上間陽子のレビュー一覧
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紹介されている本はどれも興味深かった。
ジュディス・ハーマンの心的外傷と回復は、特に読みたいと思った。
・伊藤野枝の「階級的反感」にはめちゃくちゃ共感する。
正義に燃え、階級による格差や差別をなくしたいと思って活動しているのに、(活動による救済の対象である)労働者階級と仲良くできない。相手には拒まれてしまうし、相手のそんな振る舞いに自分も苛立ってしまう。
それを率直に認めて見つめるのは勇気がいるがとても大切なこと(今のリベラル知識人に足りていないこと)。
そして、上間陽子の「階層的な違いや壁は確かに存在する。でもそこからだけどな、そこからスタートすればいい」というのは説得力があった。
・アトウッド『侍女の物語』は、カズオイシグロのフェミニスト版みたいだなという印象。
フェミニズム的価値観が押し出された小説ってあまり読んだことがない気がするので未知だが、いつか読んでみてもいいな。
現代アメリカ批判も含んでいる作品。
・ジュディス・ハーマン『心的外傷と回復』、名前はもちろん知ってる古典的名著だが、内容を解説されたものを読んだのは初めてでためになったしさらに興味を持った。
第一章の研究史の概説も知りたいし、第二章の心的外傷からの回復の道筋を私も勉強したい。
PTSDはずっと女の「ヒステリー」扱いされていたのが、ベトナム戦争帰還兵が同じ症状を訴えてはじめて病気だと認定されたというのは、女性が社会に占めてきた地位を物語っていて興味深い。
・セジウィック『男同士の絆』、いかにも上野千鶴子らしいゴリゴリの理論書。ホモソーシャル空間成立にはホモフォビアとミソジニーが不可欠という、これ自体は聞いたことのある話。
ただホモソーシャル空間での競争関係があるために、そこで敗北した「弱者男性」は自分より弱い相手である女性が攻撃対象であるという指摘には確かにと思わされた。
最後に書いてあるように、男がホモソーシャル空間から半身抜け出さないと社会は変わらない。男がんばれ。 -
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DV、虐待、性被害についてや、加害又は被害を「聴く」「治療する」ことについて、考えさせられる対談だった。近接領域で働いているのでお二人の話にそうですよね〜と深くうなずきたくなる場面も結構あった。加害者って映画の世界みたいに綺麗に変わらないですよね。被害者の気持ちを真に理解できる人も少ないんだろう。
もちろん知識や経験の不足を痛感することも多々あった。海外ではDV加害者が裁判所命令でDV加害者のためのプログラムを受講を義務付けられると知って驚いた。
信田さんの面接で愛着障害だとか自己肯定感が……とかいう言葉を禁じているという話もなるほどと思った。その人の中で物語として完結してしまっていたらそれをそのまま受け止めたくなるけど、あえて事実を語らせることで直面化させるというか。そのまま真似するのは難しくても、そういう表現が出てきたら言い換えてもらうとか応用して取り入れたいなと思った。
上間さんの社会調査の話もすごいなと思った。学生時代に社会学の授業をとったとき、社会調査って結局なにやってるのか謎だなと思ってたけどイメージがつかめた。すごい行動力と熱意がないとできないなぁと。
選択肢の少なさの話も心に残った。同じ選択でも、3つから選んでいる人と15から選んでいる人がいる。どのような選択肢の中からそれを選んだのか。その背景にまで想像力を巡らせて他人の話を聴かないとなぁと思う。 -
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似た分野で活躍している2人の対話は、私にとっては話が飛びまくりで理解ができなかったり、もうちょっと踏み込んで話してくれないとわからない!と思ったりする箇所が大量にあった。
自分はこの分野の文脈をまだよく知らない、知識不足だなということを痛感した。
虐待やDVのこと、社会で女性はどのような立場にあるのかということ、もっと知りたい。
そう思ってる私にとっては、この本はいい導入になった。読書案内もついているから、この本をとっかかりに理解を深めていけそう。
「聞く」ことで誰かの力になる。そんな仕事ができるようになりたい。せっかくこの仕事を選んだのだから。
そして、このテーマは私が嫌いな警察回りと自分をつなぐルートになる気もしている。
そしてそれは、もっと自分を消さないとできないことだというのも分かってる。「いい記事を書きたい」みたいな目的で近づいてくる奴に、誰が自分のプライベートな話をしたがるだろうか。
でも、だからといって他にどんなアプローチでそれは可能になるのだろう?上間陽子だって、「いい研究をしたい」から最初始めたのではないのかな?
女の子たちの話をきいて、「この話は研究のいい素材になりそうだ」とか思わないのかな?
聞くことの暴力性を気にしてたら一歩も踏み出せないけどやっぱり引っかかってしまう。
上間さんにきいてみたいし、私も自分の中で腑に落ちる答えを出したい。
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深く 深く 考えさせられてしまった
「今」この瞬間にも 起きている
「アディクション」「DV」の実態に
そのまま向き合ってこられた
お二人の 言葉の数々に
考えさせられてしまうことしきりである
もうずいぶん前のことになるけれども
DARCを運営されている方と
知り合いになったことがあり
一度「ミーティング」を覗いてみませんか
とお誘いを受けたことがあった
その時にも ものすごい衝撃を
受けましたが
語りだそうとするひとがいて、
それを聞こうとするひとがいる場所は、
やはり希望なのだと思う
と「おわりに」の中で
上間陽子さんが綴っておられますが
つくづく そうだなぁ
と思う -
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上間陽子さんの誠実さが際立った対談だと感じた。アディクションのフロントランナーたる信田さよ子さんへのリスペクトも感じたし、自分の活動を少しでもいいものにしたいという自己批判の視点も感じる。
対談、とはいうものの信田さんが上間さんに「教える」の構造が多いような気がして、そこが少し気になる。信田さんの語りはすごく含蓄のあるものばかりだったが、ふたりが共振して予想外のところに辿り着く類の対談ではなく、「信田さんの語りを上間さんが引き出す」会になってしまっている、というか。もう少し上間さんの話が聞きたかったのが正直なところ。
信田さんの自分の仕事への強烈な自負は、もちろん結果も含めて当然と言えば当然だが、上間さんの自省的な態度と比較すると、このような問題に立ち向かう上で適切な姿勢だと僕は思わない。
医療者への視点も、数十年前ならいざ知らず、最近の精神科のムーブをキャッチアップできていないように感じる。そもそも精神科医は6年でなれるものではなく、二年研修医、三年後期研修で初めて得られる資格であり11年かかる。当然、それゆえの専門性の高さは「くすりを出す」だけではない。信田さんが一般的な精神科医が嫌いな理由はよくわかるが、感情論先行であまり意味ある批判だとは思えなかった。 -
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まさに言葉を失うような、酷い状況を生き抜いてきた人々の語りをきいてきた2人の言葉は、語っている内容以上に語らないこと、語れないこと、わかりやすい言葉にならない、手からこぼれ落ちるようなことを含んでいるのだろうという感じを受けた。
言葉にすることの限界を知って、それでも、その場に立ち続ける覚悟というか。
DV家庭で育って、やっとそのことを言語化しはじめてきたわたしには、色んなことを思いだし、ちょっと具合悪くなりながら読み終えた。
残っているのは、被害者は加害について理解する必要があるということ。家族から暴力をふるわれ続けるとわけわからなさを本当に感じる。そのわけわからなさと対峙し続けることの苦しさから、自分が悪いんだと自己を責める癖を持ってしまってきたような。
また、自分の家族を加害者と捉え、自分の被害に向き合うのはしんどいと思います。家族の関係を壊さないようにするにはどうすればいいですか?
という質問に
「自分のやったことの責任を取ってくださいと言われることは、自分が責任を取れる人間として尊重されているからだ」
という信田さんの、言葉がよかった。
加害も被害も本当は、そんな簡単に語れないことが多い。ひとの関係は相互にかかわり合っているから。
わかった、わからない、ではなく、複雑さのなかに、立ち続けること。
それが生き延びることかもしれない。
わたしにはそんな感じが残った。
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▼海をあげる
・頼れる友達、大事にし合える友達というのは貴重だな。今自分が本当に辛い時に駆けつけられる友達が、自分が駆けつける友達がどのくらいいるのだろうか。
・自分のために手をかけた食事を作るというのは重要要素なのだと認識。
「こんな時だからこそ毎日やっていることをちゃんとやらないといけない」
「それでもそれなりに美味しくて、とりあえずあなたを今日一日、生かすことができて〜。自分の空腹をみたすもの、今日一日を片手間でも過ごしているなにものか、そういうものを自分の手でつくることができるようになって、手抜きでも誤魔化しでもなんでもいいからそれを食べて、辛いことを乗り越えていけたらいいと思っています。」
・めも:ギデンズ「親密性の変容」
・記憶や感情は他者に移動させられるもんなのか。本質的にはもちろんできないが、外出しする、預けるのような感覚を持てるだけでも救われる人はいる気がする。自分はマイナスを原動力にすることのエネルギーの強さを渡してしまうようで少し悔しさを覚えるか、もしくはこんな辛さは渡したら人が1人壊れてしまうと危惧するかのどちらか。マイナスのエネルギーの絶対値は計り知れない。良い形で転換できれば個人的には一番爆発力がある。
(過去経験からの、現段階のマイナス定義=悔しさ・復讐・怒り・渇望・反発心(=反対されたことの証明)・強迫観念(=〜しなければ系・))
こう見てみると、他者はあまり関わらない。自己の欲求もしくは証明で成り立っている。
・自分が必死に生きても無意味に期すこと構造の環境にはいられない。それでも良いと心酔が依存する存在がいない限り。結局は自己満足の世界だが、自分の意識や時間を掌握するのは自己でありたい。納得できるかできないかの話。
・故郷というものについて考えを巡らせる機会を設けても良いかもしれない。自分と故郷がどのような位置関係により、なぜ〜の感情/感覚が発生するのか。いわゆる故郷が固定化されている自分だからこそ思考できることもあるはず。
・共同体における共通意識の発現/効果ついても考えてみたい。戦後の日本国民についての文献はぜひ見てみたい。
・沖縄では旧海軍司令部壕には行ったことがあるが戦争についてはそれのみ。もう少々現場を巡ってみても良いかもしれない。また戦時中の記憶を持つ方と会話できる最後の世代かもしれない。時間をかけてでもコミットすべき事象かも。
・差別をやめる責任は、差別される側ではなく差別する側の方にある。
・「娘の愛らしさや変わらぬ食欲は私と夫にとって日々の楽しみであり、まっしぐらに前を向いて歩く子どものかたわらにいることは、この世におけるもっとも楽観的な営みなのだとつくづくそう思います。」 -
Posted by ブクログ
基地問題を安全保障や政治の文脈ではなく、沖縄で暮らす人々の日常や感情のレベルから描いている点が印象的だった。騒音や水、生活への影響など、これまで自分があまり意識してこなかった側面に触れることができ、「合理性だけでは割り切れない問題」であることはよく理解できた。
一方で、読み進める中でいくつかモヤっとする部分もあった。特に、性風俗や若年女性の話については、当事者への踏み込み方が強く、支援というより介入に近い印象を受けた。また、メンタル面のケアについても専門家の領域との線引きが曖昧に感じられ、やや違和感が残った。個別エピソードの力は強いが、その分「切り取り」によるバイアスや一般化の難しさも感じた。
さらに、娘や保育園に関する記述では、著者自身の価値観を周囲に広げていくような描写があり、そこにも過剰介入に近い印象を受けた。問題意識の強さや正しさは理解できるが、それが他者への働きかけとして現れたときの距離感には慎重さが必要だと感じた。
総じて、本書は強い問題提起を持つ一方で、あくまで著者の視点によるエッセイであり、読み手側が距離を取りながら受け止めることが重要だと感じた。一つの視点として価値は高いが、他の立場や背景も含めて考えることで、より立体的に理解できるテーマだと思う。 -
Posted by ブクログ
10代で妊娠、出産。夫からのDVから逃げて生きていく方法もわからない少女。売春を斡旋していた男を好きになった少女。家庭が崩壊していて、学校にも居場所がない中学生は、つながりを求めて外へゆく。タバコを買ってもらうため、見知らぬ大人に声をかけ、セックスをする。そんなふうに、道を踏みはずした少女は、もう、普通の生活に戻ることはできないのか。基地のある沖縄では、そのような形で、未成年で風俗業で働くようになった少女が、他県よりも、多いのだという。あっという間に大人になっていく女の子。性暴力を受け、堕胎を経験し、夜の世界で働きながら、新しく出来た命を守ろうとする。そんな子が、まだたったの17歳だったりする。
最後の話、彼氏に売春をさせられていて別れた少女、新しく出来た恋人に過去が知られるのが怖いという彼女とは、その後連絡が取れなくなったらしい。今どうしているだろうか。
文庫化にあたって書き足された十年後、貧困ビジネスに騙された話は、必死で生きている女の子たちのことを思うと、悔しさしかなかった。