あらすじ
第一次大戦のさなか、戦争のため放縦と無力におちいった少年と人妻との恋愛悲劇を、ダイヤモンドのように硬質で陰翳深い文体によって描く。ほかに、ラディゲ独特のエスプリが遺憾なく発揮された戯曲『ペリカン家の人々』、コント『ドニーズ』を収める。
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Posted by ブクログ
248P
レーモン・ラディゲ Raymond Radiguet
生年:1903年
没年:1923年
フランスの詩人・小説家。風刺画家を父として、パリ郊外に生まれる。幼少期は成績優秀な生徒だったが、長じて、文学に傾倒。14歳で『肉体の悪魔』のモデルといわれる年上の女性と恋愛関係となり、欠席が増えて退学処分となる。退学後、詩人のジャコブやコクトーと出会い、処女長編小説の本作で文壇デビュー。ベストセラーとなる。その後もコクトーと旅をしながら『ドルジェル伯の舞踏会』を執筆するが、1923年、腸チフスにより20歳の若さで死去。
肉体の悪魔
by ラディゲ、江口清
ある人たちにとっては不幸なことが、他の人たちにとっては幸福なのだ。母がお弁当をつくって、初めての恋の夜をぶち壊そうとしているとき、弟たちが 羨ましそうにそれを眺めているのに、ぼくは気づいた。ぼくは弁当をそっとかれらにやってしまおうと思ったが、やがてそれをすっかり食べてしまってから、後でお尻をぶたれる怖しさと、ぼくを困らせる面白さのために、何もかも喋ってしまいそうな気がしたので、そうするわけにもゆかなかった。
恋は幸福をともにしようとしたがる。例えば手紙を書いている最中に、急に冷たい性格の愛人が優しくなって、首に抱きついたり、さまざまな恋の 手管 を用いたりする。ぼくなども、マルトがぼくのことを忘れて仕事に精を出しているのを見ると、なぜか抱擁してみたくなったり、髪を 結っているのを見ると、たまらなくその手に触れ、かの女の髪を解きたくなるのだ。ボートのなかでも、不意にぼくはマルトに飛びついて、そのために櫂を手ばなし、ボートが藻草や、赤や黄色の 睡蓮 のとりことなって岸を離れるまで、ぼくはかの女を接吻で埋めてしまうのだ。マルトは、そうしたことに、 抑え切れぬぼくの情欲の 閃 めきを見た。そんなときのぼくは、妙にしつこくなり、駈りたてられるのだ。まもなくぼくらは、こんもりした茂みへ舟を着けた。みつかりはしまいか、 転覆 しやしまいかと絶えず気をくばることが、いっそう二人の快楽を高めた。 こうしたわけで、マルトの家へ行くのをむずかしくした家主の反感などには、すこしもぼくは困らなかった。
ぼくはまた、ぼくと一緒に行くことが、どんなに不道徳であるかといってきかせた。ぼくはこの言葉が、侮辱された男の口から出たもののように、あらあらしく響かないように願いながら、思い切って口にしてしまった。はじめてマルトは、ぼくが〈道徳〉などという言葉をいったのを耳にした。実際、よくもこんなことがいえたものだ。きっと根が善良なかの女のことだから、ぼくと同じように、自分らの恋愛の道徳性について、疑いを抱くに違いない。だから、もしぼくが自分からこの言葉を口にしなかったとしたら、ブルジョア特有の偏見に反対しながらも、根がやはりブルジョア女であるかの女のこととて、おそらくぼくを不道徳な男だと思うであろう。だが、それはまったく反対で、今はじめてこのことを注意したぐらいなのだから、実際は今までに何も自分らは悪いことなんかしなかったのだと考えていた何よりの証拠だ。
都合のいいことに、かの女は大食いだった。ぼくの大食いは、 公 にされないものだった。ぼくはサンドイッチや 苺 クリームをみても、別に食べたいとも思わなかったが、かの女の口に触れるサンドイッチや苺クリームにはなりたいと思った。ぼくは口を 歪めて思わず顔をしかめた。
数日して、ぼくはマルトから一通の手紙をもらった。それには家主の手紙が同封してあって、自分の家はつれこみ宿でないのに、ぼくが鍵を使って女を部屋へ連れこんだということが、書かれてあった。マルトはこれをぼくの裏切りの証拠だというのだ。そうして二度と会いたくないといってきた。それはもちろんかの女にとっては苦しみであったに違いない。だが 欺 されるくらいなら、いっそのこと苦しんだほうがまだましだったろう。
ぼくにはそれが、つまらないおどかしであるのがよくわかっていた。それを取り消させようと思えば、ちょっとした嘘を、たとえ事実であってもかまわないが、いってやりさえすればよかったのだ。ただ 癪 にさわったことは、こうした絶交の手紙のなかで、かの女が自殺のことにふれていないことだ。ぼくはその冷たさを責めるのだ。そうしてこんな手紙には返事をする必要もないと思った。もしぼくがマルトの立場にあったとしたら、自殺のことはともかくも、もうすこし頭のある責め方をしたであろう。とまれこうしたことを考えるのは、若げと高校生気質の抜けきらない何よりの証拠で、思うに嘘も場合によっては恋愛教典の命じるところでやむをえないことだと、ぼくは考えた。
恋の試練としての新しい仕事が生れた。それはマルトに対して自分の罪のないことをいい、なお家主ほどにもぼくを信じないかの女を責めることだった。ぼくはマランのような連中のやりかたが、どんなにずるいかということを説明してやった。そうしてほんとうのわけを話せば、ある日ぼくがおまえの家で手紙を書いていたら、そこへスヴェアがおまえに会いにやってきたのだ。ぼくは窓越しにあの娘のやってくるのを見て、それが無理におまえからひき離されている女だというのを知っていたし、おまえがいたらこのつらい別離のことでかの女をよそよそしく扱うようなことはしないだろうということを思わせてやりたかったので…
こうしてぼくらは町会議員も家主もみずに、ほんとうに二人きりで暮らすことができた。まるで土人のように平気な顔をして、ほとんど裸かのままで、あたかも離れ小島のような庭のなかを歩きまわった。芝生の上に寝ころんでは、ウマノスズクサや、スイカズラや、マルバノホロシの青葉の下で 愉 んだ。ぼくが拾ってきた、陽の光で熱くなって傷だらけの梅を、口と口を寄せて奪い合った。父がどうしてもぼくには、弟たちのように庭の手入れをさせることができなかったのに、マルトの家ではぼくは庭の世話などをするのだ。掃除をしたり、雑草をむしったりした。暑い一日の夕暮れに、ちょうど女の望みを満たしてやった男のような誇りを感じながら、 渇いた地面や、しおれた草に水をやった。ぼくにはいつでも親切などはばからしかった。それがようやくわかってきた。草花はぼくの世話で 蕾 を開き、鶏はぼくの投げ与えた餌をついばんで木蔭に眠っている。なんて親切なのだろう……だが、なんというエゴイズムだ! もしも花が枯れ、鶏がやせたら、ぼくらの恋の小島にも悲しみが満つるであろう。水も餌も、花や鶏にやるというよりは、自分から出て、ぼく自身に帰ってくるのだ。
それから二日してぼくはマルトから手紙をもらった。それにはぼくの訪ねたことはすこしも書いてなかった。きっと家の者が隠していわなかったのに違いない。マルトはぼくらの将来のことを、いささかぼくを心配させるほど、特異な、 冴えた、きよらかな調子で話していた。本当に恋とはエゴイズムの最も極端なかたちだ。というのは、自分の心配の理由を突きつめてみたら、それは子供に嫉妬をしているのがわかったから。この手紙によると、マルトは子供のことのほうを、ぼくのことよりもよけいに書いているのだ。
死期が迫っている、が自分ではそれと気づかない、そうした不規律な生活をしていたある男が、急に自分の身のまわりを整頓しはじめる。かれの生活はまったく変る。書類を整理する。早起きをし、早寝をする。悪いことをしなくなる。まわりの人びとは喜ぶ。それだけに、その男のむごたらしい死は、だからいっそう不当に思われるのだ。 これから幸福に生きようとして いたのに。
同じように、ぼくの生活のあらたな静けさは、罪びとの 粧いに以ていた。ぼくは自分にも子供ができたのだから、両親に対してもこのうえない息子だと思っていた。しかもぼくの優しさは、父と母をぼくに親しませた。やがてはぼくにも息子の情愛が必要であろうということを、ぼくのなかの何ものかが知っていたから。
レイモン・ラディゲの作品は、二十世紀初頭を飾る古典として扱われ、その短かい生涯はいろいろととり 沙汰 されている。このようにして、かれの名を不朽たらしめたのは、やはり「肉体の悪魔」の声価を多としなければならない。すでに映画でもご承知の「肉体の悪魔」の原作は、ラディゲが十七歳のときの作品である。一人称で書かれ、迫力のあるこの小説は、早熟な作者と思いあわせ、ともすると作者自身の体験を描いたものだと思われがちだった。
このような特色からしても、かれのモラリストであることは認められるであろう。かれは人のもっている深い資質にたいして、とくに敏感であった。であればこそかれは、「恋愛とは、なんという微妙な研究であろう」と、いうことができたのである。かれにとって「未知」は、「習慣」ほどに魅力があるとは思えなかった。かれは、すべての現実がそれとはっきりいい現わすことのできないものを表現するのが芸術の本来の目的であることを、よく知っていたのである。このような人生探求の精神が、かれのような若さのうちに宿っていたとは、いかにかれがきらいであったとはいえ、神童という称呼をもって呼ばねばならないだろうし、 すくなくともかれを、おそろしく早熟な作家ということができるであろう。
Posted by ブクログ
一般的な恋愛物語ではないと思わせる様な文体。16歳とは思えないほどの思慮が成熟した主人公が歳上女性を愛していく様を描いている。勿論思慮が未熟であるとも取れるが、文体のみで主人公の気持ちを想像するのであれば、常識的な世間批判からも苦しめられ、非道徳と道徳を常に真面目に考えている主人公の葛藤が描かれている。それを読者が肉体に取り憑かれてしまっていたと結論付けて了えば其れ迄であるが、愛するが故にマルトに対する姿勢や言葉が冷徹になりエゴイズム化していく様は、人間誰しもが持っている愛情の裏返しである。
愛しているが故にマルトに自己を投影させ類似性を探っている主人公の想いが何とも可愛くなってくるのは私だけでは無いはずだ。
彼を愛せたのはマルト以外にいないのであり、マルトが彼の子供を産んで死んだという事実を述べる事により、未成年の愛が幾つも阻まれようとも彼らの愛の結晶が温かく世間に正当に迎えられたとも思えた。
Posted by ブクログ
某作家さんがオススメしていたので、ずっと気にはなっていたけれど、内容もラディゲという作家も知らず、今の今まで。もっと早くに読みたかった!という思いと、今でないと理解できなかったところが多数あるのではという思いが混在しています。
恋愛心理をここまで冷静に書けること自体が、異様というか偉業というか。恋愛に陥っている人間の心理を描写すること自体はどこまで珍しくもないと思いますが、全編を通して感じる、どこか冷めた視線がおそろしい。
好きだとか愛しているだとか、好きだから触れたいだとか愛しているから守りたいだとか、そういう単純な仕組みになっていない人間の心の構造をよくぞここまでという風に説明されて、正直ぞっとしました。
不道徳だとか、そういう次元では最早ない。
他人の不幸が蜜の味だとか、そんなシンプルなことでもない。
意地悪だとか崇高だとか、肉欲的だとか清廉だとか、そんな言葉では到底表せない、心の移り変わりをものすごく良く捕らえています。
久々にがつんと脳天をやってくれる本に出会えて、空恐ろしいやら幸せやら。
Posted by ブクログ
切ない幕切れに思わず声が漏れた。自分勝手に暴走する主人公は若さゆえって感じなのかもしれないけど、結局は人妻に遊ばれちゃったんじゃないかとも思ってしまう。夫は全てをわかってて妻を許し受け入れていたのかなーとも思ったり。しかし、この処女作を弱冠16歳で書き上げ病で20歳という若さで夭折したという事実に驚愕。2012/176
Posted by ブクログ
あとがき(訳者)新庄嘉章さん曰く『年上の女性との恋愛,その場合の男性のエゴイズム,そのエゴイズムの犠牲となる女性の死』のお話で『少年から青年になろうとする最も動揺定めない過渡期の魂を,冷徹な目で凝視して』るのがすんごいとのことですが,そう表現されているほどありきたりな感じではありません。
私はこれは優等生のお話として読んだので,俗っぽい設定ではあるけどリアリティがあったしすごく共感して面白かったです。主人公とマルトが共鳴したのはお互い優等生だからだと思うんです。それは戦時中だからだとか,子どもだから女だからという押さえつけではなくて,気質としてのいい子ちゃんがお互いを引き合わせたのではないでしょうか。そんでそういう2人は当然嘘つきなわけで(優等生はえてして嘘つきだと心得る!)だから疑心暗鬼にもなるけど,自分をだますのも得意なのであっさり幸福感得られたりしてね。どのみち地に足がついてないことに幸せを感じられるのは,優等生を育んだ土壌であるおうちってやつがどーんと後ろにあるからだよね。と改めて思いました。
マルトが自殺するのは小説っぽくて,ちょっと盛り上げすぎな感じもするけど,男寡になったジャックを観察する主人公の様子に少年ならではの傲慢さがあって好きです。
いかんせん,17歳でこれを書いたということには驚かずにはいられませんでした。愛とはなんぞやという問いの終着点にきらきらしたものを期待してる感には青さを感じるけど,それがかわいくもあったり。ほんと,他者との違和に支えられてる自分を俯瞰してるあたりに好感がもてる小説でした。
Posted by ブクログ
友人に熱烈に薦められて読んだ一冊
ロマンチシズムに溺れずして利己主義に溺れる。
16歳にしてこの倒錯した価値観が凄い、そりゃあ夭折もするわな。
原文の華麗な文体で読める人はきっと幸せだろう。
Posted by ブクログ
若さのエゴイズム、欲望、戸惑い、残酷さ、憧憬、同化し同化される恋愛の心理が余すことなく書かれている。若くなければ書けないし、十代でこんな作品を書いたラディゲはやはり天才である。読めば十代の頃に立ち戻り、願望を満たしてくれる。
禁じられた遊び「愛のロマンス」のメロディが頭の中に鳴り響く。若き人妻との禁断の恋であるのに背徳観がないのは文体によるのだろうか。
Posted by ブクログ
自分の心理を(発見を?)何の常識にも定説にも預けずに描写しきってるの。作品の評価に年齢は関係ないけどやはり天才とは早熟の人をしていうのだと思うよ。ラスト数行でゴゴゴと音がしそうな程強くどうしようもなく流れる時流と諦念みたいなものに巻き込まれるのを感じた。いや「諦念」じゃないか…?うむ。 「自らを責める者の誠実さしか信じないというのは、あまりにも人間的な欠点である。」ドニーズもめちゃくちゃ面白かった。
Posted by ブクログ
あらすじだけを言えば、まだ十代の若い男が人妻であるマルトと不倫関係に陥り、最終的にはマルトが不倫でできたと思われる子供の出産のせいで死ぬという悲劇的なもの。この話自体で何が言いたかったのかよく分からないが、内容それ自体よりも、その過程の描き方や心情の分析が鋭く、良い作品にしている。
この作品は筆者が若干17~18歳の時の作品であるということに驚く。内容や筆遣いがそのくらいの年齢の人物によって書かれたと思えないものである。印象的なのは、婚約し同棲する夫との寝室の家具をマルトと主人公が選ぶところである。主人公は結婚するマルトの夫に対して嫉妬を覚えるが、マルトとその夫の家具の趣味を否定し、彼らが自分が選んだ家具に囲まれて寝ることを想像しながら、彼らの寝室をデザインする。当初はその寝室は素晴らしいものに思えたが、マルトと不倫を重ねるにつれて、その寝室のデザインを彼女の趣味に合わせて選ぶべきだったと後悔するに至る気持ちの変化も丁寧に描かれている。その部屋は、マルトの夫に対して嫉妬する気持ちから生まれたもので、彼に対する自分の悪意を意識させるし、マルトにデザインさせた方が、自分の愛する人のデザインということで、そのデザインを尊敬できるからである。また、マルトの不在中にその部屋で他の女性と逢い引きをするというのも皮肉な話である。
彼女を深く愛するようになる前は彼女の考えなどを真っ向から否定することができ、そのことで自分はまだ彼女に夢中になっているわけではないと思いこむことができた。しかし次第に彼女の考えに反発することができなくなり、むしろ自分が間違っているのではないかと思うようになる。彼女を尊敬し始めていて、それによって自分が彼女を深く愛しているということを意識する。この心の変化はとてもよく分かるものだった。「はじめは野卑な感情が僕を欺いていたのだが、今は、ずっと奥深い、優しい感情が僕を欺いているのだった」という表現はとても的を得ていると思った。
また、気になったところは、一体マルトは誰に対して誠実だったのかという点だ。彼女は一応生まれた子供は早産であっただけで、主人公との子供であることに間違いはないと言っているが、真偽は不明である。もしも主人公に対して誠実であったならば、これは背徳的な愛の話ということになるだろうし、逆に夫に対して誠実で主人公とはただの遊びであったとするならば、彼女は娼婦であり、主人公は彼女に弄ばれ日々懊悩としていたという喜劇的な話になるだろうと思う。また、主人公も夫も弄ばれていたということも考えられる。これら三つのどれも考えられることだし、どのようにも解釈ができるように敢えてはっきりさせていないのだと思う。私としては2番目の解釈が正しいような気がするし、タイトルの意味もそれにふさわしいものであると思う。
冒頭でも言ったように、この作品のよさは内容それ自体よりも、主人公の心情の変化を残酷なまで正直に丁寧に描かれているという点である。皮肉にも作品中に「子供はなにかと口実を考えるものだ。いつの両親の前で言いわけをさせられているので、必然的に嘘をつくようになるのだ」という一文があるが、この作品を書いた年齢的にまだ子供っぽさが残る年齢でありながら、正直に気持ちを表現できているという点が特に素晴らしいのだ。
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戦時の最中における、少年と若い人妻の性愛
時代背景や不倫関係などから来る罪深さが、より愛の強さを浮き彫りにする。
これほどまでに感情の起伏や揺れが赤裸々であるが、生々しい描写が一切ないのに素晴らしさを感じる。
欲求に純粋であればあるほど、人は非道であり、そこに文学と美しさがある。
Posted by ブクログ
これを18の時に書いたというラディゲは天才だ。自分が当時17歳頃に本作を読んだのだがその時は著者の才能に激しく嫉妬した。今読むとまた違う印象を受けるのだろうか?一人暮らしする際に持っていた本を売ってしまったがまたいつか再読したい
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大学のフランス文学講義の予習で読みました。
フランス文学は人間の内面を緻密に表象していくのが特徴的ですが、「肉体の悪魔」では感情をどこか俯瞰したような機械的な描写で内容が濃かったです。
マルトと僕のお互いのバランスの駆け引きが一文で記されたりしますが、何倍も時間をかけてじっくり読みました。
主人公「僕」もそんな語り方の癖を自覚しているかのように、このように語っているのが面白いです。
『父の首尾一貫しない行動の理由を知りたいという人のために、僕が3行で要約してあげよう。最初は僕を好き勝手に行動させておいた。次にそのことを恥じて、僕よりむしろ自分に腹が立ち、僕を脅した。だが結局、怒りに流されたことを恥じて、僕の手綱を緩めたのだ。』
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早熟で完成されたラディゲの文体に対し、少年の稚拙な行動や発言にはどこか乖離があり、違和感は感じた。
しかし、展開や結末はよく練られており独特な世界観を堪能できた。
できるだけ情景描写と甘美な表現は抑えられていて読みやすく、女性にもお勧めです。
Posted by ブクログ
登場人物を全員張り倒してやりたい・・・この話をここまで高潔な文章で静謐に綴った著者が本当にすごい。
しかも、内容がすべて主人公の少年の回想と独白というスタイルなので「相手が本当はどう思ってたのか」とか「本当のところはどうだったのか」とかが曖昧で何度も読んで色々考えるのも面白い。本当に主人公との子どもだったのか?それとも夫?彼女は最後に読んだのは主人公の名前?それとも子供の名前?
それにしても、妊娠後期の女性を極寒の雨の中歩き回らせる主人公を本当に張り倒したい。それ以降彼女は体調を崩し、産後の肥立ちも悪くそのすぐ後に亡くなるので主人公のせいで彼女は亡くなっているのでは。だけどそれを、彼女は望んでたのかもしれない。
Posted by ブクログ
落ちてはならない恋に落ちてしまったことへの主人公の後悔がひしひしと伝わってくる。と同時に彼に嫌悪感を抱いてしまうのは、きっと作者の描写が優れているから。僕がこんな恋に落ちてしまったのは戦時中の不気味な雰囲気が影響しているのだ、と冒頭であるけれども、確かに作品全体に明るい雰囲気は漂っていない。薄暗い。
いつの時代も人は背徳的な恋物語を読みたがるのでしょうか。
Posted by ブクログ
良かった。
表現が凄く好きだった。あとがきを見ると筆者は必ずしもそこに重きを置いていないようだが、やはり十代の若さでこういう文章や話を作るというのは素晴らしいと思う。
写真とは違うが、古い版の新潮文庫の表紙は超おしゃれだった。
Posted by ブクログ
表題からは、もっとおどろおどろしい内容を想像していましたが、意外とあっさりとした平均的な心理小説。愛に対する節度は、中河与一の『天の夕顔』を思わせます。ただ、『肉体の悪魔』が16歳から18歳の間に書かれた作品であることは依然として驚異。ラディゲは神童扱いされることを嫌っていたようだけど。
Posted by ブクログ
物凄く濃い本でした。16~18歳位に書かれた作品ということです。恋愛に狂う少年の心の動きにぞくっとしたり「もっと上手くやれば…」と思ってみたり。楽しい本では無いのですがまた読んでみたいです。個人的には「ペリカン家の人々」が気に入りました。
Posted by ブクログ
タイトルも魅惑的ですが、内容もなかなか。古典的名作は早いうちに読むべきだな、と。その作品をなぞった後続の作品読んだ後だと、既視感みたいなものがあって感激が薄れるような気がします。
もったいないことですよね。
Posted by ブクログ
少年の頃、男は年上の女性に惹かれるものである。さらに他人のモノと言うのは、魅力が増して見える。
若気の至りは誰にでもあり、悩む姿は自分に重ねることができる。
そして、悩みと言うのは、永続的に続くものではなく、あるきっかけで一切気にならなくなるものでもある。
Posted by ブクログ
「『あんただって僕を捨てて、ほかの男たちが好きになるだろうよ』すると彼女は、自分には、決してそんなことはしない自信があるとはっきり言った。」
「どうして彼女はそうしたすべてを耐え忍んでいたのであろう? 彼女があまりにもものを重大に考えすぎ、くだらないことを気にするのをひなんした僕の躾の結果だろうか? 彼女はこれまでよりも幸福そうだった。だが、それは、何か異様な幸福で、彼女はそれに気詰りを感じているようだった。」
「だが、と僕は考えた。すべての人間が、自分の自由を恋愛の手に引き渡すところをみると、恋愛にはよほど大きな利益があるのに違いない、と。僕は早く、恋愛なしですますことができるほど、したがって自分の欲望を何一つ犠牲にしなくても済むほど強くなりたいと願っていた。同じ奴隷になるにしても、官能の奴隷になるよりは、愛情の奴隷になる方がまだましということを、当時僕は知らなかったのだった。」
「そう聞いて僕には自分がはっきりわかった。二ヶ月間ばらを楽しみたいという欲求が、残りの十カ月を僕にわすれさせていたのだ。そしてマンドルを選んだという事実は、僕たちの愛のはかなさのもう一つの証拠を僕に示していた。」
ただ、何かが虚しい。すごいな、とか、素敵だな、とか、愛しいな、っていうのは何故だかいつも長続きしなくて困る。
Posted by ブクログ
表題他2編。「肉体の悪魔」は早熟の天才レイモン・ラディゲ17歳の処女小説である。肉体の悪魔と聞いてチェンソーマンを思い浮かべる、どれだけ強い悪魔が出現するのかと期待するも、出だしの雰囲気は三島由紀夫の「仮面の告白」かな。性に目覚めた16歳の少年の一人で語り一人で納得するお話。
Posted by ブクログ
予備知識なしで、「ドルジェル伯の舞踏会」を読んでみて、良かったんですよ!解説にラディゲの作品ならこの「肉体の悪魔」が一番だ、と書いてあったので、不穏なタイトルだけど読んでみた。
肉体のこともあったけど、ドルジェル並みに精神の揺らぎが緻密に描かれていました。ドルジェルと違うのは、思考がマイナスなこと!ドルジェルはプラスだったので、悩みつつも爽やかで青春ぽい煌めきが良かったのですが、まあ主人公のこじれっぷりったら!!
若い男性あるあるなのかもしれないですが、考えすぎ回り道しすぎ素直じゃないのに、根だけは真っ直ぐ。
タイトルらしく肉欲のほとばしりが強く感じられたのは、一緒に収録されている「ドニーズ」でした。短いですが、強烈なサンプル。
そして、一番面白かったのが、同じく一緒に収録の「ペリカン家の人々」。冒頭から普通のお宅の普通そうなやりとりにウラがいっぱい。理解しきれたとは思いませんが、こりゃあすごい才能だなと思いました。
Posted by ブクログ
満足
その時代を生きながらにして、その時代にいる自分を描くのは大変な功績だ。
彼は「戦争が自分を子供でいることを許さなかった」と書いているが、果たして彼以外にこれが書けただろうか。
もはや年齢の問題ではなさそうだ。
Posted by ブクログ
友人に勧められて読んだ本。
恋愛の心理描写のある本を読みたくて。
全体の8割が内観的な文章なのに、
しつこさを感じさせないラディケの文才に驚く。
だらだらとなりがちな物語を、若くして書いたとは信じられない、人生を達観したラディケの一文が引き締める。そういう箇所が随所にあって、いちいち唸ってしまった。
恋愛の感情の波をよく表現していると感心しつつも、あんなに情熱的になれるなんてタフだなと若干の尊敬がわく。まあ主人公にとっては、本当の初恋なので、その情熱に納得しつつ。
後半は、この先どうなるのかとハラハラしつつ読み進めた。
ラストが切なくて複雑な余韻を残す。
フランス映画的な「人生なんてそんなもの」な終わり方だった。ビターだわ。
Posted by ブクログ
著者が16~18歳の頃に書いた小説だと聞いたけど、とてもそうとは思えないほどに冷静な筆致だと感じた。10代は恋に恋する傾向の強い年頃だと思うけど、そうして恋に溺れたり愛情ゆえにエゴイスティックな気持ちが生まれたりすることまでをもとても冷静に観察し、克明に描いているところが印象的で面白かった。そして残酷で皮肉がきいていて驚きのラストが良くも悪くも魅力的で鳥肌がたって好き。
Posted by ブクログ
翻訳のせいなのか、言葉がぎこちなくてイライラした。
少年から青年になりかけている男が人妻と不倫する話。
恋愛中の支離滅裂な心理をよく描けているが、それ以上の感想は特になし。
今一つピンとこない本だった。
Posted by ブクログ
恋愛。青年と人妻の悲劇。(まぁ大抵は悲劇になりますよね…´д` ;)
ラディゲは『肉体の悪魔』から、戦争が原因の"放縦と無為"によって一人の青年をある型に入れ、一人の女性を殺しているのが見てとれるだろうと語っている。戦争の影など微塵も感じさせない本だが、改めて考えると、戦争のためにジャックはマルトから離れないといけなかったのだから戦争の鋭い影が主人公とマルトを殺したんですね。
これは恋愛悲劇です。
恋愛した心情が驚くほど分かりやすく描かれている。なるほど、面白いッ‼コロコロ様変わりする気持ち、不安がってたのに次には喜んでる!なんて忙しいんだ。「少しは休め」、といいたくなる…けど違うんだろうなぁ。
主人公がピュアです。←私はそう感じました。
他に収録されてる『ドニーズ』のオチは笑えますよ(笑)