新庄嘉章のレビュー一覧
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大学のフランス文学講義の予習で読みました。
フランス文学は人間の内面を緻密に表象していくのが特徴的ですが、「肉体の悪魔」では感情をどこか俯瞰したような機械的な描写で内容が濃かったです。
マルトと僕のお互いのバランスの駆け引きが一文で記されたりしますが、何倍も時間をかけてじっくり読みました。
主人公「僕」もそんな語り方の癖を自覚しているかのように、このように語っているのが面白いです。
『父の首尾一貫しない行動の理由を知りたいという人のために、僕が3行で要約してあげよう。最初は僕を好き勝手に行動させておいた。次にそのことを恥じて、僕よりむしろ自分に腹が立ち、僕を脅した。だが結局、怒りに流されたことを恥じて、僕の手綱を緩めたのだ。』 -
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(01)
ある女性の半生が14章に分けて描かれる。同時にレ・プープルと呼ばれるノルマンディー地方の家の物語(*02)でもあり、一人娘の彼女のために男爵が用意した屋敷がその半生を包み込み、放り出す。
母、父、夫、子や叔母(*03)といった親族のほかにも、使用人や夫の愛人、友人、司祭、犬や馬といった人物や動物も登場するが、それほど多くはない。視点はいつも女主人公ジャンヌのまわりにあるが、いっとき、彼女のまわりを離れることがある。近隣に住むフールヴィル伯爵は、ジャンヌの夫ジュリヤンと自分の妻が不貞を働いている現場をのぞき、怒りに任せた蛮勇を奮う場面である。第10章のこの場面までの時の流れはややゆったりとしているが、ここから最終章までの4章で一気に20年以上が進んでいく。
人生は、ほぼ全ての人間が経験しているように、一様に進むわけではない。急速に進むとともに普通は単調な時が過ごされていく。その単調さは、愚鈍な感性や惰性とともにあり、人は滅多な事では驚かなくなる。ジャンヌの愚かな魯鈍もこの終盤の4章に顕著に現れ、人生は皮肉にも停滞し、時は急速に進んでいく。
(02)
もちろん家だけではない。家の周囲にはポプラ並木、漁村、海があり、ジャンヌたちによって散歩された風景があり、貴族ではない漁民や農民がそこにはいて、風景と化している。
ジャンヌには、この家と風景を出なければならない事態が終盤に発生する。そして、わずかな時間だけその家に戻ることが許される。その時、家の諸々の家具や傷が記憶とともに蘇る。家や風景に流れる時間は、その保存状態さえよければ、遅くとどまり、人間のように変化せずに残される。この時間差にジャンヌは襲われるわけであるが、序盤にこの家と風景が輝いてみえたのは、ジャンヌの前途の栄光を幸福を暗示していたわけではない。家や風景は、人間が惨めであっても輝いている。特に風景には、特有の時間があり、近代的な一個の人生のような雑多な記憶に左右されず、使用人や漁民や農民によっても共有され、育まれ、あまり変わらずにいつもそこにある。リアリズムや自然主義が、人生と対位的に風景を用いるのはそのためでもあり、ロマンスが宿るのもそのためである。
(03)
使用人ロザリも爽快な存在であり、この小説にいつも風穴を開けてくれるが、このリゾン叔母の奥ゆかしさと存在感の薄さは何を表現しているのであろうか。
彼女は、今にも家や風景に溶け込んでしまいそうな透明感があり、存在しているようでしていない。幽霊的でもあり、その処女性は、村や貴族の淫女性へ対抗する地点に据えられている。かといって、ロマンの女性でもあったジャンヌに目指される地点になることもない。
後任の司祭のエキセントリックな振る舞いや呪詛や復讐と潔癖もこの風景にあって異様であるが、リゾン叔母はそこまで活性しておらず、ほぼ死にながら生きているという状態にある。彼女もいずれこの場景からすっと退場してしまうが、その存在や時間の薄さは明滅的でもあり、超近代的あるいは古代的でもある。本作にかすかに現れている彼女の人生にも注視したい。 -
Posted by ブクログ
先に『女の学校』『ロベール』を読んでおけばよかつた。
ひとつの家族のそれぞれから描いた一連の作品の中でも、娘からの書簡といふ形式である。
社会的には女性のどうこうといふもののやうであるが、それ以上にひとを愛するといふ彼が生涯通じて求め続けたひとつの形であつたに違ひない。
ひとが愛しあふと結婚して家庭をもつ。それが彼には不思議で仕方なかつたのだ。さうでなくてもひとを愛し生きてゆける。
誰かを愛することと、結婚して一緒に暮らすといふことは別のことなのだ。彼の描く文脈の中でボードレールを眺めると、『旅へのいざなひ』や『戀人の死』に描かれるたゆみない愛への渇望が呼び起される。
与へ続けることでしか満たされない愛を求めても、ひとりでは愛が完結しないことへの無力さ。
そんなことを考へていると、松村栄子の『セラヴィ』がふと頭を通り過ぎる。ほんとうに愛してゐれば死者とだつて生きてゆかれる。ひとりで生きられぬものにふたりでは生きてゆけぬ。
それがたまたま男性であつたとか女性であつたとかに過ぎない。彼にとっては先に性別があつてひとを愛してゐるのではないのだと思ふ
しかる行為をすれば子どもは生まれる。愛があるとかないとかとは別の次元の話だ。愛がなくても子どもは生まれてしまふ。それは人間が生き物だからだ。ジュヌヴィエーブはそのことを知つてしまつたのだ。
ならばこの自分の幸福とは一体なんであるといふのか。誰もが自ら望んで生まれてくるのではない。生は事実として与へられてしまふのだ。だから、生れたからにはどう生きるかゆくかよりも、どう死んでいくかがほんとうは重要なことではないのか。
この作品を書いてゐたころ彼に何があつたかわからぬ。先の二作品に対する位置づけは決まつてゐたからこそ、書いてゐるうちに、作品が閉じていくことに悩んでいたのではないか。サラとジゼールそれからジュヌヴィエーブと。肉と知とその間に引き裂かれたひとり。形ははつきりと見えてゐる。
ジッドは未完としてこの作品の筆を折つてしまつた。結末は誰にもわからぬ。彼女たちがどんな生き様を描き、死んでいくのか誰にもわからない。けれど、もしかしたら、先の二作品の中ですでにこの物語は決まつてゐたのかもしれない。書け無かつたのではなく、書く必要がなかつたのかもしれない。 -
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ネタバレ何か問題に出会ったとき、泣いたり悲しんだり、頼ったりするのではなく、ちゃんと逃げずに問題に立ち向かわなければダメだ。そうじゃなきゃ、惨めな事態に陥っても、何も解決しっこないのだ。ジャンヌは、夢みがちで、感情の振り幅が広く、純粋な女性だ。母性愛を深く持っていて、美点はある。ジュリアンとくっついてしまって、あいつがどーしょもないのは不運としか言いようがない。でも、子供の育て方はどうにも良くない。スポイルしている。台無しにしてしまっている。一方、ロザリは、最低な主に手込めにされ、妊娠し、あげく追い出されたにも関わらず、人情深く、優しく、賢く、器がでかい。ジャンヌが、屋敷の家具を売ったお金3600フランを息子にそっくり送ろうとしたのを見破り、咎め、でも600フランは送ることを許す場面は、とても大きくて暖かい人間性がわかるような気がする。最後も、法的なあれこれを全て片付けて、孫を抱いて戻ってきてくれる。ロザリのような女性にはなれないけど、友達になりたい。最後の終わりかたは、少し暖かくて、赤ちゃんの温もりを感じれるところがいい。モーパッサンすごい。
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登場人物を全員張り倒してやりたい・・・この話をここまで高潔な文章で静謐に綴った著者が本当にすごい。
しかも、内容がすべて主人公の少年の回想と独白というスタイルなので「相手が本当はどう思ってたのか」とか「本当のところはどうだったのか」とかが曖昧で何度も読んで色々考えるのも面白い。本当に主人公との子どもだったのか?それとも夫?彼女は最後に読んだのは主人公の名前?それとも子供の名前?
それにしても、妊娠後期の女性を極寒の雨の中歩き回らせる主人公を本当に張り倒したい。それ以降彼女は体調を崩し、産後の肥立ちも悪くそのすぐ後に亡くなるので主人公のせいで彼女は亡くなっているのでは。だけどそれを、彼女は望んでたのかもしれない。 -
Posted by ブクログ
「椿姫」はいくつか違う翻訳者の本が出ていて、一番評判が良さそうだった新庄さんのを選んだ。海外文学を読む時には、翻訳された日本語から受ける印象で物語のイメージがかなり変わると思うので、そこは重要ポイント。古典の場合は特に。
新庄さんの本はかなり読みやすい翻訳だった。
高級娼婦というブルジョアのお金持ちばかり相手にしているとやたら何でも「お」を付けるような丁寧な物言いになったり、まどろっこしい会話のやりとりも新訳だともうちょっと砕けた感じになるのだろうか?他の訳も読んでみたいという気持ちにさせられた。
ストーリーは、勿論良く知っていて読んだわけだけれど、それでもやはり最後の方はマルグリットの心情が迫ってくるのでとても切なかった。
読み継がれる恋愛小説の傑作という位置付けには納得。
若い時に読んだら、深くは理解出来なかったかもしれないなぁ、と思う。(もしかすると10代で一度読んでいるけれど、すっかり忘れているだけなのかも?) -
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著者デュマが実際の体験を基にして書いた長編小説。
高級娼婦マルグリットは椿を愛し、常に身に付けていたことから「椿姫」と呼ばれていた。華やかな美貌を持ち、お金持ちのパトロン達に囲まれ、不自由ない生活を送っていた。友人の紹介で青年アルマンはマルグリットに出会い、一目惚れをする。アルマンの直球な愛の告白をあしらいつつ戸惑いも感じていたマルグリットだったが、その誠実さに惹かれ、2人は相思相愛になる。マルグリットは贅沢な生活も捨て、郊外でアルマンと2人きり穏やかな生活を始めるが、それは長くは続かなかった。
奔放でプライドが高く、寂しがり屋。様々な表情を見せるマルグリットは読者目線でも魅力的です。特にアルマンの愛を試すように挑発的な言葉を投げ掛るマルグリット、それを冷静に受けつつ自身の情熱的な想いを彼女に伝えるアルマン、2人が言葉を掛け合うシーンは魅入るものがあります。
原題は『La traviata(ラ・トラヴィアータ)』(堕落した女、道を踏み外した女)。でも私はこの原題は相応しいとは思いません。その後悲運を辿る2人ですが、マルグリットは心からアルマンを愛し、彼とって最良の選択のために自分の気持ちに背きます。不器用だけど、自分の信じた道を突き進む潔く美しい女性に映りました。
純愛をテーマにした名作。