苦しい。それを語れるのは言葉でしかなく、言葉にならないからこそ辛いのだと思う。
信田さんがカウンセリングにおいて「抽象的な言葉を禁ずる」と語っていたのがとても印象的だった。「愛着障害」などと言ってしまえばそれできれいにまとまって終わってしまう。しかし、その言葉を禁じることによって、具体的に残るのは「比喩」だという話は、「自分の言葉で語ること」とはどういうことか、あるいは「世 -
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目次
・美味しいごはん
・ふたりの花泥棒
・きれいな水
・ひとりで生きる
・波の音やら海の音
・優しいひと
・三月の子ども
・私の花
・何も響かない
・空を駆ける
・アリエルの王国
・海をあげる
本屋大賞のノンフィクション部門にノミネートされた本ということで手に取った本。
それ以外の情報はなかった。
ノンフィクション=ルポルタージュというわけではないとは思うが、始めの一編で最初の夫との離婚の話で、一体何を読まされているのかと混乱した。
夫が親友と浮気して、もう別れたけれど、今後どうしたらいい?という話。
これは、片方の当事者からしか情報を得ることができない状態で読まされるべきものではないと -
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静かで素朴に生きられるはずの沖縄における悲しいリアル。ノンフィクションだが、小説のようでもあり、映画のようでもある。
悲しさの核心にあるのは不条理。自分たちではどうしようも出来ないような大きな力が、自分たちを踏み躙り犠牲にしていくが、争う力がない。基地を押し付ける本土にも、暴力により支配する米軍にも、島民の心理を逆手に取って虎視眈々と世論操作する中国と、それらに染まったメディアや政治にも。
だから、海をあげる。いや、海をあげる相手は抗えない権力者たちに対してではない。本当は、子供たちに胸を張って渡したい海は、辺野古基地のために土砂で埋めらていく。
ー 私の家の上空では、今日もオスプレイや -
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上野千鶴子の担当する章が興味深かった。
ホモソーシャルな集団(往々にして男性中心のコミュニティを指す)では、同性愛嫌悪(ホモフォビア)とミソジニー(女性蔑視)を持つことで成員資格が与えられる。つまり、異性愛者として女性を性の対象として扱うことができてはじめて「仲間」として認められる。
ホモソーシャルの考え方を使えば、非モテ男性や弱者男性、インセルといった現象も説明できる。
冷静に考えたら別にモテなくて落ち込む必要はないのに女性に性的にモテなくて落ち込む人が存在する。
それは実は女性にモテないのではなく、自分が男社会で「仲間」と認められないから落ち込むのではないだろうか?
そういうのは本当 -
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“深い底の部分では怒りが渦巻いているのに、四方八方からの張力によって、それは流れそうで流れない涙のようにギリギリのところでとどまっている。それはまさに言葉を失うとしか言いようのない現実への直面に思えた。そこから這い上がるように言葉を新しく獲得していく姿、その張り詰めた感じが、読む私の胸を打ったのである。”
---「まえがき」より
公認心理士・臨床心理士の信田さよ子さんと、社会学者・教育学者の上間陽子さんの、数回にわたる対談を書籍化したもの。
性被害に遭った女性へのアプローチについて語っているので、内容はとても重いのだけれど、文章から伝わってくるお二人のキャラクターが真逆のように感じられて、対 -
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吐き気をもよおすほどの、沖縄の若い子達の苦悩、を聴く仕事をする上間さん、、
彼女を癒してきた海、に赤土が入る、辺野古埋め立て
ハンガーストライキも知らなかった私、です…
普天間基地で自衛隊も共同訓練を行い、実戦を経験している米軍から色々と学んでいるのは事実、がしかし…
娘の風花ちゃんが迷子になったのを機に、性教育を始め、、卒園式では親を鶯の止まり木を守るひと、に例える上間さんのエッセイ、哀しくも優しくて…読んで良かったです
沖縄の貧困ゆえに、幼い頃から性被害、家庭内暴力、援助交際、妊娠・出産、、という問題が存在する、のは、沖縄に敗戦、米軍基地を押し付けてきた私達おとな、の責任でもあ -
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著者の様々な人生体験と自身の調査で出会った方々との交流の中で著者の感じたこと等が綴られたノンフィクション書籍。
主として、著者の故郷である沖縄を中心として記されている。
恥ずかしながら、僕が今までどこか縁遠く他人事のように眺めてしまっていた「基地問題」と「女性問題」を、現実味と切実さを伴ってそっと見せられた気持ちになった。
文が、言葉が、まさしく「なま」の声を発していた。
そして、聞く人であり話す人である著者を癒し、支え、温めるのは、著者の娘さんだった。
おばあ様をはじめ近親者の方々とのお話しの中には、家族観を考えさせられるエピソードも多い。
沖縄という複雑なルーツと文化が引き摺る「タ -
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上間陽子(1972年~)氏は、沖縄県コザ市生まれ、東京都立大学博士課程退学後、未成年少女たちの支援と調査に携わり、2015年からは引き続き沖縄県で、風俗調査、沖縄階層調査、若年出産女性調査等を続ける。琉球大学教育学部研究科教授。本書『海をあげる』で、「Yahoo!ニュース/本屋大賞ノンフィクション本大賞」(2021年)、「(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞」(2021年)を受賞。
本書は、「webちくま」に2019年4月~2020年3月に連載されたものを中心に、「新潮」への掲載作と書きおろしを加えた、12編のエッセイをまとめたもの(一部加筆修正)である。
私はノンフィクション物を好 -
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ネタバレ「海をあげる」が良かったので手に取り。著者のメイン研究ということですが…すさまじかった。
このような女の子たちの話を他でも読んだことはあったと思うけれど、何と言うか土地柄と言うか地域性もあるのかな、東京などとは少し感触が違うように感じました。
そうしなければ生きていけない、という状態の究極に追いつめられている感じというか彼女たちのような人こそをサバイバーというのだなと。
どの人の話も苦しくなりますが、鈴乃さんの話が一番自分は揺さぶられた。
そこまでよく自分を引っ張ってきたなぁと、自分だったらとても同じようにサバイブすることはできなかっただろうなぁと。当たり前の事を当たり前にさせてくれない社会