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失われた時を求めて 2~第一篇「スワン家のほうへII」~ (光文社古典新訳文庫)
by プルースト、高遠 弘美
こうした心の接近は、若いころなら恋愛が必然的に目指す目的であったにしても、いまはその逆に、さまざまな観念連合によって固く恋愛そのものと結びついているので、もしそうした心の接近が恋愛の前に実現していたとすれば十分恋愛の原因となりうる。かつては恋する女の心を実際に自分のものにしたいと願った男たちも、年を取れば、単に女の心を我がものにしていると感じるだけで、女に恋することができるようになる。とりわけ恋愛のなかに人は主観的な快楽を求めるものだから、女の美しさに対する好みが恋愛のも...続きを読む っとも大きな部分を占めているように見える年齢でも、その 根柢 にまだ肉欲が芽生えていないのに恋愛──それも肉体的恋愛が生まれることがありうるだろう。人生のこの時期まで来れば、人は何度も恋愛を経験しているものだ。恋愛はもはや、不意打ちを食らってただ受け身になっている私たちの心を尻目に、未知ではあるが必然的なそれじたいの法則に従って、単独で発展してゆくものではなくなっている。恋愛は私たちの助けを必要とし、私たちは私たちで記憶や暗示によって恋愛を変形させてゆく。恋愛の兆候がひとつでも認められれば、私たちはそれ以外の兆候を思いだして、それらにふたたび命を与える。私たちは恋愛の歌う歌をそっくり一曲、自らのうちに刻みつけて持っているので、女が私たちに最初の出だし──女の美しさがかき立てる称讃の気持ち──を歌ってくれなくても、続きが何かわかる。もし歌の中ほど──二人の心が近づき、いまやお互いが相手のためだけに生きていると口にするころ──から始まったとしても、私たちはその音楽のことはよくわかっているから、相手の女が私たちを待っている 箇所 ですぐに合流できるのである。
もっと学びたいし、知りたいし、教えて頂きたいんです。本を読んだり、昔の文書を読みふけったりするのはきっとすごく楽しいんでしょうね」と附け加えたが、そこには、 優雅 な女性が「自分で生地を手で 捏ねまわして」料理するときのように、 穢い仕事も進んで引き受けて身を 汚すことこそ喜びですと明言するときに見せる自己満足の様子が浮かんでい
フランス語の間違いを犯すのが心配で、わざとぼそぼそと発音したが、それは、もしリエゾンの間違い( 36) をしでかしたとしても、相手がはっきり聞き取れないくらい曖昧に発音していれば何とかごまかせると思っていたからである。したがって、彼女の会話は不明瞭な 咳払いのようなものでしかなく、そこからときどき、これなら正しいはずだと確信を持って発音される単語が浮かび上がってくるにすぎなかった。ヴェルデュラン氏と話しているとき、スワンは少しだけなら彼女のことをからかってもいいだろうと思ったのだが、氏のほうはむしろ気分を害したようだった。
「あら、オデットの悪口は言っちゃだめ」とヴェルデュラン夫人は子どものような口ぶりで言った、「あのひと、魅力的よ」。 「魅力的でないなんて言っていないさ。私たちは悪口を言っているんじゃない。ただ、貞操堅固でも頭がいいわけでもないと言ってるだけだよ。率直に言ってあなた」と氏は画家に顔を向けて言った、「オデットが貞操堅固だなんてこと、そんなに望ましいことだと思います? もし身持ちがよかったら、ずっと魅力的ではなくなりますよ、恐らくね」。
「だめですよ。とにかく話してはだめです。また息が切れてしまう。ジェスチャーで十分わかりますから。でも、本当に厭じゃない? ほら、何かちょっと……、あなたの上に花粉があちこち飛んでしまったんだ、きっと。手で 拭いても構いませんか。力を入れ過ぎていない? 手荒になっていませんか? 少しくすぐったいかな。ドレスのビロードに触りたくないからなんです。 皺 になってはいけないし。でも、わかりますよね。こうして固定しないと、花は落ちてしまいますよ。そう、こうして、ぼくがもう少し奥に挿してやらないと。まじめな話、ぼくのしていること、不愉快ではない? この花が本当に香りがないか 嗅いでみても厭にならない? 今までこの花の匂い、嗅いだことがないんです。嗅いでみても? 正直に言ってくださいね」
オデットの愛情がいくらか物足りなくて、期待を裏切るようなときでも、小楽節がやってきて、その神秘的な本質を彼女の愛情につけ加え、混ぜ合わせてくれる。小楽節を聴いているときのスワンの顔は、呼吸がいっそう楽になる麻酔薬を吸入しているように見えただろう。音楽から与えられる喜び、やがては彼の中で心からの欲求をかき立てることになる喜びは、そんなとき、実際に、いくつも香水を試したり、そもそも成り立ちからして自分と無縁だった世界と接触したりするときに感じる喜びと似ていた。私たちの目に見えないという点からするとその喜びは形を持たず、私たちの知性の手からするりと抜けてしまうことからすればそこに意味というものはなかった。その喜びに到達しうるのは、ただひとつの感覚を通じてでしかない。
オデットの夢想を実現できないことがよくあると感じたスワンは、少なくとも一緒にいるときは楽しく過ごせるように、また、何につけ、彼女がいだくありきたりの考えや悪趣味に正面から反対はしないように努めた。彼女に関わるものは何でもそうだったのだが、そうした 凡庸 な考え方や悪趣味さえも実は愛していて、それに魅力を感じていたのだと言ってもよい。まさにそれこそ彼女の特質だったのであり、この女の本質が現れ、はっきり目に見えるようになるのはそうした特質を通じてのことだった。だから、これから『レーヌ・トパーズ( 98)』に行かなくてはというので嬉しそうにしていたり、花祭りや、マフィンとトーストの出る「テ・ド・ラ・リュ・ロワイヤル( 99)」でのお茶の時間──そこに足繁く通うことが、女にとってエレガントだという評判を確立するには必要不可欠であると彼女は信じていた──に遅れないか心配になって、不安げながら真剣できっぱりとした眼差しになったりするとき、
彼女は私に、心の気高さ、魂の高貴さの証しとなるものを残らずくれたよ。噓じゃない。そして、これはそう言うしかないんだけれど、心や魂の高貴さは、思考も同じレベルまで行っていないととても到達できるものじゃない。たしかに夫人は、藝術について深い理解力を持っている。でもね、彼女が誰よりもすばらしいのは、たぶんそのせいじゃない。みごとなほど、洗練されていてすばらしいというほかない、私のためにしてくれるほんのちょっとした仕草、天才的な気遣い、打ち解けてなお崇高さを感じさせる仕草──こういうものを見れば、夫人がどんな哲学論文も及ばないほど深く人生を理解しているかがわかるんだよ」。
ブリショが示すたぐいの才気は、真の知性と両立するものではあるけれど、スワンが若い頃つきあっていた、価値観を同じくする仲間たちの間では、愚の骨頂と思われたことだろう。強靭で豊かな大学教授の知性は、おそらくスワンがその才気を評価している社交界の人間たちからしても 羨望 の的だったかもしれない。だが、スワンは少なくとも、社交生活に関わる万般、さらには、知性の領域に由来するはずの附随的部分──つまり、会話──について、彼らから徹底的に好悪をたたき込まれたので、ブリショの繰り出すジョークはどうしてもペダンティックで品がなく、胸が悪くなるほど厭らしいとしか思えなかったのである。スワンは上流社会のマナーを習慣として身につけていたから、この軍隊好きな大学教授が個々人に向かって話すときに、わざわざ軍隊式の荒っぽい言い方をすることに不快感を覚えていた。その晩、オデットが何を考えたものか、ともかく晩餐に連れてきたフォルシュヴィルに対して、ヴェルデュラン夫人が惜しみなく愛想をふりまくのを目の当たりにしたせいで、スワンはおそらく寛容さを失っていたのだと思う。オデットは到着するやスワンに対していくらかおどおどしながら、
いま評判になっているデュマの新作への、控え目ながら明快な言及をさりげなく口にした当意即妙の才と大胆さに我ながら恥じ入りながらも大きな喜びを感じたコタール夫人は、思わず笑いだした。天真爛漫な人に特有の、魅力的で耳にも障らないその笑いを抑えるのは難しくて、彼女はしばし、笑い声を立てていた。「あのご婦人はどなたなんです? 才気がありますね」とフォルシュヴィルが言った。 「いいえ、サラッド・ジャポネーズではありません。でも、皆さん、金曜日の晩餐会にお越し頂ければ、お出ししますわ」
「あの方はじつに弁舌の才がありますね。記憶力もすばらしい」、画家が話し終わるや、フォルシュヴィルはヴェルデュラン夫人に言った、「あそこまで弁にたけた方には滅多にお目にかかりません。いや、すごいものです。私もあれくらい話すことができればと思います。きっと優秀な説教師にもなれるでしょうね。ブレショさんと並んで、甲乙つけがたい才人がここにいるということです。弁舌という点からすると、あの方はもう教授を追い越していると言っていいかもしれません。先生より自然ですし、さほど凝った表現を使いませんから。もちろん、言葉の端々に少々現実主義的に流れる言葉がないわけではありませんが、まあ、いまの時代の好尚ですから( 118)。軍隊用語を借用すれば、『痰壺をあれほどたくみに抱えることのできる( 119)』人に、私はそれほど多く会ったことはありません。軍隊で一緒だった仲間に、あの方とちょっぴり似ている男がおりました。奥さまがどう仰言るかは存じませんが、どんなことについても、たとえば、このグラスについて、何時間でもおしゃべりをすることができる男でした。いや、グラスの譬えはやめましょう。私の言うことが莫迦に見えますから。彼はワーテルローの戦いをはじめ、奥さまのご希望通り、どんなことでも語ることができるんです。しかも、話の中で彼は、聞いている私たちが考えもしなかったことを次々に話してくれるんですよ。スワンも同じ連隊にいましたから、その男のこと、知っていると思います」。
「気に入りましたとも。奥さん。すっかり魅了されました。私の好みで申し上げれば、まあ、少し断定的で、いささか陽気すぎる感は 否めませんけれど。あれでときには、もう少し躊躇したり優しかったりするところがあってもいいかなとは思いますが、じつに博学ですし、実直な人物に見えますよ」
「もう我慢できない。わかるでしょ? あん畜生ったら」。おそらく自己を正当化したいという模糊とした要求に従って、自分でもよくわからないままに使ったこの言葉は──なかなか死なない若鶏を相手にしたときのフランソワーズのように( 144) ──断末魔の苦しみを味わいつつ最後のあがきをみせる無抵抗な動物を絞め殺そうとしている農民が思わず洩らすものでもあった。
ピアニストはショパンを二曲弾くことになっていて、前奏曲が終わるとすぐに二曲目のポロネーズを弾きはじめた。だが、従姉のガラルドン夫人からスワンがいると聞いてから、レ・ローム大公夫人はそれが気になって仕方なかった。たとえショパンが蘇って、その場に登場し、作曲した曲を残らず演奏したとしても、大公夫人はそちらに注意を向けることはしなかっただろう。人類の半分が自分の知らない存在に好奇心を抱くとすれば、あとの半分は自分の知っている人びとに関心を寄せるものであり、彼女はそちらに属していた。フォーブール・サン・ジェルマンの多くの女性がそうであるように、彼女も自分がいまいる場所で、仲間内と言える親しい誰かがいると、とくに話すことはなくても、ほかのことはどうでもよくなって、もっぱらそちらに注意が向いてしまう。そのときから大公夫人は、スワンが気づいてくれることを期待しながら、あたかも、目の前に出された砂糖の塊を引っ込められてしまった、実験用に飼育された白い 二十日鼠 のように、ショパンのポロネーズが与える印象とは無縁の、スワンにしかわからないサインを数え切れないほど浮かべた顔をスワンのいる方向に向けることしかしなかった。スワンが場所を変えれば、それに合わせるかのように、抗しがたい魅力を湛えた微笑を移動させていたのである。
スワンは断った。サン・トゥーヴェルト夫人宅を辞したらまっすぐ家に帰るとシャルリュス氏には言ってあったし、夜会の間ずっと、従僕の誰かが渡してくれるのではないかと期待していた伝言、あるいは夜会の後でも、たぶん家に帰ったら門番のところに届いているかもしれない伝言をみすみす無にする気にはなれなかったのだ。「かわいそうなシャルル」と、その晩、レ・ローム大公夫人は大公に言った、「相変わらず気持ちがいいひと。でも、とても辛そうにしているんです。あなたもおわかりになるわ。近いうちに夕食にいらっしゃるって約束してくれましたから。それにしても、あれほど頭のいい人があんな種類の女の人のことで苦しむなんて、どうかしていますわ。ずいぶん頭の悪い、つまらない女だっていうじゃありませんか」と彼女は、恋をしていない人間の思慮分別を発揮してつけ加えた。恋をしていない人たちは、才気煥発なる男が苦しんでも仕方がないのは、相手の女がその価値がある場合に限られると考える。それはほとんど、人間ともあろうものがコレラ菌のような微生物のせいでコレラに 罹患 するということに驚くのと似ているだろうか。
そうとわかると憐憫の情は消えたが、今度はオデットが愛したもう一人の自分に嫉妬を覚えた。そして、実のところ恋のかけらも含まれていない、愛するという漠然とした観念を棄てて、菊の花びらやメゾン・ドール[メゾン・ドレと同一]のレターヘッドには恋する思いがあふれていると考えるようになった今だからこそ、「彼女はおそらく彼らを愛している」としばしば考えてもさほど苦にならなかった男たちに嫉妬を感じたのである。苦しみがひどくなったので、スワンは手を額に当て、 片眼鏡 を外してレンズを拭った。この瞬間の自分の姿を見ることができたとしたら、彼は、煩わしい考えを取り除くように外した 片眼鏡、曇った表面に附着した心配をハンカチで消し去ろうとした 片眼鏡 を、今まで分類してきた 片眼鏡 のコレクションに加えたことだろう。
相手が黙っていることは相手が 喋ったことを頼りにして推測する。スワンの傍にいて、二人で、他人の無神経な行為や、誰かの野卑な感情について話しているとき、オデットは、スワンが両親の口からいつも聞いていて、彼も忠実に守ってきたのと同じ原則に従って、そうした行為や感情を非難した。それから彼女は、花を活けたり、紅茶を飲んだり、スワンの仕事を気づかったりした。それゆえスワンは、こうした習慣が、オデットの残りの生活でもなされていると考え、オデットが遠くにいる時間を想像するときは、そうした彼女の仕草を一つ一つなぞって思い浮かべてみることにした。
アルジェからチュニス、そしてイタリア、ギリシア、コンスタンチノープル、小アジアと旅をしたことがあった。旅行はほぼ一年続いた。スワンは完全に心が平静になり、ほとんど幸福だとすら感じた。ヴェルデュラン夫人はピアニストとコタール医師に対して、叔母にしても患者にしてもそれぞれ二人を必要としていないし、夫が今は革命のさなかだと確言しているパリにコタール夫人をむざむざ帰すのは思慮に欠けると説得しようとしたのだが、結局、コンスタンチノープルで船を下りたいというピアニストとコタール夫妻の願いを受け入れないわけには行かなかった。
譬えれば、ヴェネツィアを発ちフランスに戻ることになって、すっかり陰鬱な気分になっていたパリジャンにとって、最後まで残った一匹の蚊が、イタリアと夏はまだ遠くへ去ったわけではないことを証明するようなものだったろうか。しかし、スワンが今そこから抜け出そうとしている人生の特別な時期は、そこにまだ留まろうというのではないにしても、せめても可能なうちに、それがどういう時期だったのかを明確に把握しようとすると、たいていの場合、もはやそんなことはできないということにスワン自身、気がつくこととなった。
もしゴシック藝術がそれらの土地や人びとに、今までなかったある種の限定をもたらしたとすれば、ゴシック藝術のほうも、その土地や人びとからある限定を受けずにはいないだろう。私は思い描こうとした。そうした漁師たちはどのように暮らしていたのか。死の断崖の下、地獄の海岸の一点に寄り集まった彼らが、中世という時代にあって、恐る恐る、思いもかけぬ形で構築しようとした社会的関係とはどのようなものだったのか。かつてゴシック藝術は都市と切り離せないと考えていた私にも、それはいまや都市から離れていっそう生き生きと感じられた。ある特殊な状況下では、荒涼とした岩塊の上に、ゴシック藝術はどのようにして、美しい鐘塔という形で芽ばえ、花開くのかがわかったような気がした。私はバルベックでもっとも有名な、縮れ髪で鼻の低い使徒たちや 正面 入り口 の聖母の彫像の複製写真を見せてもらった。潮気を含む永遠の霧に合わせて浮かび上がるそれらの彫像を実際に見られるのだと思うと、息が止まるくらいの喜びが胸いっぱいに広がった。嵐になりそうな、されど暖かい二月の夜、風は私の部屋の煖爐の炎を小刻みに揺らめかせるくらい強く吹いて私の心までも同じように震わせ、バルベックへの旅の計画を吹き込み、私のうちでゴシック建築への欲望と海上の嵐に対する欲望を混ぜ合わせるのだった。
春ではあっても、本の中にバルベックの名前を見つけただけで、嵐やノルマン式ゴシック藝術への欲望が目覚める。たとえ嵐の日であっても、フィレンツェやヴェネツィアの名前は、太陽と百合の花[フィレンツェのシンボル]と 総督宮[ヴェネツィア総督の公邸]やサンタ・マリア・デル・フィオーレ( 9) に対する私の欲望をかき立てることになった。
シャンゼリゼにゆくのは私には耐えがたかった。せめてベルゴットが一冊でも著書の中で描いていたら、私もシャンゼリゼをもっと知りたいと思っただろう、これまでもまずは私の想像力の中に「複製」が持ち込まれてすべてが始まったのだから。想像力がそれらを温め、命を与え、個性をもたらす。そうなれば私としても現実の世界でそれらに再会したくなる。されど、この公園には私の夢想と関係しているものは何ひとつなかった。
恋をすれば人はたちまち、誰のことも愛さなくなってしまうものだから)ではあるけれど、ジルベルトの傍らにいられる時間、前の晩から待ち遠しくてたまらなかった時間、その時間のために打ち震え、そのためにほかのすべてを犠牲にしてもいいと思える時間は、少しも幸福な時間ではなかったのだ。私にはそれがよくわかっていた。というのも、その時間は、私が細心の注意を粘り強く集中させる、人生でも珍しい時間だったのに、どれほど注意を払っても、そこにほんのわずかな愉しみも見いだすことができなかったからである。
あるいは、女が私たちに抱く愛情をより 確乎 たるものにするために、日本の庭師がたった一本の花を美しく咲かせようとして他の何本もの花を犠牲にするのと同じように、女に対する愛を告白するという喜びを諦めることもありうるのである。
会いたいと思えばこそ、何ヶ月も前から、ジルベルトがパリを離れる時期や行き先のことしか知りたいと思わなかったし、こうも考えたのである──もしジルベルトがいないのなら、世界で一番気持ちのいい土地も流刑地にすぎない、シャンゼリゼで彼女に会えるならいつまでもパリにいたいものだと。その観点が容易に私に示してくれたことをもうひとつあげれば、ジルベルトの行動のうちには、私が心を砕いた気遣いや会いたいという欲求が見当たらないということになるだろうか。ジルベルトは家庭教師を高く評価していたが、私がその家庭教師をどう考えているかはまったく 斟酌 しなかった。 先生 と買い物に行くならシャンゼリゼに来ないのは当然と考えていたし、母親と外出するならシャンゼリゼへ来なくても楽しいと感じていたのだ。もし私に自分と同じ場所に行ってヴァカンスを過ごすことを許してくれたとしても、少なくとも行き先を決めるのは、両親の意向と人から聞いたあまたの楽しみをジルベルト自身、どう思うかにかかっていたのであり、私の家族が私をどこに行かせたいと思っているかなどはまったく問題にされなかった。
「それなら誰のことかわかったわ」と母は思わず声を上げ、私は恥ずかしさで赤くなった、「用心、用心、と、亡くなったお 祖父 さまならおっしゃるところよ。あんな人を美しいだなんて。ひどく不器量な人よ、昔からそうだけど。あれは 執達吏( 65) だった人の未亡人でね。覚えていないかしら。あなたがまだ子どものころのことだけど、体操教室( 66) へゆくたびに、あの人を避けるのにわたしがどれだけ苦労したか。わたしのこと、知らないくせに、話しかけてこようとしたのよ。それも、男の子とは思えないほどかわいいお子さんですね、なんて言って。いろんな人たちと知り合うことにいつもすごい情熱を燃やしていたわ。前からずっと思っていたんだけれど、もしほんとうにスワンの奥さんを知っているとすれば、頭がどうかしちゃったというほかないわ。だってね、平凡な家の出身ではあっても、少なくともわたしにとやかく言われるようなことだけはなかったんだから。まあ、ずっとつきあいの輪を広げる必要があったということね。ほんとうにいやな人だし、おそろしく下品で、しかも気取り屋なんだから」。
スワンについて言えば、私は自分を彼に似せたくて、食卓ではずっと鼻をきゅっとつまんだり、目をこすったりしていた。父は「この子は 莫迦 だねえ。そのうち、みっともない顔になるよ」と言った。とりわけ私はスワンと同じくらい、 禿げ上がった頭になりたいと思った。スワンは私の目には並外れた人物に見えたので、私がふだん会っている人たちがスワンの知り合いだったり、たまたま何らかの偶然が働いてスワンとばったり出会ったりするというのは、奇蹟のようにも思われた。ある日のこと、いつものように夕食の席での会話で、母が午後の買い物のことを話していたとき、「そういえば、今日、トロワ・カルチエ( 67) の傘売り場で誰と会ったと思う? スワンさんよ」と言っただけで、話のほかの部分は死ぬほど退屈だと思っていたのが、そこだけ神秘的な花が咲いた気がした。その日の午後、ごった返す買い物客の中にとても現実とは思われない姿を浮かび上がらせながら、スワンが傘を買うためにその場にいたことを知るのは、何ともの悲しい喜びであったろう。
灰色の空や 凍てついた空気や裸木を前にして、生き生きと青い花を咲かせている菫は、季節や天気を単なる額縁としてしか考えず、人間的な空気、この女性の空気に包まれて生きてゆこうという花々──そのサロンの、燃える煖爐の火のそばに置かれた花瓶や 装飾花台 の中で、絹を張ったソファーを前にして、閉ざされた窓の向こうに降る雪を眺めている花々──と同じ魅力を放っていたのだ。
文学はどこまでも人間的なものである。文明に対するさまざまな脅威に抗し、あまたの悲劇を乗り越えて連綿と書かれてきた。悪や退廃を描こうと、そこに連ねられた言葉はどこか祈りに似ている。『失われた時を求めて』も例外ではない。一見遠い国の、私たちとは無縁の社会や人々を描いたかに見えて、じつは深く関わりうる作品なのだ。
結局、人は自身の能力に見合ったことでしか社会貢献はできない。いささか口幅ったいことを言うようだが、どんなかたちであれ、文学に携わっている者たちは今後とも、人間精神の探究に努め、精神の自由をめざし、世の不条理にあらがって、いっそう豊かな生の時間を取り戻すべく、一つ一つ丁寧に言葉を紡いでゆかなければならない。こたびの震災で、そのことを私ごとき者でも肝に銘じた。
「スワンの恋」には他の巻では見られない特徴がある。 それはこの第一篇第二部だけ三人称で書かれているということで、これ以外は第三部もふくめてすべてが「私」という一人称によって語られている。
ただ、それはプルーストの小説の欠点ではなくて、それが『失われた時を求めて』という小説の、あえて言うなら、大きな魅力なのである。私たちが読んでいるのは、作者が机の前の壁に張り出した登場人物たちの年代記を絶えず見ながら書いた作品ではないし、ましてや、歴史小説でもない。『失われた時を求めて』はあくまで虚構であり、必要以上に現実世界の出来事や「年代記」と照らし合わせることはないので、どうか一つ一つの挿話を読み進めることで 確乎 たる小説的現実が時のゆらぎを伴って私たちの脳裡に形作られる経験を大事にして頂きたいと思う。
私は決して 愚昧 主義を標榜しているわけではない。ただ、過度の情報に振り回されると、それだけでプルーストの世界が「わかった」気になってしまう恐れがあると言いたいのだ。『失われた時を求めて』は「わかった」という言葉とは無縁の読書の時間を私たちに与えてくれる稀有な書物のひとつである。プルーストは再読してこそ、その世界のもつ豊饒さを私たちに惜しげもなく差し出してくれる。その点でも、まずは 虚心坦懐 にプルーストの言葉の世界に浸ること。
オスカー・ワイルドとプルーストは、一八九四年四月、アルマン・ド・カイヤヴェ夫人宅で晩餐をともにした。P–E・ロベール『英国文学の読み手マルセル・プルースト』( P-E Robert: Marcel Proust, lecteur des Anglo-Saxons)(一九七六)はプルーストと英国文学の関係について詳しく調べ上げた労作だが、そこでも、プルーストがワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』や『 意向集』などをかなり読み込んだことが記されている。一方、作者の意図とは別に、一九一三年の読者で、ワイルドの「幸福な王子」を読んだことのある人びとは、バルベックという地名に、現実には達し得ない遥かな夢の都市をどこかで重ねたかもしれない。
プルーストは再読してこそ愉しいと第一巻の「読書ガイド」でも記した。この「再読」ということについて触れておきたい。 これは私の持論の一つなのだが、再読とは一冊の本を最初から最後まで読み通すことだけを意味するのではない。気に入った箇所があれば、そこを何度も 繙読 するのも再読のひとつである。