中村圭志のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
15日のワークブックとして設計されているが、著者のはじめににて「本書をどのように使おうとご自由です」と書いてあったので、重いテーマではあるがさらっと読んでみようという気分になり読み始めた。
宗教組織に対してマイナスイメージを持っていたが、救いの一つである人々のつながりのために存在していることを思うと必要ではあると思う。
生きている中で苦難があると、人生は試練や修行の場と捉える考え方に今まで賛同できなかった。
なぜ人は苦しみがあると、意味づけたくなるのか。
そしてその救いを宗教、神、スピリチュアルに、求めたくなるのか。
日本人の民俗的生活のページも興味深かった。
私たちは何のために、何を信じて、幼い頃からの習慣を当たり前のように取り入れているのか。
時間がある時にそれぞれの宗教の成り立ちも読んで、深く学習したいと思った。
本文より>
宗教は矛盾に満ちた古代からの文化です。
宗教を批判的に眺めることもまた大事です。
基本概念>
信者は救いを求めて宗教を実践している。 -
Posted by ブクログ
まず、難しすぎて自分には2割も理解できなかったよ…
ただ
一神教(キリスト教・イスラム教)と
多神教(というか神を崇めるシステムじゃない仏教)はそもそも並び立つ概念じゃない事
どの宗教も、時代の変遷と共に原典の解釈が変えられ、創始者の想いからかけ離れていく事
くらいはわかった。
とにかく、(後書きにもあるように)歴史ある宗教はそもそも思想で、時代と地域風土によってある種必然的に生まれ、またそれによって逆に思想自体が変えられていくものであり
教祖の承認欲求によって突然変異的に生まれ拡散されるカルトと一緒にしてはいけない事は理解しておくべきかも。
イスラム教が根源的に交戦的な宗教だとか、そういう誤解をしちゃいけない。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ宗教とは何かという概要を1〜7章で説明し、資料編で主な宗教をそれぞれ解説している。
教科書の補助として読みやすく、分かりやすかった。
専門的にそれぞれの宗教を学びたい人にとっては物足りないと思う。教養としての入門書、ほんとにそのまんま。
「空」は“カラッポ”、「四諦」は煩悩を追い払う4つの過程を“明らかにする”こと、の説明で、だいぶスッキリした。
以下個人的な要約
序章
宗教は文化に根付いており、お辞儀の習慣や「平常心」の用語などにその影響は見て取れる。どこから宗教と括るのかは定義によって変わる。自然などの凄いパワーを表す「神」と救済する(仏陀のような)「神」がいる。キリストが「神」と訳されたのは、多神教の「仏」では唯一神の宗教観と矛盾するからだ。
第1章
歴史的な系譜を辿るとユダヤ/キリスト/イスラム/仏教/ヒンドゥー/儒教/道教/神道へと還元できる。東アジアは仏教/儒教/道教が(日本では神道も)チャンポンになり、東南アジアはイスラム/キリスト教も含み宗教の見本市のようだ。宗教的緊張が低く文化的交流のあるこの特異な環境は注目すべきように思う。
第2章
ユダヤ教からキリスト教とイスラム教が派生した。これら一神教は、唯一神とは何か、神の正義や救いとは何かと探求する。ヒンドゥー教、道教、神道など多神教では、様々な神を一種の現象と見て、その背後に宇宙的な原理があるとすることが多い。仏教では人間が修行して悟りを開くことを目的としている。
第3章
深く心に残る厳しい体験をした人は、希望と心の支えを求め、濃い信仰が必要になる。信仰の対象は必ずしも宗教ではない。宗教の本質は当事者の実存体験の深さだとする意見もある。宗教の負の歴史は宗教的叡智の記録であり共有財産だ。宗教は「不運」などの悪やその罪に自己責任論より深く取り組んでる。
第4章
宗教の営みに病治癒があるが、科学が発達した今日では正当できない。しかし人は不確実な「明日」さえ信じて生きるものだ。呪術の効果には気休めや社会団結の要素があり、それは案外重要だ。復活祭や豊穣祭などのめでたいものを祝う行事も、病治癒のような奇跡進行も、根底には生命力の信仰がある。
第5章
宗教とは生活習慣の一種である。多くの宗教には禁欲的な側面を持つ戒律があるが、それがどのようなルールになるかは歴史的に全く偶然だ。戒律や儀式に合理的理由がなく、神仏の命令としか言いようがないものでも、欲望が自然を蝕み社会格差を拡大している現実を見れば、宗教の善き働きが想像できる。
第6章
宗教には形の決まった動作や人生に付随する慣しが多くあり、儀礼という。儀礼を行う理由は複合的で難しいが、一番の機能はアイデンティティの表明あるいは確認がとする見方もある。儀礼そのものが共同体を運営する目的になる場合もある。厳粛なものから祭りのように賑やかなものまで様々だ。
第7章
宗教の教えは最終的に同じだとする意見がある一方、宗教間には異なる規定がありその本質が明らかでないことも確かだ。何かを問うことは宗教的な問いとして適切ではないかもしれず、どこまでを宗教とするのか線引きは難しい。保守的~革新的宗教が混在する中で宗教を問うことは、世俗を問うことである。 -
Posted by ブクログ
今、欧米では無神論が台頭しているという。そして日本でよく聞かれる「自分は無宗教」。
これらは本当なのか、そしてどういうことなのかを宗教学者である著者が述べる。
日本人が無宗教であると言う場合、多くは特定の宗教・教義の信者ではない、という意味だ。そう言いながらも初詣に行き、お守りを買い、墓前に手を合わせる。これは神道や自然に宿る八百万の神などの多神教の文化が根付いているということに他ならない。
一方で欧米で無神論を唱えるということは、きっぱりと神を否定することだ。是か非か、と白黒はっきりさせるのも一神教世界の伝統だそうだ。
また、日本では宗教的規範よりも「自国の伝統」とされるものに対する固執の方が強い。なるほど、「ここは日本」という言葉をよく耳にするはずだ。
最後に心に響いた著者の文を一つ。
「道徳にとって重要なのは、神の権威によって思考停止することではなく、さまざまな事情を抱えている、あるいはあなたの知らない事実を知っているさまざまな相手の意見に耳を傾けることだ。」 -
Posted by ブクログ
正典の確立まで、イスラム教は短かったが、新約、旧約聖書は数世紀かかっている。仏典は、大乗仏教が展開する間に多くの経典が作られ発散していった。また言語も、コーランはアラビア語版が唯一の正典であるが、聖書はラテン語版、ギリシア語版、ヘブライ語版などありそれぞれ内容が異なるケースもあるし、プロテスタントではそれぞれの言語バージョンが作られた。仏典は、元々のブッダの言葉はほとんど残っておらず、日本の経典は、サンスクリット版をさらに漢訳したものを参照しているケースがほぼ全てであり、また内容も不況のためというより、修行の手引きとなるものであり、(ここの宗派においてはあるが)正典なるものは確立していない。