倉山氏の本を読むのはこれで2冊目ですが、日本の幕末から近代・現代にかけて私が思っていた事実とは異なった事実が書かれていたのを覚えています。
この本もタイトルから興味を惹かれました、ペリーが黒船と一緒に日本へ来たとき、幕府はそれを見て慌てふためいたとばかり思っていたのですが、本当はそうではなかったのが事実であると書かれています。
他にも私の今までの常識を覆すものが多かったです。これが本当の歴史なのかどうか、私は現時点では判断できませんが、類書等を読んで自分で判断していければと思っています。
但し、アメリカが殺害してしまったフセイン大統領やウサマ・ビンラディンを、かつては支援していた(p141)という点も触れられていたのは特筆すべき点です。
以下は気になったポイントです。
・1620年にメイフラワー号に乗ってヨーロッパを離れた連中は「近代化なんて嫌だ」という宗教原理主義者である(p14)
・アメリカ大陸についた彼等は、現地人(ネイティブアメリカン)が食べ物を与えてくれたが感謝はしなかった、感謝したのは神様へ、だから後に現地人を殺しながら開拓できた(p14)
・赤軍や国民党は、世界最強と言われた大日本帝国軍と真正面から戦わずことをせずにひたすら逃げ回った、独立戦争におけるアメリカも同様(p17)
・アメリカ合衆国はゲリラ戦で成立した国、アメリカ謀反軍は勝てないなりに粘り強く頑張っていると、フランスがイギリスに宣戦布告してくれて他の欧州諸国も嫌がらせを始めた。1783年にパリの講和条約でアメリカ合衆国の存在が認められてアメリカ国軍となった。アメリカが勝利したのはフランスが対英包囲網を敷いたおかげ(p18)
・1812年、アメリカ連邦(北部)はカナダを自分のものにしようとしてイギリスに返り討ちに会い、1814年には大統領官邸まで攻められて焼き討ちされた、焼けただれた官邸をペンキで塗ったことからホワイトハウスと呼ばれる。その後にアンドリュー将軍が勝利した(p21)
・南部(アメリカ連合国)では黒人は家畜として大事にされていた、ワシントンやジェファーソンは大農場主で、黒人奴隷の愛人に子供まで生ませている(p26)
・1860年の南北戦争:北部(23州)にとって「内戦」とは連邦離脱を阻止する戦いであり、南部(11州)にとっては「リンカーンの侵略戦争」であり、奴隷解放は二の次(p30)
・アメリカの歴史改変、1)南北戦争(内戦)を最初から奴隷解放の戦争だったことにした、2)連邦離脱権は最初からなかったことにした、3)対等の国同士の戦争ではなく、反乱州との内戦とした、4)ワシントンの段階でアメリカ合衆国は成立していたことにした(p31)
・1863年の当時、圧倒的な勢力を誇る大英帝国を率いるパーマストン首相が奴隷解放論者であることから、リンカーンは南北戦争を奴隷解放のための正義の戦争と位置付け、イギリスの中立協力を得た(p29)
・ペリーやアメリカに日本を脅かす力は無かった、当時の大国は、英露仏墺(おーすとりあ)普(プロシア)の5大国(p37)
・ペリーが浦賀に来航したときは、江戸幕府は大砲の訓練の真っ最中であり、これにはペリーも驚いている、幕府は琉球やオランダから情報をつかんでいてペリーが来るのを知っていた(p41)
・日本はギリギリのせめぎ合いのなかで最初にアメリカと条約を結べたから、帝国主義の時代を生き残れた(p43)
・1893年、アメリカ人入植者がクーデターを扇動し、海兵隊が王宮を占領してしまった行為は、「あまりにも不道徳」として本国の民主党政府からも承認が拒否された(p47)
・マハン大佐理論によれば「世界最強の海軍力を有する国が覇権国家になる」、この理論に従って米西戦争を戦い、キューバ、フィリピン等のスペイン領とハワイを取得した(p51)
・朝鮮王朝は、日清戦争後に宗主国と清からロシアに乗り換え、国王が一年もロシア公使館にいた(p54)
・日米共同で満州の鉄道経営をしようというハリマンの申し出を小村寿太郎が破棄したのは、日本はハリマンと対立する、アメリカ政財界に強いモルガン財閥との連携を選んだから(p55)
・モンロー主義のウィルソンは、ハイチやキューバといった国には兵を送り、欧州諸国へはモンロー主義を宣言した(p62)
・第一次世界大戦後にアメリカが提唱した14箇条は、紛争要因となる危険な内容を提示した、「秘密外交の廃止:大戦中の約足をすべて無効」「航海の自由:英国の縄狩りをアメリカは自由に航行する」「民族自決」「バルカン半島と中東の新秩序構築:20もの国の独立、現在では50の国が独立」(p67)
・5か国条約で日本の海軍力が6割となったのは、同一条件で戦えば日本が勝つという前提(p75)
・昭和6年(1931)の時点で満州事変が勃発した時は、大日本帝国は世界最強の帝国陸海軍を擁していて、米ソ両大国すらおびえる最強の国(p84)
・今や世界最優秀の軍隊の一つと言われるアメリカ海兵隊は、当時世界最強の日本陸軍に対応するためにアメリカ人が知恵を絞って生み出した産物(p91)
・ミッドウェー海戦は負けるはずのない戦いであったが、それでも互角にもどったのみ、天王山はガダルカナル島で、日本は総力を注ぎ込むが、逐次投入をしてしまい戦死者よりも餓死者が圧倒的に多い悲惨な状況になった(p91)
・アメリカ勝因の一つに国際法違反がある、民間船舶の撃沈、無差別都市空爆による民間人の殺傷(p92)
・占領軍が日本にしたのは、南北戦争当時の北部が南部にしたことを同様、南部は国そのものの存在を抹殺された、日本には憲法を押し付けた(p99)
・アメリカはヒトラーは潰したがソ連(レーニン)というより強大な敵を作った点において、同様に敗戦国である(p102)
・朝鮮戦争は3年の戦いの末、毛沢東を裏でそそのかしたスターリンの死によって、開戦前の国境である38度線を境界線として停戦した、アメリカとしては国連軍を組織して、地球の半分を味方につけてやっと中国と引き分け、敗北に等しい(p109)
・アメリカがハンガリーでのソ連の行為(1956)を容認する代わりに、それまでソ連の拒否権行使で日本の国連入りは認められなかったのが、一変した(p118)
・ソ連はキューバから核ミサイルを引き揚げ、ケネディは世界中のマスコミから称賛されるが、同時にアメリカがトルコに配備していたミサイルを撤去した(p125)
・ケネディの置き土産はベトナム戦争、フランスに対するベトナムの独立戦争で、ソ連が独立派を応援したので、アメリカはフランスの代わりに反ホーチミン派を支援、中途半端な介入を繰り返して失敗、後任のジョンソン大統領が正式介入(p127)
・カーター大統領はソ連がイランにすり寄ることを恐れて、イラクのフセイン大統領を支援する、ソ連がアフガニスタンに侵攻すると、ウサマ・ビンラディンを戦わせてソ連に対抗した(p141)
・ポーランドで反ソ抵抗運動がおきた後に、ハプスブルク家当主のオットー大公が「ヨーロッパピクニック」を宣言した、東側陣営に雪崩現象がおき、やがて革命となった(p147)
2012年10月8日作成