浅草寺子屋よろず暦
著者:砂原浩太朗
発行:2024年9月28日
角川春樹事務所
初出:「ランティエ」2023年9月号~2024年7月号(隔月連載)
この作家は初めて。人気シリーズなどを持つ時代小説家で、この作品は初物。シリーズ化するかどうかは不明だけれど、市井ものだった。江戸、浅草寺にある正顕院で寺子屋を営む大滝信吾がもめ事を解決する連作短編。信吾は旗本をつとめる大滝左衛門尉の弟。兄からは清という60歳ぐらいの下女をつけてもらっていて、寺子屋も手伝ってもらっている。寺子屋に通う子供や親たちは、信吾が旗本の家の出身であることを知らないが、普通の庶民でないことは感じている様子。
全6編で、それぞれに解決、締めがあるが、強烈な落ちではなく、どんでん返し的な展開もない。それぞれのトラブルを簡単な対応で収めていく。腕力での解決もなし。淡麗小説というべきかも。最終章で、信吾自身もしらなかった出自が明かされ、江戸を出ることになる。シリーズ化するなら、3年後に帰ってきてからの展開になるか?
こういうあっさりした時代小説もいい。各編が短いのも心地よい。各編、寺子屋に通う親に絡んだトラブルが主体であり、そこに親子関係の機微も描く。その展開が、「ゼームス坂物語」(高尾五郎著)という小説をちょっと思い浮かべてしまう。
大滝信吾:寺子屋、兄は旗本の大滝左衛門尉
清:信吾の下女、寺子屋も手伝う
光勝:正顕院住職
大滝左衛門尉:三河以来の家来で、代々の御膳奉行を務める、三百五十石、先代と深川芸者との妾腹の子が信吾
杉乃:左衛門尉の妻、嫁いで10年、直参旗本・内田勘解由(かげゆ)の娘
真由:左衛門尉の一人娘
宮川成三郎:大滝屋敷の近所に住む旗本、信吾と同い年、兄の碁仇
奈絵:妹、5歳下
又蔵:兄の屋敷で長く仕える老爺、中間(ちゅうげん)身分
・寺子屋の子供たち
源吉:おみねの弟、10歳、寺子屋の生徒
小杉太一郎:生徒、浪人の子
三太:
さよ:源吉と同い年の生徒、まとめ役
ゆう:母子家庭で母親は三十代半ば
まき:11歳、ゆうと仲良し
あや:11歳、ゆうと仲良し
おみね:源吉の姉、信吾の叔父が経営する小間物屋で働く、17歳
定次(さだじ):おみねと源吉の父
おやす:その妻
小杉重太郎:小杉太一郎の父親
善蔵:三太の父親、棒手振りの魚屋
平八:さよの父親、錺(かざり)職人、腕はいいが博打好き
まつ:母親、三味線の師匠、
狸穴(まみあな)の閑右衛門:借金の元締め
岩蔵:一番の手下、坊主頭
**************
■三社祭と鬼
狸穴(まみあな)の閑右衛門:借金の元締め
与六:定次の昔の弟分
信吾は三社祭の時、坊主頭の柄の悪い男を見かける。
信吾は旗本の弟で、浅草寺の正顕院で寺子屋をしている。教え子のひとり源吉の姉・おみねは、信吾の叔父が営む小間物屋で働く。17歳。三社祭を見物に来る寺子屋の子供たちが心配で、仕事を休んで面倒を見に来ていた。
ある日、おみねや源吉の母親であるおやすが、寺子屋に駆け込んできて妙な男たちが来たと言ってきた。信吾が行くと、男たちは三人いて、そのうちの一人はあの坊主頭の男だった。源吉たちの父親、大工の定次がした借金の取り立てだった。3両2分、元金は1両。信吾はその証文を破り燃やす。激怒する3人。2人をやっつける。元金は返すが利子が高すぎると。坊主頭たちはいったん引き揚げる。狸穴(まみあな)の閑右衛門がだまっちゃいねえ、と言い残し。
定次が行方不明になったが、正顕院にこそっと来ていた。信吾が事情を聞くと、定次は信吾をある長屋に案内した。そこに寝ていたのは、与六という男。年は定次の1歳下で、同じ大工として弟分だったが、定次は博打を教え、2人は賭場に出入りしていた。すると町方が手入れに来て、定次は逃げたが与六は置き去りに。15年も島流しにあい、出てきたが島で怪我をして動けなくなった。定次を探し出した。定次は人の一生をだめにしたと責任を感じ、生活費を工面してやったが、やがてお金が尽きて借金に。
2人が長屋につくと、与六はお金がなくなったころだからちょうどいい、次のお金をくれと要求した。信吾は刀を抜き、近くに差した。激怒する与六、驚く定次。信吾は与六が素早く逃げる様子を指摘し、お前の体が動かないのは嘘であり、8ヶ月の限度いっぱいまで小石川養生所にいたのも嘘だと知っている、伝手で調べたと指摘する。
嘘がばれて一見落着。
■紫陽花横丁
ゆう:10日ほど寺子屋を休んでいる子、11歳、母子家庭で母親は三十代半ば
まつ:母親、三味線の師匠、
まき:11歳、ゆうと仲良し
あや:11歳、ゆうと仲良し
寺子屋に通うおゆうが、10日ほど休んでいる。気になって紫陽花横丁を訪ねると、おゆうは元気そうだったが、母親も出てきて「きょうはちょっと上がってもらえない」と言う。
おゆうは、おまきと、おあやと仲良しだった。以前、おまきとおあやが、おゆうの家に遊びに行くと、五十代ぐらいの男がいた。感じは悪くない。おゆうは、今日は遊ぶのが駄目になったと伝える。おまきは、そのことを帰宅してそんなことがあったと母親に話しをすると、妾という言葉が出て来た。子供たちは,正確な意味はしらなかったが、忌むべきものだとは感じていた。そのことを含め、2人は信吾に話をした。信吾は、自分も妾の子だと言った。
ある日、おゆうの母親・おまつが待ち伏せしていた。そこで全てを話してくれた。おまつは日本橋で大きな呉服店を営む主人の妾で、おゆうはその子だった。本妻が死んだので正妻として迎えたいとの申し入れを、おまつは断った。庶民の生活が好きだったから。しかし、1年前に住んでいた町の寺子屋で、おゆうが妾の子だということが広がっていづらくなり、寺子屋を変わったのだった。ところが、少し前におまゆの口から妾という言葉が出たので、おゆうはまたこの町の寺子屋にも行きづらくなって休んでいたのだった。
無事、最後は2人でおゆうを迎えに来て、また寺子屋に通うことになった。
■父と子
数少ない武士の子、太一郎の様子がおかしい。本人に聞いても言わない。仕切り屋のおさよの父親、飾り職人の平八がその事情を教えてくれた。平八は、腕はいいが博打好きなのが玉に瑕。最近、博打場に太一郎の父親・小杉重太郎がいるという。町方の手入れが来るときにワンタイミングかわす役割で雇われている用心棒。元々は小藩に仕えていたが、藩主の急死で失職していた。父と子の二人暮らし。飯の支度は太一郎と重太郎でしていた。
事情を知った信吾はとりあえず重太郎に会いにいく。博打をしたことがない彼は、<定高寺>と看板がある賭場に入る手順を平八から聞き、合い言葉をいって入れてもらう。すると、そこにいたのは借金取りのひとり、坊主頭の岩蔵だった。ここでの差配役だった。やつに無理矢理重太郎のところへと連れていってもらう。少し話をして帰る。後日、出直した信吾だが、博打をしない人間は入るなと岩蔵に言われる。今日は博打をすると言葉を返した。まごまごしながら丁半博打に座る。座る場所で丁か半かは決まっていることを初めて知る。信吾は条件を出す、もし俺が勝ったら重太郎に新しい仕事を紹介してやってくれ、と。
あっという間に持ち金全部すった。
次は平八の番だった。俺が勝ったら新しい仕事を探せ、と重太郎にいう。その日、平八はついていて、3両も勝つ。うち1両を重太郎に渡し、ここをやめて新しい仕事を探せという。
岩蔵:借金取りの一人(坊主頭)
小杉重太郎:太一郎の父、
平八:さよの父、錺(かざり)職人、博打好き
■片陰
善蔵:三太の父親、棒手振りの魚屋
兄に昼飯に招かれた信吾は、途上、偶然に出くわした三太の父親、棒手振りの魚屋・善蔵から鱸(すずき)を授業料代わりに受け取り、それを手土産に屋敷へ。兄の嫁と娘は実家へ行って(行かせて)不在だった。御膳奉行の兄は、いきのいい鱸を大いに喜び、自分で裁いて出してくれた。そして、自分には娘しかいないので、家を継ぐ気はないかと信吾に聞いてきた。ゆっくりでいいから考えてくれ、と。
帰りがけの夜道、浅草寺のところで善蔵に再会した。すっかりしょげ返っている。得意先の飯屋が何軒かあるが、その店主達がみんな、魚が傷んでいたので金を返せと言ってきた。そんな筈はないと拒むと、じゃあ金はいいから明日から来るなと言われたという。あの鱸も鮮度がよかったし、善蔵の魚が傷んでいたとは思えない信吾。
信吾のもとに小杉重太郎が訪ねてきた。賭場の用心棒は辞めて、長屋で手習いを始めることにしたという。信吾とは商売敵になるとも話し・・・それはそうと、重太郎も善蔵の件について話す。善蔵が下ろしていた一膳飯屋にたまにいく重太郎は、そこの魚がまずくなったことを感じて指摘した。すると、善蔵がいたんだ魚を持ってきたので魚屋を変えたんだと飯屋の主人は説明したという。信吾はその店を訪ねて事情を聞こうとすると、とりつく島もなく追い返された。
善蔵は新しい得意先を探し回ったが、傷んだ魚を売ったと町中に噂が広まり、相手にしてもらえなかった。別の町に引っ越さないといけないとしょげ返る善蔵。
そんな中、岩蔵を見かける。どうやら彼がこの件に一枚かんでいるようである。あたらしく出入りを始めた魚屋から金を受け取っているではないか。みかじめ料をとっている。その分、魚屋は魚の質を落としているからまずくなっているようだ。その代わり、魚屋は店を紹介してもらえる。
信吾は再び<定高寺>へ。岩蔵に事情を聞く。重太郎を辞めさせたことを狸穴(まみあな)の閑右衛門が怒っているという。それで、岩蔵たち下っ端だけの判断で今回のことをしたという。信吾に対する嫌がらせである。証文を破かれ焼かれたことでも岩蔵は減点を食らっているので、今回は気を回して先手を打ったという訳だった。
信吾は深川の有名料亭「丸喜」へ出かけた。そこである女性に再会。子供の頃から三味線の稽古を聞いた女だった。そして、頼み事をした。
善蔵がいきのいい魚を持って信吾のところにやってきた。お礼にという。丸喜が魚を買ってくれることになり、その噂が広まって町での得意先が見つかったという。しかし、お寺で生魚はなあと躊躇していると、通りがかった光勝住職が寛大な言葉をかけて過ぎ去っていく。
■秋風吟
総一郎:光勝住職の息子
飯塚政之助:光勝が討ち取った友垣の息子
*相良総八郎:光勝の本名
信吾が大滝家を継ぐかどうかということは、姪・真由の一生を左右することでもある。継がなければ、真由が婿養子を取って継ぐことになる。一方、信吾が継ぐ際には、奈絵との縁談が進むことになる。もやもやとした信吾は散歩に出る。すると、正顕院の門前で背の高い少年を見かける。気になったが、人混みに消えた。
その夜、重太郎を誘って重太郎行きつけの一膳飯屋で飲んでいた。久し振りに武士と飲みたかった。すると、重太郎も数日前に門前で少年を見かけたという。年の頃からして同じ少年だと思った。そこへ、平八も来る。信吾は提案した。寺子屋の父親が交代で手の空いたときに少年を探そうと。
後日、平八が少年ともめていた。信吾が組み伏せた。あの少年だった。しかし、重太郎は違うという。少年は、別にもう一人いると言った。そこに光勝が来て、ひさしぶりだな、と言う。彼は総一郎といい、光勝の息子だった。
信吾の兄、左衛門尉と光勝は同門の道場仲間だった。光勝が2つ3つ上。相良総八郎という武士だった。ところが、家中で同輩同士のもめ事が起き、一方が斬り殺して蓄電した。上意により、総八郎が討つことに。1年かけて探し出して討ち、加増もされたが、討った相手が友垣だったために致仕して比叡山に入った。江戸に戻り、正顕院へ。
もう一人の少年というのは、総八郎が討った相手の息子で、総一郎と同じ年頃だった。総一郎もそれを察知して、父を守ろうと見張っていたのだった。
ついにその少年が仇討ちに来た。光勝と信吾は素手で向かった。逆恨みだぞと言い聞かせながら。腕が未熟な少年は助太刀を頼んだ。岩蔵が浪人を連れてきた。浪人の刀と少年の刀に素手で立ち向かう信吾。そこへ、左衛門尉が来た。これで鞘におさまる。
信吾には、世話好きの人間からの縁談話がまいこみそうな気配だった。
■錦木
お玉:深川の芸者、信吾の生みの母
おみねが血相を変えて駆け込んで来た。長屋に住めなくなるという。信吾が駆けつけると、長屋ごと取り壊すと大家。なにかあると睨む信吾。そこに真由が来る。いそいで兄のところへ行けという。行くと、公方に食べさせる食材が手に入らなくなったという。傷んでいるとかなんとか、それぞれ理由を付けて売ってくれない。
正顕院に戻ると、なんと狸穴の閑右衛門が来ていた。この2件も閑右衛門がしたのだという。借金証文、用心棒、魚屋の件が気に入らないという。では、なぜ信吾自身のところに来ない、なぜ周囲を巻き込むのだと聞くと、理由は二つ、二つ目は、お前に嫌がらせをしたいから。一つ目の理由については、俺の手下になったら教えてやると条件を付けてきた。
そして、この嫌がらせをやめてほしいなら、手下になるか、江戸から出ていくかどちらかにしろと言い残し、去っていった。
決着の日、信吾は江戸から出ていくと告げた。取り巻きたちは歓声を上げたが、閑右衛門はそっちの方かと落胆した。そこに、40歳女が。深川の料亭「丸喜」で会った女。実は、信吾の母親のお玉だった。そして、信吾の出自が明かされる。お玉の父親は、狸穴の先代親分だった。つまり、信吾の祖父。だから閑右衛門は信吾を手下にしたかった。先代には大変お世話になったからという。
母親は閑右衛門に条件をつけた。江戸を離れるのを3年限定にしろと。了承した。寺子屋の子供や親たちも駆けつけて見守っていた。みんな、うすうすは感づいていたが、信吾が実は旗本の出だとそこではっきりと知る。
信吾は南総あたりですごそうかと思い、出立した。寺子屋は重太郎に任せた。
奈絵への思いを胸に。