せきしろのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
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ちょっとズレたこと書くけど又吉くんが好き。サッカーできて、頭良くて、ファッションにも明るくて、おもしろいって、最強じゃないですか。
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AIR-G(FM)の番組で紹介されてて、
聴きながらニヤついちゃうおもしろさがあった、せきしろさんとの共著です。
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タイトルからして、切なさ炸裂。
センチメンタル過剰で自意識異常な自由律俳句集。ところどころに入る、散文も読みごたえありました。
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○賞味期限切れの一味ならある
○靴を入れてた箱と暮らす
○一人足りないが出発することに決まった
○ホチキスでとめられるかの賭け
○翻訳したみたいな謝罪文だ
○本を忘れて浴槽で迷う
○そうだふりかけがある
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Posted by ブクログ
嬉しい、楽しい、美味しい...
そんな日常を彩る感情を、
せきしろさんらしいたとえで楽しむ本。
たとえの幅を広げる連想ゲームで、
イメージの対象から、徐々に外枠へと、
考えを膨らませていくのは発見だった。
アイドル → 女性 → 人間 → 動物 → 生物 → 地球
事実 → 史実 → 昔話 → 神話
この並びの展開に気付くだけで、
ひと回りもふた回りもスケール大きくたとえられそう。
また、時候の挨拶の作り方もおもしろい。
季節をたとえた後、その季節を 今日この頃 に替え、
いかがお過ごしでしょうか? を追加するだけだという。
春 →
パン祭りで盛り上がるような春 →
パン祭りで盛り上がるような今日この頃、
いかがお過ごしでしょうか?
完成。
こてこての定型文なんかより
おもしろく、春らしさも良く伝わる。
本書で登場した、くすりとするたとえをピックアップ。
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・クララが立ち上がった時のように、
盛り上がってますかー?
・御柱から振り落とされた人のように転がるおむすびを
おじいさんがスペインのお祭りの牛のように追いかける
・君も能力者なんだろ と言われたように運命的
・どこからか高校野球中継の音が聞こえてきそうな暑さ
・みかんで満足してしまった
わらしべ長者のようにつまらない
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しかし、このたとえる技術、
いざ実践してみると、なかなか難しい。
引き合いに出す知識や、多角的な連想が思い付かないと
おもしろ味のない、退屈なたとえになってしまう。
日頃から多くの知識を吸収したり、
目に映る情景を文字に起こしてストックしたりなど、
たとえの抽斗増やしも重要なのだろう。
秀逸なたとえが瞬時に閃くようになりたい...。
今まで以上に、想像力豊かに
感情を伝えていこうと思った一冊。 -
Posted by ブクログ
五七五七七の音は気持ちがいい。
テンポもいいし、心に響くものがある。
たとえそれが偶然であったとしても。
本書はそんな偶然できた短歌を見つけ出すプログラムで見つけ出された「名句」たちだ。
今回その対象となったのはウィキペディア。
怪しげな、時に詩的な短歌たちを御覧じろ!
「人物が あなたが出した質問に 答えることは 期待できない」
ここでなぜかBON JOVIが登場している。
なぜだ。いや、私はファンだけれども。
来日公演のたびに次来るまでには英語のMCを聞き取れるようになりたいと思っているが、それは「期待できない」......。
「先端が 少し突き出し、革質で 深い緑色、ややつやがある」
フカイリョクショク.....なんだ。
答えは、南天!
変なものじゃ、ないよ!
「念仏で 救済される喜びに 衣服もはだけ 激しく踊り」
なんだ一体!
答えは、盆踊り!
そんな激しく踊るもんだったのかアレは。
偶然短歌は少しずつ読んで笑うことをオススメする。
一気に読むと笑いが弱くなる。
しかしながらもしかしたらこの中にあなたの人生を変える一首がある、かもしれない。
末尾になるが、著者は「いなにわ せきしろ」だと思っていたら「いなにわ」さんがプログラマーで「せきしろ」さんが選、文章だった。
藤子・F・不二雄とか室山まゆみみたいなものか。 -
Posted by ブクログ
『カキフライが無いなら来なかった』で始めて知った、せきしろさん。
自由律俳句、エッセイがとんでもなく面白かった。
せきしろは『例える技術』で日常をどんどん例えちゃうのである。
よく似た形、以前あった出来事。
人の共感を呼ぶための手法として、たとえは最強の伝達手段である。
例えるには何より「観察眼」が必要なので、回りがよく見えてない私にとって「世の中には例えるものが山ほどあるのに、例えないのは勿体無い」と教えてくれた1冊。
時間つぶしにもなると書かれているが、頭をひねりすぎて息抜きにはならないと思った。
電車の中で雲を見ながら、とりあえず例える練習をしている。 -
Posted by ブクログ
星新一のショートショート集なのか。読み始めて直ぐに感じたのはそんなことだった。しかし、その諧謔があまりに唐突なものであることがもう少し読み進めると見えてくる。唐突過ぎて読むものを置き去りにしてしまうような。
逡巡は書き手の内に濃密に練られている。そしてそれは嫌悪感を伴いそうになる一瞬手前でさらりと打ち捨てられる。自己を嫌悪することなく、開き直りのように肯定することで、空腹は辛うじて耐えられるものとなる。諄々と吐露される思いは殺風景な四畳半の部屋の中でどこまでも深みを増してはいくが、しかし、その埃臭い深い穴の淵を覗き込もうという気には中々なることができない。
どこかしら、ネットカフェに巣食うものが持て余した時間と思いをキーボードに向かってぶつけて出来上がった文章のようにも見える。そのことが悪いという訳ではないけれど、ここからどこへその思いは出ていくのか、それは見えてこない。はっきりとしない思いが、違和感としていつまでの拭い去れずに残る。ばっさりと切り捨ててしまえばよいのかとも思ってみるが、それはそれで間違っているようにも思える。逡巡は書き手の側にあった筈のものであったのに、いつの間にか読むものの胸に巣食ってしまっている。