中村圭志のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
聖書、コーラン、仏典に続き著者2冊目。各宗教について相変わらず分かりやすく書いている。今回は濃い宗教と薄い宗教という切り口。
しばらく前から戒律主義と神頼み的な部分でユダヤ教と原始仏教、キリスト教と大乗仏教の関係性って似ていると感じていたがまさにそういった指摘があり、納得感が高まった。ユダヤ教含む四大宗教の外、ヒンドゥー教、儒教、神道にも触れている。エジプト象形文字文化圏と漢字文化圏から東アジア特有の混沌宗教文化を論じているのが面白かった。またクリスマスとお正月、どちらも冬至を祝うイベントであることも興味深い。以下気になったところ。
・仏は神より格が上
・ユダヤ教教徒は戒律どこまで守れるかと言う修行に挑戦しているのであり、キリスト教徒はキリストにどこまで自分を委ねられるのかと言う修行に挑戦しているのである。イスラム教徒でやっている事は、半分はユダヤ教徒に近く、半分はキリスト教徒に近い。
・ただ神を求めるゲーム、悟りを求めるゲームが、実際に歴史の中で文化として営まれてきたことを尊重する必要がある。それは歴史に対する経緯なのである。
・大事なのは信者であるとないとによらず、我々人間が常に何か希望を持って、つまり何か自分の支えとなるものを信じて生きていると言う平凡な事実だ
・幸福な人生を歩いている人は、この希望や心の支えを意識しないで済む。この人にとって信仰としての宗教はいらない。薄い文化としての宗教に触れているだけで充分だ。しかし、厳しい人生に陥った人は、この希望を意識し、心の支えを希求せずにはいられない。すなわち、濃い信仰としての宗教が必要になるのだ。
・タイの僧侶の暮らしは、ステージ上のスターのあり方に近い
・イスラム教は皆が在家だから、戒律的にはゆるい。
・何が正解かわからない世の中、神に頼る方が楽
・宗教が後退する理由として、社会が個人主義化していっていると言うことがある。人々が個人的に人生や世界の意味について探求し、個人的に答えを得たつもりになる時代とでは、宗教の実質的な意味合いが変わってくる。
・これは個人としてのイスラム教徒が保守的か開明的かと言う事とは別問題なのだ。信仰ではなく、システムに注目することで、イスラム問題のややこしさが、日本人にとっても理解可能にもものになるかもしれない。
・イスラム教とヒンドゥー教は単なる教えではなく社会システムの一つ。これが欧米や東アジアの宗教観と大きく異なる。法律も宗教的。クルアーンだけだはくハディース。
・インドネシアが最大のイスラム。2億人。
・両極端を避けることを中道と言う両極を足して、2で割れば良いと言うのではない。両極端に向かいがちな妄念の雑音を消した時、ちょうど真ん中のところに現実そのものがクリアに見えてくると言うのである。
・いろは唄
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Posted by ブクログ
予想以上に面白かった。最初は少し退屈に思ったのですが、途中からは面白かったです。やはり今日まで語り継がれる「神話」は、その価値や意味があるのだ。そしてそれが果たす役割があった。
我々からするとヤハウェなんてとてもまともに信じられないのですが、ユダヤ人は本気で信じています。そしてその宗教的確信が民族としての存続の鍵でした。
宗教を理解しないと世界も歴史もわからない。真をを理解しないと宗教はわからない。だから神話の大雑把なところは理解しておく必要がある。
この本のいいところはそれぞれの神話をクールに理論的に語っているところです。旧約聖書もそうだけれど、それ自体を読んでもわからないのだ。そういう意味でもこの本はオススメです♪ -
Posted by ブクログ
ネタバレ宗教って前から興味があったけれど、なかなか不気味で難しいテーマで、手を出しにくかった。この本はとてもわかりやすく深堀りしてくれている。広く、深く、宗教や信仰心に触れられる良い本だと思う。
現代では、宗教や神話のエッセンスは、小説や児童文学やアニメなどに息づいているとのこと。村上春樹、宮崎駿、ハリー・ポッター、などなど。確かに現代版の神話となっている感がある。
多神教は農業から生まれたという。農業という新しい厳しい環境から、その時代の人々の想像力によって、拠り所として生み出された神様たちとその物語。
多神教の神々はとても個性的で面白い。あまりにやんちゃで奔放すぎるので、しばらくすると筋の通った全知全能の絶対神を求める声が強まって、一神教が生まれたという。なるほど。
昔の聖職者は、精神的な役割だけではなくて、技術的な役割も担っていた。農業や医療の場で、具体的に行動をしていた。今では科学者や医学者がいるので、聖職者の役割自体が変わったのだという。
昔は今よりも社会が混沌として理不尽だったので、来世に託すという思想がないと、やってられなかった。社会が安定して、今生きていることに幸福が見いだせると、来世よりも現世にフォーカスできるようになる。
それでも、あやしい呪術的なものを信じてしまう人間の性からは、これからも自由にはなれないらしい。確かに、STAP細胞騒ぎとか、オウム真理教とか、挙げたらきりがない。 -
Posted by ブクログ
今まで「宗教は胡散臭いから苦手」と毛嫌いしていたが、どうやらそうでもないようだ。
科学と宗教の意外な関係性を知ってしまったら、宗教の歴史を学ばずにはいられなくなった。
宗教は、何をおいても秩序に関心がある。宗教は社会構造を創り出して維持することを目指す。
科学は、何をおいても力に関心がある。科学はその「力」を、研究を通して獲得することを目指す。
科学と宗教は、真理よりも秩序と力を優先する。
したがって、両者は相性が良い。
ーユヴァル・ノア・ハラリ
宗教、芸術、科学はすべて、
同じ一本の木から生える枝である。
ーアルベルト・アインシュタイン -
Posted by ブクログ
宗教抜きに生きられない現代社会にあっての「真の教養書」。宗教?勘弁して、という反応は、本書で払拭されるだろう。入門とは随分と謙遜したタイトルだ。
宗教を濃い、薄いで論じる観点も、斬新で素晴らしい。前半の本編と後半の資料編の構成、バランスも良い。
・文化としての宗教の持つ「失敗のアーカイブズ」としての役割は大きい。
・(どの宗教も)、自己責任論などよりもよほど深いレベルで、悪の「不運」と「責任」の問題と取り組んでいる。
・ヒンドゥーの本質とカースト制度は、関係がないと解体がすすんだ。
・呪術信仰は馬鹿にされがちだが、実のところ、これは宗教の土台である。
・原始に帰れ式の運動はいつもどこかジレンマを抱えており、いつもどこか神秘的だ。
・おそらくインドでも中国でも、他の多神教社会でも、さらには一神教の社会においてさえ、庶民生活における宗教の実態として重要なのは、年中行事や通過儀礼的な行動パターンの総体なのである。 -
Posted by ブクログ
宗教について関心をもったらまずこれを一冊、というくらいによくまとまっていると思う。いわゆるキリスト教とか仏教といった創唱宗教から始まり、「宗教」にカテゴライズするべきか迷う儒教や神道、果ては名前のない信仰や文化といった「見えない宗教」までカヴァーしている。
特に筆者が強調している中で重要だと僕も思うのは、1)「宗教」とひとくくりにされているそれぞれの内実が”構造的”にまるで違うことがあるということ、そして2)「宗教者」はそれほど私達と違わないし、ドラマチックな存在でもないということだ。
1)については、特にイスラムが例としてわかりやすいだろう。イスラムは法律や政治にまで影響力をもたらす宗教で、これは多くの先進諸国における宗教の考え方と相反するものになっている。事実、日本人の多くは「個人的な信仰」は認めるが、それが他人や政治といったところに影響を及ぼすことを快く思っていないし、そういった宗教の私事化を当然だと考えている。
しかし「宗教は私事化したものであるべきである」というのは極めてプロテスタント的な考えであるということはよく言及されるところであるし、また島薗先生の「国家神道(皇道・道徳)の下に個人の間でだけ宗教が許される土壌が日本では作られた」という指摘にもかなり説得力があると思う。ようするに、「宗教」という観念はそこまで自明のものではなくて、文化の影響を多分に受けているということだ。
本文中では宮古島の人々を例に出し、「『地元ではこんにちはってどう言ってる?』と聞いたら『何も言わずに家にずかずか上がる』とのことでした。宗教だってじつはこんにちはのようなものかもしれません」と著者は述べているが、これは端的にこのことを説明している。極めてファジーな概念である「宗教」だからこそ、この言葉を用いるときにはその拡張性と多様性について考慮に入れる必要がある。
2)については村上春樹の『約束された場所で:アンダーグラウンド2』でも触れたが、こちら側とあちら側はそこまで違わないという指摘である。確かに「宗教」者は、様々な技法を用い精神に影響を及ぼすことに余年がなかったり、外部に対して排斥的なグループを形成したり、あるいは慣習と異なる理解に苦しむ戒律に従っているかもしれない。そしてそのことはある種の得体のしれない恐怖感をもたらすかもしれない。
けれども、やはり同じ人間である以上、それを行うに至ったメカニズムの大半は体感的にも理解可能であるものだと思われるし、少なくとも僕の経験上それはかなりの部分において言うことが出来る。彼岸と此岸に分けてしまうことはたやすいし認知的に付加もかかりにくいけれど、ここを放置し続けてしまうことは端的に「もったいない」。宗教者を理解するということは新たな人間理解の鍵になるし、そしてそれはひいては自分自身の理解にも繋がることなのだ。