小林正弥のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
年収1千万~億超えを実現するための考え方、取り組み方。
自分の継続的学びを商品パッケージ化する、顧客が求める結果にコミットする、代行せず顧客に動いてもらう、少数でも複数顧客に高額商品を売るなどのコンセプトが明快で、教育関係に特化しているが商品の作り方・展開の仕方も紹介されており、なるほど稼げるようになる方法だと納得した。
また、稼いでも時間の自由を犠牲にしないアプローチであることにも感心した。
とはいえ、定年を迎える自分の年代では、そこまで稼ぐモチベーションはなく、現場に一緒に入ってのカスタマーサクセスの共有を考えたいと感じた。
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Posted by ブクログ
面白かった。話の内容はもちろんだけど、議論の運び方とかが上手い。何か明確な答えが出るわけでもないが、その過程がいかに重要かってことを再確認させられる。
上巻に比べて急に議論が高度化する印象だけど、じっくり読めば理解に難くはないはず。
上下巻どちらも巻末にサンデル教授の東大での講義が前後編にわかれて収録されていて、なんでこんなややこしいことするんだと思ったが読んで納得。東大での講義はハーバード大での講義を圧縮したもので、つまり上巻での議論と東大講義前編の議論が対応している。下巻についても同じ。読んでみればいっそう理解が深まるし、ハーバード大の生徒と東大生の違いというか、アメリカ人と日本人の考え方がこうまで違うのかみたいなこともなんとなくわかって面白い。 -
Posted by ブクログ
これだけ読み応えがあるのに、より分かりやすく解説してあって、著者の力量の凄さがよく分かります。『これからの「正義」の話をしよう』を読んでいなくても、本書で十分です。
読むだけでも随分時間がかかりました……
読んでいるときに思っちゃった事を書いてみます。
アリストテレスの適合性正議論は、得手不得手と好き嫌い、どちらを優先させるのでしょうか?
サンデルによると、『最高のフルートは最高のフルート奏者が持つべき』と言っているので、得手不得手を優先させると思うのですが、好き嫌いよりもそちらを優先させるというのは、言ってみれば自分の感情を押し殺して充実感を犠牲にし、より良く生きようとする自分自身の目的を蔑ろにするのではないか?と言えます。
また、身近な例で言うと、中学生の部活動の問題があります。才能があるのに練習しない生徒と、彼より能力が劣るが真面目に練習に取り組む子がいて、より上位の試合に出場させるのはどちらが良いのか。これは部活動の根本目的を問いています。つまり部活動とは『能力至上主義』なのか『努力至上主義』なのかです。
中学生の部活動と考えるならば後者の方が教育的見地からしても妥当ですが、一方で『現実の厳しさを教えるべき』『練習に来なくても、高い実力を持った子を試合に出場させる方が大会実績を残せる可能性が高いし、そうなれば色々なところから練習の誘いが来て、結果的には全体のレベルアップに繋がるのでは?』『努力してもダメなものはダメだと今のうちから教えた方が後学のためになるのでは』と言われれば反論し辛いです。
だけど、『中学生は義務教育である。その一環である部活動は結果を求めるのではなく、仲間と連帯して一つの目標に向かって切磋琢磨するところだから、ちょっと実力が高いからといってレギュラーメンバーにするのはいかがなものか』『中学生に社会の現実を突き付けるのは酷な話だ』と再反論も出来ますが、こうなってくると、もはや部活動の目的に沿って考えるのは難しく、先生個人の考えがどちらに重きを置いているかによります。実際にこのジレンマで頭を悩ませている人は多いのではないでしょうか。
また、目的論的正義論になると、需給ミスマッチ問題が生じる恐れ(極端な話、全員が奴隷に向いていたらどうするのか?)があります。
サッカーを例にすると、フォワード向きが多すぎるとバランスが悪くなって試合になりません。『もっと外部から選手を勧誘して増やせれば、その中でキーパーが得意な人やディフェンダーが向いている人も出てくるはず』となれば、全体の定義が定まらず、得手不得手のバランスが整うまで永遠に適者を探さないといけなくなります。
共通善の構築は現実的ではないように思えます。だからこそ実際には多様な考え方があって、それを制度的に保証し、多様な中から自分に合ったものを選択できるようになれば良いと思うのです。
あとチラッと思ったのが、
公務員も民間並みに→民間も公務員並みに→ブラック企業の対策等、共通善を考えるとコミュニタリアニズムは今の時代に一定の成果が期待できるのでは?
『これからの『正義』の話をしよう』では、サンデルの思想の立ち位置がよくわからず、「で、サンデルは何主義者なのか?」と思いましたが、本書ではっきりと立場を明かしていてすっきりしました。なるほど(大雑把言うと)コミュニタリアニズムかぁ~。
個人的にはロールズの格差原理にある「恵まれた者は、恵まれない者の状況を改善するという条件でのみその幸運から便益を得ることが許される」というのが好きです。サンデルも言っているのですが、この思想から助け合いの精神みたいなのが見え隠れしていて、リベラリズムは決して個人主義ではないように思います。
功利主義、リベラリズム、リバタリアニズム、コミュニタリアニズム……色々と主義主張がありますが、僕自身は割とリベラリズムかなぁ~なんて思います。やっぱりしがらみに束縛されたくない(笑)
僕の評価はSにします。 -
Posted by ブクログ
NHKの白熱講義が流行った際、『これからの「正義」の話をしよう 』を読んだ直後に買って積読状態になってた本。サンデルとも交流があり白熱講義で解説をしていた著者が、サンデルの著書について、番組や『正義』で端折った部分も含めて、考え方のエッセンスと変遷を分かり易く解説しています。ロールズ批判は非常に説得力がありますし、英米法をかじった人間としてアメリカ建国史の部分は懐かしく読みましたが、なんといってもヘーゲル、カント、アリストテレスの問題意識は現代でも通じる所があるなと考えさせられました。立場や意見を支持するか別としても、ネットで蔓延する軽薄な床屋政談に惑わされないよう、これまで先人による問題意識の変遷を再確認するのに読んでおいて損のない一冊です。
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Posted by ブクログ
サンデルの主著である『リベラリズムと正義の限界』『民主政の不満』『公共哲学』『完全な人間を目指さなくてもよい理由』『これからの〜』について解説する。
注意しなければならないのは、本書の中に現れる「負荷ありし自己」という用語は明らかに誤訳であるということ。過去形ではなく「負荷のある自己」と読み替えれば問題はないのだが、サンデルの思想の重要概念なので、そこはきちんと正しておきたい。「負荷ありし」と過去形にすると「今はない」というニュアンスが出てきて、本来意図された意味とは真逆に解釈されうるので。
さて、コミュニタリアニズム(共同体主義)というと、「共通善という概念をもち出して公の正義を振りかざし、個人の権利を侵害するようなイデオロギーではないのか」という批判にさらされる。私も実際そのような疑念をもっていた。「共通善とは何か」を共同体の伝統が決定するのであれば、結局のところただの相対主義じゃないか。と、思っていた。
でも違った。サンデルが目指しているのは、あくまで普遍的な善であり、正義の正当性はその目的の道徳的価値に基づくのだという(著者は、この意味ではサンデルの思想は“コミュニタリアニズム的”ではないという)。
……ちょっと待てよ、では“コミュニティー”の概念はどこで登場するのか?
「自己をコミュニティーに埋め込まれた存在」「社会に対して責任を負う存在」として理解し、「社会から切り離された、ばらばらの個人」という人間観に反対する意味において、というのが先の問いに対する答えになる。
もう一つ重要だと感じたのは、「リベラル-コミュニタリアン論争」という言葉がミスリードするけど、サンデルはロールズらのリベラリズムの“思考過程”に異を唱えたのであり、リベラリズムが是とする福祉政策自体に反対を唱えるものではないということ。関数は異なるが解は同じ、といった感じかな。
コミュニタリアンの中にもウォルツァーのように「善は共同体の多数派が決定する」という相対主義者もいるらしい。このような思想に対しては明確に反対するという意味で、サンデルの思想はもはやコミュニタリアニズムというより、“サンデリアニズム”と言ってしまった方がいいような気がする。 というか、リベラリズムに接近している??
サンデルの議論は目的論的である。たとえばある制度の是非について議論するとき、まずその制度の目的が何であるかを明らかにし、その目的にその制度が合致しているかを論じるという手法。サンデルのこの論法は鮮やかで説得力があるのでお手本としたい。
『これからの正義の話をしよう』は大ブームとなったけど、それだけではコミュニタリアンの思想を理解するには明らかに不十分だ。『これからの~』だけ読んで済ませるのはもったいない!
多くの人が本書を読んでコミュニタリアニズムという思想に興味をもってほしいと思う。