鹿島田真希のレビュー一覧
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近所のパンツ泥棒と噂されるお兄さんが(主に)聞かせてくれる旧約聖書の話と、ちょっと生々しい現実に置かれた主人公の少女の話が代わる代わる出てくる。
旧約聖書の人々や神様の話って、よくある教訓めいた話と違って、なんだかすっきりしない。まるで、少女の置かれたねちねち、ぬるぬるした現実世界みたい。そんな風に、言葉に表しきれない何かを読みながら感じていたのだけど、物語の最後で少女がまとめてくれました。
旧約聖書は本当の物語なんだ。
旧約の物語には、その「はっきり」がありません。物語に出会うたびに、ただ、ぞくぞく、ぬるぬるした気持ちになるのです。
でも、それはわたしが生きている世界にとても似ています。お母さんとお父さん、少年とお兄さん。気持ち悪いこと、気分いいこと、哀しいこと、嬉しいこと。そういうことは、全て、ぞくぞく、であり、ぬるぬる、でした。 -
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「ハルモニア」環境にも恵まれ、音楽の神様にも選ばれた美少女ナジャ。ナジャに恋した主人公トンボ。ナジャは特別いい女とも思えないんだけど、ナジャと音楽に恋するトンボがすごく素敵だった。音楽のことだけ考えて音楽に没頭したい。でも音楽を聴くのは聴衆。生活を知らずして聴衆のための音楽を作れるのか?でも生活に追われていたら音楽は満足にできない、みたいな、音楽だけじゃなくて表現者として生きていきたい人間共通の悩みみたいなものが描かれており、それがありがちな僻みっぽさをまとっていないところが良い。
「砂糖菓子哀歌」は二度目。鹿島田さんの艶っぽい文体で、ネジが一本飛んだような女を書くと異様な凄味が出る。 -
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ネタバレ鹿 島 田 文 学 た ま ん な い ! !
もーなんだよー、なんだろこれー(誰か救心をくれ
感想とかもうほんとまったく上手く言えないけれど、とにかく上巻の時点でどっぷり。
特にユキさんに一番感情移入して、吉田青年が滑稽ぶりを発揮すればするほど頭おかしくなってきて自殺したくなってくる感じで白目剥いて昇天しまくった。
大体、もー、「やせ我慢が、性愛的な悦び」だの「やせ我慢が二人(ユキとエリ)にとって性行為」だの、この言葉の選びよう……!(笑
爆笑したった。なんてこの女性二人を端的に表す言葉なんだ!
それからユキさん(エリさんもだけど)の、愛されたい、愛して欲しいがために偽悪的というか、自分を悪く見せるところ、そうすることでしか愛を表現できない幼さと、一方でただ身にしみついてしまってる不幸っぷりに対して、吉田青年が「あなたは現代の女神だ!」だの「謙遜が自己卑下の極致にまで至っている!」だの言いやがった(笑)瞬間、思わずソファに倒れ込んでしもうた。
吉田青年という男を生んだ鹿島田さんに拍手喝采浴びせたい(うざい
しかし、この男、矛盾だらけのように感じるのにちっともその矛盾が見つけられない。
潔癖なのかと思えばそうではないし、では純粋なだけかと思えばそういうのとも違う。
ただ「恋や愛を知らない」というだけが突出した特徴から、なんでこんな人間生み出せるんだろう……!
鹿島田真希……ほんと恐ろしい子……! -
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初鹿島田さんにて胸かきむしられるような名前の付けられない痛くて苦しくて、その合間に一瞬だけ訪れる極上の救済体験をして、目がチカチカした。
独特な文章センス、彼女の独自の言語感覚に初めは振り回されて、自分が何を手にし、何を読んでいるのかさえ分からなくなるような気がした。
語られている二人ではない「二匹」となった少年が身体に受けた痛みや衝撃を共に感じ、彼らが走り続けて向かっていった場所へと同じように追っていったはずが、気付くと振り落とされて迷子になってしまったような感覚だった。
けれど何とか食らいついて鹿島田さんがぶん投げてくる文字に触れ続けていると、突然眼前に、私に干渉もしないが、私を当然のように受け入れてくれる優しい場所が広がっていた。
そこで「二匹」の狂犬たちは、自由に走り回っている。
決して安全そうではなく、頻繁に目を覆いたくなるような危うさが、そこには常に蔓延している。
そうしてこれからも優しくない世界と彼らの未熟な心そのものが、彼らが狂犬になって作った楽園をぶち壊してしまうかもしれないという予感が氾濫している。
しかしもう大人になった私は、そんな彼らを羨ましいと思ってやまない。
もうこれ以上は近づけることはないが、ヒトの座標空間から外れた彼らだけの言語を使い、ヒトには出来ない新しい接近から生まれた二匹の距離で、どこまでも純粋で無垢な心で命を護ることに貪欲な彼らを、出来ることならもっと強く感じて、共にこの危うい世界を狂って走り回りたいと願ってしまうのだ。
ここまで暴力的な小説に出会ったのは久々で、読み終えたのは一ヶ月も前なのに、こうしてまた手に取るとぞくぞくが止まらなくなる。
そして、これは新しい文学だ! なんて思った感動が再び蘇ってまたぞくぞく。
二匹の動物の姿は、私の中にまだ痣のようになって残っている。
そこに触れると痛くて、少し気持ちよくて、なにこれ、ほんとたまらない! 状態になってしまうのだ。
「聖なるバカに福音を!」
ああ、鹿島田さんが大好きになってしまった。 -
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表題作「女の庭」は、奥様同士のご近所づきあいにやや閉塞している主婦の隣人として現れた「外国人」の女性の自由な雰囲気に惹かれ、空想の中で話しかけるという話。孤独と連帯という題材に惹かれるし、空想や語りかけといった語りの構造もおもしろい。
もう一つの収録作「嫁入り前」は、思い切った虚構的なホラ話。母の命令で真逆のタイプの姉妹が怪しげな「教室」に通うという筋なのだけど、端正な文体の物語の中に淡々と卑猥な言葉が挿入されていくファルス(喜劇)で、どんどんとんでもないところに連れて行かれる。
まったく違うタイプの二作だが、どちらも水準が高く、この一冊で鹿島田文学が堪能できる。鹿島田真希の初心者には、入り口としてよい一冊かもしれない。 -
Posted by ブクログ
表題作である「女の庭」に、封じ込められている、とでも表現したくなるような病的とすら思える内省は、今という時代においては確かにある意味でありふれた現代病のようなところがあるとは思うけれども、多くの人は同じように孤独に苛まれながらも、突き詰めてしまう前に自分が他人との結びつきを頼りとしていることを思い出し、「女の庭」で展開されるようなスパイラルに落ち込まずに済んでもいるのだろうと思う。それは、悔し紛れに奥歯を強く噛みしめたとしても臼歯を砕いてしまう程強くは噛みしめないでいられるような自己防衛本能と同じで、脳は肉体のみならず、思考に対してもリミッターを掛けるようにできているのだろうと思うのだ。
そのリミッターを外してしまうこと、それは入力信号なしのフィードバック・システムが動き出してしまうようなもので、原因となる音もなしにハウリングをし続ける音響システムに例えてみることもできる。いくらマイクを手で覆っても音は小さくならない。「女の庭」では、その無限拡大のスパイラルが展開されている。脳の中で幾つもの声が一斉に喚き散らしている状態には手がつけられない。それを止めるにはスイッチを切るしかない。
物語はそんなシステムのシャットダウンへ向かうかのように進む。いつ主電源が落とされるのかに怯えながら読み進める。ゾクゾクとした悪寒が走り、首すじの後が総毛立つ感覚に襲われる。するどい小説だと思う。
もう一つの短篇「嫁入り前」は、どうもメタファーを読み損ねてしまって、もう一つ。 -
Posted by ブクログ
わたしはわりと、深読みしすぎて過大評価をしてしまうことがおおいのだけれどこれにかんしてもそうではないことを祈る。本をよんでいる、ということを実感できる本、あとあとも思い返してみてもやっぱりその文章をよんでいるときのあの感覚は文章をよんでいるときにしか感じられなくて読みたくなる できるのならばふわふわと4次元に浮かんでいるのはこんなきぶんじゃないか、のうみそが その文章は、イメージがイメージとして並べられていて、キリスト教をベースにして ひとつのことばはひとつのいみだけではなくて どうとでもとれるから、その行間をあわせた文章のながれで構成されていて それはなんというか、カオスをカオスとしてみる わたしたちが生活するようにそのこんとんのなかから何かをひろいあげてみる 自分が よんでいる自分が そういう作業になる それはやっぱり文章っていう紙に書かれた字のそっけなさでしかできないさぎょうだとおもうので、そういう意味で文章を読む、本をよむということを実感できる そのそっけなさとのうみそがつながってうまれた空間のカオスで もやもやとして 自分のこころがつかめないように つかめないように それが正しい状態でありながらも ふとしたきっかけで何かをつかんだりもする つかまなかったりもする 内容どうのよりもとりあえずそのすごさに感激してしまった