あらすじ
「天・地・チョコレート」「聖メリーゴーラウンド」「この世の果てでのキャンプ」「エデンの娼婦」「一人の哀しみは世界の終わりに匹敵する」――“楽園”を追われた子供たちが辿る魂の放浪とは?連載時より各紙誌で絶賛された、芥川賞作家による連作小説。「子供たちの姿が羽虫のようにはかなく、もの悲しい」と、津島佑子氏が絶賛した、奇蹟をめぐる5つの“聖なる愚者の物語”。
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Posted by ブクログ
鹿島田真希の原点(デビュー作は『二匹』だが以降の著作の方向性はこの作品で決定づけられている)と思う。無力さ、孤立感、絶望と呼ぶことすらできない絶望、名まえを失くす閉塞感と名まえを手放す開放感、徹底した無個性の特異さ、愚者の聖性、抑圧された性欲の虚構化、それが、この世で唯一真実とされる虚構である「聖書」の、モチーフや象徴を戯画化する形で描かれる着想と構成、その様式美。著者の様式美は後に、完全過ぎて違和感すらある平凡さ、に行き着くがこの作品ではまだ隙だらけであり、その揺らぎ自体が不安定で面白い。
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題名に惹かれて読んだ本。
聖書がモチーフ、なのかな。知識があまりないからわかんないところも多かったけど、なんだかすらすら読めた。一番好きなのは表題作。
Posted by ブクログ
最初ニ篇はやってることは明快なんだけど響くものがなくていまいちだった
「この世の果てでのキャンプ」「一人の哀しみは世界の終わりに匹敵する」は★5
特に表題作の哀しみはとても共感できてしまった
気持ち悪いことに
Posted by ブクログ
わたしはわりと、深読みしすぎて過大評価をしてしまうことがおおいのだけれどこれにかんしてもそうではないことを祈る。本をよんでいる、ということを実感できる本、あとあとも思い返してみてもやっぱりその文章をよんでいるときのあの感覚は文章をよんでいるときにしか感じられなくて読みたくなる できるのならばふわふわと4次元に浮かんでいるのはこんなきぶんじゃないか、のうみそが その文章は、イメージがイメージとして並べられていて、キリスト教をベースにして ひとつのことばはひとつのいみだけではなくて どうとでもとれるから、その行間をあわせた文章のながれで構成されていて それはなんというか、カオスをカオスとしてみる わたしたちが生活するようにそのこんとんのなかから何かをひろいあげてみる 自分が よんでいる自分が そういう作業になる それはやっぱり文章っていう紙に書かれた字のそっけなさでしかできないさぎょうだとおもうので、そういう意味で文章を読む、本をよむということを実感できる そのそっけなさとのうみそがつながってうまれた空間のカオスで もやもやとして 自分のこころがつかめないように つかめないように それが正しい状態でありながらも ふとしたきっかけで何かをつかんだりもする つかまなかったりもする 内容どうのよりもとりあえずそのすごさに感激してしまった
Posted by ブクログ
聖書の創世や受難の物語と現代の教室や男女関係の物語を重ね合わせて、そこに古代から現代にいたるまでかわることのない人間の不安を、やや神秘的な雰囲気で浮かび上がらせようとしている、ような気がする。聖書についても女子の世界についても、実生活の中で体感することのないので、何かありそうだけどよくわからなかった、というのが正直なところ。5編の中では「この世の果てでのキャンプ」が一番しっくりきた。
Posted by ブクログ
一行読むつもりが二十行がするりと体に入ってくる、不思議な文体。清水アリカさんを突然思い出した。
小学校・中学校・高校・成人、という成長あるいは性徴の中に生まれる葛藤。きれいな言葉を通してきたないものの核心を剥き出しにしてしまったような、赤裸々な感覚。
穢いものをきれいな言葉で表現しようとして、色々がないまぜになって、結局単なる混濁になっている本を時折見かけるけど、この本は透明なものは透明なまま、成功しているように見えた。
一篇目の「天・地・チョコレート」が死ぬほど面白い。ここだけなら★★★★★。
あ、ミクロな新・旧約聖書のパロディという説もある。
Posted by ブクログ
何処までが比喩で何処からが本筋なんだろう?そこら辺がよく解らない。きっと宗教のことを詳しく知らないからだと思うのだけれど。雰囲気は良かったし、書き方も悪くなかった。というか、まるっきり世界観が未知数なので何も考えないで読めた。