浅倉久志のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ初めてフィリップ・K・ディックの作品を読んだ。ストーリーははっきりしている。登場人物の関係性もわかる。緊張感をはらんだシーンも続いて飽きることなく読み進むことができる。度々現れる卦の部分も物語を進める装置としてうまく働いている。ではこの小説全体としてどういう意味なのか?と問われると、うまく答えられる自信はない。
歴史の逆転する仮説そのものを細かく書き出すことには、例えそれが一つの重要な要素であるとしても、最も大きな意味があるということではないだろう。その小説の中で、その小説のなかの現実とは逆の世界を描いた小説、つまり本当の歴史に近いものが登場人物によって書かれて、読まれているというのはさらに大きな意味はあるのだろうけどそれ自体は小説の構造を成しているという意味で重要であるが、描かれた世界の持つ意味はなんだろう?
「イナゴ」を書いたアベンゼンの空虚さはどう理解すれば良いのか。バイネスと矢田部の意味のありそうで空虚な会談は田上の心を揺らすための仕掛けなのか。最後まで会うことのないフリンク夫妻が混沌とした世界の良心のように見えるけど、結局のところ易経に依存して生きているようにも見える。とはいえフランクフリンクとチルダンはアメリカ人としての良心のようなものを自分たちが作り出して世の中に出していくアクセサリーの中に見出しているように感じられて、それがこの世界の希望のようにも見える。
高い城は結局現れず、そこには底の知れない空虚さが口を開けている。わずかながらの良心のようなものが風に吹かれて偶然のように過ぎ去っていく。
理解を超えた部分で心に残る作品。 -
Posted by ブクログ
原題 The Man in the High Castle
”かかる人々は高き者を恐る畏しき者多く途にあり 巴旦杏は花咲くまた蝗もその身に重くその嗜欲は廢る”
すべては虚しく、
それでも生きる。
グランド・ホテル形式で織りなす、
枢軸国が連合国に勝利した世界の、
意味の中に無意味な真実を見出す、
救われないようで救われた人たち。
…かな?
それにしても易経とはね。
決定された未来に一喜一憂し、希望をなんとか(都合よく)読み解こうとするのは、とても人間ぽい。
「イナゴ身重く横たわる(The Grasshopper Lies Heavy)」という作中作が虚偽の虚偽で、じゃ真実かというとそうでもなく、でも真実という卦が出るのも面白いです。
なに言ってるかわかんないですね笑
読めばわかります(たぶん、ですけどー)。
これと同じような和訳があてられているデビュー作「ウーブ身重く横たわる(Beyond Lies the Wub)」も読んでみよっと。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ舞台は、第二次大戦が史実と異なる結果を迎え、ドイツと日本が戦勝国となった世界。敗戦国アメリカの国民は自尊心を失い、両国との狭間で翻弄されていく。
舞台設定的には、ifモノの歴史が好きな層に受けそうだし、それだけでワクワクしてしまうが、本質としてこの物語が訴えたかったことは、「今、生きているこの世界こそが真実であり、懸命に、前を向いて生きていくしかない。」(つまりあの時ああだったら、本当はこんなはずじゃなんて考えたところで無駄。)ということだと思う。
そのメッセージを表現するのに、劇中劇として登場人物たちが虜になる「身重くイナゴ横たわる」という本が大きな役割を果たしている。この本は「もし連合国側が勝っていたら」を描いているが、史実と微妙に異なる内容である(真珠湾攻撃が失敗する、チャーチルが90歳まで首相を務めている等)こと、終盤に主人公の一人であるジュリアナに、この本の世界こそが真実である(つまり劇中の世界は嘘である)とメタフィクションを告げていることから、物語は「結局どの世界が真実かなんて重要じゃない、知ったところでどうなる?」と読者に問いかけている。 -
購入済み
人間とは?
初めは見たことの無い用語に面食らってなかなか読む気が起きなかったけれど、中盤から一気に面白くなり、夢中で読みました。
人間とアンドロイドの境目とは?単に感情あるなし、だけになるのか?
結局マーサー教とは何だったのだろうか。
エンターテイメント性もありつつ考えさせられる小説で、素直に面白かったです! -
Posted by ブクログ
たくさんの買い物袋を提げているホームレスを見かけることがあるが、女性の場合はshopping bag lady と呼ぶ。20年前字辞書を引き引き読んだこの作品で知った単語だが、なるほどと思ったのを思い出した。
ショッピングバッグ・レディーとして登場するメアリー・キャスリーン・オルーニーの存在は、わたしにとっては「タイタンの妖女」の主人公マラカイ・コンスタントと同じぐらい衝撃的。よくこんなキャラクターを作り出せるもんだ。
ヴォネガットらしい何とも言えないエンディングで、ある意味ハッピーエンドといっていいのだろう。読者はなぜか不思議な満足感を得られるのだが、これは最高度の離れ業ではないだろうか。
ヴォネガットの冴えを見せてくれる最後の作品。 -
Posted by ブクログ
人類の発達した巨大脳のために地球は危機に瀕していた。人類の未来はどうなるのか。エクアドルの港を出た観光船は無能な船長のため迷走を続けやっとガラパゴスに辿りついた、ここは何処だ、アララテ山か、と彼は呟く
※ネタバレ注意! 以下の文には結末や犯人など重要な内容が含まれている場合があります。
読んでみたかった、ヴォネガットとイーガンだったが、ヴォネガットの「ガラパゴスの箱舟」が積んであったので、海外小説フェアの機会に読んでみた。
SF好きのオススメどおり面白かった。でもレビューを書くのが難しい。
ヴォネガット のユーモアとウイット、引用文についつい笑いを誘われるが、テーマは人類の進化である。
そこに着くまでに設定した百万年という時の流れは、大きな不安を孕んでいる。巨大化した脳は残酷さに寛容であり、心の痛みを転嫁し、過ちを進化と勘違いした。
西暦1986年、ヴォネガットの描く巨大脳を持つようになった人類の性が、本能に導かれて到達した環境といえば、反抗する隙もない、人間性という言葉の影もない、独自に進化を遂げた世界だった。どこか今に通じる現代世界の姿がかいま見える。煉りに煉られた物語で、その緻密さ巧みさは面白い、登場人物の狂気までも気の利いたジョーク交じりで進行していく。人々の狂っていく姿は喜劇的でさえある。
現実の1986年をググってみると、アメリカは世界の指導者を自認し、レーガンはリビアに経済制裁を加え、戦艦ミズーリを再就役、ソビエトではチェルノブイリ原子力発電所事故が起き、日本車はどんどん売れ、各社こぞって新モデルを発売していた。
作中、経済危機に瀕し、恐慌に陥る各国は次々に破綻していくが、富豪たちは強いドルと日本円を保有し経済的にはなんら影響がなかった。そして富豪の兄弟が広告宣伝も兼ねて、所有のホテルと豪華客船バイア・デ・ダーウィン号を使いガラパゴスの自然観察を目的に「世紀の大自然クルーズ」を計画する。
語り部は時を越えて人々を描写する。その実態は百万年前にベトナム戦争で死んだ兵士だが、彼は死後の世界に行かず、ガラパゴス行きの観光船に乗り組み、目に見えない姿で人々に付き従っていく。百万年後まで彼の語りは続き、人類がなぜ船に乗り、どうなっていったか、どんな形に進化をとげたか、彼の目を通して見ることになる。
まず初めて読む構成で、過去から現在を振り返る、結果を元に、クルーズに参加した人たちの運命を振り返り、その間に世界の変貌をみる。国際ブックフェアから人間の卵子を食う微生物が世界に広がっていった。さながらダビデとゴリアテの物語の繰り返しのように。人類はここで滅びようとしていた。
ストーリーは二部に分かれている。一部は船に乗るまでの人々の運命。旅の途中で亡くなった人は名前の前に*印をつけている。彼はもうすぐ船の出航を待たずに死ぬ、というように未来の出来事を語る部分が何度もある。このあたりヴォネガットの遊びだろうかという感じがする。
第一部 そのむかし
今から百万年前の西暦1986年、グアヤキルはエクアドルという南米の小さな民主国が持つ最大の貿易港だった。
人類の発達した巨大脳が生み出した結果は、産業の危機、経済の破綻、飢餓、常にどこかで戦争をしているという世界は末期状態になっていた。
そのころグアヤキルからガラパゴスに向けて「世紀の大自然クルーズ」の旅が計画された.
参加者には各国の著名人を招待していた、だが地球上は危機的状況になり通信も断絶してしまった。先にホテルに到着していた、アメリカ人4人と日本人夫婦だけになる。偶然、グアヤキルの奥地、熱帯雨林の民であった、カンカ・ボノ族の飢えた少女たちが乗り込んできたことで、百万年後の人種の子孫は大きな影響を受ける。
招待客にキッシンジャー、ピカソ、ジャクリーン・オナシスやヌレエフ、ミックジャガーなどの名前があるのも愛嬌か。国務省が警告を発し、彼らは船に乗ることは出来なかったが。
第二部 そして、それから
百万年後、ガラパゴスの白い砂浜、青い礁湖、そこに人類はたどり着いている。
語り部の過去と現在も明かされる。
ここでヴォネガット の夢は、美しい穏やかな世界であることが分かる。
紆余曲折を経てガラパゴスに着いた人たちが、ひとりの女性の特殊な生殖技術で、新しい種が生まれ、島に生存していた生き物たちと共生していくのに適した形にしだいに変化する。人類の体の形は、食料を得るためにだけ適したものなり、もちろんその形では脳はごく小さなものでなくてはならず、両手はひれの形になって海の中でも陸でもお穏やかに静かに暮らしていけるようになっていく。
1986年からまた時が過ぎ2016年末にこの本を読んだ私。ヴォネガットの世界より今の人類は脳の形は小さいかもしれない、地球は災厄をこうむっているかもしれないが、テクノロジーの進歩は人類にとって災厄だけでなく人類を生かすことも含まれ、貢献しているのではないだろうか。楽観的過ぎるのは危険だとヴォネガットは言うだろう。
SFといえばスパースオペラと思うような初心者からすればSFらしくない世界だったが、人の狂気と底知れない欲望がむき出しになった巨大脳の作り出すものは、宗教や社会常識を超えたものに変わる恐れがある。そこここに展開する人々の運命が、わが身にいつ起きるかもしれないと感じさせるような力のある興味深い作品だった。