架神恭介のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ゴルゴダの丘に、イエスの絶叫が響く。
「おやっさん(ユダヤ教の神ヤハヴェのこと)、おやっさん! なんでワシを見捨てたんじゃあ!」
その受難の前夜、イエスは子分たちに言う
「お前らの中に、ワシをチンコロ(密告)するやつがおるけんのう」
忠誠を誓うペドロに言う
「こんなは今夜、鶏が二度鳴く前に三度わしを否むじゃろう」
※こんな=広島弁で「お前」「YOU」という意味。
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抱腹絶倒、興味津々の386頁。
キリスト教の歴史を、大まか、九つの情景を選んで、九つの短編小説にした本だと思ってください。
(通史、というほど巨大な負担はなく、飛ばし飛ばしして、面白い歴史の場面情景を描いています)
内容は、以下。
●(ユダヤ教だけど)モーゼ、出エジプト記
●キリスト登場
●キリストの死
●初期キリスト教(パウロ以前)
●パウロの活躍
●ローマ帝国がキリスト教を認めるまで
●叙任権闘争。カノッサの屈辱。
●第四回十字軍の迷走
●ルターの宗教改革
そして、9編を貫くのは、
「キリスト教」=「キリスト組」というやくざ団体。
「信仰」=「仁義」
などなど、言葉を置き換えて、キリスト教の歴史を、やくざに見立てて描いていること。厳密に言うと、「やくざ映画の世界観に置換して」というべきか。
そして、更に限定すると、実録やくざモノ、もっと狭くハッキリ言うと映画「仁義なき戦いシリーズ」の世界観に置換しているんです。
※やくざ映画、と一口に言っても、中村錦之介さんの「股旅もの」もありますし。
高倉健、鶴田浩二、藤純子、池部良、という面々がトコロテンのように毎回活躍する「任侠もの」もあります。
その中で、菅原文太さんの「仁義なき戦いシリーズ」は「実録もの」と呼ばれます。
なので、つまりこの本の人物たちは、イエスもヤハヴェもモーゼもパウロも教皇も皇帝もルターも、みんなみんな、広島弁をしゃべります。これが秀逸。
※「仁義なき戦いシリーズ」は、第2次大戦後の広島県のやくざ抗争を描いたもの。みんな広島弁をしゃべります。有史以来、広島弁を日本全国に広げたという意味では最大の功績を挙げた作品だと思います。ただ、それが広島出身の皆さんにとって嬉しいのかどうかはちょっとわかりませんが。
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この話法というか手法は素晴らしいなあ、と感心。その目の付け所が素晴らしい。
別段キリスト教に限らず、歴史や、会社内政治などの話全般に使えます。
つまり、なんだかんだと、身内関係者以外には非常に判りにくい言葉や概念や経緯やら建前が、そこにはあるんだけど。
煎じ詰めれば、誰が美味しい飯を食べれるか、という奪い合い。
誰がカッコつけられるか、という争いなんですね。
国家間の戦争だって、有史以来、どんな時代のどんな国家だって、
「ごめん、俺らこの件については正義ぢゃないんだけど、金とか企業利権とか、政府への批判の目を逸らすため、政権維持するため、そんな理由で戦争するから、軍人と貧乏人のみなさん、死んだり殺したりしてね。ま、俺はそんなことイヤだから自分ではしないけどね」
と、明言して戦争を始めたことはないんです。
つまり、嘘を平気でつきます。
ただその嘘が、正史の、歴史の、正式な文書になっていくんですね。
ただその嘘をめくった風景が見れないと、感じられないと、歴史なんて面白くもなんともないし、教訓にもなりません。
それを「興味を持つ入り口として、面白がるために、えいやっと多少誤謬があってもまくるために、仁義なき戦いのパロディでやってみました」ということなんです。
映画「仁義なき戦いシリーズ」が素晴らしい力のある、オモシロイ映画である、という下敷きがあるからなんですが、
カネと欲と面子とサバイバルとに溢れた剥き出しのギラギラした、ほとんどコメディな世界観。これ、ものすごーく、政治的なお話を解体して娯楽にするための特効薬なんですね。
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もうとにかく、モーゼからイエス、そしてパウロあたりまでの物語は、本当にオモシロイ。そして、判りやすい。
キリスト教っていうのは、ユダヤ教から生まれた、中東地域のローカル宗教だった、ということが良く判ります。
次に触れておきたいのは、叙任権闘争、カノッサの屈辱のあたりも、実にわかりやすい。
教科書にして高校で使った方がいいんぢゃないかっていうくらい。パチパチ。
個人的に抱腹絶倒だったのは、「第四回十字軍」。
キリスト教のために。聖戦のために。
イスラム教徒と闘ってエルサレムを奪還するためにやって来たのに、ヴェネチアで金が尽きて立ち往生、金のために傭兵になって、なぜか同じキリスト教の町であるコンスタンティノープルを攻め落として虐殺狼藉してしまっている十字軍。本当に笑いが止まらない。
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著者の架神恭介さんという方は知らなかったのですが、若いライターさんのようなので、今後が楽しみです。
そして、さすが筑摩書房。ちくま文庫。 -
Posted by ブクログ
出オチと思いきや、話が進めば進むほどどんどんヒドくなる。
架神先生のロックなアイデアと勢いのある台詞回し、そして意外と上品な筆致でそれらを生かし、時にネームにも描かれていない酷いネタをブチ込んでくる目黒先生の漫画力、それらが単なる色物で終わらないクオリティを生み出す。
あと地味に夏目先生の原作…クレジットで同列に並んでいるのでそう扱っても良いはず…『こころ』という作品は、『ロミオとジュリエット』並みに、創作の原案としてもっと活用されても良いものなのかもしれない、と本作を読んで思ったり。
夏目作品が一方的にレイプされているように思えて、実は夏目作品が本作に一本筋を通すというか、深みを与えているように思えるのですよ。 -
Posted by ブクログ
著者の「仁義なきキリスト教史」を楽しく読めたので、仏教も書いていたことを知り、こちらも読んでみた。
釈尊の目指したところが、「何もかもどうでもいい」という境地だというのは、今の一般的日本人のの考える仏教観からすると意外に思える。
いわゆるブッダが涅槃に入ってからは、当時の他の宗教や中国でのいろいろな考え方にもまれ、日本に伝わってからもさらにいろいろと変化してきたという仏教史が、おもしろくしかも簡潔にまとめられているので、読んでいて飽きてこない。
末那識(まなしき)、阿頼耶識(あらやしき)などの説明は非常にわかりやすい。女子高生をみて感じる感覚が阿頼耶識に溜まっていくのか、なるほど。 -
Posted by ブクログ
どっちかというと「男爵ディーノの『聖書』レビュー」みたいな感じでした。
『聖書』を物語として、「ここは面白い」「クソつまらない」とか、発言のロジックを突き詰めて「本当こいつクズだよな」とか言い捨てたり、さながらジャンプ新連載を評価するかのように読み解く。
とは言っても、これまで長く読まれてきたモノであり、そこらへんの歴史や訳による差異もフォロー。その上で「これが一番(物語として)ありそうな内容だよな」と持論に基づき取捨選択。
架神先生の著作は、宗教的なものに対し「神聖で変な魔力を持っていそうだからなんとなく忌避してしまう」といったあたりの思い込みを、卑近な例や実に理論的な考えをもって払拭するのに役立つものが多いですが、本作については「なんでこれが長きに渡り読み継がれてきた物語なんだよwwwwww」といった点でかえって混乱してしまいますな。
タイトルについては作者の意図した所とはちょっと外れた所で決まってしまったようですが、巻末に掲載された抱腹絶倒の「ダークファンタジーデータベース(聖書に登場するキャラクター、アイテム、スキルの一覧)」だけでもタイトルで期待した路線は充分フォローされているかとw