布施英利のレビュー一覧

  • ヌードがわかれば美術がわかる(インターナショナル新書)

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    748円

    モディリアーニはカリヤティードを研究していた

    ピカソって観てるだけだとあまり分からないけど、模写すると適当に描いたと思われる線も全てが計算されてる事に気づくよね。だからピカソの絵はどの絵も全部上手いんだよ。

    布施 英利
    (ふせ ひでと、1960年4月2日 - )は、日本の芸術学者、美術批評家、解剖学者。東京芸術大学美術学部芸術学科教授。芸術と科学の交差する「美術解剖学」を基盤として[1]、美術や文学の批評、解剖学の著作などの執筆活動を展開している。著書に『脳の中の美術館』(1988年、2025年)、『構図がわかれば絵画がわかる』(2012年)、『人体、5億年の記憶 からだの中の美術館』(2024年)など。群馬県多野郡鬼石町(現在の藤岡市鬼石)生まれ[1]、藤岡市育ち。1979年群馬県立高崎高等学校卒業、1984年東京芸術大学美術学部芸術学科卒業[1]、1989年同大学院美術研究科博士後期課程修了(美術解剖学専攻)[1]。大学院在学中の1988年9月、28歳で最初の著作『脳の中の美術館』を出版[1]。博士論文「人体解剖図譜の研究」で、学術博士[2]。大学院修了後の1990年より東京大学医学部解剖学教室助手として[1]、養老孟司の下で研究生活に従事[1]。東大助手時代の著書『死体を探せ!』(法蔵館、1993年7月)は、死体ブームと呼ばれた。1995年、批評家・文筆家として独立する[1]。2021年10月より東京芸術大学美術学部教授[3]。長男は美術家の布施琳太郎、次男は音楽家の布施砂丘彦(さくひこ)。

    「ここで画家エドゥアール・マネのことについて少し書こう。マネは、一八三二年、パリのブルジョワ階級の家に生まれた。堅物の両親のもと、親の期待を裏切り画家の道に進み、三〇歳の一八六三年に『草上の昼食』(一八六二 ~六三年)をサロンに応募するが落選。その年のサロンは、落選作が大量に出たのでそれらを集めた落選展が催され、そこに展示された『草上の昼食』は、悪評高く、下品な絵だと罵声を浴びた。裸の女性を描くということは、サロンの多くの作品にも見られたことで、それが問題ではなかった。当時、ルネサンスを代表するイタリアの画家、ティツィアーノ(一四八八、九〇頃 ~一五七六年)の『ウルビーノのヴィーナス』(一五三八年頃)が美の規範とされ、たとえば『草上の昼食』が落選した年のサロンで高い評価を得たカバネル(一八二三 ~八九年)の『ヴィーナスの誕生』(一八六三年)は、ルネサンスのヌード絵画のよき伝統を引き継ぐものと当時は考えられていた。ただしマネとカバネルは、現代では評価は逆転し、マネの『草上の昼食』が名画の誉れ高いのは誰でも知るところだが、一方のカバネルの『ヴィーナスの誕生』は、今日の研究者からは「十九世紀当時のサロンで喝采を浴び、高い評価を受けていたヌードは、カバネルの《ヴィーナスの誕生》がそうであるように、《ウルビーノのヴィーナス》のいわば形骸化した末裔でしかなかった」(三浦篤『ヴィーナス・メタモルフォーシス』三元社)と、「形骸化した末裔」呼ばわりされる始末である。」

    —『ヌードがわかれば美術がわかる(インターナショナル新書) (集英社インターナショナル)』布施英利著

    「では、なぜマネの『草上の昼食』は、当時、その価値を認められなかったのかというと、西洋美術史家の言葉を引用すれば「伝統的な絵画の規範を破り、同時代の風俗を現実のままに描いてしまった」からということになる(高階秀爾『オルセー美術館 1』日本放送出版協会)。マネの絵は激しく批判された。育ちのよいマネは、そんな社会に反発するでもなく、その二年後に訪れる『オランピア』発表時のスキャンダラスな批判と合わせて落ち込んだようだが、詩人で美術批評家のボードレール(一八二一 ~六七年)だけは「状況がよくなっているのに、マネはなぜ、それに気づかないのか」と真逆のことを言っていたという。しかし歴史は、ボードレールの慧眼の通りで、今では『草上の昼食』も『オランピア』も、罵声どころか世界の礼賛を集め、オルセー美術館に鎮座するフランス国家の宝ものとなっている。」

    —『ヌードがわかれば美術がわかる(インターナショナル新書) (集英社インターナショナル)』布施英利著

    「『オランピア』が発表されたのは一八六五年のサロンだったが、描かれたのは『草上の昼食』の直後で、マネが三〇歳のときだった。たいへんな批判が巻き起こり、中には絵の前でステッキを振り回す人もいたという。「芸術への冒瀆だ」というわけだ。しかし、今日から見ると、いったいこの絵のどこがスキャンダラスだったのかわかりにくい。ヌードだからでしょう、ということかといえば、先にも書いたが、当時のサロンにもヌードの絵画はあふれていた。タイトルの「オランピア」という名前が、その頃の通念では娼婦の名前を連想させるもので、だから下品に思われた、という見方もされる。しかし研究者によれば、マネの師トマ・クチュール(一八一五 ~七九年)が一八四七年のサロンで大成功を博した絵も、また娼婦を描いたものだという(三浦篤、同前)。つまり、ヌードだからとか、神話や歴史画でなく現実の娼婦を描いたから罵声を浴びた、というわけではない。そこで、批判の理由の一つは「描法」にあった、という意見もある。マネの先輩格の画家ギュスターブ・クールベ(一八一九 ~一八七七年)は『草上の昼食』は擁護していたというが、『オランピア』に対しては「トランプのようだ」と軽蔑の言葉を送ったというのだ。陰影や空間的な深みがなく、平べったい描写法を見下したのだ。」

    —『ヌードがわかれば美術がわかる(インターナショナル新書) (集英社インターナショナル)』布施英利著

    「ギュスターブ・クールベも、マネと並んで、反抗的な生き方をした画家だった。印象派へと至る西洋美術の近代絵画の歴史は、クールベとマネに始まると考えられるが、両者に共通するのは、古いものへの反抗、それに伴って生じたスキャンダラスな反応である。近代・現代のアートは、けっこうその多くが、「初めはスキャンダラスな批判、そしてやがて礼賛」という道を辿るが、そういう反抗的な画家像の始まりが、クールべとマネだった。その反抗の原因は、古い体質の、しかしアカデミックな権威をもったサロン展などでの落選である。一八五五年、パリで万国博覧会が開催されたが、クールべは自身の作品が選ばれず展示することができなくなる。そこで若きクールベは、万博会場の入り口前に小屋を建て、そこに自分の絵を展示し、なんと万博と同じ入場料を取るという強気に出た。個展というのは、今ではどこでも行われているが、世界最初の個展はクールベのそれだった。反抗的な若者の、スキャンダラスな行動が生み出した、新しい作品発表の形式、それが「個展」だった。しかしクールベの行動は、無謀な我儘かといえば、そのときに発表された絵は、『画家のアトリエ』(一八五四 ~五五年)や『オルナンの埋葬』(一八四九 ~五〇年)など、今ではオルセー美術館の看板作品として、世界中の人たちをパリに呼び集める力となっている。クールベは、正しかったのだ。」

    —『ヌードがわかれば美術がわかる(インターナショナル新書) (集英社インターナショナル)』布施英利著

    「 話をヌードに限定しても、クールベは革命的といってよい作品を残した画家だった。『泉』(一八六八年)という作品では、醜い体形といっていいほどに太った女性の後ろ姿を描いている。豊満な肉体をもった女性のヌードは、例えばルノワール(一八四一 ~一九一九年)や、あるいはルーベンス(一五七七 ~一六四〇年)などにも見られる。しかしルノワールやルーベンスの女性ヌードは、肉感的と形容できるような、男性の性的嗜好にかなったヌード、という言い方もできる。それに比べると、クールベの『泉』の女性は、醜悪である。いや醜悪という、人の感情を逆なでするようなヌード像でもない。醜悪は、それはそれである批評的な視点をもった表現だ。しかしクールベの描く裸体は、美しいとか、醜いとか、そういう感情を湧かせるのとは異次元の、ただ太った女性の裸体なのだ。そもそもお尻の大きさと上半身の大きさの比率など、人間の体はこうではないだろう、これではまるでミツバチではないか、というような肉体の造形だ。感情を湧き上がらせも、逆なでもしない。リアリズムとは、こういうもののことをいうのか、と思わせる。さらにクールベには『世界の起源』(一八六六年)という、女性の太ももと隠毛だけをクローズアップした絵もある。ともあれ、反抗的でスキャンダラスな画家といえば、マネに先立つ芸術家としてはクールベをおいて他にいない。」

    —『ヌードがわかれば美術がわかる(インターナショナル新書) (集英社インターナショナル)』布施英利著

    「そんなときに、ふと思うことがある。美術の世界には、なぜ、裸の人体が普通にあるのかと。  歴史をたどっていけば、おそらく、その始まりは古代ギリシアだ。大理石に彫られた、裸のヴィーナス像が、パリのルーブル美術館や、ロンドンの大英博物館など、世界の美術館にある。古代のヴィーナス像といえば、たいてい、ヌードだ。先に先史時代のヴィーナス像のことを書いたが、ここでは歴史時代以降のことを取り上げ、先史時代の話は除外する。ともあれ、古代ギリシアのヴィーナス像の話をしたい。  しかし、古代ギリシア美術の歴史の中では、「全裸」のヴィーナスの像というのは、その初期にも、そして最盛期にも、まったくなかった。意外に思えるが、古代ギリシアでは、女性像は、ほぼすべて服を着ていた。全裸のヴィーナスが登場するのは、古代ギリシアも盛りを過ぎ、終わりを迎えた頃だった。あるときヴィーナスは突然、服を脱いだ。それから、裸のヴィーナスは、普通になった。繰り返すが、ヌードのヴィーナスが登場したのは、古代ギリシアも終わりに近い末期、つまりヘレニズム時代(前四 ~前一世紀)のことなのだ。」

    —『ヌードがわかれば美術がわかる(インターナショナル新書) (集英社インターナショナル)』布施英利著

    「『サモトラケのニケ』の Vサイン『サモトラケのニケ』(前一九〇年頃)は、パリのルーブル美術館、ダリュの階段と呼ばれる広く長い階段の上にある。「ニケ」というのは、古代ギリシアで勝利の女神のことで、古代ローマではウィクトーリアとも呼ばれた。つまり英語の「 victory」の語源で、スポーツ用品メーカーのナイキ( Nike)も、勝利の女神ニケのことである。この像は、戦勝の記念としてサモトラケ島のカべイロイの神域に置かれたものだという。勝利を讃える女神なのだ。  今、ルーブル美術館に展示されている『サモトラケのニケ』には腕がない。その彫刻の手の破片が、階段の踊り場の横に展示されている。像に腕はないが、背中の翼が、腕のような効果を果たしている。失われた腕は、勝利のラッパを持っていたとも、あるいはリボンを手にしていたともいわれる。しかし腕がないことで、この彫刻は、腕を翼のように広げた、そんなポーズにも見える。  ただし、解剖学的にいえば、もちろん腕と翼はちがう。人の腕は、肩甲骨の先にある肩関節に付いている。いっぽうの翼だが、もちろんニケや天使など、羽のある人体などというものは実在しないから、解剖学的に、どこの骨に翼が付いているのが正しい、とはいえない。ただニケは、鳥の翼とちがって、腕もあるから、肩の関節から、腕と翼が一緒に生えている、というのも変だ。  では、ニケや天使の翼は、解剖学的にどこに付いているのがいいかというと、肩甲骨の内側縁というところに、翼の付け根を付けると、胴体と翼の位置関係が自然になる。つまり、翼というのは(鳥のものではなく、天使やニケの翼は)、肩甲骨が後ろに伸びて広がったもの、ということもできる。天使やニケの翼などは架空のものだが、しかし体のどこに付けるかは、解剖学的な構造を踏まえたほうが自然なものになる。」

    —『ヌードがわかれば美術がわかる(インターナショナル新書) (集英社インターナショナル)』布施英利著

    「パリという都市の力は大きい。この彫刻が、今のような世界中の誰もが知っているという「地位」を得るということだけでいえば、パリは正解だった。たとえば日本の芸能界での成功を夢見る少女が東京に行くように、中心に行くことは成功に近づくことになる。スペインの若者ピカソも、パリに行って成功したし、日本人の画家・藤田嗣治も、フランスにいって「フジタ」になった。『ミロのヴィーナス』も、ルーブル美術館に展示されることで、あの『ミロのヴィーナス』となった。『サモトラケのニケ』もそうだった。  しかし、もちろんいちばん大切なのは、単に人の集まるところで、人に注目されることではない。いったい、その彫刻は、芸術としてどのような造形的な魅力があるのか。  ギリシア美術研究の第一人者、澤柳大五郎氏は、その著『ギリシアの美術』(岩波新書)で、このように書いている。」

    —『ヌードがわかれば美術がわかる(インターナショナル新書) (集英社インターナショナル)』布施英利著

    「プラトン(前四二七 ~前三四七年)が、『饗宴』で愛について書いたとき、人はそもそも、男男と男女と女女がいた、その男女の体が切り離され、男と女ができた。だから人は、自分の片割れである異性の肉体を求める。そういうことを書いた。その考えを極端に押し進めれば、「両性具有」の世界へと至る。『ミロのヴィーナス』の造形にも、そんな思いが隠されているかもしれない。女性なのに、男性にも見える。それは両性具有的な身体でもある。  話が両性具有の身体になったので、もう一度、ルーブル美術館にある、両性具有のヘルマフロディトス像について書きたい。ルーブル美術館で、この彫刻の前では、多くの人が立ち止まり、意味ありげな笑みを浮かべて、写真を撮って去っていく。背面からみると、特に特徴もない、凡庸な横たわるヴィーナスに見える。ところが前に回ると、その股間に男性器が付いている、あの彫刻だ(第一章)。『ミロのヴィーナス』の、両性具有的な雰囲気の肉体が、やがて両性具有神そのものへと至った、という図式で単純に語ってはいけない。しかしヘルマフロディトス像は、ギリシア末期の到達点なのだ。それは、退廃の姿とも見える。」

    —『ヌードがわかれば美術がわかる(インターナショナル新書) (集英社インターナショナル)』布施英利著

    「この彫刻は「メディチ」という名が付いているくらいで、メディチ家が活躍したフィレンツェのウフィツィ美術館に今はある。ボッティチェリもフィレンツェで活動し、『ヴィーナスの誕生』があるのも、ウフィツィ美術館だ。ボッティチェリがこの彫刻を参考にして『ヴィーナスの誕生』を描いたことは、十分に考えられる。近代以降のように、職業モデルというものがいない時代、画家とはいえ女性の裸体を見る機会は得にくい。恋人や妻がいたとしても、長時間、明るい所でポーズを取る、ということをしてくれるかは別の話だ。そこで、古代の裸体彫刻を見て、女性の裸体を写した。いや裸体を写したのではない。彫刻を写した。そのお手本となったのが、たとえば『メディチのヴィーナス』なのではないか。  このヴィーナス像は、かつてはギリシア美術の代表格的な人気を誇っていた。ところが一九世紀に『ミロのヴィーナス』が発見されてから、その地位はパリのルーブル美術館に展示された『ミロ』のほうに取って代わられてしまった。だから、今ではよほどの美術愛好者でない限り『メディチのヴィーナス』のことは知らない。」

    —『ヌードがわかれば美術がわかる(インターナショナル新書) (集英社インターナショナル)』布施英利著

    「しかし、人の心が、美しい女性のイメージを求めるのは、どの時代、どの国、どの文化でも変わりはない。男性目線からはもちろんのこと、女性であっても美しい女性の、その美に憧れ、自分と重ねようとする。そうやって、消えたヴィーナスに代わる、新しい女性像が生み出されることになる。それがキリスト教における、聖母マリアだった。」

    —『ヌードがわかれば美術がわかる(インターナショナル新書) (集英社インターナショナル)』布施英利著

    「ヴィルヘルム・ハンマースホイは、一八六四年、デンマークのコペンハーゲンに生まれた( ~一九一六年)。一〇代のときからコペンハーゲンの王立美術アカデミーで学び、二一歳のときに描いた妹の肖像が話題となる。しかし話題になるといっても、ネガティブな反応で、当時の絵画のしきたりを逸脱したものだったせいでスキャンダルになったのだ。それは、後ろ姿の妹を画面一杯に描き、しかも画面はシンプルな色の面で分割されている絵だった。もちろん、そこに「ハンマースホイの絵画」の特徴が表れていて、まさに新しい画家の登場を告げる作品ではあった。何よりも、ハンマースホイは、その後「後ろ姿の画家」になったのだ。しかし当時、誰もそんな絵を描いていなかった。人物とは前から、あるいは少なくとも横顔を描くものであり、後ろを向いた女性が画面の真ん中にいる、などということはありえなかった。それに色彩を塗った面の扱いも、配色のトーンも、その時代の絵画観からすれば、まったく唐突な異質なものだった。  今では、ハンマースホイは、静かな室内にいる、後ろ姿の女性を描いた画家、として知られている。コペンハーゲン国立美術館で、その裸婦の絵があった部屋にも、よく知っているハンマースホイの絵(数年前、上野の国立西洋美術館でのハンマースホイ展で見た)が展示されていた。その部屋は、ハンマースホイの絵ばかりを集めたコーナーだったのだ。」

    —『ヌードがわかれば美術がわかる(インターナショナル新書) (集英社インターナショナル)』布施英利著

    「ロダンにもっとも大きな影響を与えた彫刻家としてイタリア・ルネサンスの巨匠ミケランジェロがいる。ロダンは、『青銅時代』の制作直前にイタリアを旅した。とくにフィレンツェに長く滞在して、ミケランジェロの彫刻を研究し、魅了された。『ダヴィデ』や『囚われ人』などを見たと思われる。またルーブル美術館にある『囚われ人』(第三章)も、ロダンは研究し、それらの影響のもとに、『青銅時代』を制作した。そしてロダン、ミケランジェロと、男性像の人体彫刻の歴史を遡っていけば、その先にあるのは古代ギリシア彫刻だ。古代ギリシアの彫刻は、ロダンの死後に発見されたものも多く、ギリシア美術の全貌を、ロダンもミケランジェロも知っていたわけではなかったが、やはりロダン彫刻のルーツであることに変わりはない。」

    —『ヌードがわかれば美術がわかる(インターナショナル新書) (集英社インターナショナル)』布施英利著

    「2.モディリアーニ時代の空気とルネサンスの伝統  エコール・ド・パリの画家、モディリアーニ(一八八四 ~一九二〇年)には、どんな印象をおもちだろうか?  あるいは、あなたはモディリアーニの絵画はお好きだろうか。もしあなたの友人が、「モディリアーニは好きだ」と言ったら、あなたは、その友人の芸術的センスをどのように思うだろうか。  モディリアーニというと、昭和風の喫茶店の、壁に貼ってある絵(ポスター)とかいうイメージがあって、今では時代遅れな感じがある。またピカソ(一八八一 ~一九七三年)やマティス(一八六九 ~一九五四年)と違って、「真の革新性を持たぬ底の浅い画家」と評されてきた、という声もある(マルク・レステリーニ『モディリアーニ展』カタログ、二〇〇八年、国立新美術館)。  たしかに、古きよき時代のパリの空気を描いた(だけの)、ユトリロ(一八八三 ~一九五五年)と並ぶ画家、それがモディリアーニという芸術家だと思っている方も少なくないと思う。ユトリロがパリのうらぶれた街の風景を描いたのに対して、モディリアーニはパリの人々の憂愁の姿を描いた、と。違いは、建築や道路と、人体、くらいだと。もちろん、モディリアーニの人物画には、あの時代のパリ、世界の中心であった、狂騒のパリを生きる人の心も描かれている。」

    —『ヌードがわかれば美術がわかる(インターナショナル新書) (集英社インターナショナル)』布施英利著

    「アメデオ・モディリアーニは、一八八四年、イタリアで生まれた。生地リヴォルノの美術学校や、フィレンツェ、ヴェネツィアの美術学校で、裸体素描などを学んだ後、一九〇六年、二一歳でパリに行く。  パブロ・ピカソ、マルク・シャガール(一八八七 ~一九八五年)、藤田嗣治(一八八六 ~一九六八年)など、あの時代パリにやってきた若い画家の多くがそうであったように、モディリアーニも異国人だった。ただしモディリアーニの父はイタリア人、母はフランス人で、両親ともユダヤ系という家で、スペイン人のピカソや日本人のフジタとは、まったく同じ状況ということではない。しかし、イタリアで生まれ育ったというモディリアーニの経歴は、本人に大きな影響を残し、故国イタリアのルネサンス絵画をはじめとする西洋美術の古典に対する関心の深さ、という点では際立ったところがあり、それがモディリアーニの芸術の土台になった。」

    —『ヌードがわかれば美術がわかる(インターナショナル新書) (集英社インターナショナル)』布施英利著

    「しかも、モディリアーニの絵画や彫刻には、そういった近代美術、ルネサンス美術だけでなく、さらに奥深い、美術としてのルーツがあった。古代ローマの、さらにその先にある、古代ギリシアの美術たちだ。  たとえば、古代ギリシアの神殿にしばしば見ることのできる、「カリアティード」という彫刻。これは神殿の建築の柱を、円筒形の太い棒ではなくて、人体の形に彫ったものだ。女神である女性の像であるので、日本語では女人柱と訳される。しかしカタカナで、そのままカリアティードと書くこともある。モディリアーニは、このカリアティードの造形性を研究し、それを自身の芸術に盛り込んだりした。  ここでモディリアーニの芸術を、ほぼ年代順に三つのグループにまとめて見ることにしたい。だが、彼の芸術はさまざまな表現が錯綜し、年代によってはっきりと三期に分けられるほどシンプルではない。二つ、あるいは三つのスタイルが重層している時期もある。しかし説明のための便宜として、ここではモディリアーニ芸術の変遷を、三つのグループに分けてみる。」

    —『ヌードがわかれば美術がわかる(インターナショナル新書) (集英社インターナショナル)』布施英利著

    「 第一期は模索期の作品たちである。それらの絵画には、ロートレック(一八六四 ~一九〇一年)の絵画と見紛うほどのもの、あるいはピカソの青の時代の色調や憂愁を連想させるもの、セザンヌの構築性を模倣したと思えるものなど、モディリアーニが同時代というか、一歩先をいっていた画家たちの芸術を吸収し、そこから自分独自のスタイルを見つけようとしていた痕跡がうかがえる。  そんな中で、ようやくモディリアーニが自分の道を見つけかけたのが第二期、先に書いた古代ギリシアのカリアティードの彫刻を研究した時期だ。一九一一 ~一三年にかけて、つまり二〇代後半のモディリアーニは、カリアティードというものの向こうに、ようやく自分の芸術の道を見つける。この頃、美術の技法においても、モディリアーニは絵画から彫刻へと、その取り組みが移行する。しかも粘土で立体造形をするというのではなく、彫刻の中でも最も堅固な素材である石彫に取り組むのだ。」

    —『ヌードがわかれば美術がわかる(インターナショナル新書) (集英社インターナショナル)』布施英利著

    「モディリアーニは、主にイタリアの遺跡や博物館に残されたカリアティードを見たものと思われるが、ともあれ、カリアティードというのは、女神像である前にまず「柱」であった。カリアティードに魅せられたモディリアーニは、その柱としての秘められた力、つまり「支える」という力に造形の美を見いだし、自分の芸術を「それ」と重ねることを模索した。この時期のモディリアーニの彫刻、あるいは絵画をみると、その「支える」という働きそのものが放つ美を、彼は追い求め、それを作品に込めようとしていたことがよくわかる。そして、この「柱」という世界が、後に見るように、モディリアーニの絵画の根幹へと結晶していくことになる。」

    —『ヌードがわかれば美術がわかる(インターナショナル新書) (集英社インターナショナル)』布施英利著

    「展示してあったのは、ヌードの絵画群であった。モディリアーニの展覧会は大人気で、大勢の人が押し寄せた。それに加え画廊のすぐ近くに警察があったために、その混雑ぶりに引きずられて警察がヌードの絵画たちを目にして、直ちに展示を止めるよう介入してきたのだ。画廊のスタッフが理由を尋ねると、女性の陰毛が描かれているからだという。  一九世紀、二〇世紀初頭のパリでは市民権を得ていたものだと私たちが思っている「ヌード」というものが、いかに苦難の道を歩んで来たかを、この事件一つをとっても、うかがい知ることができる。」

    —『ヌードがわかれば美術がわかる(インターナショナル新書) (集英社インターナショナル)』布施英利著

    「「藤田にとって(中略)裸婦こそが西洋美術を象徴するものであった」という。たしかに、フジタがしばしば足を運んだルーブル美術館の展示作品をはじめ、西洋美術の名品というのは、その多くが裸婦像である。他方、たとえば日本美術の歴史をみれば、仏像や山水画はあるが、裸婦像というのは明治以降の近代になるまで(黒田清輝の登場まで)、ほとんど見られない。  そもそも日本の近代美術というのは、西洋美術の移入によって生まれたものであり、近代の裸婦像とは、西洋美術の流れの延長にあるものである。そのような外部環境が、フジタを刺激したことも、裸婦像を描き始めた一因であるだろう。時代が、フジタも裸婦像を描いて当然、という環境を用意したのだ。しかしなぜ、それが一九二〇年だったのか。」

    —『ヌードがわかれば美術がわかる(インターナショナル新書) (集英社インターナショナル)』布施英利著

    「「藤田にとって(中略)裸婦こそが西洋美術を象徴するものであった」という。たしかに、フジタがしばしば足を運んだルーブル美術館の展示作品をはじめ、西洋美術の名品というのは、その多くが裸婦像である。他方、たとえば日本美術の歴史をみれば、仏像や山水画はあるが、裸婦像というのは明治以降の近代になるまで(黒田清輝の登場まで)、ほとんど見られない。  そもそも日本の近代美術というのは、西洋美術の移入によって生まれたものであり、近代の裸婦像とは、西洋美術の流れの延長にあるものである。そのような外部環境が、フジタを刺激したことも、裸婦像を描き始めた一因であるだろう。時代が、フジタも裸婦像を描いて当然、という環境を用意したのだ。しかしなぜ、それが一九二〇年だったのか。」

    —『ヌードがわかれば美術がわかる(インターナショナル新書) (集英社インターナショナル)』布施英利著

    「上手な絵をほめるときに「写真みたい」と評することがあるが、写真が発明される以前は、見たままを表現した絵がもっとも称賛され、「自然そっくり」というのがほめ言葉の典型であった。そもそも美術が発生し、今にいたるまで長く存続した背景には、つねにこうした写実への欲求があったのである。  写真が発明されると、絵画は本物そっくりに写さなくてもよいという考えが普及し、抽象絵画の誕生をうながした。そして写実的なだけの美術は、現在では高く評価されない傾向にある。  しかし、美術に本物そっくりの表現を求める心性は今でも健在である。人は、現実と見まがうほどの迫真的な絵画に接すると快感を覚えるものだ。  こうした絵画をトロンプ・ルイユ(だまし絵)という。油彩技法が完成と成熟を迎えた十七世紀に流行するが、古代から存在したようである。古代ギリシャの画家パラシオスは、画面を覆った布の絵を描き、これを取りのけようとしたライバルの画家ゼウクシスの目を欺いたという。」

    —『〈オールカラー版〉欲望の美術史 (光文社新書)』宮下 規久朗著

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    2026年07月08日
  • 遠近法(パース)がわかれば絵画がわかる

    Posted by ブクログ

    布施英利さんが、解けない謎が秘められているというのが第一級の芸術の条件の一つって言ってたんだけど、そういう視点で言うと映画マルホランド・ドライブは一級の芸術作品だと思う。芸術的な感性がない人はこの作品は評価出来ないと思う。

    エクスアンプロバンスのサントヴィクトワール山行きたい、アアルトの話、

    ★解けない謎が秘められているというのが第一級の芸術の条件の一つ

    E・パノフスキーの『〈象徴(シンボル)形式〉としての遠近法』(木田元・川戸れい子・上村清雄訳、哲学書房、 1993年、のちにちくま学芸文庫)

    布施 英利
    (ふせ ひでと、1960年4月2日 - )は、日本の芸術学者、美術批評家、解剖学者。東京芸術大学美術学部芸術学科教授。芸術と科学の交差する「美術解剖学」を基盤として[1]、美術や文学の批評、解剖学の著作などの執筆活動を展開している。著書に『脳の中の美術館』(1988年、2025年)、『構図がわかれば絵画がわかる』(2012年)、『人体、5億年の記憶 からだの中の美術館』(2024年)など。群馬県多野郡鬼石町(現在の藤岡市鬼石)生まれ[1]、藤岡市育ち。1979年群馬県立高崎高等学校卒業、1984年東京芸術大学美術学部芸術学科卒業[1]、1989年同大学院美術研究科博士後期課程修了(美術解剖学専攻)[1]。大学院在学中の1988年9月、28歳で最初の著作『脳の中の美術館』を出版[1]。博士論文「人体解剖図譜の研究」で、学術博士[2]。大学院修了後の1990年より東京大学医学部解剖学教室助手として[1]、養老孟司の下で研究生活に従事[1]。東大助手時代の著書『死体を探せ!』(法蔵館、1993年7月)は、死体ブームと呼ばれた。1995年、批評家・文筆家として独立する[1]。2021年10月より東京芸術大学美術学部教授[3]。長男は美術家の布施琳太郎、次男は音楽家の布施砂丘彦(さくひこ)。


    「遠近法の二つ目の手法は、「陰影」です。  デッサンをするときに、モノに陰影をつける。こういう技法があることは、誰でもご存じかと思います。もちろん浮世絵やゴッホの『ひまわり』など、影を描いていない絵もあります。すべての絵画に陰影があるわけではなく、絵画に必須の手法でもありませんが、ともあれ「陰影を描く」という絵画の手法があります。じつはこれも、遠近法の一つです。  陰影を描くことが遠近法になる。これはいったい、どういうことでしょう。二次元の平面に立体的な奥行きを表すための技法が、遠近法です。ふつう遠近法というと、手前の家から、地平線近くにある山までの奥行きがある、などという光景を思い浮かべます。あるいは室内の、手前のテーブルから奥の壁までの空間ということもあるでしょう。しかし何キロとか何メールという長い距離だけでなく、数センチ程度の空間の中にも奥行きはあります。それを画面に描くのも、また遠近法なのです。  再び、セザンヌの『キューピッドの石膏像のある静物』を見てみましょう。ここでは、中央にあるキューピッドの石膏像に注目してみます。この石膏像はセザンヌのアトリエにあったもので、つまりセザンヌは想像でキューピッドを描いたのではなく、これを画架の前に置いて、観察しながら描いたと思われます。この静物画に描かれている通り、おそらくテーブルに置かれ、周囲には果物や皿も配置されていたのでしょう。」

    —『遠近法(パース)がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著


    「線遠近法は、合理的で科学的なものであるともいえます。ということは、線遠近法の衰退は芸術における科学の衰退の表れだ、とも考えられます。その遠近法が消えたのは、芸術にとって大切なのは合理的・科学的な手法ではなく、もっと何か別のものである、それが始まったのが印象派以降の現代美術へと連なる美術の歴史であった、と。  しかし、そもそも遠近法は、ほんとうに科学的・合理的に完璧で、リアルな世界の空間や奥行きを描くために完成したものだったのか、という疑問も残ります。線遠近法の作図ではすべてを掬いとることができず、もっと別の空間の奥行き、深さ、というものがあったのではないか、と。  絵画に「奥行き」を描くためには、線遠近法はもともと完璧なものではなかったのかもしれません。つまり、印象派以後の絵画が遠近法を捨てたのではなく、線遠近法の限界を超えて、より世界を正しく写す遠近法の世界へと探究を進めたのかもしれません。そこで、そんな線遠近法の限界について考えることから、この章を始めたいと思います。」

    —『遠近法(パース)がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著

    「ところが、セザンヌの描くサント・ヴィクトワール山は独特です。そこに巨大なかたまりとして存在しているように描かれているのです。たしかに色彩の遠近法も使われ、山は青く(あるいは紫で)、中景は緑、そして手前の土地は赤っぽい色をしています。ここには、色彩の遠近法(これは単眼で見た遠近の世界)があります。しかし、その山の立体感を描く感覚は、どうもそれだけではないのです。  サント・ヴィクトワール山があるプロヴァンス地方は空気が透明で、光も明瞭で、山のかたまりの感じがくっきり見えるという風土がありますが、それにしてもセザンヌの描くサント・ヴィクトワール山は、そのかたまり(と山の重量感)が、こちらにありありと伝わってくる描写がされています。  二つの目と一つの目で見た、両眼視と単眼視というキーワードで語るなら、たいていほかの画家による遠景の山は「単眼視」で見たふうに描かれています。それに対してセザンヌの描く山は、あたかも両眼視で描いたような立体感があるのです。もちろん、巨大で遠くにある山ですから、異なる二つの視点で見て、それを両眼視のように合成する、などという見方は現実にはできません。しかしセザンヌは絵の中で、両眼視で見たような立体感で、サント・ヴィクトワール山を描いているのです。  このような感覚は、いったいどこから出てきたのでしょうか。それを解くヒントの一つが、同じくセザンヌが描いた静物画に隠されています。たとえばテーブルの上の食器とリンゴと布を描いた、こんな静物画を見て下さい。」

    —『遠近法(パース)がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著

    「 ここで重視したいのは、ピカソが『バイユーのタピスリー』という作品を知っていて、その影響で『戦争と平和』を描いたかどうかということでなく(もしそうであっても、そうでなくても)、ピカソがロマネスク的な手法で自身の絵画を描いていることです。そのピカソは少なくとも、カタルーニャ・ロマネスクに大いに関心をもち、自身の絵画にその影響が認められる、ということです。私は歴史( =美術史)の専門家ではないので、じっさいの歴史的事実がどうであったかより(それは専門の方にお任せして)、そういう比較(ピカソとロマネスク)の視点をもつことで、「絵画というものが、どのように見えてくるか」という問題に興味があります。ピカソのサイドに立てば、ロマネスクという視点を通してピカソの絵がどのように見えるか。ロマネスクのサイドに立てば、ピカソという画家が 20世紀に登場したことで、この古い美術にどのような現代的な光が当てられるか、ということです。」

    —『遠近法(パース)がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著

    「こちらの新作では、いかにも「二次元の恋」といえるような身体造形による女の子の顔が描かれました。あいそさんの絵は、繊細な線による輪郭や、その輪郭の内と外に塗られる平面の色面がとてもきれいで、二次元のキャラクターの魅力とはこういうものだとあらためて認識させられます。  加えてこの展示では、人の皮膚に、そんな二次元的な絵を描き、それを映像にして、壁に投影しました。絵画では、まだキャンバスという「もの」の存在(つまり三次元世界への存在感)がありましたが、皮膚という二次元の人体に描かれ、しかもそれが映像になって壁という二次元平面に投影されることで、その二次元的な世界観が、より強固に徹底されています。「あなたは、その二次元に何を見るか」と、問いつめられているようでもあります。  このように、古代エジプトから中世、現代まで、遠近法のない絵画、遠近法の空間からは正反対の造形感覚の絵画へと、連綿と続いてきました。  遠近法がなくても、絵画は成立するのです。  しかし、遠近法という見方の軸をもって、それらの「遠近法がない」絵画を見ると、その遠近法のない世界の特徴が、かえってくっきりと見えてもきます。それは遠近法のない絵画ではなく、「遠近法がない」ということが在る絵画なのです。」

    —『遠近法(パース)がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著

    「 だがよく考えてみれば、ぼくたちが生きている「世界」は、まさにそのようにできているのではないか。世界には、森や海など豊かな自然がある。人間が町や都市をつくる前、世界にはそのような自然が満ちていた。しかし世界は「抽象」でもある。空の果てにある天体の運行、四季のリズム、時間。それを形にしようとすれば、必然的に抽象形態となる。  自然と抽象、その両方がある。『ヴィラ・マイレア』は、まさに世界の宇宙の再現なのだ。美は、こういうところから生まれる。  ぼくはフィンランド滞在中、ヘルシンキのホテルに泊まって、そこを基点に西に東に北へと、アールトの建築への巡礼を続けた。車窓から見える風景は、どこまで行っても森と湖ばかりだ。きれいというよりも、単調ですらある。それにあちこちで岩肌がむき出しになっている。この土地は、硬い岩盤の上に、薄い土の層があり、そこが森になっているようだった。森は、ぎりぎりの条件で生きている。だから、この風土は、ある意味で「荒野」である。  何もない砂漠の景色の中に、古代エジプト人がピラミッドをつくったように、アルヴァ・アールトは森と湖の土地に建築をつくる。ピラミッドが四角錐という抽象形なのに対し、アールトの家も、その基本形は抽象だ。アールトは、まるでピラミッドのように、北の国の「荒野」に家を建てた。ぼくは列車での長旅で、窓の外を眺めながら、そんなことを考えていた。」

    —『遠近法(パース)がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著

    「 ぼくは、それまで、アールト建築の天窓の光を、一つのデザインとしてしか考えていなかった。しかし光は、人間が生きていくうえで必要なものなのだ。  光が必要なのは、病院だけではない。人を幸福にしてくれるのは光なのだ。人を安らかにしてくれるのは空間なのだ。建築家は、神にかわって、人間のための光と空間をつくってくれる。  旅の間、あるいは旅を終えて、ぼくはなぜか「建築家になりたい」と思っていた。小学生が、将来、サッカー選手になりたいとか、宇宙飛行士になりたいと思うように「建築家になりたい」という思いに包まれていた。もちろん、「いまさら」ではある。しかし「なりたい」という気持ちがわいたのは、まぎれもない事実だ。  ぼくは芸術の力に包まれていた。」

    —『遠近法(パース)がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著

    「ここで私が思い出すのが、セザンヌの、こんな言葉だ。セザンヌは、晩年、知人のジョアシャン・ガスケにこんなことを言っている。ガスケは、そのセザンヌの言葉を書き残した。「芸術は自然と平行する一つの調和である」  この言葉は、すべての芸術に当てはまるだろうが、それはまた建築家アルヴァ・アールトの作品にも当てはまるものだ。いや、これはまるで、アールトの芸術を語った言葉のようでもある。アールトの建築の屋根は、坂という自然の傾きと平行している一つの調和である。」

    —『遠近法(パース)がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著

    「龍安寺の枯山水は、謎に満ちた庭だ。庭に置かれた 15の岩が、一つの視点からすべてを見るように配置されていないとか、黄金比にそった構図の石の配置になっているとか、そもそも作者は誰なのかなど、尽きぬ謎がある。第一級のすぐれた芸術作品というのは、どれも謎に満ちていて、『モナ・リザ』の微笑みもそうだし、美術館に便器を展示しただけのマルセル・デュシャンの『泉』にも、解き尽くすことのできない謎がある。解けない謎が秘められているというのが第一級の芸術の条件の一つなら、龍安寺の枯山水も、そういう芸術作品ということができるだろう。」

    —『遠近法(パース)がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著

    「いよいよこの遠近法の本も、まとめの考察へと入っていくことになる。そこで、遠近法に関する本を読んでみることにする。  遠近法というテーマについてのバイブルのような存在といえば、 E・パノフスキーの『〈象徴(シンボル)形式〉としての遠近法』(木田元・川戸れい子・上村清雄訳、哲学書房、 1993年、のちにちくま学芸文庫)だ。ここでは、パノフスキーがその本で書いたことを要約・引用しながら、遠近法についてさらに考えていくことにしたい。  まず確認したいのは、パノフスキーは、「遠近法を駆使した美術だけが優れた美術である、とは考えていない」ということだ。パノフスキーはこう書く。」

    —『遠近法(パース)がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著

    「遠近法が駆使できたからといって、必ずしも、すばらしい絵画が描けるわけではないし、遠近法など知らなくても、人の心を揺さぶる絵画を描くこともできる。パノフスキーは、そう考える。彼は遠近法の本を書いたが、それは別に遠近法礼賛でもないし、遠近法崇拝の美学の表明でもなかった。  では、それにもかかわらず、なぜパノフスキーは遠近法の本を書いたのか。それは、本のタイトルも語っている通りで、遠近法は美術における一つの「象徴(シンボル)形式」だと考えたからだ。「個々の芸術上の時代や地域が遠近法を有するかどうかということだけではなく、それがいかなる遠近法を有するかということが、これらの時代や地域にとって本質的な重要性をもつ」(同、 27ページ)  つまり、遠近法という視点を切り口にして美術作品を見ていけば、美術が見える、というわけだ。遠近法がわかれば、絵画がわかるのである。」

    —『遠近法(パース)がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著

    「しかしセザンヌの絵では、歪んだ形をある角度から見ると、その歪みが補正され、セザンヌは形態を正確に描いていた!  と発見できて驚きますが、じつはそれはセザンヌ鑑賞の出発点にすぎません。そのような歪みの手法に気づいたとき、画面を右から、上からと見て、そこに現れる世界の、現実感の強さに魅了されるのです。そういう手法によって、現実的な光景が現れ、私たちは絵に描かれたものを正しく見て、そしてようやく、そのときから鑑賞の愉しみが始まるのです。  そこから、絵画とは何か?  見るとは何か?  世界とは何か?  という問いかけも始まります。ネタバレとちがって、セザンヌの絵画は何度見ても飽きませんし、見るほどに味わい深くなるのです。  ともあれセザンヌの絵は、前から、横から、上から見ます。そのとき、絵の表現効果は増します。」

    —『遠近法(パース)がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著

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    2026年07月06日
  • 構図がわかれば絵画がわかる

    Posted by ブクログ

    これも再読なんだけど、面白かった。カルティエブレッソン、重森三玲、夢窓疎石の岐阜県永保寺の庭で構図の解説されてるのが良かった。モディリアーニは脊柱の人物画って視点も面白かったな。たしかこの本でパキスタンのガンダーラ美術を知ってパキスタン行った気がする。布施英利さんの本はこれが一番好きだな。

    モディリアーニは脊柱の人物画って視点面白かったな。

    カルティエブレッソン、重森三玲、線遠近法、空気遠近法、色彩遠近法、夢窓疎石の岐阜県永保寺の庭

    布施 英利
    (ふせ ひでと、1960年4月2日 - )は、日本の芸術学者、美術批評家、解剖学者。東京芸術大学美術学部芸術学科教授。芸術と科学の交差する「美術解剖学」を基盤として[1]、美術や文学の批評、解剖学の著作などの執筆活動を展開している。著書に『脳の中の美術館』(1988年、2025年)、『構図がわかれば絵画がわかる』(2012年)、『人体、5億年の記憶 からだの中の美術館』(2024年)など。群馬県多野郡鬼石町(現在の藤岡市鬼石)生まれ[1]、藤岡市育ち。1979年群馬県立高崎高等学校卒業、1984年東京芸術大学美術学部芸術学科卒業[1]、1989年同大学院美術研究科博士後期課程修了(美術解剖学専攻)[1]。大学院在学中の1988年9月、28歳で最初の著作『脳の中の美術館』を出版[1]。博士論文「人体解剖図譜の研究」で、学術博士[2]。大学院修了後の1990年より東京大学医学部解剖学教室助手として[1]、養老孟司の下で研究生活に従事[1]。東大助手時代の著書『死体を探せ!』(法蔵館、1993年7月)は、死体ブームと呼ばれた。1995年、批評家・文筆家として独立する[1]。2021年10月より東京芸術大学美術学部教授[3]。長男は美術家の布施琳太郎、次男は音楽家の布施砂丘彦(さくひこ)。

    「ブレッソンの構図の美  構図というのは、絵画だけのものではありません。たとえば写真の表現においても、構図はとても重要なものです。  写真は、カメラを被写体に向けてシャッターを押します。その瞬間に、構図を選び取り、決定をしないといけません。シャッターを押す瞬間には、まさに瞬時の判断が求められ、構図への理性・知性・感性などすべてを一つにしたセンスが求められます。  よくできた写真の例を挙げましょう。  フランスの写真家アンリ・カルティエ =ブレッソン( 1908〜 2004)は『決定的瞬間』( 1952)という写真集を発表し、このタイトルは、写真を語る言葉としてとても有名になりました。写真というのは、決定的瞬間をとらえるものです。」

    —『構図がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著

    「構図のタイプを知ることで、センスが磨かれる  フェルメールやアンリ・カルティエ =ブレッソンなどの天才は、抜群の構図センスをもっています。画家や写真家だけでなく、デザイナーや建築家、書道家など、あらゆる造形表現では、第一に、構図のセンスが問われます。私たちが美術を鑑賞して楽しむ上でも、構図のセンスは大切でしょう。  しかし構図感覚というのは、難しいものです。センスを磨く安易な道があるわけではありません。構図のセンスは、どうしたら身につくのか。一流の構図とは、どのようなものなのか。  まずは、いろいろな構図のタイプを知ることでしょう。そして理解することです。知性、理性があって、その上で感性は自由に羽ばたくことができます。それが、この本の方法論です。  この本で、構図を「知る」過程を通して、同時に、構図のセンスが磨かれていけば、と思います。」

    —『構図がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著

    「そのときに私は知ったのです。レンブラントの絵は、眼鏡を外して、抽象画みたいにしても美しい、と。銅版画が多かったので、画面は白と黒です。黒い中に、白があちこちに散っています。その構図のバランスが絶妙で、遠くからピンぼけの絵を見ているだけで、十分に美を堪能できました。構図が、なにより美しかったのです。  ちなみに、他の画家の絵もどうだろうと、眼鏡を外したままで美術館を歩いていると、「レンブラント派」といわれる、レンブラントに影響を受けた同時代あるいは後の時代の画家は、ピンぼけで見ると、つまらないのです。構図に、「絶妙」な感じがないのです。  レンブラント派といわれるくらいで、ちょっと見るとレンブラントと見分けがつかないくらいに、レンブラントに似ているのです。似てはいますが、どこかぎこちなく、何か欠けている、と思うのですが、眼鏡を外して見ると、それがさらにはっきりします。構図のセンスが、つまらないのです。  もちろん、絵画というのは、どれもピンぼけにすれば良いというわけではないでしょう。しかし、名画といわれる絵は、ピンぼけで見ても美しい。私は、レンブラントから、そういうことを学んだのでした。  そこでパリでルーブル美術館に行ったときに、皆さんにも伝わる材料にと、カメラのピントをあえて外して、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵に向かってシャッターを切ってみたわけです。それが先の『聖アンナと聖母子』です。  絵には、どのような構図があるのか。名画の構図とは、どのようなものなのか。」

    —『構図がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著

    「そのときに私は知ったのです。レンブラントの絵は、眼鏡を外して、抽象画みたいにしても美しい、と。銅版画が多かったので、画面は白と黒です。黒い中に、白があちこちに散っています。その構図のバランスが絶妙で、遠くからピンぼけの絵を見ているだけで、十分に美を堪能できました。構図が、なにより美しかったのです。  ちなみに、他の画家の絵もどうだろうと、眼鏡を外したままで美術館を歩いていると、「レンブラント派」といわれる、レンブラントに影響を受けた同時代あるいは後の時代の画家は、ピンぼけで見ると、つまらないのです。構図に、「絶妙」な感じがないのです。  レンブラント派といわれるくらいで、ちょっと見るとレンブラントと見分けがつかないくらいに、レンブラントに似ているのです。似てはいますが、どこかぎこちなく、何か欠けている、と思うのですが、眼鏡を外して見ると、それがさらにはっきりします。構図のセンスが、つまらないのです。  もちろん、絵画というのは、どれもピンぼけにすれば良いというわけではないでしょう。しかし、名画といわれる絵は、ピンぼけで見ても美しい。私は、レンブラントから、そういうことを学んだのでした。  そこでパリでルーブル美術館に行ったときに、皆さんにも伝わる材料にと、カメラのピントをあえて外して、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵に向かってシャッターを切ってみたわけです。それが先の『聖アンナと聖母子』です。  絵には、どのような構図があるのか。名画の構図とは、どのようなものなのか。」

    —『構図がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著

    『構図がわかれば絵画がわかる』(光文社新書)布施英利
    名画はピントがぼけても美しいもので、歴史に残る絵には人々の記憶に残るだけの「文法」が存在するのです。本書は西洋の絵画だけでなく日本の庭園や人間の骨格も取り上げられていて、芸術の奥の深さがうかがえる内容です。
    #読書 #読書垢

    「たとえば、京都の庭にある枯山水は、白い砂で水面をあらわしています。白い砂は大地にまかれているのですが、まさにその面は、水面と同じ、水平の面です。  ここでは、昭和の時代につくられた、京都の庭を見ることから始めましょう。作庭家・重森三玲( 1896〜 1975)のデビュー作、東福寺の方丈庭園です。  この庭には、四角い石が、まだらに敷き詰められています。桂離宮の襖のデザインなどに使われた、市松模様です。  市松模様は、ふつう壁や襖に描かれるものですから、床に対して、垂直に立っています。ところが、重森三玲は、これを庭のデザインにしました。室内のデザインが、屋外のデザインになる。そのとき、垂直面にあったものが、水平面になります。  まるで落下した滝の水が、池の水平面になったようでもあります。  壁から庭へ、いわば「場」を変えただけの作業ですが、そこにこれまで見たことがあるようで、見たことのない美が生まれました。  創造とは、そういうものなのでしょう。何もないものから、つまりゼロから何かを作るのが創造なのではなく、あるものを別の「あるもの」に変換することで、何かが生まれることがあるのです。」

    —『構図がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著

    「セザンヌのリンゴは、なぜ落ちないのか  さらに思いつくままに、絵の例をあげてみましょう。  ピエロ・デラ・フランチェスカ( 1415/ 20〜 92)の『キリストの洗礼』と、セザンヌ( 1839〜 1906)の静物画です。どちらも静謐で、「もの」の存在がしっかりと描かれています。永遠というのは、こういう力強い絵を見たときに感じる感覚なのではないか、とすら思えてきます。  ピエロ・デラ・フランチェスカの絵は、中央に直立する人物( =キリスト)と、背後の風景の水平線がみえます。水平と垂直が画面の構図の基本となり、静かで安定した、「ずっと変わらない」なにかを感じます。  いっぽうセザンヌの静物画は、いっけんすると、リンゴが傾いたテーブルから落ちそうで、不安定な感じがしますが、にもかかわらず、この絵のリンゴは、転がり落ちることがない、という絶対の安定の中に描かれています。いわば画面は傾いているのに、本質は水平なのです。安定しているのです。絵の背後に、水平線が、適当な設定としてでなく、明確な存在として暗示されているからです。  セザンヌの絵にも、ピエロ・デラ・フランチェスカの絵にも、グリューネバルトにも、ホルバインにも、どの絵にも、水平の線が隠されています。  美術館では、絵の、あそこにも、ここにも、水平線が、水平面があるのです。  水平の線は、私たちに「安定」を見せてくれます。  それは水平な水面がつくる、地球の重力の面なのです。」

    —『構図がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著

    「 また、ピカソの『アビニョンの娘たち』は、さまざまにポーズをとった五人の裸婦の絵です。この絵にも、 Xの対角線があります。  もちろん、対角線だけの単純な絵ではありません。中央の二人の人物が、巨木のように垂直に立っている。二人の曲げた肘は、左右にひらいて、 Yの字のようにも見えます。  しかし、なにより Xの対角線です。たとえば、左上から、斜めに下のほうに、頭が二つ並んでいます。その斜め下の、座った女の太ももが、右下の角に伸びる線になっています。逆の斜線もあり、この絵が Xの形の構図にまとめられていることが分かります。」

    —『構図がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著

    「対角線「 X」がつくる構図の効果  対角線の「 Xの構図」というのは、どのような効果があるのでしょう?  たとえばダ・ヴィンチの絵を見ると、画面の対角線が、描かれた世界に動きを与え、絵がドラマチックに生き生きしているように見えます。斜めの線というのは、水平線が静かに安定しているとしたら、それに対して、滑り落ちるような動きをはらんでいます。その「動き」が、画面に生き生きした感じを与えます。  いっぽうで、ピカソの『アビニョンの娘たち』は、ニューヨークの近代美術館に展示されている絵ですが、この絵の前に立つと、いつも感じるのは、激しい「否定」の感覚です。  これは絵なのか?  「これは絵ではない」。この画面に奥行きはあるのか?  「ここに奥行きある空間はない」。写真的な描写なのか?  「そのような描写ではない」。「ない」、「ない」という否定ばかりが迫ってきます。  そして画面全体をおおっている「 X」という構図。私には、その Xが ×( =バツ)に見えてきます。画面に大きなバツ( = ×)を描いたような、潔さを感じます。強い否定、そんな意思を感じます。それが『アビニョンの娘たち』を成り立たせる力になっているのです。」

    —『構図がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著

    「美術は、本物の作品に触れる以上に大切なことはありません。」

    —『構図がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著

    「彫刻家のイサム・ノグチは、ジャンタル・マンタルを調査し、その写真記録を残していますが、その写真の撮り方、構図、アングル、光の具合などが、ほとんど「イサム・ノグチの彫刻」にすら見えてきます。北海道の札幌市郊外に、イサム・ノグチが設計したモエレ沼公園がありますが、そこに設置されている彫刻と共通するテイストを、ジャンタル・マンタルには感じます。  また建築家の磯崎新は、ぐんま天文台の設計をしましたが、その庭にジャンタル・マンタルを縮小したオブジェを設置しています。現代の天文台も、たんに自然科学としての宇宙の真実を探究するだけでなく、宇宙という秩序がもっている神秘感、畏敬、そういったものが天文台には必要だ、というメッセージを感じます。  デリーのジャンタル・マンタルには、星や月や太陽や、さまざまな天体を観測するための建築物があります。北の空に向かって、天へとのびる階段のような、巨大な三角形の建築物は、その先にある北極星を示唆しているのでしょうか。北極星は、太陽系の外にある星ですが、地球ととても密接な関係にある天体でもあります。地球の自転軸の、北の先にこの星があることで、夜空の星々は、この星を円の中心として回転します。」

    —『構図がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著

    「インドを旅していたある日、私はガンジス川の岸辺、ヴァーラーナスィーのホテルに滞在していました。サーンチーのストゥーパを訪れる旅を終えた後のことです。そのヴァーラーナスィーの近くの村、サールナートの博物館で仏像をみて、その横にひろがる、かつて鹿野苑といわれた遺跡でストゥーパをみた日の夕方のことでした。もうあたりは暗く、月が川面を照らしていました。翌朝、早く起きて日の出をみようと、早々にベッドに入りました。」

    —『構図がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著

    「ニューヨーク近代美術館に、ジャスパー・ジョーンズの『星条旗』という絵画があります。  ジャスパー・ジョーンズが描いているのは、旗です。アメリカの国旗である星条旗をデザインしたのがジャスパー・ジョーンズという男だった、という話ではありません。彼が画家として活動をしているとき、すでに星条旗はアメリカの国旗でした。彼は、その旗を絵に描いたのです。旗は、彼の絵のモチーフでした。  たとえば、セザンヌはリンゴを描きました。レオナルド・ダ・ヴィンチは、最後の晩餐の場面を描きました。それと同じ言い方をすれば、ジャスパー・ジョーンズは星条旗を描いたのです。  旗って、絵に描くものなのか?  そう思われるかもしれません。  しかし何を描こうと自由です。彼は、アメリカ国民がもっとも身近に目にする星条旗を、作品として描きました。これをポップ・アートといいます。現代の日常に散らばっている素材を、アートのモチーフとするのが、ポップ・アートです。それは、ある意味では、「現代の静物画」ともいえましょう。果物や食器を描くように、旗を描いたのです。」

    —『構図がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著

    「現代の日常に散らばっている素材を、アートのモチーフとするのが、ポップ・アートです。」

    —『構図がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著

    「じつは、それが成功した後の、ウォーホルの実像でもあるのではないでしょうか。もちろん歴史に残るほどの大成功をおさめたアンディ・ウォーホルですから、いまではとても目立つ存在です。しかし、そのベースにあるのは、なかなか気がつかない、絵画の技術、デッサン力なのです。あの構図、色彩、そしてモチーフ選択の的確さ、そのどれもが、絵画の技術によって、きちんと押さえられていたのです。」

    —『構図がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著

    「そして、実際にアンディ・ウォーホルの絵の前に立つと感じるのは、絵が発する崇高な感じです。本人が、どんなにトリッキーな言動で煙にまいても、絵は崇高で、美しく、重いのです。  それは、アンディ・ウォーホルが、絵画という芸術の、いちばん基本的なところ、本質的なところを外していないからでしょう。それを支えているのは技術です。私たちが、ウォーホルの作品をまねして、似たような作品を作ってみても、それは似たような作品であるだけで、たぶん「どこか違う」というものにしかならないでしょう。そのウォーホルが、絵画の技術によって何を実現しているかといえば、いうまでもなく「絵画」です。」

    —『構図がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著

    「次は、三次元です。  セザンヌの風景画を見て下さい。南フランスのエクス・アン・プロヴァンスの風景を描いたものです。遠景には、サント・ヴィクトワール山も見えます。  この絵の空間の構成は、近景、中景、遠景というふうになっています。手前から奥に向かって、風景が広がっています。  手前の近景には、大きな木が立っています。中央に一本、画面の左隅には、林のように数本の木が立っています。  その奥の中景は、畑でしょうか、緑の大地が広がっています。画面を斜めに横切るように、道が左上へと続いています。また画面の中央、やや上には白い橋があり、それが水平線のように左右の道へと伸びています。近景の木の幹と、中景の道は ×に、そして橋は +にと、交差しています。」

    —『構図がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著

    「セザンヌは、絵画にとって大切なのは「深さ」の感覚だ、と言っています。この「深さ」というのは、精神的な意味での深さではなく、単に空間が奥へと続く深さです。手前から奥へと続く深さ、それが画面に再現できれば、絵はそれで十分だと考えたのです。  遠近法の手法も、画面に深さを表現するための技術ですが、セザンヌの絵は、それとは違った手法です。画面のどこにも「消失点」がありません。  試しに、この風景画で消失点を探してみましょう。たとえば、画面左奥へと斜めに伸びる道。このラインの延長に、消失点があるようにも思えます。白い家があり、それが遠近法の「点」に相当するようにも思えます。しかし、その先に大きな山があり、遠近法の秩序は、壊されてしまいます。山は奥にはありますが、消失点の点よりも大きいからです。あるいは橋の右奥、山と山が連なった辺りに、別の消失点があるようにも思えます。しかし、先ほどの画面左奥へと伸びる道は、この消失点とは、ちがう秩序のもとにある構図になっています。  いったい、どれが消失点なのでしょう。  正解は、「どれも」です。つまり、セザンヌの絵には、正確に言うと、消失点がたくさんあるのです。それは、一点遠近法でなく二点遠近法か、といえば、そうではありません。では三点遠近法かといえば、そうでもありません。セザンヌの絵で消失点を探すと、あっちにも、こっちにも、消失点があるのです。なぜか。それはセザンヌの絵には、それを見る「視点」が、たくさんあるからです。一つの風景を、あるいは静物画の場合もそうですが、複数の視点から眺め、それぞれの視点からの奥行きとアングルの光景を、一つの画面に同時に描いているのです。  このセザンヌの絵の、「複数の視点」というものは、画面の中だけでなく、画面の外にも設定されています。つまり絵の画面に対して、正面から、斜めからと、いろいろな方向から見ると、絵の中の空間は、違ったふうに見えてくるのです。」

    —『構図がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著

    「建築でいうと、ロマネスク建築は、石を積み上げた洞窟のような、シンプルな造形です。いっぽうのゴシック建築が、尖塔が空に向かって高くそびえる大建築です。この違いは、たんに技術の違い、という見方もできます。建築の技術がまだ未熟だったロマネスク建築は、高い塔が建てられないだけでなく、壁に大きな窓を空けると、石の重さに耐えられなくなり、小さい窓しか作れませんでした。ステンドグラスが入ったロマネスク聖堂の小さな窓は、そこから入る光が少ないので、内部は薄暗くなっています。いっぽうのゴシック建築は、フライング・バットレス( =飛梁)という、外壁を支える構造が使われるようになり、高い尖塔も大きな窓もとりつけることが可能になりました。ですので、ゴシック建築の大聖堂に入ると、高い天井の空間に、ステンドグラスが輝く、大きな窓があります。窓は大きいですが、その上の天井はさらに高いので、天井には暗い闇が息づき、窓から鮮やかな光の色彩が降り注ぎ、というまさに天国を現出したかのような光景になります。」

    —『構図がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著

    「遠近法には、いくつかの手法があります。線遠近法、空気遠近法、それに色彩遠近法です。  線遠近法というのは、先に詳しく説明した、一点遠近法、二点遠近法、三点遠近法などのことです。一つ、あるいは二つ、三つの消失点に向かって、「線」を引く。ものの形や配置や、奥行きは、その線に沿って並ぶ。そういう描き方によって、遠近感を出す、というものです。  もう一つの、空気遠近法というのは、近くのものはくっきり明快に見え、遠くのものはぼんやりと霞んで見える、というものです。細部までくっきりと描けば近くで、ぼんやり描けば遠く、ということになります。遠くにいくほど、空気の層が厚くなり、だんだん霞みの向こうに消えていく感じになるからです。目のピントも、遠くのものには合わず、ぼんやりして見えます。」

    —『構図がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著

    「そして三つ目の遠近法が、色彩遠近法です。この原理はシンプルです。青い色は、遠くにあるように見え、赤い色は、飛び出して、近くにあるように見える、というものです。青は遠く、赤は近い。青は引っ込み、赤は飛び出す。それが色彩遠近法の原理です。」

    —『構図がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著

    「夢窓疎石の庭園に行く  さて、以上で、この本の三つの Stepが終わりました。  ここで、その「まとめ」の意味合いもこめて、私がいちばん好きな庭園に出かけたいと思います。岐阜県にある、室町時代に作られた、永保寺の庭園です。作者は、夢窓疎石( 1275〜 1351)。彼は、鎌倉時代末期に生まれ、室町時代に活躍しました。  永保寺は、滝のある、最高にすばらしい庭園です。  永保寺の庭には、大きな池があり、その向こうに崖があります。崖からは、滝の水が落ちています。  作者の夢窓疎石は、京都の西芳寺や天龍寺などの庭園を作りました。西芳寺は、いまでは苔寺として有名ですが、この庭が苔で覆われるようになったのは、江戸時代のことです。そもそもは、苔とは無縁の庭です。しかし西芳寺は、京都の庭の原型ともいわれ、銀閣寺の庭は、足利義政が西芳寺を模して作らせたものです。金閣寺にも、西芳寺の影響が色濃くあります。  そんな夢窓疎石が、 40歳前後の若いときに作ったのが、岐阜にある永保寺です。夢窓疎石は、もともとは僧侶で、ずっと仏教の修行をしていました。寺の庭を作るようになったのは、中年になった頃で、永保寺庭園は、その最初の一つといえます。  永保寺の庭で、まず目につくのは、大きな崖です。巨大な岩のかたまりが、どーんとあります。もちろん、こんな岩を運べるわけがなく、これは初めからあったものです。ふつう、庭というのは、石を運んできて、木を植えて、池を掘って、というふうにして作ります。しかし夢窓疎石は、すでにある自然物を使用して、庭を作ったのです。」

    —『構図がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著

    「エル・グレコの絵画  次は、マニエリスム、バロックの美術を見ましょう。  引き続きルーブル美術館に留まり、作例はエル・グレコ( 1541〜 1614)の『キリスト磔刑図』です。スペインで活躍した画家ですが、ギリシアのクレタ島の出身で、ギリシア人を意味する名前で活躍しました。  エル・グレコの絵の特徴は、人体が細長く伸びている、デフォルメされた造形がされていることです。  十字架への磔刑像というのは、広げた両腕の先と、足先を結ぶ、三角形の形態になります。頂点が下にあるので、逆三角形です。それだけでは、重心が上にあり、不安定な感じですが、そうであるが故に、十字架の縦の杭が、地面に突き刺さった、より垂直な力も感じさせます。そもそも十字架というのは、垂直線と水平線が「 +」の形にクロスしたものですが、それは両手を広げた、人体の形を抽象化したものとも言えます。  エル・グレコは、この「垂直」の線を、さらに強調するように、人体を引き延ばします。それによって、この絵では、十字架の「らしさ」が、より引き立っています。  しかし絵としては、構図のバランスが悪いのか、左右の下部に、聖人の上半身を配し、画面が三角形の安定した構図になるようにもしています。  ともあれ、人体には十字架と同じく、水平のラインと垂直のラインがあります。もちろん、腕は斜め上にも、斜め下前にも、その他あらゆる方向に伸ばすことができます。立つという垂直な姿勢は、人体の基本ですが、腕は水平であることが必ずしも基本姿勢ではありません。しかし、腕を水平に伸ばす、というポーズを選ぶことで、水平のラインが見え、それは結局は垂直のライン、重力のラインへと収斂していきます。」

    —『構図がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著

    「それは美術館の中にいた、蚊だった。インドの美術館には、しばしばハエが飛び回り、それが彫刻に止まっていたりする。そんなハエと同じように、蚊が飛び回り、そのときちょうど、釈迦の腕に止まった。蚊は、石の彫刻で休んでいるだけなのか。まさかそれが「腕」だとは思わないだろう。  いっぽう蚊に止まられた釈迦はどうしたか。雑念に襲われ、パシリと蚊をたたき殺したか。もちろん、仏像は、そんなことはしない。なにがあっても、動かない。石の彫刻だから、というだけではない。そもそも、人生の大きな悩みに比べたら、釈迦にとって、蚊に止まられたくらい、どうということはないだろう。」

    —『構図がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著

    「モディリアーニというと、ちょっと時代遅れの喫茶店に、その複製画などが掛かっている画家、というイメージがあって、すこし気恥ずかしく、なかなか「モディリアーニが好きだ」とは言い難いところがあります。パリの憂愁とか、そんな雰囲気を描いているだけで、画家としてたいしたことないんじゃない、と思われているところもあると思います。しかし、没して後の今になっても、誰もがモディリアーニを知っているということは、やはり彼の絵には、ただ者ではない何かがあるはずです。モディリアーニは、単に雰囲気だけではない、造形にとって大切な何かを、きちんと描いているのです。それが「脊柱」です。  前の絵をみて、何か気がつきませんか?  モディリアーニの描く人物は、肩幅が狭いです。肩がない、といっても良いほどです。しかし人間には、肩があります。じつは「肩」は、人体のもっとも特徴的なものです。人間以外の他の動物、たとえばネコをみると肩がありません。ウマもそうです。首から横に飛び出している肩、それがあるのは人間だけです。人体は、腕の動きが自由であることが特徴の一つですが、肩が、体から離れることで、腕の動きの支点が自由になり、腕の動きが解放されることになったのです。人は、ヒトへと進化する中で、肩を得たのです。  しかしモディリアーニの描く人物像には、肩がありません。かわりに目につくのが、首であり、肩のない胴体です。つまり脊柱です。」

    —『構図がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著

    「絵画というのは、そういう構図のセンスを、形にしたものです。  人は、どのような構図に、喜びと幸せと心地よさと、「絶対」のセンスを感じるのか。絵画は、ずっとそんな構図のセンスを探究してきたのです。  この本で書いてきた通り、絵画はモノです。持って運ぶこともできますし、極端な言い方をすれば、破ることも、燃やすこともできます。踏んづけることもできます。例が穏やかでないので、擦ることも、抱きしめることもできる、といってもいいでしょう。ともかく、絵画はモノです。  しかし、絵画はモノですが、ただのモノではありません。たとえば絵画には、構図があり、それは宇宙にまでもつながっていくのです。」

    —『構図がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著

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    2026年07月06日
  • 色彩がわかれば絵画がわかる

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    ステンドグラスは色彩の美

    色でも補色関係の色が一番鮮やかに見えるように、目は反対のものに惹き付けられるじゃん。デヴィッド・リンチとかの映画も対の概念を出してるから魅力があるのかなと思った。デヴィッド・リンチの映画は魅力的な絵画なんだと思うんだよね。元々あの人は画家とかアートの人だから。映画と並行して純粋アートみたいなのも作ってた人だし。

    絵画とかアートって色彩が大事だから科学だと思うんだよね。デッサンに必要な解剖学も医学だから科学系だし。構図とかの物を抽象化して見るとかも数学的な感覚だし。

    布施 英利
    (ふせ ひでと、1960年4月2日 - )は、日本の芸術学者、美術批評家、解剖学者。東京芸術大学美術学部芸術学科教授。芸術と科学の交差する「美術解剖学」を基盤として[1]、美術や文学の批評、解剖学の著作などの執筆活動を展開している。著書に『脳の中の美術館』(1988年、2025年)、『構図がわかれば絵画がわかる』(2012年)、『人体、5億年の記憶 からだの中の美術館』(2024年)など。群馬県多野郡鬼石町(現在の藤岡市鬼石)生まれ[1]、藤岡市育ち。1979年群馬県立高崎高等学校卒業、1984年東京芸術大学美術学部芸術学科卒業[1]、1989年同大学院美術研究科博士後期課程修了(美術解剖学専攻)[1]。大学院在学中の1988年9月、28歳で最初の著作『脳の中の美術館』を出版[1]。博士論文「人体解剖図譜の研究」で、学術博士[2]。大学院修了後の1990年より東京大学医学部解剖学教室助手として[1]、養老孟司の下で研究生活に従事[1]。東大助手時代の著書『死体を探せ!』(法蔵館、1993年7月)は、死体ブームと呼ばれた。1995年、批評家・文筆家として独立する[1]。2021年10月より東京芸術大学美術学部教授[3]。長男は美術家の布施琳太郎、次男は音楽家の布施砂丘彦(さくひこ)。

    「ニュートンの「七色」から「三色」へ  色彩学の基礎を作った科学者は、イギリスのニュートンだと言われています。あの、リンゴが落ちるのを見て万有引力を発見した、ニュートンです。彼は『光学』という著書も残し、科学としての色彩学の基礎を作ったと言われています。プリズムを使って、太陽の光が七色に分解されると最初に指摘したのも、ニュートンです。しかしニュートンの色彩学では、色の数は「七」です。  歴史的には、ここから、さらに重要な色が残され、そして三原色となったわけですが、それを唱えたのが、イギリスの物理学者ヤングです。彼は『光と色の理論について』( 1801年)という論文で、赤・青・黄を三原色として発表しました(翌年に、赤・緑・菫と訂正しています)。  ヤングの考えを発展させたのが、その 50年ほど後に登場したヘルムホルツです。彼は、赤、青、緑という三色の神経繊維を仮定して、その合成でさまざまな色が生まれると考えました。彼はこの三色説をもとに、「色三角形」というものを描きました(図 1)。」

    —『色彩がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著

    「沖縄の雲は、東京では目にする機会がないほどに、白く、濃く輝いていました。この白が、南国独特の空の風景をつくっている。なぜ雲の白が強烈かといえば、それは光が強いからでしょう。白は、光によって、色の光がミックスすることによって生まれる、光の色だからです。  光ということでいえば、黒は、光のない状態、闇です。黒は、色材ではすべての色が混ざったときにできますが、光ということでいえば、光のない世界が黒なのです。  ともあれ、色は、白と黒の間にあるもので、その色の発生に関わる重要な存在として、三原色があるわけです。  三原色とは、色彩を考える上で、何よりも基本なのです。」

    —『色彩がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著

    「三原色の次は、補色の話です。  補色は、別の言い方では、対照色、反対色ともいいます。つまり、ある色の対照の色、反対の色というものです。  では、赤い色の場合、その補色は、何色でしょうか?  それには、まず三原色を決めないといけません。ここでは赤・青・黄を、色の三原色として話を進めてみます(赤・青・緑についても、あとで取り上げます)。  赤の反対の色、つまり補色は何色でしょうか?  青色?  いいえ、そう言ってしまうと、色のバリエーションは、いつまでも三色のままです。ここでは三原色以外の色に登場してもらうために、補色の話をしたい、と考えているからです。つまり、三色に加えて、新しい色が登場するために、三原色を出発点にしたいのです。  色は、色と色を混ぜることで生じます。それが「混色」です。」

    —『色彩がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著

    「アルバート・マンセル( 1858〜 1918)は、アメリカの画家です。 1901年頃から色体系の研究をはじめ、マンセルの色立体を考案しました。マンセルは、色相を 10に分類しました。つまり 10の色です。これを円い形に配置しました。色相環といいます。  次に、この円に「彩度」を加えます。赤や青、緑など、 10の色のそれぞれに鮮やかさの程度を加え、それを円の外側に増殖するように並べます。いちばん外が、いちばん彩度が高い色、内側にいくにしたがって、彩度が落ちます。そんなふうにして、広がりのある面の中に色が分類され、整理されます。円の中心に近いところは、どの色でも彩度が落ちているので、色みは失われています。つまり灰色になっています。」

    —『色彩がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著

    「たとえば、スイカの色といえば、皮の緑と黒の縞模様です。割れば、中に赤い色がありますが、それは見えません。物の色というのは、あくまで表面の色です。  しかしスイカを割れば、赤い色が出てきます。ならば、表面でなく、中にも、奥にも、色はあるのではないか、と考えたくなります。でも赤い色が見えるのは、スイカを割ったあとです。そこでは、スイカの赤い色は、断面という、新しい「表面」についている色です。ですので、色というのは、どれも表面の色なのです。  これを、そのまま「表面色」といいます。  ドイツの心理学者デビッド・カッツ( 1884〜 1953)が、表面色という概念(英語では Surface Color)を決めました。」

    —『色彩がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著

    「私事ですが、以前、イギリスの田舎を冬に旅したとき、幽霊屋敷のようなパブに行ったことがありました。そのとき暖炉で、薪ではなく、炭が燃えていました。赤く輝く色は、暗い店内で明るく、「この赤が、灼熱という色か」と思ったことがあります。  こんなふうに、色には、いろいろな現れ方があります。  ここで、デビッド・カッツの九分類を、もう一度整理してみますと、それは表面色から面色、そして灼熱の発光へと、並べて体系立てることもできます。」

    —『色彩がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著

    「ここまで書いて、自分がいちばん好きな、そしていちばん美しいと思う色について書きたいと思います。フランスのシャルトルという町にある、大聖堂のステンドグラスです。  はじめてシャルトルに行ったのはいつだったか、覚えていませんが、それから妻を連れて、また大学の研究室のメンバーを連れて、そしてまた一人でと、何度も足を運びました。  二〇一二年の冬、ギリシアに行く用事があって、パリの空港で八時間の乗り継ぎの時間がありました。シャルル・ド・ゴール空港に着いたのは、早朝でした。はじめ、パリ市内にある美術館にでも行こうかと考えていました。ところが、始発の電車が出るまで、一時間半もある。短いフランス滞在時間を、空港で潰すのは惜しい。たまたま、レンタカーの窓口の灯りがついていたので、ふと「シャルトル大聖堂のステンドグラスの光が見たい」と思いました。」

    —『色彩がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著

    「色彩学は、理論のためにあるのではありません。しかし理論があることで、色彩は、よく見える。色彩が見えると、美が見える。ステンドグラスの光の色彩は、そう教えてくれました。」

    —『色彩がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著

    「色彩学は、とても学際的な分野であるともいえます。ニュートンのような物理学、ゲーテのような心理学、生理学、それに美術やデザインまで、さまざまな分野の専門家が「色彩」というテーマにアプローチしています。しかし、色彩は一つではないか、と思われるかもしれません。ところが、実際は色彩には、同じものであっても、見方によってまったく違った様相を見せるのです。」

    —『色彩がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著

    「目は「反対のもの」に引きつけられる  それにしても、なぜ、ここで補色が出てくるのでしょう。その一つのヒントが、ここで取り上げている「対比」と関係してくるのです。対比では、色相でも、明度でも彩度でも、その「反対のもの」に引っ張られていく傾向があります。背景が暗いと、手前の図は明るく見える。背景の彩度が低いと、手前の図は鮮やかに見える。色相でも、補色の色が現れる。それは、誰が見ても確かめられる事実ですが、どうやら目は、こういう「反対のもの」に引きつけられる傾向があるのです。」

    —『色彩がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著

    「ゴッホの残した手紙には、色彩について言及した箇所も多くあります。その一文を引用してみましょう。「二人の恋人たちの愛を二つの補色の結婚によって表現すること、その混合や、対立や、近接して置かれた色調の神秘的なふるえによって表現すること」  こういう文章を目にすると、画家ゴッホというのは、まぎれもなく、色彩の大理論家であったと思わざるを得ません。たとえば『烏のいる麦畑』は、色彩の遠近法によって、その空間に奥行きが与えられているのです。」

    —『色彩がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著

    「ゴッホは、青と緑と黄色と赤の色彩を使って、覚めた頭で冷静に、空間の奥行きを構成しているのです。こういう絵を描く男は、狂気ではなく、科学者のような理知的な頭脳をもっていると思わずにはいられません。そして、これがまぎれもなく、ゴッホという画家の、本当の姿であったのです。」

    —『色彩がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著

    「白と青と、どちらが究極の冷たい色なのか、白黒ならぬ「白青つけがたく」というところもあります。青がいちばん冷たい色、と感じる人もいるかもしれません。しかし、雪や氷のイメージなどもあり、私には白がいちばんの寒色と思えます。北極の風景などで、海の水と、氷や雪があります。そこで、それぞれの温度を計ってみても、青い水よりも、白い雪や氷のほうが冷たいです。水はどんなに冷たくても零度ですが、氷や雪は氷点下です。冷たいのは、白です。赤はエネルギーの色  ではなぜ、赤はあたたかい色なのでしょうか。これは、赤色の隣にある赤外線が、「熱線」としてあたたかさを放射していることが関係しているとも言われます。つまり赤い色の周辺は、実際にあたたかいのです。ですから、赤をはじめとする暖色は、目を通って、人の心にあたたかさを与え、活力や意欲を高める役割を果たしています。赤は、エネルギーの色でもあるのです。」

    —『色彩がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著

    「ゲーテの色彩調和論は、その後もいろいろな色彩学者によって、さまざまな展開をします。ここでは二十世紀の、スイス生まれの美術教育者、画家であるヨハネス・イッテン( 1888〜 1967)の色彩調和論を見ていくことにします。  ゲーテの調和論の基本は、とりあげる二色が、それを混ぜると灰色になる、ということでした。それが反対の色、つまり補色の組み合わせということです。  イッテンの色彩理論も、ゲーテと基本は同じです。ただゲーテでは「二色の組み合わせ」が具体例の中心であったのに対して、イッテンは、ゲーテの理論そのままに、三色や四色の組み合わせへと話を展開していきます。  補色の関係にない、三色や四色を組み合わせても、ゲーテの理論と齟齬が生じないのはどうしてなのでしょうか。  イッテンがゲーテと共通している考え方の基本は、「色を混ぜると灰色になる」ということです。反対の色を組み合わせると、色相の中にあった色みが消えて灰色になるということです。  では、たとえば三色を混ぜて灰色になるのは、どのようなときなのか。それをイッテンは、明快に説明しました。」

    —『色彩がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著

    「私は若い頃、医学部の解剖学研究室で、人体解剖の研究生活を送っていました。解剖に使う死体は、ホルマリンで固定されます。つまり、腐らないように処置されます。それを「固定」といいます。固定された体というのは、卵でいえば、生卵と茹で卵の違いみたいなもので、形は同じですが、色はずいぶん褪せています。ですので、私は解剖学教室でたくさんの死体や、その筋肉や内臓や眼球を見てきましたが、そこには鮮やかな色というのはありませんでした。  しかし、ときに小動物やサカナやカエルなどを解剖することもあります。そのときは、なるべく新鮮なナマの状態を観察したいので、固定はしません。つまり、死んだばかりの生き物の内臓を見ることができます。まだ心臓が動いていることもあります。  そんなとき、いちばん驚いたのは、内臓の鮮やかな色です。  血が赤いのは、ケガをしたときなどにも見ることができるので、知っている色です。しかし体の中には、血の赤以外に、黄色や緑や紫や、ときには青い何かがあったりします。色鮮やかな世界なのです。おそらく人間の内臓も、生きているときはそんな色をしているのだろうな、と想像したりします。」

    —『色彩がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著

    「しかしダ・ヴィンチという男は、宗教の決まりごとなどにしばられない、自由な発想の人間でもありました。たとえば、『岩窟の聖母』という絵画では、マリアやキリストの頭上に、光る輪を描かなかったり、十字架をもたせるところを手ぶらにしたりと、自分が不要と考えたことは、譲らず、描きませんでした。  しかし、それでは絵の注文が成り立たないので、受け取りを拒否されます。そこでダ・ヴィンチの弟子たちは、親方のダ・ヴィンチを説得したのか、もう一枚の『岩窟の聖母』を描かせ、そちらには頭上の輪や、十字架をきちんともたせました。実際のところ、ダ・ヴィンチの尻を叩いて描かせたのか、あるいはダ・ヴィンチの名の下に弟子が筆を執ったのか、それとも共同制作なのか、真相は不明ですが、ともかく、そんなふうにして、何とか約束事を守って、納品は果たしました。」

    —『色彩がわかれば絵画がわかる (光文社新書)』布施 英利著

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    2026年07月05日
  • パリの美術館で美を学ぶ~ルーブルから南仏まで~

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    フランスの醍醐味のひとつである美術館について、鑑賞に新しい視野を与えてくれる。

    ルーブルでミロのヴィーナスを見たときの、あの引きつけられる違和感や両性有具性を的確に説明してくれていて、すごく納得感があった。

    2回目以降にルーブル・フランスを訪れる美術好きの人にぜひおすすめ。

    大学生の時読み漁っていたこの類の本を、またもっと読んでいきたいと個人的に思った。

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    2026年02月17日
  • 現代アートはすごい デュシャンから最果タヒまで

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    美術は好きなつもりでいたけど、なんてこった…
    現代アートがすごい、すごすぎてわからない。

    哲学をしているとよく、「哲学なんて難しそう」「そんなことして何になるの?」みたいなことを聞かれる。

    わたしとしては、「哲学するのが好き」「気づいたらやっていた」という感じだから、そこに利益も結果もない。「好き」に理由はないのと同じで。

    そんな自分が、現代アートに対して、自分がかけられていた言葉を掛けずにはいられない笑

    アーティストってすごい。。

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    2025年11月25日
  • 人体、5億年の記憶~からだの中の美術館~

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    美術解剖学研究者である著者のリマスター版文庫。人体という不思議に迫った第一部と、芸術からそれらを振り返る第二部。三木成夫という解剖学者のワンダーな感じと、人体……生物の身体にそもそも備わっている自然を言語化すること、とても面白く読んだ。ヘッケルの言葉「個体発生は、系統発生を繰り返す」が染み渡った一冊。

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    2024年04月17日
  • 養老孟司入門 ――脳・からだ・ヒトを解剖する

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    『養老先生がその中の一ページを開く。内臓を取り去った解剖体が描かれている。「布施くん、ここにハエが止まっているだろう」養老先生は、その解剖体の男の、足にかけられた布の部分を指す。たしかに、左足の付け根あたりにハエが一匹、描かれている。「どうして、ここにハエがいると思う。考えてみなさい」それが養老先生のアドバイス法だ。あとは、自分が答えを出すしかない』―『序章 ― 一九八五年』

    養老孟司の著作は少なからず読んできたので、本書で布施英利が整理分析する養老哲学について違和感はない。平易な言葉で、かつ、論理的に、養老孟司が数多くの著作で記してきた少し急いたような論理展開について解きほぐす作業は、著者と分析の対象者の学問上の師弟関係もあってか、言外の意図を違(たが)うことなく汲み取り、導き出された答えは正鵠を射ているように思う。それでも何か脳の中で軋むような雑音がするのが聞こえる。

    本書の中でも触れられているように、養老孟司の思想の根底には仏教的な思想が流れているように思う。しかもそれは自身の信仰に基づくものではなく、その思想の成り立ちそのものが「脳と身体」の関係性、ひいては「自意識と社会」の関係性を的確に捉えていると結論した結果の指向だ。都市化とは「脳化」であると看破し、脳が嫌う自然=身体(思い通りにならないもの)との折り合いが悪くなることの救済として、洋の東西を問わず信仰が存在するのは必然とも説く養老は、古い中欧の教会に見られる伽藍の構造や採光の様式や焚香の習慣と仏教の定型との共通性を指摘しつつも、敢えてその二つを分け、一神教に与しない。その仏教的な視点によく似た二元論な思考についても本書では丁寧に語られる。

    そこで、ふと、妙なことを思いつく。本書が養老孟司の哲学を知るための良書であることは確かなのだが、これはどこかで養老孟司の考えについての「福音書」的な定式化となっていないか、と。

    ものすごく単純に言えば、ブッダの目指したものは自我からの解脱であり「悟り」の境地に至るということ。根本においては、脳の言うことだけを信じるのを止め、環境からの身体的入力情報(=感覚)に敏感になれ、ということとも捉えられる。一方、一神教が求めるのは唯一絶対神への信仰であり、それは取りも直さず、脳の言うこと=言葉を全面的に信じるということに違いない。信じ易くするために秘跡などの証拠を示し、本書の言葉に従うなら「強制了解」の様式を取って三段論法的に信じさせるのが福音書だ。

    だが、養老孟司の哲学はそのような「判り易さ」を必要とするものなのか、という雑念が湧いてくる。もちろん本書が解きほぐしたような知の巨人の思考の要素分解とその理解は重要と認識しつつも、般若心経が語る世界観である「色」と「空」の同義性のような感覚を持ちながら師の語る言葉を受け止めた方がいいのではないか、とも思うのだ。絡み合ったものは絡み合ったままに受け止めるべきなのではないか、と。

    イエスの弟子であったマタイらが記した福音書は、イエスの言行録という意味合いよりも、その言葉自体がギリシア語のユーアンゲリオン(=エヴァンゲリオン)、すなわち「良い知らせ」を意味するように、布教のための書である。これに対して、仏教においてもブッダの法話などを弟子たちが集め仏典が編集されたと考えられているようだが、仏典はその境地に至る準備として世界を理解するための基礎、知恵を集めたものとの意味合いが強い。守るべき律も、その行い自体の意味を問うことが重要なのではなく、蒙を啓く―今まで見えていなかったもの、すなわち自意識が邪魔(無視)をして見え(聞こえ、感じ)ていなかったものを知覚する―ための型を示したものに過ぎない。ならば養老孟司の書も心を無にして読むことが肝要ではないだろうか、などと考えて見たりする。もちろん、著者が目指したものは養老教を広めるための福音の言葉ではなく、養老孟司の言葉の仏典的整理であるとは思うけれども。

    「解ったようで判らない、分からないようで解った気になる」
    自分の頭で考えるとはその繰り返しに他ならないと思う。

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    2021年03月18日
  • 構図がわかれば絵画がわかる

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    「美術の見方を,身につけたい。いったい,何を学んだら,美術はわかるのか。大学を卒業した私は,美術史の研究には進まず,他の分野から美術の核心に迫る道を歩み始めた。美術史とは別の方法で,「美術の理論」をかたちにしたい。そう考えながら。ともあれ,あれから30年。いま,こんな本がある。」(おわりに より)

    美術について構図から見てみようといった感じの本。ところどころ著者のこだわりがみられる,特に仏像と美術解剖学についての掘り下げが深い(この辺は養老孟司に師事した影響が強いのだろう)。

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    2021年02月15日
  • 藤田嗣治がわかれば絵画がわかる

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    白を貴重にした美しい裸婦。

    愛らしい子猫。

    幻想的な風景画。

    若き日にパリで最も名声を博した日本人画家 藤田嗣治。

    おカッパ頭。
    丸メガネ。
    ちょび髭スタイル。

    芸術の都パリで時代の寵児となった彼は、太平洋戦争を前に帰国。

    従軍画家として戦場に立ち、戦争画を描き続けた。


    終戦後は日本を去り、ニューヨークを経由してパリに戻り、フランス国籍を取得。
    カトリックの洗礼を受け、美しい宗教画も多く残した。

    そして、二度と日本に戻ることなくその生涯を閉じた。

    パリの革命児なのか。

    悪の戦争画家なのか。

    丹念な取材と、美術の基礎知識、そして歴史的背景を丁寧に噛み砕いていく。

    「藤田嗣治は、日本の近代における最大スケールの画家です。文学でいうと、夏目漱石の存在感に匹敵する画家とも言えましょうか。彼は、あの時代を生きた日本人と芸術との関わりを、作品と人生を通して体現し尽くした画家です」(「はじめに」より)


    描きたいものを描く。

    今を生きることに全力。

    事実の奥にある真実に迫っていく力作。

    #藤田嗣治

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    2018年10月29日
  • 色彩がわかれば絵画がわかる

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    勉強しなきゃと思っていた色彩学の基礎。
    しかし、色相環だの補色だのなんだのと、耳にしたことがある言葉が出てきた途端、なぜか興味を失ってしまった。

    そんな色彩学の基礎を洗い出すように説明してくれていて、ゲーテや利休に触れたり、著者の体験談などが過不足なく混じっていて最後まで興味をもって読み切ることが出来た。

    特に、色彩学の観点から見た絵画の解説は面白い。
    今まで説明されてきたことが、絵画解説によってある意味実践というような形で理解できる。

    色を学ぶ第一歩の時に、この本に出会えてよかったと思う。

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    2015年04月09日
  • 構図がわかれば絵画がわかる

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    同じ著者による『色彩がわかれば絵画がわかる』が面白かったのでこちらも読んでみました。さすがの安定感、高いクォリティで、両方読むと絵画の「色と形」がわかるようになっています。

    本書の素晴らしい点は、著者の美術に対する姿勢。あとがきにそのあたりがよくあらわれています。

    (引用注: 著者の美大生時代の考えとして)何百年も昔の絵であっても、いつでも「今」それがすばらしい。それは歴史とは無関係だ。(中略)
    そこで私はこう考えた。歴史の中に美術はあったが、しかし美術の中に歴史はない。(中略)
    ならば、美術史という方法論では、美術の本質はとらえられない。(中略)
    美術史とは別の方法で、「美術の理論」を形にしたい。(p.279-280)

    私は何によらず、寄り道した人の視点が大好きなのです。エリートコースまっしぐらの純粋培養ではなく、留学とか挫折とか病気や事故などを経験し、外から中を、邪道から正道を見る視点が大好きなのです。

    大学を卒業した私は、美術史の研究には進まず、他の分野から美術の核心に迫る道を歩み始めた。(p.280)

    その結果、本書はとてもユニークかつ「誰も言ってないけど確かにその通り!」という観点から「色と形」を論じています。
    例えば透視図法。透視図法という技法を論じるのではなく、まず「垂直線」から話しを始めます。題材は、フェルメールの『牛乳を注ぐ女』。牛乳が地球の重力にしたがってまっすぐに落ちていることに触れてから、地球の重力は万物に及ぶ普遍的な力であり、故に垂直線はとても大事、という。「えっ、そこからはじめるの?」
    そう、そこから語り始める。
    その調子で水平線と対角線を論じるから、次の章で「奥行き」の表現手法としての透視図法がはじめはじわじわと、そして最後に爆発する感じで「あぁ、わかった」と感じられるのです。

    そんな感じの、一般的とは言えないけれど腑に落ちるような、よく考えられた角度からの解説が続きます。目次をみると、本書の「構図」それ自体も美しい、と気がつきます。

    目次
    Step1 ー平面ー
    第1章 「点と線」がつくる構図
    第2章 「形」が作つく構図
    Step2 ー奥行きー
    第3章 「空間」がつくる構図
    第4章 「次元」がつくる構図
    Step3 ー光ー
    第5章 「光」がつくる構図
    第6章 「色」がつくる構図
    Step4 ー人体ー
    第7章 人体を描く
    第8章 美術解剖学

    最後にもう一つ。
    著者が理論的に絵画を見る視点を提供しているからといって、理論一辺倒でないことも強調しておきます。印刷物やパソコンのディスプレイでみてもわからない、「物としての美術品」の大切さを訴えます。

    超一流の名画の、精巧な複製よりも、二流の現物のほうが、はるかに素晴らしい。美術とは、そういう「モノ」であることを忘れてはいけません。絵は、モノなのです。物質なのです。(p.157)
    絵の画面に思い切り近づくと、筆の跡や、絵具の盛り上がりが見えます。絵というのは、線や面がつくる構図、色と色の並び、そういうもので構成されていると思ってしまいますが、本物の絵をまじまじとみると、そうではなくて、絵というのは、筆で描いた、絵具の痕跡なのだということが分かります。(p.157)

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    2014年07月28日
  • 色彩がわかれば絵画がわかる

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    絵を見るときだけではなく、生きているときの色の見え方が変わる。著者はとても丁寧に「色とは何か」を「言葉を尽くして」説明しているから。
    著者曰く「 色は、言葉で見るものだ」(p.178)。
    私たちは目で見ているのではなく脳で色を見ている。網膜に届いた光はそのままでは単なる刺激でしかない。それを意味のある形や色や輝きや質感のある何かに統合しているのは脳の働き。
    色を誰かと共有するには、描いて再現するか言葉で再現するかしかない。言葉で受け取った色を感じることができるのも言葉の力。
    ふむ。
    とはいえ、本人の名誉のために付け加えると、著者は脳内「だけ」で何かわかったつもりになることは厳しく戒めている。体験しろ、手を動かせ、と。
    ふむふむ。
    その一方で、言葉の世界の前に、純粋に科学的な色の世界があるのもまた事実。著者は丁寧に色の三原色(四原色)や補色とは何か、そしてそれをヒトが見る時にどうなっているかも解説してくれる。
    著者のスタンスがよく現れているのが、第三章。色彩(調和)論をニュートンとゲーテを使って説明している。
    色彩とは「そういう話し」なんだということがよくわかる。
    おかげで今まで何度も読んでいたはずの、印象派の絵が意味したもの(=題材は脱常識で、手法は最先端の科学を芸術と融合させたもの)がストンと腑に落ちた。なるほど。
    私は小さい頃から絵を描くのが好きで、デザインにかんする知識もそれなりに持っているつもりだったけど、それが単なるバラバラの豆知識や小手先のテクニックの寄せ集めにすぎなかったんだ、モノゴトをリベラルアーツ的に理解することって面白いっ、という読後感ももてた。
    同じ著者の構図論も読まねば。

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    2014年02月25日
  • 構図がわかれば絵画がわかる

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    久々に面白い新書だった。「構図」と題してる割にそれ以外の叙述が多く、賛否が分かれると思う。個人的には、釈迦の生涯といった脱線振りが良かったけど、純粋に絵画鑑賞の案内書を求めている人には納得できないかもしれない。絵画の書籍というより、美術との向き合い方を紹介した本というべき。
    でも、これを読んで益々東博の円空展を見にいきたくなってしまった。

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    2013年02月04日
  • 構図がわかれば絵画がわかる

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    プロのイラストレーターさんがpixivFANBOXでおすすめしていたのがこの本でした。

    絵画の見え方が1段階変わるきっかけになりえる素敵な本でした。

    絵画の中で最も重要な要素は、構図。(アイデア力も含まれるが今回は構図に括る)このことを私立美大では教えてくれませんでした。

    この本で得た私の新たな学びは、構図とは、宇宙の縮図であること。
    宇宙→星=人間
    仏教の仏像が、人体の彫刻の始まりであることを知った。その人体のつくりから、構図が始まっている考えも納得がいくお話しでした。海から二足歩行にまで体の成り立ちが進化する良く造られた神秘に構図がある。そして、絵描く者も、観る者も人間であることも。
    補足ですが腕の自在が利くのは人間だけと書いてあり興味深い話でした

    複数の視点か構図を理解できるようになれそうです。
    構図の構成と要素から、「どこを、何を、どうしてこの場面を切り取ったのか」に着目して、現在開催されている美術館にさっそく足を運んでみようと思います。やっぱお金ないので家で画集を嗜むことになりそうです。芸術作品の1作品をじっと注力する人になりそうです。

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    2026年10月10日
  • 人体、5億年の記憶~からだの中の美術館~

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    人体の捉え方が独特。文章は面白いが理解となると案外難しく思えた。多分自分が読解できていない。
    再読が必要なり。

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    2025年06月22日
  • 人体、5億年の記憶~からだの中の美術館~

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    芸大で三木成夫の教え子で、東大で養老孟司の研究室出身という美術解剖学教授による、三木の世界の解説とそれを美術に応用したもの

    前半は、凄まじく興味深い次元の三木世界が読み易くまとまっている。
    後半は、美術や作品などの解説が見事に絡んでいてる。

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    2025年06月11日
  • 現代アートはすごい デュシャンから最果タヒまで

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    デュシャンからはじまるという現代アート。その代表的な作家をあげて、わかりやすく説明されている。知っている作家もあれば、知らない作家あって面白かった。しかし、素人としてはどんな作品かを知らないものが多く、口絵も少ないため説明が頭に入ってこなかったりした。もちろんネット検索すれば出てくるが、最後の方はバテ気味で読み終えた。
    以下の点は、まだ消化できずにいる。
    ・デュシャン以降、絵画は死んだ。しかし、その後に来たものはやはり絵画だった(ダミアン・ハースト『桜』、ゲルハルト・リヒターのくだり)。
    ・サブタイトルの「デュシャンから最果タヒまで」。そして、最果タヒからデュシャンに繋がる、と本書は締められている。詩人である最果タヒ、そしてデュシャン。現代アートは言葉とも深い関わりがあるという説明が難解だった。


    個人的に、本書の一番の収穫は抽象絵画のくだり。抽象絵画を創始した作家としてワシリー・カンディンスキー、ピート・モンドリアンがあげられている。
    ・熱い抽象と冷たい抽象
    カンディンスキーは形の「意味」をなくし、描く対象を無化することで抽象絵画に至った(熱い抽象)。モンドリアンは理詰めで自然の形態(樹木の幹や枝)を単純化することで抽象絵画に至った(冷たい抽象)。一括りに抽象絵画といっても、そこに至る考えは異なり、それぞれの思想がある。

    ・絵画と音楽の関係
    音楽は、絵画や美術に比べると抽象絵画が登場するはるか以前から既に抽象的なものだった。言葉が伴うものや自然の音(風の音・鳥の鳴き声など)を取り込んだものなど具象的なものは別として、音楽はメロディ、リズム、ハーモニーが作る抽象的な世界である。絵画において抽象という方法を取り込むと、それは音楽に似たものになる。

    これまで、自分は抽象絵画の楽しみ方がわからずにいた。具体的な意味や意図を探すのではなく、音楽を聴くような感覚で目の前の絵画を見て感じれば良いのかもしれない。この絵画と音楽との関係のくだりは、読んでいてとても腑に落ちた。


    その他、気になった内容を簡単に書いておく。
    ・デザインと芸術の違い
    デザインは3秒以内に何かが伝わらなければならない。それに対し、芸術は最初に見た時にはわからなくとも、繰り返し見ていく中でその世界にはまり込んでいく。

    ・アートとは何か。
    アートとは何かの定義について述べられている。その中で複数の条件があげられているが、「アートの文脈にあるか」という点が頭に残った。現代アートは作品単体を見るのでなく、それまでのものを前提として積み上げられていくもののようだ。見る側にも一定の素養を求められるらしい。今後はこの「アートの文脈」について意識していきたい。
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    盛りだくさんの1冊と思うが、正直なところ1冊で理解するには自分にとって壮大すぎた。本書で知った作家は、いずれ機会があれば深掘りしてみたい。さらに大きな世界が広がっていると思う。

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    2024年05月17日
  • 人体、5億年の記憶~からだの中の美術館~

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     これはすごい本でした。私たちの体の中には5億年の脊椎動物の歴史が詰まっている。動物を裏返すと植物になり、動物の体内には植物的な世界があるという。
     私たちは12という数字をよく使っているが、脳幹の領域には12対の神経が出入している他にも胸椎は12、頸椎7と腰椎5は合計で12、など12という数字は体の中に潜んでいる。そもそも生命は一本の管から発展しているので、人間も一本の管が発達したものだ。
     ダーウィンの進化論だけではこれだけ多様で複雑な生命態様を説明することができないと考える人も多いが、私たちはもともと一本の管であり、これから魚やトカゲや猿になり人間となったということも、魚の鰓が退化して首や表情筋ができたことを考えると繋がって理解することができる。「変化」する力というものは凄い力である。たとえば1ヶ月入院するだけで筋力はげっそり落ちることを考えると、使わない筋肉はすぐ退化という変化を起こすのであるから、魚が首を持ちたいと何万年も努力すれば首ができるかもしれない。
     クロマニヨン人の脳はホモサピエンスの脳よりも大きかったようであるが、脳も使わなければ退化するということは、クロマニヨン人は現代人と同等以上に脳を使っていたということなのだ。文字がない時代に、私たちが文字を読んだり書いたりして使う脳を、文字を使わない世界で使っていたということなのだ。
    この本は人体には脊椎動物5億年の歴史がw刻まれていることを、わかりやすく説明してくれています。

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    2024年05月14日
  • 色彩がわかれば絵画がわかる

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    色彩の成り立ちや歴史,絵画における実践例について書かれた本で,理論についてはいろいろ羅列してある感じ。気軽に読める本である。

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    2021年02月20日