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ヴィルパリジ夫人のサロンに招かれた語り手は、ドレフュス事件や藝術の話に花を咲かせる社交界の人びとを目の当たりにする。一方、病気の祖母の容態はさらに悪化し、語り手一家は懸命に介護するのだが……。第三篇「ゲルマントのほう」(一)後半と、(二)前半を収録。〈全14巻〉
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Posted by ブクログ
失われた時を求めて 6~第三篇「ゲルマントのほうII」~ (光文社古典新訳文庫) by プルースト、高遠 弘美 そうなんですよ。本当にそんな必要なかったんです。でも、結局、魅力のない人ではなかったから、あのひとのことを愛する人がいるということはすごくよくわかります。 ロベールがまったくの勘違いを...続きを読むしていたとは思わない。ブロックがしばしば怒り狂ったように他人を中傷するのは、自分は熱烈な好意を抱いているのに相手が応えてくれないからである。彼は他人の生活を想像することができないから、相手が病気だとか旅行に出ているかもしれないなどと考えることすらせず、ただ一週間返事がないだけでたちまち、わざと自分に冷たくしていると感じてしまう。だから、彼が友達として、のちには作家として最低の雑言を吐いたときも、私にはそれが本心からとは思えなかった。それらの言葉に冷やかな威厳を示して応じると激しさはいっそう増すし、卑屈に応えても激越ぶりが倍になって返ってくる。だが、熱のこもった共感を示せば、攻撃の手を緩めてくるといった調子だった。「気遣って、ということだけどね」とサン・ルーは続けた、「きみのためにぼくが気遣ったと言いたいのだろうけど、ぼくは何もしていないよ。叔母は、きみが彼女を避けていると言ってた。ひと言も話しかけてくれなかったとね。自分に何か恨みでもあるんじゃないかって訝っていた」。 病気になると私たちは、自分が一人で生きているのではなく、どこか異なる世界の存在、そう、私たちとは深淵で隔てられ、私たちを知らないし、こちらのことを知らしめることもできない存在に結びつけられていることに気づく、すなわち、私たちの肉体と。街道で追い剝ぎに出会ったとしたら、私たちの不幸に同情させるのは無理でも、何が自分の得になるかを理解させることくらいはできるだろう。 私たちの肉体に同情を請うのは、蛸に向かってだらだらと喋り続けるようなものだ。蛸にとって、私たちの言葉は水の音以上の意味はないだろうし、そんな蛸のような存在とともに生きていかなければならないとしたら私たちは恐怖に震えるしかないだろう。 同時に医者は、あらゆる細菌に比べて千倍も毒性の強い病因を接種することで、健康な人たちのなかから何人もの病人を作り出します。その病因とは自分が病気であるという考えです。こうした思い込みはどんな体質の人にも強い影響を与えますが、とくに神経質な人には格別の結果をもたらします。ためしにそういう人に、本当は閉まっている後ろの窓が開いていると言ってご覧なさい。そうすると、その人は早速 嚔 を始めるでしょう。ポタージュにマグネシア( 312) を入れたと言えば、 腹痛 を起こします。コーヒーをいつもより濃くしましたと言えば、一晩中まんじりともしない。 神経症がなければ、偉大な藝術家は存在しません。さらに言えば」と彼は勿体をつけて人差し指を立てながらつけ加えた、「大学者だって存在しないのです。 私たちはいつもホメロスの時代と比べて進化したわけではない藝術と絶えざる進歩を続けている科学とを区別するが、それは真理なのだろうかと。もしかすると、その点では逆に、藝術は科学と似ているのかもしれない。 ベルゴットはほとんど本を読まなくなっていた。彼の思想の大部分はすでに頭脳から著した書物へと移動していたのだ。彼は書物の分を切除されたかのごとくに瘦せてしまった。自分が考えていることをほとんどすべて外部の世界に出してしまった今となっては、何かを生み出す本能はもはや彼を執筆活動に駆りたてることはなかった。彼は恢復期の病人か出産したばかりの女性のように食べて寝るだけの生活を送っていた。その美しい目は、じっと動かず、少し眩しそうだったが、たとえて言うなら、海辺で横になって、ぼんやりとした夢想を追いながら、ただ小さな波の一つ一つを眺めている男の目のようだった。 プルースト、読んだよ」とか「カラマーゾフ、面白いね」と言いたいのに言えないときの一抹の悔しさのせいと言えばいいかもしれない。さりながら、読書にはとかくスノビズムがつきものだとはいえ、スノビズムを満足させるための読書はやはりどこか 歪 である。読書は根元的に生きる力、生の喜びに結びついていなければつまらない。それゆえ、「挫折」という、逆方向のスノビズムの存在を窺わせる言葉は、率直に言って、プルーストに限らず、中断した読書にふさわしい言葉ではない。 第一、どんな藝術にしても、それを享受する年齢あるいは時期というものがある。 バルザックふうの小説が好きな人なら、一連の人物描写、うわさ話、野心、社交界の話を喜ぶだろうし、嫌みが大好きな人たちは著者の皮肉を面白がるだろう。夢想家や冒険家はパリからヴェネツィア、ヴェネツィアからノルマンディと旅をすることになる。情熱に身を焦がす者たちや嫉妬深い人たちは、自らの心の動きに関する説明を見いだし、自分たちと同じように苦しみ、同じように忘れてゆく者たちがほかにもいることを知って安心するに違いない。幼年時代の失われた楽園を懐かしむ人びとは、語り手の回想に心動かされるとともに、いかにして失われたとばかり思っていた時間を再び見いだすのかを悟って幸福な気分になるだろう。 だが、書翰で軍の幹部を名指しで批判したゾラは軍から名誉毀損で訴えられ、二月二十三日、禁錮一年、罰金三千フランの有罪判決を受けることになる。ゾラは即刻上告するが、七月の再審でも同じ判決を言い渡され、ゾラはその日のうちにベルギー経由で英国に赴いた。八月、アンリの偽書が発覚。半月後、アンリは獄中で自死する。九月二十二日にはピカール中佐が逮捕され収監された。 プルーストの一族に医学の教授が二人いることは知られている。父アドリヤンと息子のロベールである。ここで強調したいのは長男のマルセルを三人目の医学の教授と見なしてもよいということだ。(略) 二十世紀初頭にあって、マルセル・プルーストは医学の大きな変動に寄与していただけでなく、それに身を投じ、その先を行っていた。もちろん包括的な変動という意味である。そのことを私ははっきり言っておきたいと思う。 マネの後にプルーストが評価したのはモネと印象派の画家であった。ガブリエル・フォーレの後は、『ペレアスとメリザンド』に魅了されてドビュッシーを特別扱いした。 教壇に立たない教授マルセル・プルーストは、実際には二つの講座を担当しうる教授というべきである。国際的に知られた文学の教授と、今こそ認めるべき医学の教授、それがプルーストであり、彼は二つの教授職を兼ね備えながら、一つの教育を施したのである。
ドレフュス事件によって分断されてゆくヴィルパリジ夫人のサロンの様子と、死にゆく祖母の様子が描かれる。/ 祖母の最期を描くこの巻は、老いた母を抱える身には、この物語の胸突き八丁かも知れない。 どうしてもプルーストが描く祖母の末期の様子が、母の姿と重なって見えてしまうのだ。 こんなことは四年前に吉川一...続きを読む義訳を読んだ時は思いもしなかった。 プルーストのこの物語は、流れる雲の位置によってその陰影を変化させてゆく山の端の木々の葉叢のように、読み手のその時々の心のありようによって七色に色彩を変えてゆくのだ。/ ヴィルパリジ夫人のサロンにおけるスノビズムにみちた会話の相克を読んでいると、ナタリー・サロートの『黄金の果実』を読みたくなって来る。 サロートの「地下のマグマ」にも、随分とご無沙汰だ。 それと同時に、サロンに漂うスノビズムには、ブルデュー「ディスタンクシオン」の匂いを感じる。/ 【趣味(すなわち顕在化した選好)とは、避けることのできないひとつの差異の実際上の肯定である。趣味が自分を正当化しなければならないときに、まったくネガティブなしかたで、つまり他のさまざまな趣味にたいして拒否をつきつけるというかたちで自らを肯定するのは、偶然ではない。趣味に関しては、他のいかなる場合にもまして、あらゆる規定はすなわち否定である。そして趣味(略)とはおそらく、何よりもまず嫌悪(略)なのだ。】(ピエール・ブルデュー「ディスタンクシオンⅠ」)/ 吉川訳で読んだ時に強い違和感を感じた祖母の最期に対するあまりにも文学的な美化さえも、祖母に仮構されているのがプルーストが34歳の時に亡くなった母であるとすれば、なんだか分かるような気がしてくる。 だが、この物語の本当の力とは、時が経てばしだいにおぼろげになって、ともすれば美化されて行きがちな人間の記憶のヴェールを取り払って、惨たらしいまでにその真実の姿をあらわにして見せる「異化」の力にあるのではないだろうか?/ 巻末の「読書ガイド」で訳者の高遠さんが、自分の務めは読み進めることが難しいと言われるこの作品を、味読してもらえるような訳文を作ることだと述べているが、高遠さんの彫琢された文章は、流れるようなその読み心地といい、見事にその務めを果たすことに成功しているものと信ずる。/ 「読書ガイド」及び「プルースト年譜」は、ドレフュス事件に対する彼の態度やコレージュ・ド・フランスのベルクソンの公開講義に出ていたことなど、プルーストに関する様々な情報を知ることができて、読書に一層の味わいを加えてくれる。/ 【その間、実の娘すら直視しようとしなかった、変わり果てた祖母の顔つきに読み取れるものから目を離さない人間、祖母の顔つきに吃驚したような不躾で禍々しい視線をじっと注いでいる人間がいた。フランソワーズだった。】/ 【(略)祖母の顔は小さくなるとともに険しくなった。顔に浮かぶ静脈は、大理石の石目ではなくて、ざらざらした石の模様のように見えた。呼吸が苦しいので前に身を倒したまま、同時に疲労のせいで外の世界に気が向かず自分自身のうちに閉じこもってしまった祖母の顔つきは、摩滅したかのごとく小さくなり、恐ろしく雄弁で、原始時代の、それもほとんど有史以前の彫刻に見られる無骨な、紫がかった、赤茶色の、絶望したような、どこか粗野な墓守女を連想させた。】/ 【長年苦痛のために生じていた皺やこわばりや贅肉や張りや弛みが消えたことで若さを取り戻した顔のうえに、髪だけが老年の冠をむりやり被せているのだった。祖母の両親が娘のために婿を選んだ遠い昔の日々のように、祖母は純潔さと従順さが繊細に象られた顔立ちに戻り、頬は、歳月が少しずつ破壊してきた清らかな希望や幸福への夢、無邪気な陽気さとともに輝いていた。祖母から立ち去った生命は、同時に生への幻滅も持ち去っていった。祖母の唇のうえにほほ笑みがひとつ浮かんでいるかに見えた。死は中世の彫刻家さながら、この死の床に祖母を、うら若き乙女の姿で横たえたのである。】
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プルースト
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