小林正弥のレビュー一覧
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サンデルさんの三冊目。
講義録なので、スピード感は他の二冊に比べてないのだけど、生徒の答えを受けながらサンデル先生が広げていく感じは楽しい。
巻末に東大特別授業編があるのだけど、予想していたよりは、日本向けにアレンジされていて良い印象を持った。
徴兵制のくだり。
徴兵制が良いか、外部委託が良いか、志願すれば多額の給与をもらえるようにするのが良いか。
少数派の徴兵制を支持する生徒から、このような発言が出てくる。
「難しい質問ですが、徴兵制です。国全体に戦争への責任を感じさせることができるから。少数の人々だけがイデオロギー的に支持する戦争が起きてしまうよりいいです。」
こういう理由で徴兵制は用いられないだろうけど。
考えざるを得ない場面、関わらざるを得ない場面って必要なのかもしれない。
誰かが代わりに行ってくれたら、誰かが代わりに考えてくれたら、「私は幸福だ」と思うこと、そう思う人で満たされることは正しいことなのだろうか。
難しいけれど、「社会的体面」を世間知として学ぶ私たちは、ここからもう少し、議論を進められるような気がする。 -
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神社で憲法改正のための署名を集める活動が問題になったことを切り口にして、神道と政治の問題を、著者が依拠する公共哲学の観点から考察している本です。
著者は、明治憲法下において神道が宗教ではなく国家祭祀とされたことが、現代にまで及ぼしている影響について比較的ていねいな解説をおこなっています。戦前の国家神道は、習俗的な道徳としての性格をもつことになりました。そして戦後になると、政教分離により宗教法人として扱われることになった神道は、私的道徳となりかねない状況に陥ってしまったと著者は指摘します。そのうえで、戦後における神道の最大のイデオローグとして活躍した葦津珍彦の議論を検討し、彼が神道に公共性を回復することをめざしていたことに一定の評価を与えながらも、公共哲学の観点から国家的な意味をもつ「公」と「公共性」を区別し、さらに折口信夫の提唱した「人類教」なども参照しながら、より開かれた「公共性」を具備する宗教としての役割を、神道が担うことができるのではないかという見通しが示されています。
公共哲学の観点から神道の可能性を発掘するという著者の戦略は、神道が仏教やキリスト教などと異なり、世俗的な道徳と宗教的な境位とのあいだに明確な断絶を設けず、むしろ両者がなだらかにつながっていると解していたからこそ可能になったように思います。正直なところ、神道は著者の主張するように公共哲学に包摂されてしまうようなものなのか、もしそのようなものだとするならば、それは本当に宗教と呼べるのか、という疑問もあります。
なお巻末には、薗田稔、小野貴嗣、千勝良朗、鎌田東二、藤本頼生へのインタビューが収録されています。ただしそれぞれ2ページずつの分量で、各論者の主張を十分に理解することのできるような内容ではありません。 -
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-「私は誰かの息子か,娘であり,どこかの都市の市民であり,この一族,あの民族,この国民に属している」「したがって,私にとって善いことは,このような役割を生きるものにとって善いことであるはずだ。私は自分の家族,都市,民族,国民の過去から,様々な夫妻や遺産,期待や義務を受け継いでいる」
-「本当に有徳な人は、最も遠い他人を助けるためにも、友人に対するのと同様に迅速に駆けつける」「完全に有徳な人に、友人はいないだろう」
-すべての正義は差別を内包する
本全体があんまり一つの主張をしないのでちょっと強い感想を持ちにくいんだけど、個人的に残ったのはここら辺かな。人類皆に公平というか正義を持つなんてのは難しく。個人はそれぞれに絶対に偏っている。そんな小さな自分の正義の中で生きているだけで、所謂「正義」というのはそれをどうにか最小公約数としてまとめているだけなので、結局は脆いし個人の単位では簡単に壊せる。 -
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-凄い昔に途中まで読んだことあったけど終わらず。実家帰った時に本棚にあったので持って帰ってきて読んでみた。
-授業のテンポとか、内容が難しくなりすぎたときのユーモアとか、議論の誘導の仕方とか「授業をする」ということに対して凄い技術をもったエンターテイナーだなーって思った。
-でも本としては凄く難しかった…理解するのに何度も読み直したw
-そういう意味で授業ついてってる学生凄い。ただきっとこれ授業のないところで相当な量の課題図書出されてるんだろうなー。その上でのこの授業だと考えると、ちょっと学生時代思い出してゾッとしたw
-ハーバードの学生の議論聞いた後の東大の学生のレベルの低さが凄い。これって英語でやってたからなのか…日本語でやってこの感じなのか…いずれにしてもコンテンツとしてこうやって比較できちゃうとなんか悲しい。
何気に冒頭にあった哲学を学ぶことの危険性についての言葉が意外と心に残ったりする。
「哲学という学問は、私たちを私たちがすでに知っていることに直面させて私たちに教え、かつ、動揺させる学問だからだ。」
友人カリクレスからソクラテスへの助言。
「人生のしかるべき時期に節度をもって哲学を学ぶなら、哲学は可愛いオモチャだ。しかし、節度を超えて哲学を追求するなら破滅する」
ちょっと哲学の話とはずれるけど、このアンカーの話は面白い。こういう誘導で全く新しいビジネスとか生まれるんだろうな。
「半分の学生には彼らがその朗読を聞くのに10ドル払う気があるかを尋ね、残りの半分にはありエリーが10ドルを払えば、朗読を聴く気があるかを尋ねた。」
「トムは面倒くさい塀のペンキ塗りの仕事を、友人たちにうらやましい仕事だと思いこませて、その仕事を代わらせるだけでなく、その特権を譲ることの対価を得た。」 -
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サンデルの正義論とジョン・ロールズの正義論の批判の理由
この本が出版された2010年12月までのサンデルの全出版書籍を取り上げ,その内容を解説しながら,サンデルの考えについて説明している。
サンデル自身の考えに焦点があてられており,「白熱教室」や「これからの正義の話をしよう」よりも,難しい内容となっている。自分としては,pp. 100-200あたりが特に複雑な内容で理解が難しかった。
書籍の構成としては,全6講となっている。
第1講で「白熱教室」や「これからの正義」で取り上げられた内容を順番にたどり,サンデルの考えや二つの書籍での違いなどについて触れている。これはおさらいとしてよかった。
第2講で,サンデルが有名になったとされるジョン・ロールズの正義論についての批判が展開されている。
残りで,ジョン・ロールズのさらなる批判,コミュニタリアン的議論として,改造人間や政治について議論されていた。
個人的には,ジョン・ロールズの正義論やリベラリズムは多くのことが説明でき,共感していたので何が問題なのかが気になっていた。
ロールズの無知のベールという考え方自体が,周囲のコミュニティを前提とした考え方になっている。これが一番大きかった。この他に,適価の存在,負荷ありし自己というキーワードがポイントとなることがわかった。
その他,改造人間の話題では,ドーピングや遺伝子工学などは努力の究極的な考え方となってくる。スポーツなどでこれを導入するとそれはただの見世物になってくるのではないかという美徳の問題の提議。ES細胞では,胚をどう考えるかについて,髪のある人とはげの人との違いはどこになるかという例をあげ,はっきりと人間か人間でないかにわけることが困難であることを主張し,人間ではないものの,人間になる過渡的な存在として考慮すべきだろうというあげていた。これらの考え方は新鮮で参考になった。
「白熱教室」や「これからの正義」と比べ,踏み込んでやや難し目の内容となっているため,万人にはおすすめしがたい。しかし,ジョン・ロールズの正義論の問題点とサンデルの考えを知るにはおそらく一番よい本だと思った。 -
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善・正・義・公・共……
ある場面において旧来の論理が通用しなくなると新しい概念を構築する必要に迫られる。
理論とはそういうものであり、また社会の指標たる理論はその正しさにおいて充分に説得的でなければならず、こうしたブラッシュアップは不可欠ではあるが、正義は善を含有したものでなくてはならないという主張は、批判においては具体性に富み説得力があるが、論理構築においてはいかにも頼りない。
普遍的であることを目指していないとこのことだけれど、どこかに一貫したものがなければ論理は完成しないのではないだろうか?
哲学だからそれでよいのもしれないけれど、どうにも消化不良感が残る読後となった。 -
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内容が難しいので読むのに凄く時間がかかった。
実際にNHKで放送されたものも見ていたけど、映像を観た後でこの本を読むと、サンデル教授の議論誘導の仕方の上手さを感じる。
映像では分からなかったけれど、文字になると、見当違いな話をしようとしている学生を上手くいなしたり、纏まっていない発言を短いセンテンスに集約したり、ということを頻繁に行っているということがよく分かる。
生徒がどういう発言をしてくるか分からない中で、きちんと目指した方向へ議論をみちびいていく手腕は本当に素晴らしい。
『正義』という議論しづらいものに真っ向から取り組んでいる授業内容自体も面白いけれど、サンデル教授の手腕が素晴らしくて、そこだけに着目して読んでも十分に価値のある本だと思う。 -
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ネタバレサンデル教授の対話型講義の形式に倣って、小林教授が原発の存在について進めた講義録。
サンデル教授との違いとして、小林教授自身が明確な意見・考えを持っていることが前提にある。サンデル教授の場合、仮に自身の考えを持っていたとしても、講義の中では殆ど披露せず、受講者たちの議論の流れに委ねている。その姿勢は講義中ずっと続き、最後まで「結論はこちらだ」という纏め方はしない。議論が出来ることが何より重要なのだ、と。
一方、この本における小林教授は、明確に脱原発よりの考えを持っており、またそれを講義の中で示してもいる。
どちらが講義を行う中でよいのか、人それぞれの判断なのかもしれないが、哲学というそもそも明確な答えを一つ出すような学問でない限りは、あらゆる意見に対して公平な立場を持つという意味で、サンデル教授の様にあくまで「傍観」した方が良かったのではないかと思われる。