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読むのに7日間かかった。
『失われた時を求めて』読み終わった!2年4ヶ月かかった。
私は集英社の鈴木道彦訳で13巻の『失なわれた時を求めて』を読み終えるのに、5年もかかった。
岩波文庫、全14巻、本文のみ6632ページ(誤差あるかも)を、1日50ページを目安に読んで、127日かかった。
『失われた時を求めて』は他の本を並行して読みながら半年くらいかかった。
『失われた時を求めて』は非常に長大な小説で、翻訳や版によってページ数が異なります。具体的な例を挙げると以下のようになります:
1. 光文社古典新訳文庫
•光文社版は全訳であり、全14巻に分冊されています。
•1...続きを読む 冊あたりのページ数は約300〜500ページ程度。
•全巻を合わせると約6,000ページ前後になると考えられます。
2. ちくま文庫版(鈴木道彦訳)
•こちらも全訳版で、全13巻(+別巻1巻)構成。
•1冊あたりのページ数は400〜500ページ程度。
•合計で約6,500ページ以上。
3. フランス語原文
•原文(Gallimard版、La Pléiade叢書)の場合、全7巻で約4,300ページ。
(原文は日本語訳より簡潔な表現が多い)
参考:読むペースの目安
1日50ページ読んだとしても、全巻を読むには3〜4ヶ月ほどかかる計算です。
もし特定の版の詳細や、どの版が読みやすいかについて知りたい場合は教えてください!
『失われた時を求めて』は「世界最長の小説」としてギネス認定されており、その量は日本語訳では400字詰め原稿用紙10,000枚、9,609,000文字数
失われた時を求めて 1~第一篇「スワン家のほうへI」~ (光文社古典新訳文庫)
by プルースト、高遠 弘美
その部屋は、読書や夢想、涙や官能といった、絶対的な孤独を必要とする私の行動すべてにわたって隠れ家のような役割を果たしていたと言っていい。ああ、当時の私はどうしてわからなかったのか。午後や夕方の絶え間ないそぞろ歩きの最中も、私の意志の弱さや虚弱体質、さらにそれらが示す先々の不安といったものが、祖父がいくらか不摂生になることなどよりはるかに、祖母の心に暗い 翳 を落としていたということが。
眠りについたあと、激しい歯痛に襲われても、それがまだ歯痛とは感じられず、あたかも二百回も続けて助けようとしている 溺れかかった少女や、繰り返してばかりいるモリエールの詩句のようなものだとしか認識されていないとき、目が覚めて、英雄的行為だのリズムがいいだのといった仮の姿が、知性によって歯が痛いという感覚から取り除かれるとすれば、だれでもほっとするだろう。
包みのなかから出てきたのは、『魔の沼』『フランソワ・ル・シャンピ』『愛の妖精』『笛師の群れ( 53)』だった。あとで知ったのだが、祖母が最初に選んだのは、ミュッセの詩集とルソー一冊、それにサンドの『アンディアナ』だった( 54)。祖母はくだらない読書はボンボンやケーキと同じくらい健康に悪いと考える一方で、相手がたとえ子どもであっても、天才の偉大な息吹が精神に及ぼす影響は、戸外の空気や沖から吹いてくる風が肉体に与える影響以上に危険だったり、生命力を 殺いだりするようなものではないと思っていた。
以前の私は、この小神殿をかこむ聖なる森のなかでぐずぐずしていることはなかった。それは、二階に行って読書をする前に、私の祖父の弟で、少佐で退役になった元軍人のアドルフ叔父[本来は「大叔父」]が一階で専用に使っていた休憩室に入ることにしていたからである。休憩室は、開け放たれた窓から、日光はまず届かないとしても、外の熱気は自由に入ってくるような日でさえ、その、森のなかのような、あるいはアンシャンレジーム( 100) のごとく過ぎ去った遠い日々を思わせる、薄暗い、ひんやりとした香り──うち捨てられた狩猟小屋に入ったときに長い時間、鼻孔を夢心地にさせるあの香りをいつまでも放っていた。しかし、もう何年もの間、叔父のアドルフのこの部屋に入ることはなかった。私の過失がもとで、私の家族と叔父との間に 諍いが生じて、叔父はそれ以来、コンブレーに来なくなったからである。そのいきさつはこうだった。
本を人に貸すのが大嫌いだった叔父は、黙ったまま、私を控えの間まで送ってきた。薔薇色の婦人に対する恋心に狂ったようになっていた私は、 嗅ぎ煙草の粉だらけになった年老いた叔父の頰に、夢中でキスを繰り返していたのだが、叔父はかなり困惑したふうを見せながら、さすがにあけすけに言うのはためらわれたものか、今日、私が叔父の家に来たことを両親に言わないでほしいと 仄めかした。私は目に涙を浮かべて、叔父の親切はこの先絶対忘れないし、いつか必ず恩返しをしたいと思っていると伝えた。事実、叔父から親切にしてもらったという気持ちはあまりに強かったので、二時間後、両親を前にして、最初はわけのわからない言葉を並べたあと、それでは今日あらたに高まった私の価値をきちんと両親に理解してもらえないように思った私は、今日の訪問について細大漏らさず話したほうが曖昧でなくていいだろうと考えたのである。私はそうして話すことが叔父を困らせることになるとは思っていなかった。叔父を困らせる気持ちなどひとかけらもない以上、どうしてそんなことがありえよう。また、私が悪いと思っていない訪問を、なぜ両親はいけないことだと考えるのか、私には想像もつかなかった。しかし、友達から、手紙を書けないから相手の女に、自分の代わりに謝っておいてくれと頼まれたのに、黙っていてもたいしたことはないとこちらが考えるだけでなく、女もそんなことを気にしていないと勝手に判断して、友達の頼みを反故にする、といったことは毎日起こっているのではないか。誰でもそうだろうが、私も、他人の頭など自分の意志で動くことのない従順な貯水タンクのようなものにすぎず、何かが入ってきても特別な反応はしないと思い込んでいた。だから、私は、叔父の仲立ちでさる女性と知り合ったというニュース…
読書している間、内から外へ、真理の発見へと絶え間ない運動を続けている、私の中心をなす如上の確信に続いて、本の筋立て(私もそこに参加している)が与えてくれる感動が押し寄せてくる。こうした午後の時間は、しばしば人間の一生がそうである以上に、劇的な事件に充ち満ちていた。それらは私が読んでいる最中の本のなかで突発的に起こる事件だった。
純粋に内的な状態というのはすべてそうなのだが、あらゆる情動が十倍になり、読んでいる本が夢のように、それも睡眠中に見る夢よりもはっきりした夢、その記憶がさらに長続きする夢のかたちをとって私たちの心をかき乱す、そんな状態に小説家によってひとたび投げ込まれると、私たちのなかには、ほんの一時間くらいのうちに、ありとあらゆる幸福や不幸が一気に解き放たれる。実人生であれば、そのうちのいくつかを知るだけでも何年もの時間が必要だろうし、最も強烈な幸福や不幸などは、あまりにゆっくり形成されるために私たちには知覚することすらできず、結局明かされぬままで終わるしかないだろう(かように私たちの心は実人生にあっては変化する。それはこれ以上ないほどの苦しみである。ただ、そうした苦しみを私たちが経験するのは読書の時間に想像力を通してでしかない。現実にはたしかに心は変わってゆくけれど、それはある種の自然現象がそうであるように、きわめてゆっくりとした変化なので、変化したさまざまな状態をあとから確認することはできるとしても、変化の感覚そのものは私たちにはない)。
そして最後に、私は意識のなかで同時に並んでいるすべての精神状態を内部から外部へと順にたどり続けながら、そうした状態を包み込む現実の領域まで到達しないうちに、別の種類の愉しみを見いだすことになる。それは、ゆったりと腰を下ろして、大気に満ちる芳香を感じる愉しみ、客に煩わされないという愉しみであり、サン・ティレール教会の鐘が時を鳴らすときであれば、すでに消費された午後の時間がひとひらずつ舞い降りてくるのを見る愉しみでもあって、それは鐘が鳴り終わるまで続く。最後の鐘が鳴ると、私は全部でいくつ鳴ったかを考える。そのあとには長い静寂が続いて、さらに読書の時間に充てることのできる夕食までの時間がそっくり、青い空のなかで始まるような気がする。フランソワーズが用意する美味しい夕食は、本を読みながら主人公を追いかけて疲れ果てた私を元気にしてくれるだろう。
そんな日を別にすれば、ふだんの私はむしろ静かに読書をすることができた。だが、それまで読んだことのなかったベルゴットという作家の本を読んでいるときスワンが訪ねてきて、こちらの読書をさえぎって註釈を加えたことがあって、それ以後、長い間にわたって、それまでのように紡錘型をした紫色の花模様の壁の上ではなくて、まったく別の背景、たとえば、ゴシックの大聖堂の 正面扉口 の前に、私が夢見る女たちのうちのある女の姿が浮かび上がることになった。
実際、驚くべきことではあるのだが、人は、自分が性的関係を結んでいる相手の両親の心のうちに、みずからの精神的美点に対する称讃の念を大いにかき立てるものだ。肉体的愛は、すこぶる不当な扱いを受けているが、どんな人間もその愛を通じて、善意や自己犠牲をとことん表にあらわすので、ごく身近にいる人びとの目にもそれらの美点が輝いて映るのである。ペルスピエ医師は野太い声と太い眉毛のせいで、好きなだけ裏切り者の役を演じても本当に裏切り者とは思われなかったし、気難しいが親切な人という、本来はそぐわない、しかし揺るぎない評判が傷つけられることはなかったのだが、荒っぽい口調で以下のような言葉を連ねて、司祭をはじめ、聞いている者たちすべてを涙が出るほど笑い転げさせるすべも心得てい
この年の秋の散歩は、長い間読書に耽ったあとだっただけに心地よかった。午前中ずっと、居間で本を読んで疲れがたまると、 旅行用コート を肩に羽織って出かけるが、長い時間、不動の姿勢を保たざるを得なかった体は活力とスピードを即座に 充 塡 され、四方八方にそれらを発散させる必要に駆られる(手から離れた 独楽 のように、と言えばいいか)。家々の壁、タンソンヴィルの生け垣、ルーサンヴィルの森の樹木、モンジューヴァンの家の背面部の茂みは、私から傘かステッキ代わりの棒で叩かれ、歓喜に満ちた私の叫び声を耳にすることになったが、そうした行動に導いたのはいずれも、私を亢奮させる渾沌とした想念──時間をかけて何かを解明するという困難な道よりも、もっと容易な直接的なはけ口のほうに向かうことを選び、光のなかでゆっくり休息するすべを知らない想念にほかならなかった。私たちが感じたことの解釈なるものはたいていの場合、私たちにははっきりと認識できない形でそれを外に出し、結局は私たちから追い払ってしまう 体 のものにすぎない。
むしろ、人はそうした快楽こそ彼女固有の魅力だと考える。なぜなら、そういうとき人は自分自身のことを考えるのではなく、自分の外へ出てゆくことしか考えないからである。私たちがひそかに待ち望む、内在的な隠れた快楽は、まさにそれが成し遂げられる瞬間に、私たちの傍らにいる女の優しい眼差しや口づけによって 惹起 される他の快楽のほうを絶頂に持ってゆくだけなので、とりわけ私たちの目には、女が私たちにもたらしてくれる数々の恩恵や幸福感から推察しうる女の親切心、私たちだけを愛してくれる感動的な態度に対する熱烈な感謝のあらわれのようなものとしか映らないのである。
小説を小説たらしめているのは細部の輝きである。細部にこそ神は宿るのであり、それゆえに、バルザックは、細部の真実に支えられた壮大なる虚構こそ小説だと言ったのだ。どれほど器用にあらすじをまとめたところで、それはブロンテのあの切迫した自然描写も、スタンダールの躍動感あふれる文体も彷彿させはしないだろう。
あらすじは砂金すくいと似ている。掌に残った砂(あらすじ)は、こぼれ落ちた貴重な砂金(言葉で織りなされる細部そのもの)とはついに無縁だからだ。 まだ読まぬうちからプルーストのあらすじを知ることは、そうした細部の輝きに目をつぶることになりかねない。私たちはあらかじめ知った筋を確認するために、プルーストの言葉をひとつひとつたどってゆくのではない。どうか、あらすじのことなど考えず、また、この読書を何かの役に立たせようなどと思わずに、ゆっくりプルーストを読む時間を作って頂きたい。
プルーストは一九〇七年頃から書き溜めた文章を、一九〇九年頃から小説として構想される作品に取り込んでゆき、一九一三年に第一巻目を刊行。その後、作品世界を圧倒的な筆力で拡大深化させ、一九二二年十一月、七篇まで膨らんだ作品の第五篇の校正途中で息を引き取った。周囲の人びとの献身的な努力によって、草稿その他から作品が編まれ、とりあえずの完成を見たのは一九二七年になってからのことである。初版の不備を正した第一回プレイヤード版が三巻で出たのが、一九五四年。現行のプレイヤード版四巻は何と一九八七年から二年かかってようやく纏められた。
プルーストがかくも時間をかけて、というより、自らの後半生をすべて注ぎこんで書き上げた『失われた時を求めて』に向かうとき、私たちに求められているのは、斜め読みせずに、一行一行を丁寧に読んでゆくことである。というより、私たち読者の義務はそこにしかない。その代わり、プルーストを読む行為が私たちに与えてくれるものはすこぶる豊饒である。
生彩あふれる自然描写、皮肉でいながら深みと立体感に満ちた人物造型、増殖する譬喩の連鎖、豊富な語彙……こうしたすべてがプルーストの美質として私たちの眼前に次々と現れてくる。プルーストを読む時間は、必然的に私たち読者ひとりひとりの過去の時間と結びつく。この感覚を味わうことができる小説はじつはあまり多くない。プルーストは中でもそれが際立つ小説家であった。
ここはやはり私がもっとも敬愛する文筆家(エクリヴァン)のひとり、吉田秀和の名著『ヨーロッパの響、ヨーロッパの姿』(一九七二年)の言葉を引いておきたい(「失われし時をめぐって」。のち、『吉田秀和全集』第八巻に再録)。音楽批評家、吉田秀和ほど的確にプルーストを読むことの本質について書いている文学者はほとんどいないだろう。ヨーロッパに滞在中、ある友人の家の書架にプルーストを見つけた吉田はその 開巻 劈頭 を読んで衝撃を受ける。
プルーストの最初のページは、私がずっと昔に経験し、そのあと忘れて暮らしてきたあるもの、ときに、思い出したかもしれないのだが、それをはっきり考えることができないあるもの、私の知らない私の中で根深く生きているあるものを呼び起こした。 私は、その翌日、さっそく街に出かけていって、『失われし時を求めて』の第一巻を買ってきた。例のプレイヤード版の大冊である。たいして早くは読めない。読めないばかりか、少し読み進むと、また、最初に戻って確かめるというふうにしか読めなかった。何を確かめるのか、はっきり自分にわかっていたわけではない。何かが生きかえってくる。それは確かな手応えのある感じだし、それが私には少年のころの母の匂…
私は、この小説を読んでいて、何かを知るというのではなくて、何かを思い出し、何かに気がつくのだが、それはこの本を読まなければ気がつかず、思い出さないことでもある。だが、それは、私がすでに生きたことのあるもの、たとえ実際の生活の場ではないにしろ、心のどこかでいつか出会ったか、小波のようにかすめていったかしたことがなかったら、気もつかず、思い出せるはずのないものでもあるのだ。私は『失われし時を求めて』の中で、自分の生きてきた時間を溯り、溯る間にはじめて時間の流れを自覚的に捉える。私は自分に再会し、自分を意識する。この本に出てくる事件は空間的拡がりももっており、それはまた私を拡げもするのだけれども、私がここで本当に知るのは、この《時間》の中であり、そこで私は《自分になる》のである。こういう《時》がなければ──時が流れ、私が私でないものに流れこみ、私でないものが私の中に流れこんでくるのでなければ、私は永久に私に再会することはなく、自分になることもないだろう。
吉田秀和のこの言葉につけ加えることは何もない。プルーストを読むときは耳を澄ませ、行きつ戻りつしながら、ゆっくりと自分自身の時間を反芻し、自分を取りもどしつつ、譬喩をはじめとするプルーストの文章そのものによって幸福感を得る。これが重要だろう。 だが、そのためにはしかるべき翻訳が求められることになる。
植物名や譬喩、教会建築その他、既訳と大きく異なる場合が少なくない。浅学菲才の私なりに、より正確で、かつ明快な訳を目指した結果そうなった。また、動植物は漢字かひらがなで表記するのを原則としたが、言葉そのものにことのほか敏感だったプルーストの翻訳である以上、姿やかたち、響きやリズムにも細心の注意を配りたいと考えたからである。同様に、漢字も常用漢字には縛られず、これがふさわしいと私が考える表記にしたことを合わせてお断りしておきたい(例。藝術、刺戟など)。一度読んでそれでおしまいではなく、いつでも手にとって、どこからでも再読可能な翻訳に仕上げるというのが本巻だけでなく、今後続く私の翻訳作業すべてに通底する基本方針である。
失われた時を求めて』にはコミック版もある。第七篇「見出された時」を中心に作られたラウル・ルイス監督の映画もある。また、既訳では表紙にヴァン・ドンゲンの描く挿絵を用いたものもある。そのいずれにも共通するのは「私」が作者プルーストそっくりに表現されていることだ。だがそれは、『失われた時を求めて』の読書にはむしろ不必要な前提ではなかろうか。突飛な例かもしれないが、 村上春樹の一人称小説を読むとき、「ぼく」に作者自身のイメージを私たちは当てはめているだろうか。カミュの『異邦人』の「私」を、アルベール・カミュだと考えているだろうか。『失われた時を求めて』はあくまで虚構であり、それゆえに、時代も国も言語も違う私たちの魂の底にまで届くのである。どうか「私」を、作者の顔と切り離して自由に想像して頂きたい。
一八七一年 七月十日、マルセル・ヴァランタン・ルイ・ウジェーヌ・ジョルジュ・プルースト、パリ郊外オートゥイユのラ・フォンテーヌ街九十六番地にあった、母親の叔父方で生まれる。当時のオートゥイユは村と呼ぶのがふさわしいところで、大叔父の家は石造り四階建てであった。父アドリヤンは三十七歳の医学博士。母はユダヤ人の資産家の娘ジャンヌ・クレマンス。アドリヤン・プルースト博士の十五歳年下の聡明で美しい女性だった。折しもドイツ軍のパリ入城とパリ・コミューンの年である。ジャンヌが叔父のルイ・ヴェイユのもとに身を寄せて出産したのは、パリ市内が動乱状態で危険だったからである。
一八八二年 十一歳 十月、フォンターヌ(翌年コンドルセと改称)高等中学校入学。マルセルは病弱で、しばしば長期欠席をする。成績は優秀。十代後半から芝居に通う。著名な文学者とも相知るようになる。
十月、オランダ旅行。これ以前の保養に加えて、オランダ行き以後、プルーストはヴェネツィア、カブール、ブリュージュをはじめ、各地に旅行をする。プルーストが現実に旅をした 数多 の土地が、小説家の想像力というプリズムを通して作品中によみがえることになる。
一九〇二年 三十一歳 十月、ベルギーとオランダに旅行する。フェルメール「デルフト眺望」などに深い感銘を覚える。
一九二二年 四月、『ソドムとゴモラ Ⅱ』刊行。 十一月はじめ、気管支炎から肺炎を併発。弟ロベールは入院加療を薦めるがプルーストは拒む。ここから死去までは新プレイヤード版の年譜にしたがうが、十八日の明け方、うわごとを言いはじめ、「黒衣の大女」を見たという。午後三時、プルーストはロベールに話しかける。四時半、息を引き取る。二十一日、サン・ピエトロ・ド・シャイヨ教会で葬儀。プルーストが愛したラヴェル「亡き王女のためのパヴァーヌ」が演奏される。二十二日、埋葬。 * プルーストの墓はパリのペール・ラシェーズ墓地にある。父母、弟夫婦と同じ墓所で、いまも訪れる人は絶えない。