あらすじ
「聞く」の実際。アディクション・DVの第一人者と、沖縄で社会調査を続ける教育学者。それぞれの来歴から被害/加害をめぐる理解の仕方まで、とことん具体的に語りあった対談集。
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Posted by ブクログ
カウンセラーの信田さよ子さんと、沖縄の社会学者の上間陽子さんの対談集。とても読み応えがあった。信田さんは、カウンセラーのこれまでの歴史、精神科医との向き合い方の違い、そして性加害者、依存症への対処の遅れの指摘があった。昭和の男性は自らの性を語るとみな渡辺淳一になるという言葉には爆笑!カウンセラーとして、安易な共感はせず、抽象語にまとめてしまうことを許さず、体験を具体的に語らせる、語った言葉から構築できた事のみに対峙するという姿勢がかっこよい。上間さんは、家庭的に恵まれず虐待や性加害のあった少女・少年たちが、安心して被害を語れる場・機会に恵まれていないこと、加害者の卑怯さへの怒りが語られる。DV加害者への公的プログラムが、刑務所にないのは日本と北朝鮮だけ!というのが驚き。まだまだ、被害にあうほうが悪いとか、懲らしめれば反省するという思考、何か根本的に遅れている。プリズンサークルのような実践も始まっているし、これからいい方向に行ってほしいぞ。
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実践を積み重ねてきた二人だからこそ、提示できる視点、言葉、違和感。
加害男性の人間的薄さやずるさが際立つ。
DV更生プログラムはそういうことなのかとか、沖縄がネタにされがちな学問の世界のせこさとか、あー↘あー↗の連続。
上間陽子さんの寮美千子批判が鋭い。善の陳腐さ、みんな被害者論の陳腐さ。
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言葉を失ったあと…
私達は何を語れるのか…
言葉無く語れるものとは何か
非行、虐待、嗜癖、性被害、世代間連鎖
若年妊娠、援助交際…
関係性の中で生きている私達
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読もう、読もう、と思いながらもなかなか読めずにいましたが、ようやく読めました。
印象に残ったことをここでは2つだけ書きます。
選択不能性について。
ものすごく少ない選択肢の中からしか選べない状況にある人がいるということを、私はどれだけ理解して「自己選択」「自己決定」の言葉を使ってきただろうかと、自分の理解の浅さを感じました。
性暴力、DV加害をどのように見ていくかについて。
頷くばかりで納得しかない感覚でした。
怖さや危うさを改めて感じました。
カウンセリングから、社会調査から、多くの方の声を聴いてこられたお2人の言葉には、とても説得力がありました。
加害者の被害者性を取り扱うことのリスクについて知ることができたのもよかったです。
上間さんの本はまだ読んだことがなかったので、「読んでみよう!」と思いました。
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信田氏と上間氏の対談をまとめた本。
最前線で活躍する臨床心理士と社会学者の対話は前提となる知識が必要でところどころ難しく感じ、何度か読み直して理解を深めたいと思う。
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アディクションの世界では知らない人がいない信田氏と沖縄の少女が置かれた実態を赤裸々に書かれた上間氏の対談本。ともに性と暴力について取り組んでいる二人の対話で盛り上がらない訳がないエキサイティングな対話集である。取り組む立場は違えど、ともに「言葉」を大事に取り組む二人の底での認識は共通する。対話集なので言葉は平易だが、行間に流れる言葉は深い。何回か出てくるが、「コロナが明らかにしたのは、日本の感染症対策の脆弱さもだけど、性差別、性被害の問題ですね」と、出るべくして出た本であり、性と暴力だけでなく、性差別も考えるヒントが満載であった。
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あくまでも被害者側に立ち続ける2人の姿勢が素晴らしかった。似ているようで違う視点をもって痛みの近くにいる人たちの対談、夢中になって一気読みしてしまった。言葉を禁じて残るもの、既存の言葉に当てはめるのではなく自分の言葉で語ることで解放される何かがあるんだと知った。
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簡単に感想を書ける類の本ではないけれど敢えて言うならば…青山ブックセンターでのイベント申込み一瞬出遅れた自分を許せぬ!が、岸政彦さんを加えた三人のzoom配信見られただけでもヨシとせねば。お互いに敬意を持ちつつ聴き合う態度に圧倒されたし惚れ惚れしました。
Posted by ブクログ
「言葉を失ったあとで」というタイトルだが、中には言葉を失うほどの壮絶な経験をした人々の言葉をなんとか引き出してケアに繋げようとするそれぞれの現場について語られていた。
DVや虐待、性被害などは身体の傷だけでなく、心の傷も深く苦しい。それを語れるのは言葉でしかなく、言葉にならないからこそ辛いのだと思う。
信田さんがカウンセリングにおいて「抽象的な言葉を禁ずる」と語っていたのがとても印象的だった。「愛着障害」などと言ってしまえばそれできれいにまとまって終わってしまう。しかし、その言葉を禁じることによって、具体的に残るのは「比喩」だという話は、「自分の言葉で語ること」とはどういうことか、あるいは「世界は言葉でできている」ということを改めて強く認識させられるものだった。
上間さんのあとがきでは、亡くしてしまった子のことを思い出し、「問う先をなくした言葉は、私のなかでぐるぐる回る。あの子の話を、私は結局聞き取ることができなかった。…その子の現場を正確に聞きとり、その子をエンパワメントできるような言葉を紡げないことに、私はいつもいらだっていた。」という。
そして「語りだそうとするひとがいて、それを聞こうとするひとがいる場所は、やっぱり希望なのだと私は思う。」と書いて終えている。
この本を読むと、日本の性犯罪やDVに対する問題の多さに愕然するものの、まずは「聞こうとすること」から始めなければならないのだと思う。被害者や加害者の声に耳を傾け続ける2人の紡ぐ言葉を今後も受け取っていきたいと思わせてくれる1冊だった。
Posted by ブクログ
“深い底の部分では怒りが渦巻いているのに、四方八方からの張力によって、それは流れそうで流れない涙のようにギリギリのところでとどまっている。それはまさに言葉を失うとしか言いようのない現実への直面に思えた。そこから這い上がるように言葉を新しく獲得していく姿、その張り詰めた感じが、読む私の胸を打ったのである。”
---「まえがき」より
公認心理士・臨床心理士の信田さよ子さんと、社会学者・教育学者の上間陽子さんの、数回にわたる対談を書籍化したもの。
性被害に遭った女性へのアプローチについて語っているので、内容はとても重いのだけれど、文章から伝わってくるお二人のキャラクターが真逆のように感じられて、対話が軽快で、サクサクと読んだ。
第5章「言葉を禁じて残るもの」が、最も印象に残った。
既存の言葉、たとえば「意志が弱い」、「自己肯定感」、「愛着障害」などを、「なんとなくこんな意味合いだよね」というニュアンスで使用することを、信田さんのカウンセリングでは禁じているという。
なんとなくの意味合いに乗っかるのではなく、自分の状況をより的確に表す語句や言い回しを探し、それらを使うことを、信田さんは重要視する。
“どう表現していいのか、自分の体験にもっともそう言葉は何か、けっこう考えたりするようになりますよね。私はそれこそ言葉は政治だと思っているので、既成の家族概念に回収されるしかない言葉は使用しないようにします。
(中略)
だから、私たちのカウンセリングでは、別の教科書が必要だということでね、既成の家族の言葉では絶対に言い表せないことを別の言葉で言い表せるようにしなきゃいけないと思ってますね。”
---第5章「言葉を禁じて残るもの」より
読みながら、ある出来事を思い出した。
中学生の頃に読んでいた朝日中学生新聞で、おすぎとピーコのどちらかによる人生相談コーナーがあった。
ある日、相談者の文章の中に「価値観」という言葉が使われていたとき、回答で、「価値観という言葉を使うのはまだ早いでしょう」というようなことが書かれていた。
それを読んだとき、赤の他人の相談への回答であるにも関わらず、ドキッとした。
わたし自身、よく見かけるけれど正直意味を聞かれたらはっきり答えられる自信はない「大人っぽい」単語を、「なんとなくこんな意味合いだよね」とわかったような気になって、しれっと使っていなかったか。
紙面越しに見透かされた気がして、心の中が一瞬スッと冷える焦りを感じたのだ。
読書感想文や日記など、昔から書くことが好きだ。
でも自分の書いた文章を後から読み返して、これって本当にわたしが書いた文章なのか?としらけた気持ちになるときがある。
書いている最中に、なんか白々しいな、嘘っぽいな、と感じて中断することもある。
そういうとき、わたしはきっと「自分自身の言葉を探す」と骨の折れるプロセスを放棄して、脳の表層に浮かんでいるありふれた語彙と使い古された表現をお手軽に寄せ集めて、安直な文章を書いているんだろうなと思う。
そういう文章はだいたいつまらない。
だいぶ本の内容から離れてしまった。
でも、書きながら他に書きたいことがどんどん頭に浮かんでくるとき、書くことは楽しいなぁと感じる。
この本では学問の歴史や専門的な内容も多く語られているけれど、信田さんと上間さんが実際のカウンセリングや聞き取り調査で関わった人々の話もたくさん出てきて、心理学も教育学も社会学も門外漢のわたしが読んでも、とても読み応えがある一冊だった。
お二人のおすすめ図書も各章ごとに紹介されているので、興味を持ったものから読んでいきたい。
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上間陽子さんの言葉に触れたくてこの本を選んだ。信田さよ子さんとの対談は、DVや性被害の加害者と被害者へのアプローチが語られている。上間陽子さんは読者のためではなく沖縄の女の子の隣にいるためにどんな言葉が必要なのか上間さん自身のために信田さんの「聞く」現場が知りたかったとあとがきに書いている。信田さんの秘儀の一部は知ることが出来たらしい。そんな凄い(←貧弱な語彙)対談がここに展開している。そして豪傑な信田さんだった!
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DV、虐待、性被害についてや、加害又は被害を「聴く」「治療する」ことについて、考えさせられる対談だった。近接領域で働いているのでお二人の話にそうですよね〜と深くうなずきたくなる場面も結構あった。加害者って映画の世界みたいに綺麗に変わらないですよね。被害者の気持ちを真に理解できる人も少ないんだろう。
もちろん知識や経験の不足を痛感することも多々あった。海外ではDV加害者が裁判所命令でDV加害者のためのプログラムを受講を義務付けられると知って驚いた。
信田さんの面接で愛着障害だとか自己肯定感が……とかいう言葉を禁じているという話もなるほどと思った。その人の中で物語として完結してしまっていたらそれをそのまま受け止めたくなるけど、あえて事実を語らせることで直面化させるというか。そのまま真似するのは難しくても、そういう表現が出てきたら言い換えてもらうとか応用して取り入れたいなと思った。
上間さんの社会調査の話もすごいなと思った。学生時代に社会学の授業をとったとき、社会調査って結局なにやってるのか謎だなと思ってたけどイメージがつかめた。すごい行動力と熱意がないとできないなぁと。
選択肢の少なさの話も心に残った。同じ選択でも、3つから選んでいる人と15から選んでいる人がいる。どのような選択肢の中からそれを選んだのか。その背景にまで想像力を巡らせて他人の話を聴かないとなぁと思う。
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知らなかったことばかりだった。
少し言葉が難しいところはあったが、困難な状況にある女性たちに寄り添う二人には、敬意しか無い。
この本を読んでいる頃、新聞の沖縄の記事で、上間さんと本で言及されている研究者の打越正行さんが話されていて、私的に本を補完してくれた。
基地を沖縄に押しつけている現状が、弱い立場にある女性たちを追いつめている。
現状を容認している本土のわたしたちも沖縄の女性たちの加害者なのではないか。
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「被害を訴えなければ加害は生まれない」のだとつくづく思う。新たな視点を幾つも得た。まるで自分が悪くない、自分は被害者であると語る加害者に対面きたとき自分はどのように感じるだろうかと考えてしまう。手元に置いて何度でも読まなければ理解出来ないだろう内容だった。
Posted by ブクログ
似た分野で活躍している2人の対話は、私にとっては話が飛びまくりで理解ができなかったり、もうちょっと踏み込んで話してくれないとわからない!と思ったりする箇所が大量にあった。
自分はこの分野の文脈をまだよく知らない、知識不足だなということを痛感した。
虐待やDVのこと、社会で女性はどのような立場にあるのかということ、もっと知りたい。
そう思ってる私にとっては、この本はいい導入になった。読書案内もついているから、この本をとっかかりに理解を深めていけそう。
「聞く」ことで誰かの力になる。そんな仕事ができるようになりたい。せっかくこの仕事を選んだのだから。
そして、このテーマは私が嫌いな警察回りと自分をつなぐルートになる気もしている。
そしてそれは、もっと自分を消さないとできないことだというのも分かってる。「いい記事を書きたい」みたいな目的で近づいてくる奴に、誰が自分のプライベートな話をしたがるだろうか。
でも、だからといって他にどんなアプローチでそれは可能になるのだろう?上間陽子だって、「いい研究をしたい」から最初始めたのではないのかな?
女の子たちの話をきいて、「この話は研究のいい素材になりそうだ」とか思わないのかな?
聞くことの暴力性を気にしてたら一歩も踏み出せないけどやっぱり引っかかってしまう。
上間さんにきいてみたいし、私も自分の中で腑に落ちる答えを出したい。
Posted by ブクログ
深く 深く 考えさせられてしまった
「今」この瞬間にも 起きている
「アディクション」「DV」の実態に
そのまま向き合ってこられた
お二人の 言葉の数々に
考えさせられてしまうことしきりである
もうずいぶん前のことになるけれども
DARCを運営されている方と
知り合いになったことがあり
一度「ミーティング」を覗いてみませんか
とお誘いを受けたことがあった
その時にも ものすごい衝撃を
受けましたが
語りだそうとするひとがいて、
それを聞こうとするひとがいる場所は、
やはり希望なのだと思う
と「おわりに」の中で
上間陽子さんが綴っておられますが
つくづく そうだなぁ
と思う
Posted by ブクログ
上間陽子さんの誠実さが際立った対談だと感じた。アディクションのフロントランナーたる信田さよ子さんへのリスペクトも感じたし、自分の活動を少しでもいいものにしたいという自己批判の視点も感じる。
対談、とはいうものの信田さんが上間さんに「教える」の構造が多いような気がして、そこが少し気になる。信田さんの語りはすごく含蓄のあるものばかりだったが、ふたりが共振して予想外のところに辿り着く類の対談ではなく、「信田さんの語りを上間さんが引き出す」会になってしまっている、というか。もう少し上間さんの話が聞きたかったのが正直なところ。
信田さんの自分の仕事への強烈な自負は、もちろん結果も含めて当然と言えば当然だが、上間さんの自省的な態度と比較すると、このような問題に立ち向かう上で適切な姿勢だと僕は思わない。
医療者への視点も、数十年前ならいざ知らず、最近の精神科のムーブをキャッチアップできていないように感じる。そもそも精神科医は6年でなれるものではなく、二年研修医、三年後期研修で初めて得られる資格であり11年かかる。当然、それゆえの専門性の高さは「くすりを出す」だけではない。信田さんが一般的な精神科医が嫌いな理由はよくわかるが、感情論先行であまり意味ある批判だとは思えなかった。
Posted by ブクログ
まさに言葉を失うような、酷い状況を生き抜いてきた人々の語りをきいてきた2人の言葉は、語っている内容以上に語らないこと、語れないこと、わかりやすい言葉にならない、手からこぼれ落ちるようなことを含んでいるのだろうという感じを受けた。
言葉にすることの限界を知って、それでも、その場に立ち続ける覚悟というか。
DV家庭で育って、やっとそのことを言語化しはじめてきたわたしには、色んなことを思いだし、ちょっと具合悪くなりながら読み終えた。
残っているのは、被害者は加害について理解する必要があるということ。家族から暴力をふるわれ続けるとわけわからなさを本当に感じる。そのわけわからなさと対峙し続けることの苦しさから、自分が悪いんだと自己を責める癖を持ってしまってきたような。
また、自分の家族を加害者と捉え、自分の被害に向き合うのはしんどいと思います。家族の関係を壊さないようにするにはどうすればいいですか?
という質問に
「自分のやったことの責任を取ってくださいと言われることは、自分が責任を取れる人間として尊重されているからだ」
という信田さんの、言葉がよかった。
加害も被害も本当は、そんな簡単に語れないことが多い。ひとの関係は相互にかかわり合っているから。
わかった、わからない、ではなく、複雑さのなかに、立ち続けること。
それが生き延びることかもしれない。
わたしにはそんな感じが残った。