宗田理のレビュー一覧
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ネタバレ子供だけで解放区をつくり、大人たちに抵抗する物語。ある日突然1クラスの男子が消えてしまった。全員親に何かしら不満を持っていたり、なにか特別なことをしたかったり、様々な考えを持って解放区で過ごすことを決めた。そんな中で起こる本物の誘拐、ラジオ放送、瀬川との出会い、警察や教員とのやり合いはすごく工夫されていて読んでいてすごく楽しかった。子供だってなんでも出来るんだなとわくわくした。携帯が発達した今だからこそ直接の人との関わりの楽しさや、逆に親や教員による監視が強まった生きにくさも実感した。全体的には、読んですごくわくわくして、子供たちと一緒に楽しめた!!
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Posted by ブクログ
広島と長崎の原爆被害の陰に隠れ、あまり世に知られてこなかった、1945年8月7日の豊川海軍工廠への空爆。それに巻き込まれた中学生たちが見たものをリアルにつづったノンフィクション・ノベル。この爆撃に限らず、戦争被害そのものについては学ぶことがあっても、その前後にも絶えず人々の生活(今から見たら非常事態でも、当時はそこから逃れることはできない「日常」であった)が続いていたことを意識するということはあまりない。その点、この本を読むなかでは、戦禍から生き残った人々のお陰で今があること、そして本来ならばもっと続いてゆく命がたくさんあったということ、を強く意識させられた。
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Posted by ブクログ
ネタバレ追悼、宗田理さん
題名は知っていたけれど、内容を知らなくて、
ニュースを見て名作であると言われていたので、
すぐに買いに行った。
子供達が生き生きとえがかれている。
色々な規則、しつけ、勉強などから解放される空間解放区なるものを作り、自由を主張する。
自分たちで考え困難に立ち向かう。
電気も通ってないところで、テレビなんかないところで過ごす方法としては、人と話をすることや体を使ったゲーム。昔はそうだったんだろう。
そういう時間を過ごして皆んな団結していく。
そして、七日間、一人も離脱しなかった。
7日後、性格がまるで変わった子もいる。
そんな子供達の様子が生き生きと描かれている。
大人達は、どの様に子供と接したらよいのかも考えなくてはならないと思う。
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Posted by ブクログ
ネタバレ昭和3年、1928年生まれの筆者や筆者と同じ、太平洋戦争を体験した人達の実体験などが書かれている物語だった。
筆者はまだ太平洋戦争中は学生だった。その学生の間の出来事などがかかれている。
他の太平洋戦争体験記には載っていないことや、新たに知ったことなどもたくさんあり勉強になった。
本文から、知らなかったことなど
1 昭和12年、東京ではランドセルと半ズボンが当たり前だったが三河の田舎では着物に草履だった。ズックみたいなかばんをぶら下げていた。中には裸足の子もいた。みんな鼻を垂らしていて、それを袖で拭くため着物の袖はテカテカだった。人をいじめるという考えを持っていなかったため、いじめはなかった。
2 千人針の布を腹に巻き、その布の間に認識票を入れていたら、ちょうどそこに球が当たって命拾いした人もいた。認識票とは、兵士1人1人に与えられ、認識番号が振られた金属の小さな板のこと。
氏名、生年月日、住所などが記されていて戦死者の身元確認の為に使われていた。
3 学徒動員中の食事は罪悪なもので、カビの生えた生芋を千切りにして干したもの、小麦と麦を混ぜて炊いたもの、薄い汁に青虫が付いていそうな水菜だけが入った味噌汁、麦に大豆かすを混ぜたものも出ていた。また臭いがひどく手がつけられなかった。
4 10畳の畳の部屋に8人で寝ていた。不潔な環境だったため、ノミ・ダニ・シラミが沢山いて、夜中それらと格闘するのに精一杯だった。
5 B29は1機だけでなく、何十機もあり、それらを使って1日に何回も空襲を行っていた。月日が経つにつれて、B29は1日あたり500機近くになった。
6 本土決戦が近づくと、「タコツボ特攻作戦」を練習させられた。
その作戦とは、海岸線に人が1人入る穴を掘る。
その中に爆薬を持って隠れる。その爆薬には起爆装置の紐が付いている。そして、下級生が傘を広げて穴の上にかぶせ、草や砂をかけてカモフラージュする。敵が上陸して戦車がタコツボの上を通る瞬間、一気に爆発する作戦のこと。
もし前を通らなかったらタコツボの中から飛び出して、敵の戦車の下に潜り込み起爆装置を自分で引っ張る。その作戦を現在の中学生・高校生の年齢の子供にさせようとしていた。
7 敵兵が戦車から逃げ出したり、向かったりした時は吹き矢でやっつけるよう訓練させられた。
海岸の高い松の木に登って、松の葉っぱの中に隠れてそこから近づいてきた敵にストリキニーネという毒を矢の先に塗って吹く。タコツボと二段構えで行うよう言われた。しかも家族や外部に漏らすなと言われていた。