上間陽子のレビュー一覧
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「言葉を失ったあとで」というタイトルだが、中には言葉を失うほどの壮絶な経験をした人々の言葉をなんとか引き出してケアに繋げようとするそれぞれの現場について語られていた。
DVや虐待、性被害などは身体の傷だけでなく、心の傷も深く苦しい。それを語れるのは言葉でしかなく、言葉にならないからこそ辛いのだと思う。
信田さんがカウンセリングにおいて「抽象的な言葉を禁ずる」と語っていたのがとても印象的だった。「愛着障害」などと言ってしまえばそれできれいにまとまって終わってしまう。しかし、その言葉を禁じることによって、具体的に残るのは「比喩」だという話は、「自分の言葉で語ること」とはどういうことか、あるいは「世界は言葉でできている」ということを改めて強く認識させられるものだった。
上間さんのあとがきでは、亡くしてしまった子のことを思い出し、「問う先をなくした言葉は、私のなかでぐるぐる回る。あの子の話を、私は結局聞き取ることができなかった。…その子の現場を正確に聞きとり、その子をエンパワメントできるような言葉を紡げないことに、私はいつもいらだっていた。」という。
そして「語りだそうとするひとがいて、それを聞こうとするひとがいる場所は、やっぱり希望なのだと私は思う。」と書いて終えている。
この本を読むと、日本の性犯罪やDVに対する問題の多さに愕然するものの、まずは「聞こうとすること」から始めなければならないのだと思う。被害者や加害者の声に耳を傾け続ける2人の紡ぐ言葉を今後も受け取っていきたいと思わせてくれる1冊だった。 -
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「十年後」の書き下ろし付き
特定妊婦さんのシェルターがしっかり根付いていた!
良かった、、すごい方だ
上間さんて一度対談で聴いたけれど鈴が鳴るような可愛い声の方
沖縄の少女達の声を、その優しい聞き手のトーンで成し遂げた調査の記録…
そして「おにわ」方向性を間違わないように、スタッフミーティングで吟味して、記録見て、行為見て、、すごい仕事だ
メモ
①社会学者の打越さんの著書読む
②適度な未来は3ヶ月
時間軸が立てられないと漠然とした不安状態になる
③弱い者に敏感な群がる男たち
隠蔽
④私はこうしたい、主体形成の大切さ
⑤母になること
伝説にいかない、絡め取られないよう
アルコール依存症の回復も同じく、社会適応面から、だけでなく、もっとその人らしさ、が課題
⑥リカバリーとは「奪還」奪い返すことも含む
⑦「被害者学」
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ネタバレ自分の触れてこなかった世界、知らない世界に足を踏み込めた。
相手と向き合い、知ろうとするのって大事だなと改めて思った。
しんどい生活の中で、どうしたら生きていけるか、自分の子どもと生きていくためには何を選べばいいか、安心して生きていくには誰を頼ればいいか、そんなことを考えながら強く生きている人の存在に目を向けたいと思った。
これまで「なんでその状況下で子ども産むの?」と思うことが何度もあった。「産むと本人も赤ちゃんもどっちもきつくない?」と思うこともあった。でも、産むことにも、産まないことにも、どちらでも大きな決断をしてるんだと思った。
理想論だけど、全員が幸せに、それぞれに居場所がある世界になっていけばいいなと。まずは自分が手を差し伸べられる人間になりたい。 -
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沖縄の海と娘たちの日常が、こんなに柔らかく、そしてこんなに痛みを伴って描かれるとは思いませんでした。
美しい景色のすぐ隣に、貧困や暴力や基地問題といった現実が当たり前のように転がっていて、読んでいて胸がざわつきました。
それでも上間さんの文章には、怒りや悲しみだけでなく「それでも生きていく力」が静かに宿っていて、救いの気配がちゃんとあり、読者を置いていかない配慮がありました。
一方で、重いテーマが続くぶん、読み進める体力はそれなりに求められるし、現実を受け入れるための時間も必要です。
でも、だからこそ最後に残る余韻が強い。誰かの生活の重さを、そのまま受け取るような一冊でした。 -
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パシリとしての参与観察を行った、打越正行さんの遺稿集。
ちくま文庫「ヤンキーと地元」にも書かれていたご自身のフィールドワークについての説明がさらに詳細に、また解説もあり深く知ることができた。
沖縄の社会で生きるヤンキーたちを近くで見て一緒に生活をした打越さんの迷いや落胆、辛さも感じるが、しっかりと社会学者として対峙している姿がある。
・沖縄の二次産業の特殊さ
二次産業がそもそも全国比で約半分、そのなかでも製造業は全国平均21.0%に対して沖縄県は5.3%しかなく、製造業が空洞化。ヤンキーがつきやすいからだを資本とする肉体労働である二次産業は建設業になる。
建設業につくためには、特定のしーじゃ(先輩)のパシリとなり、独特なうちなーぐちや言い回しを習得しなくてはならない。
製造業はルールを守り、スキルを積み重ねることで昇給していくある種学校教育の延長に近いが、建設業はマニュアルは存在せず、班長ごとに異なる手順や癖に合わせる必要がある。作業能力に応じた細かい給与体系はなく、4〜5年で頭打ちになる。
学校に行くよりも地元社会の方が実質的に役に立つことを学べるため、中学から学校に行かなくなりしーじゃとホモソーシャルな関係を積み重ねることに重きを置くことになる。
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分厚さにたじろいだが、字の大きさに少し安堵。
何より内容がある意味シンプル、ある意味深かった。
私はこの打越正行さんを知らなかったのだが、沖縄のヤンキーの実態を知るべく、
自らパシリになりながら取材を続けた人らしい。
一年前に亡くなって、その遺稿をまとめ出版したのがこの本ということだ。
沖縄、米軍、公共事業、建設業、ヤンキー、暴力、中卒、就職、、、
この辺りがつながっているということを、取材記録がこれでもかこれでもかと、
訴えかけてくる。
そういえばこの辺りを小説にした本を読んだばかりだった。
沖縄。
本土がいろいろ押し付けたものが、沖縄の若者にのしかかっている。
そういう現実を見ずに、好き勝手なことをいう人々。
そういう人に読んでもらいたい。
かくいう私も読むだけ。沖縄も旅行で行くだけ。
ここにきてのきな臭さの影響を一番受けるのは間違いなく沖縄。
トランプの言動からして、あてにならない米軍など、沖縄から出ていくべきでは、
と思いつつ、そうなると軍事バランスはどうなるのか、とも思い、、、
まえがき 上間陽子
はじめに
第1部 パシリ論
第1章 パシリ前史
第2章 社会の癖を書く――参与観察という方法
第3章 パシリとしての参与観察――つかえる部外者から、つかえない内部関係者へ
第1部 パシリ論 解説 パシリとしての参与観察が示すもの 石岡丈昇
断章1
第2部 沖縄社会論
第4章 ホモソーシャルなつながりの周縁――沖縄のヤンキーの若者のしーじゃ・うっとぅ関係をもとに
第5章 製造業なき経済成長/談合なき建設業――建設業からみた「戦後」沖縄
第6章 学校を去るわけ
第2部 沖縄社会論 解説 ヤンキーの世界を通じて沖縄社会を描くこと 上原健太郎
断章2
第3部 暴力論
第7章 つくられた、しーじゃ・うっとぅ関係――沖縄の建設業の社会史
第8章 ライフコースからの排除――沖縄のヤンキー、建設業の男性と暴力
第9章 暴力の理解社会学
第3部 暴力論 解説 暴力の傍らで問い続ける 上間陽子
断章3
終章 繫ぎ止められる沖縄
解説 他者になる、解離する― 参与観察の極限 岸政彦
あとがき 岸政彦
注
参考文献
業績一覧
索引 -
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沖縄の女の子たちが家族や恋人、面識のない男から暴力を受けながら育ち、そこから必死に逃げて自分の生き方を探すまでの過程を調査した記録。
ここであえて「女の子」と書いたのは、本書に出てくる女性はもれなく10代で妊娠して、暴力を受け居場所を追われているからである。著者の上間さんは、この女の子たちから聞き取り調査を行うだけでなく、人生の決断にまで踏み込み、調査対象者の人生に寄り添いながら調査をしている。
社会学の調査では、通常は調査対象者から一歩引いた立場で、調査対象者の決断には影響を与えないようにするのが一般的だろう。(参与観察という社会学の調査方法からも分かる通り、やはり「観察」が基本なのだろう。)
しかし上間さんは対象者の人生にガッツリ関わる。出産の立会いもするし、ひき逃げしてしまった女の子の自首に付き合ったりもする。これは、沖縄の貧困の実態をより直接的に改善したいという強い思いがあるからだろう。(上間さんはその後「おにわ」という若年妊婦のための保護シェルターを立ち上げてもいる。)
単なる聞き取り調査ではないからこそ、まだ10代の女の子たちが人生の岐路で最善の選択を選ぼうとしていることが痛いほどよく分かる。それでも最悪の環境から抜け出せない。籠の中でもがくしかないような、「かわいそう」を超えた「どうしようもなさ」がより当事者性を持って伝わってくる。
出てくる人たちの選択にもどかしさを感じる人もいるかもしないが、何度も書くがまだ10代の女の子である。人生の岐路を選択するには早すぎる。まず沖縄でこのような実態があることを知ることが著者が望んでいることだと思うし、
当事者ではない我々がまずすべきことだとも思う。 -
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目次
・美味しいごはん
・ふたりの花泥棒
・きれいな水
・ひとりで生きる
・波の音やら海の音
・優しいひと
・三月の子ども
・私の花
・何も響かない
・空を駆ける
・アリエルの王国
・海をあげる
本屋大賞のノンフィクション部門にノミネートされた本ということで手に取った本。
それ以外の情報はなかった。
ノンフィクション=ルポルタージュというわけではないとは思うが、始めの一編で最初の夫との離婚の話で、一体何を読まされているのかと混乱した。
夫が親友と浮気して、もう別れたけれど、今後どうしたらいい?という話。
これは、片方の当事者からしか情報を得ることができない状態で読まされるべきものではないと思うのだ。
そして、彼女の多用する「○○してあげる、あげた」という表現。
「困っていると呼びつけられたら、お金を貸してあげた」「親切にしてあげた人に裏切られた」
他意はないのかもしれない。
ただの文章上の癖なのかもしれない。
でも、どうしても上からものを言っているように見えてしまう。
「してあげる」と思っている人から一方的に善意を「してもらう」しかない人の心のうちを想像することはないのだろう。
「お金を貸した」「親切にした」でいいと思うのだけど。
その後、沖縄の海洋汚染や基地問題などにも触れているのだけれど、あくまでもこれはエッセイ。
エッセイはノンフィクションなのか問題。もやもや。
あと、文章の組み立てが稚拙というか、わかりにくい。
結局何を言っているの?と読み返すこと数回。
素人の文章だなあと思っていたら、大学の教授じゃないですか。うーむ。 -
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上野千鶴子の担当する章が興味深かった。
ホモソーシャルな集団(往々にして男性中心のコミュニティを指す)では、同性愛嫌悪(ホモフォビア)とミソジニー(女性蔑視)を持つことで成員資格が与えられる。つまり、異性愛者として女性を性の対象として扱うことができてはじめて「仲間」として認められる。
ホモソーシャルの考え方を使えば、非モテ男性や弱者男性、インセルといった現象も説明できる。
冷静に考えたら別にモテなくて落ち込む必要はないのに女性に性的にモテなくて落ち込む人が存在する。
それは実は女性にモテないのではなく、自分が男社会で「仲間」と認められないから落ち込むのではないだろうか?
そういうのは本当の意味の仲間とは言えない。ので、「仲間」ではなくて、自分を仲間と認めてくれるコミュニティを探すのがいいと思う。世界は広い! -
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“深い底の部分では怒りが渦巻いているのに、四方八方からの張力によって、それは流れそうで流れない涙のようにギリギリのところでとどまっている。それはまさに言葉を失うとしか言いようのない現実への直面に思えた。そこから這い上がるように言葉を新しく獲得していく姿、その張り詰めた感じが、読む私の胸を打ったのである。”
---「まえがき」より
公認心理士・臨床心理士の信田さよ子さんと、社会学者・教育学者の上間陽子さんの、数回にわたる対談を書籍化したもの。
性被害に遭った女性へのアプローチについて語っているので、内容はとても重いのだけれど、文章から伝わってくるお二人のキャラクターが真逆のように感じられて、対話が軽快で、サクサクと読んだ。
第5章「言葉を禁じて残るもの」が、最も印象に残った。
既存の言葉、たとえば「意志が弱い」、「自己肯定感」、「愛着障害」などを、「なんとなくこんな意味合いだよね」というニュアンスで使用することを、信田さんのカウンセリングでは禁じているという。
なんとなくの意味合いに乗っかるのではなく、自分の状況をより的確に表す語句や言い回しを探し、それらを使うことを、信田さんは重要視する。
“どう表現していいのか、自分の体験にもっともそう言葉は何か、けっこう考えたりするようになりますよね。私はそれこそ言葉は政治だと思っているので、既成の家族概念に回収されるしかない言葉は使用しないようにします。
(中略)
だから、私たちのカウンセリングでは、別の教科書が必要だということでね、既成の家族の言葉では絶対に言い表せないことを別の言葉で言い表せるようにしなきゃいけないと思ってますね。”
---第5章「言葉を禁じて残るもの」より
読みながら、ある出来事を思い出した。
中学生の頃に読んでいた朝日中学生新聞で、おすぎとピーコのどちらかによる人生相談コーナーがあった。
ある日、相談者の文章の中に「価値観」という言葉が使われていたとき、回答で、「価値観という言葉を使うのはまだ早いでしょう」というようなことが書かれていた。
それを読んだとき、赤の他人の相談への回答であるにも関わらず、ドキッとした。
わたし自身、よく見かけるけれど正直意味を聞かれたらはっきり答えられる自信はない「大人っぽい」単語を、「なんとなくこんな意味合いだよね」とわかったような気になって、しれっと使っていなかったか。
紙面越しに見透かされた気がして、心の中が一瞬スッと冷える焦りを感じたのだ。
読書感想文や日記など、昔から書くことが好きだ。
でも自分の書いた文章を後から読み返して、これって本当にわたしが書いた文章なのか?としらけた気持ちになるときがある。
書いている最中に、なんか白々しいな、嘘っぽいな、と感じて中断することもある。
そういうとき、わたしはきっと「自分自身の言葉を探す」と骨の折れるプロセスを放棄して、脳の表層に浮かんでいるありふれた語彙と使い古された表現をお手軽に寄せ集めて、安直な文章を書いているんだろうなと思う。
そういう文章はだいたいつまらない。
だいぶ本の内容から離れてしまった。
でも、書きながら他に書きたいことがどんどん頭に浮かんでくるとき、書くことは楽しいなぁと感じる。
この本では学問の歴史や専門的な内容も多く語られているけれど、信田さんと上間さんが実際のカウンセリングや聞き取り調査で関わった人々の話もたくさん出てきて、心理学も教育学も社会学も門外漢のわたしが読んでも、とても読み応えがある一冊だった。
お二人のおすすめ図書も各章ごとに紹介されているので、興味を持ったものから読んでいきたい。