あらすじ
1995年1月17日未明、阪神・淡路大震災が発生した。
神戸市内の高校から都内の大学に進学し、東京で働いていた青年は、早朝の電話に愕然とする。
かけてきたのは高校時代の友人で、故郷が巨大地震に見舞われたという。
慌ててテレビをつけると、画面には信じられない光景が映し出されていた。
被災地となった地元には、高齢の祖父母を含む家族や友人が住んでいる。
彼は、故郷・神戸に向かうことを決意した。
鉄道は途中までしか通じておらず、最後は水や食料を背負って十数キロを歩くことになる。
山本周五郎賞を受賞した作家が自らの体験をもとに、震災から30年を経て発表する初の現代小説。
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Posted by ブクログ
2025.03.22
阪神大震災から30年、直接に亡くなった方が出てこないからこそ、震災の惨さを伝えることができるのは筆者の力量だと感心しました。
できそうでできないことを次々と描かれる筆者のファンになって良かったとしみじみと感じます。
地震は怖い、起きてほしくない。
Posted by ブクログ
作者自身の体験に基づいた、ノンフィクショクションに近い小説になっている。舞台は阪神淡路大震災。(この)「作品を書いたのは、震災に見舞われた神戸市の出身だからに他ならない。東京で暮らしていた主人公が帰郷し、家族を親戚のところに避難させるという大筋は私じしんの体験にもとづいている。」あとがきより。
さらっと読めますが、主人公や家族の心情と神戸市の被災の絡みが、丁寧に書かれており、想像を超えた想いに至ります。実際私が、そういう立場に置かれたら、何ができるのか、そういった災害に遭遇しなければ、やはりわからないでしょう。てすが、この本で、その追体験が出来るような錯覚になりました。まあ、本当になった場合はやはり想像し難いかと思われますが。
Posted by ブクログ
著者が自らの体験をもとに書いた小説です。阪神・淡路大震災発生の一報を受けた圭介の一週間が描かれていました。
こんなときでも両親の身勝手さを感じたこと、祖父に謝れなかったこと、そしてこの場から離れられることに圭介の揺れる思いを感じました。
友人とのやり取りも、努めて普通な感じでいたことが、余計にお互いを思う気持ちを表していたように思いました。
地元だけど、今住んでいないことが許されないことのように感じてしまうことは、震災が与えた大きな傷の一つのように思いました。
あのときから30年経ったけれども、私自身は経験していないからこそ、いつまでも忘れないことが必要なことだと思っています。どれだけ大変な一週間だったのか、そして著者の強い思いを感じることができた貴重な読書でした。
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当時の息遣いや雰囲気、状況などがとって分かるような書き方で、阪神大震災の経験もあるので自分としてはかじりついて読んでしまった。30年たった今となっても忘れられないし、考えさせられる事が多い本。
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私も被災した当時の経験を思い出しながら読みました。被災地から移動できなかった人もやむを得ず移動せざるを得なかった人もそれぞれの場所で様々な経験をしてきたと思います。あれから30年経ちますが次の世代のためにも決して風化させてはいけない、とあらためて思いました。
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川村圭介が阪神淡路大震災に際して取った行動を細かに記述した内容だが、神戸に住む母親と祖父母、友人の進藤とのやりとりが真に迫っていた.母親と離婚した父の車で祖父母を叔母の所へ避難させる場面と、進藤との再会が一連の話のハイライトと感じた.地震に際して個人の記録は次第に失われてくるので、このような形の小説は多少のフィクションがあっても残しておくべきだと思う.
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僕も震災後1週間はたっていただろうか、いくらかの水や食料を背負って親戚が暮らす西宮北口まで阪急電車に乗ってでかけた。この小説には一切書かれていなかったけれど、尼崎を過ぎた頃から車窓から見える景色が次第に尋常ならざるものに変わっていった。同じ車両に乗り合わせた人たちと重い重いため息がシンクロしたのを覚えている。そして西宮北口のトイレの状態も小説に表されている通りだった。僕は駅から親戚の家まで歩いたが、駅の周辺でも潰れてしまった家屋があちらこちらにあり、案内してくれた叔母には、「この家の下にまだ居てはるねん」と言われたことを覚えている。当事者は当事者なり、そうではなかったものたちにもグラデーション的に心に傷を負わされた震災であったことは間違いない。
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あれから30年。阪神淡路大震災の惨状が蘇る。切断された高速道路、ひしゃげたビル、倒壊した人家…被災者の心境や現状を詳細に描写。故郷や祖父のことを想う圭介の気持ちが伝わった。
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阪神・淡路大震災を描いた砂原さんの現代小説です。
当時は東京住まいだった砂原さんが、震災の3日後に神戸の自宅に戻り、母と祖父母を遠隔地避難させた体験をもとに描かれた小説です。あとがきにもありますが、震災から15年後、砂原さんが時代小説作家としてデビューする前に書いたものに少し手を入れて、30年という節目に出版されたものだそうです。
大震災の物語と言えば、身近な人、愛する人を亡くした悲嘆や、そこからの復興を描くものと思いがちですが、これは「片隅の物語」です。本人は東京住まい。母と祖父母は神戸在住ですが、建物は大きな被害は受けたものの怪我はしていません(きわどい状況は有りましたが)。さらに言えば近親者・知人・友人にも身体的な被害もありません。3人を三重の大叔母のもとに避難させますが母とは反目が有り、祖母はほとんど描かれず、唯一著者が気にする祖父もどこか反応が鈍く、家族愛の物語と言った風情はありません。
読みながら西川美和さんが終戦を描いた『その日東京駅五時二十五分発』を思い出していました。大事件の周辺でどこか静かに進む物語。逆にリアリティーを感じます。駅のトイレの光景、友人の薬を入手するための薬局での騒動、重かった飲料水。あえて事件の中心に入らないリアリティ。
そしてこのようなこ「片隅の物語」は他にも幾万もあったのでしょうね。
大きな感動を呼ぶような話ではありませんが、片隅の痛みを感じられる物語です。
Posted by ブクログ
阪神淡路大震災から1週間のお話。
地元を離れていたからこそできることやできないことがあって、そこでしか生きられない人に対する想いや家族への想いがリアルに描かれていた。
当時の自分を思い出しながら読んだ。
Posted by ブクログ
震災から一週間の話で東京から実家の神戸まで行く途中の描写と着いてから実家で目の当たりにした現状に祖父母を親族の三重に避難させそこでしか生きていけない人を見ての心の葛藤と自分は逃げ出せる地元の友人の心の機微。
砂原氏の得意とする心の描写と生活。でもやはり?時代小説の方が向いている。
鬼気迫るものもないし実家がどうなったのか、片付けや苦労などの話もない。続編があるのなら最後まで書いて欲しい。
Posted by ブクログ
61/100
評価されるために描いた小説ではなさそうだから、点数を付けるのもおこがましい気もするけど、普通の本。1日目や2日目の描写はすごく共感しながら、グッと引き込まれるものがあったが、後半になるとドキュメンタリーでよくあるようなストーリーになり、結局は他人事として捉えて終わってしまった文章だった。
Posted by ブクログ
三十年前の阪神淡路大震災の物語。
携帯電話やインターネットが普及していないため当時の不便さというか時代を感じる。
当事者ではない圭介が東京から現地へ向かい様子を実況する形となるので、状況も悲惨さも強くは感じない。
それでひとまず一件落着やろ
進藤からしてみたらやはり帰っていく圭介はたとえ思いがあっても他人事にしか思えないのだろう。
ただもうすぐ発生すると言われる未曾有の大震災に対しての恐怖は呼び戻された。
何万人という人は死んでしまうんだ。
予想被災地の真ん中にいる我が身としてはもっと構えていなくてはいけないはずなのに何故かなんにも考えていなく、勝手に大丈夫と思っていた。か、考えたくもなく逃避していただけかも。
Posted by ブクログ
1995年の阪神・淡路大震災をテーマにした作品。
砂原さんの体験をもとに書かれたそうだが
時代小説に馴染みのある作家さんなので
本作はどのような感じなのか興味を持ち手にした。
震災後30年。
未曾有の出来事から今まで幾度も訪れた自然災害。
人間なんてちっぽけな生き物だな。
歯噛みする思いでやり過ごしてきたが
私はどの時も当事者ではないのだから
災害に遭われた方たちを完全に理解することはできないのだろう。
友人の自宅へ見舞いに訪れた圭介は〈東京にもどる〉ことができる。
P160
〈おまえも、じいちゃんばあちゃん逃したら、それでひとまず一件落着やろ〉
圭介に投げかけられた言葉。
〈その声を恐れ、憎いと思った〉
あとがきから
〈悲しみをあらわせなかった方々の杖となれば本望である〉
忘れられない悲しみと痛み。
それらを忘れてもいけない。
Posted by ブクログ
1995年の阪神淡路大震災当時の実体験にもとづく記録小説。私も筆者と似た経歴で、震災の6年前まで西宮在住、震災当時は東京にいたので、馴染みの人が被害に遭い、馴染みの場所が震災で壊れてしまった悲しみ、しかし自分は震災を経験しなかったので現地の人と隔たりを感じてしまう複雑さ等、当時を思い出した。
本題とは関係ないけれど、録画を忘れていた時代劇は後家人斬九郎かな。私も当時録画して毎週楽しみにしていた。
Posted by ブクログ
30年前の阪神・淡路大震災の被災後一週間の出来事。作者本人の体験をもとに、自らの記憶を記録するという意図のもと小説という形でしか表し得ないものも含めて描いた作品。
時代物の砂原さんにしては珍しい現代物と思ったら、そういう経緯があったのかとあとがきを読んで納得。
同じ被災者であっても被害の大小、その後の身の振り方などは一様ではなく、被災者の間でも思いは様々なのだということが主人公とその友人のやり取りでわかる。
ましてや報道でしか知り得なかった者には何も言う資格はないんだろうし、分かったようなことも言えない。それはその後に起こった東日本大震災でも、昨年の能登半島地震で同じこと。そしてそれは地震に限らず、事故、事件などでも同じことで、他人は人の思いを本当には理解できないんだろうなと思った。心の痛みや苦しさは、どちらが深いとかではなくその人にしかわからない重みがあるということをしみじみ思った読後。
Posted by ブクログ
なかなか向き合えなかった地震から30年
学生時代の思い出が詰まった街をテレビの中ですら目を背けていた当時。
行きたくても行けなかった被災地には一年後ようやく行った。その頃にはもう復興が進み被災した友人と笑顔で会えたことが嬉しかった。
主人公が歩く震災後の神戸の街が、詳細に描かれて辛く胸が詰まった
ここにおりたいんやと言う友人の言葉。助かった人も遠くにいた主人公も被災者なのだ
ずっと忘れることはできない
忘れないためにも
私自身が背けていたことに向き合えるようになれたことも
改めて作者がこの書を書いてくれて感謝する。
Posted by ブクログ
阪神・淡路大震災。神戸出身で東京で働く青年が、被災地にいる家族や友人の元へ向かう話。自らの体験を元に書かれた物語とのことで、現場に行った人の感覚が伝わってくる。
あとがきで、この作品を書いた動機や思いを吐露されていて、腑に落ちる思いがした。
Posted by ブクログ
刹那の変化と、普遍に刻まれる時。感情の塩梅は、誰もがわからないまま。それでも無情に続く日々がとても恐ろしいと思いました。
傷つくことにも配慮が必要な世の中で、誰にでも起こり得る出来事を他人事と思わずに生きられたら...と、つい考えてしまいます。
Posted by ブクログ
もう30年。あの朝は主人公と同じくただボーと現実とは思えない画面見つめるしかなかった。「おまえが言うことやないやろ」「…神戸から出て行くやつおおぜいおるんやな。おまえもじいちゃん、ばあちゃん逃したら、それでひとまず一件落着やろ」「でもな。この街でやっていくしかない奴らが大勢おるんや」「あのオッさんもそやろ」能登でも、東北でも。「すべては、ほんのわずかの差でしかなかった」「報道などでは取り上げられない、そうした立場の者にもやはり痛みはあるという思い」砂原さん、トラウマに…よく刊行したなぁ。
Posted by ブクログ
損得勘定なく故郷の震災に何かしたいと思っても、その時その場にいなかった部外者感。家族、親友とのズレ。行き場のない気持ち。
おとん、金とるんかいっ!って思ったけど、前後で付き合い方、接し方が唯一変わらずいれそうで、
人と人って
何なんだろうなと。
Posted by ブクログ
砂原浩太朗という作家を目当てに本を選んだので、本書が時代小説ではなく阪神淡路震災を描いたものだと知った。
奇しくも1月17日にこの本を読み始めたので、様々なニュースと共に読む本書は当事者の苦悩を改めて思い起こされた。
Posted by ブクログ
砂原浩太朗の作品はこれまで何冊か手に取っており、
静かで凛とした雰囲気があって好き。
作者は15年ほど前にこの作品の原型を執筆したということで、最近のものには感じられない激しさや
人の心の暗い部分がたくさん描かれていて
正直に言うと、別の著書の本を読んでいるような気分になった。
阪神・淡路大震災が起こってからの七日間の出来事を
主人公(作者)が取った行動をそのまま綴った内容は、
30年前、わたしもその場所にいたことを思い出させる
少し苦しくつらい読書だった。
作者も感じているように
直接的な被害が少なかった者と
そうでなかった者との気持ちの差は決して埋まらないと思うのだけれど、
こうして毎年この時期が来るたび
“思い出す”という行為はやめずにいたいと思う。
Posted by ブクログ
阪神・淡路大震災の一週間が設定で、著者が神戸出身ということもあり、やむにやまれず上梓したようだが、砂原作品を読みたい読者には肩透かしな印象。大きすぎる題材に主張がついていっていない稚拙さしか感じない。得意なホームグランドで勝負してもらいたい。