齋藤孝のレビュー一覧

  • 頭のよさとは「説明力」だ

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    京都精神に似た者がある。あった方がいいかもを削ぎ落とす。

    要点を3つにするのは難しいが、逆に3つにどう纏めるかという思考次第とも感じる。

    では、この本の良さを3つ。
    ①目次で要点が分かる。
    ②例え話がありイメージしやすい。
    ③こんな風に実践に移しやすい。

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    2023年11月16日
  • 齋藤ゼミ 「才能」に気づく19の自己分析

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    「あなたの人生の目標は何ですか?」と聞かれて
    即答できる人はどれだけいるでしょうか。

    「感謝している人を3人挙げてください」という
    問いにはどうでしょうか。

    人は意外と自分の内面を深く見直す時間を持つこ
    とが少ないです。言われて初めて慌ててしまうの
    です。

    この本ではそうした内面を見直す機会、時間を与
    えてくれます。

    それによって自分自身が大きく成長できるのです。

    たとえあなたが何歳であっても成長を促してくれ
    る一冊です。

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    2023年11月12日
  • 人生は「2周目」からがおもしろい

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    2年ぶりに再読。自分自身がいよいよ「2周目」に入ったからこそ、また内容がリアルに感じる。評価も星5つにアップ。

    (2023/11/09)
    50代向けの人生論。会社での評価、地位、収入などを気にして生きてきた40代までと異なり、新たな価値観で生きる必要があるこれから。真善美の追求を楽しむ、仕事とは離れた緩やかな人間関係を楽しむ等、知的好奇心を刺激してくれる一冊。ギラギラしたこだわりから距離を置く、老年期も悪くないと感じさせてくれる。

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    2023年11月12日
  • 書ける人だけが手にするもの

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    武術の本を読むのは好きだけど、斉藤さんこの本が最高傑作だと思う。
    自分が知りたい、具体的なテクニカルの方法が書かれていた。
    この本を持ち歩き、文章をたくさん書いていきたい。
    座右の書、認定。

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    2024年10月26日
  • 友だちってなんだろう?:ひとりになる勇気、人とつながる力

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    ネタバレ

    大人になって、友達について悩むことがあった。
    誰か特定の人というわけではなく、就職を機に初めての土地に来て、周囲に仕事関係以外に友達がいない。

    そんな悩みがあり、題名に興味が湧き、手に取りました。主な対象は中学高校生となっているけど、十分大人にも参考になることが書かれている。

    読み終えて、友達を探していること自体が間違っていたのではないかと思えた。
    友達ではなく、自分の好きなことを探して、それに没頭する。そのすきなことを通して、友達が見つかる。
    大人になって友達作りに悩んでいたけど、その解決策が明確に示されていて、心の靄が晴れた。
    本著の言葉を借りると、自分自身の課題は、友達がいないことを不安にならない方法を探すことだと考えて、何かハマるものを見つけてみる。1人で楽しめる力を養いたい。

    また、親友と呼べる人がいないことにも悩んでいたけど、気にしなくてもいいと思えた。なんでも打ち明けられる人がいなくても、一緒にいて楽しい人がいればそれで十分幸せだと思う。

    向上心を持って、憧れの一矢になって、周りの人を元気づける、そんな存在になりたい。

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    2023年11月04日
  • まんがでわかる 福沢諭吉『学問のすすめ』 (Business ComicSeries)

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    ネタバレ

    仕事は実力が第一
    大事なのは果たすべき役割

    人間は学問をするかしないかによって多き草がつく。だからみんながんばって学問にせいをだせ

    人間交際というのは心の持ちようだ。なにも他人を恐れたり遠慮したりする必要はない。自分の心をさらけ出してさくさくと付き合っていく方がよい

    なぜそうすべきかを明確にして自ら判断していくことが成長に繋がる

    信用とはひごろのつみかさねによってきずかれる
    福沢諭吉は信用は知性と正直な心という特によって次第に獲得していくものだと説明


    信じる疑うというときには取捨選択のための判断力が必要なのだ、学問というのはこの判断力を確立するためにあるのではないだろうか 

    ただはたらいてしぬだけのありのような一生をおくるな
    よい生活をする、よい会社にはいるといった自分の人生だけを考えるのではなく、世の中の役に立とうとする意欲や気概が人としての成長に繋がる

    その人の学校で学べるなんて本当に幸運です、
    はい、ぼくは慶應技術の学生です

    学んで学んで努力をしてせいかをえてそれでもなお目指すものにたいして暑く語る、ぶれないしんがあるから

    会社の規模や給料といっまステータスではなく誰のためにどう役立てるかを考えることでよりたかいかつやくができるようになるま

    勉強をする意味とはじぶんの頭で考え、物事を判断する力をえることです

    人は生まれ持った才能以上にモチベーションが大事です。やる気がある人が集まってる環境に身をおけば自分も上を目指そうという気持ちになるものです

    職場にあいしょうの悪い人がいると、ついその人の言動に目が行きがちですが、そのときはむしろ支店を変えて!きが許せる仲間がどれだけいるかを考えてみてください。

    出会いが増えればその分仲間とめぐりあうちやすもふえます

    他に仕事ありますか

    なんかがんばってるじゃん

    じぶんで物事を考え判断していくというのはいわば生きる力を養ってるともいえる
    人生でどうしたらいいか困っているときはまず自分の頭で考える
    正しいかどうか考える必要はない
    仮説を立て、かいけつさくをみちびく、その上でその考え方な正しいかどうかをまわりにきき、アドバイスをもらおう


    仕事のトラブルのとき、上司に相談することも大切だが、じぶんでもなにをすべきか、なにをしてはならないか、を考えじぶんなりの答えをだそう

    そのように答えをだした上で上司やセンパに、の件について自分は、、のようにかんがえましたがいかがでしょうか。などとたずねてみるべき

    自分の意見を持たずにただ他人にしたがってしまうだけだと、なにがただしくて何が間違っているかじぶんでものごとを見極める力がなくなってしまう

    ふくざわががくもんのすすめでつたえたかったのは学問をすることで自分の足でたって考え行動する力を養うこと。

    見失うときそんなときこそいま目の前に与えられたことを全力でこなしていけばいい、するといつしかそのときの経験が自分の成長のかて都なり財産になる

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    2023年10月31日
  • ネット断ち

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    斉藤先生と対談しているような気持ちになった。先生が言わんとする幸せな贅沢な時間だった。時々読み返して日常をる改めたい。

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    2023年10月31日
  • 大人の対応力

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     結局のところ、何をどう足掻いても基本的に人は変わらない。自分の受け止め方を見直して、見極める力を養えば、大人らしいスマートな対応ができる。デリカシーのない人や、非常識な人に対して、"希少動物がいる!"や"嫌味キター(^○^)ー!"くらいの余裕を。

     一つ、心に刺さった言葉がある。それは、「大人はストレートに言うべからず」という言葉だ。以下詳細である。「考えていることをそのままストレートに伝えてはいけない。それが正論だとしても。私達は善悪を判断する法廷にいるわけではなく、日常生活の中にいるのです。ここを忘れてはいけない。」かなり耳が痛いが、これは金言として心に留めていたいと思う。

    【一言感想】
    キレたって何も得なんてない。大人の余裕を持ちたいな。

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    2023年10月26日
  • 上機嫌の作法

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    ネタバレ

    黒柳徹子、板谷バカ三代、マツケンサンバ、よどがわさん
    テンポよく、文脈力、自画自賛力
    断言力、想像力、自分を笑い飛ばす力が上機嫌

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    2023年10月22日
  • 大人の語彙力ノート 誰からも「できる!」と思われる

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    自分を作る最大の要素"言葉"
    本書を読み終えたその直後のLINE一通から活用することで語彙力を増やしていこうと思った。

    ◎以下は要約
    ポイントの1つは漢語を身につけること。
    漢語は短い言葉で多くの意味を表す。
    【普段の会話】
    大丈夫です→問題ございません
    なるほど→おっしゃる通りです
    楽しみ→首を長くして
    【言いづらいことを言い換える】
    できません→しかねます
    ミス→不手際、粗相、落ち度
    手前味噌
    【気持ちを伝える】
    嬉しい→冥利に尽きます
    普通→月並み、陳腐、凡俗
    やりたくない→腰が重い、及び腰(中途半端)
    【重言をさける】
    考えます→検討する、判断する
    慧眼(けいがん)・・・本質を見抜く洞察力
    流麗(りゅうれい)・・・詩や文章がよどみなく流れる様
    【会議・打ち合わせ】
    いろいろと考える→勘案する、思案する
    うまくいくよう努力します→善処します
    【訪問・宴会・手紙】
    帰る→お暇する
    気楽にして→心置きなく、気兼ねなく
    (お心置きください→注意を払ってください)

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    2023年10月22日
  • 思考の達人デカルトに学ぶ むずかしい問題を考え抜く力

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    小学生向けに総ルビ入りで書かれています。

    つまり小学生でも、日々どうやって取り組むべき
    か頭を悩ませる問題に直面することはある、とい
    うことです。

    思い返せば、そうでしたよね。
    そんな時こそデカルト的思考を使うべきなのです。

    ①決めつけない
    ②問題を小さく分ける
    ③簡単なことから始める
    ④見直しをする

    これだけです。

    それを国語や算数などの学校を例にして、実践を
    学びます。

    学校の問題だって小学生からしたら悩ましい問
    題なのですから、これを理解できれば頭がスッキ
    リとするはずです。

    デカルト。すごいぞ。
    クリックお願いします。

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    2023年10月14日
  • 20歳の自分に教えたい本物の教養

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    全体的には「教養の入り口」がたくさん紹介されている本だった。入り口の入り口って感じ。
    しかし齋藤孝さんの本の紹介の仕方が非常にうまくて興味がなかった分野も覗くことができた。

    全体的に浅く広くな内容だったが知識として得られるものはとても多い!
    これから各方面にどっぷり浸かっていこうと思う!

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    2023年10月07日
  • 書ける人だけが手にするもの

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    自分自身が学生の頃を考えたときに、文章を書くことに対して、確かに苦手意識はあった。最近副業を日々繰り返していく中で、文章を書くことに対して苦手意識がなくなって来た。
    改めて見ると、私自身がこの本を読む前から、文章を書くときには話すように書くことを知らず知らずのうちに、実践していたことに驚いた。
    話すように書くことによって、次から次へと言葉が浮かんでくることも本当でときには書きすぎてしまうくらい。
    この作品を読んだことで、今の私のやり方は間違ってはいなかったのだと、自分に改めて自身が持つことのできた一冊となった。

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    2023年10月02日
  • 14歳からの「論語」

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    論語のエッセンスを簡潔にまとめて紹介している本。
    各見開き1ページでまとめられていて、しかもそれぞれになんとなく内容を理解できる4コマ漫画も付されているので読みやすい。
    すべての教えを自分のものにするというよりかはあくまでそういう考えもあるよねという前提のもと、自分の考え方と一致する教えは何か、自分の考えと異なる教えは何かを考えながら読むと自分の価値観が自然と言語化されていきそう。

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    2023年09月28日
  • 大人のための書く全技術

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    学生時代までに鍛えた「書く力」だけでは、現在のビジネスの現場では通用しない。
    ビジネスの世界で通用する「書く力」をどうやったら、高めることできるのか、それを本書は語ります。

    「書く力」こそが仕事の成否を分け、ひいては出世できるか否かを分けることに繫がります。
    私が目にするビジネスメールでよくあるダメなパターンは、条件や要件の欠落です。

    気になったのは以下です。

    ・まず第一に重要なことは、「文章は人間関係をつくるものだ」ということを認識することです。
    ・やっぱり人は心で動くもの。ですから、人としての温かみとか、情熱、あるいは相手に対する気遣いなどを感じさせる文章を書けるようにならなければなりません。
    ・社会人としてきっちり話せるということと、きちんと書けるということは連動しているということです。
    ・思考力を育てるには言葉の使い方を鍛えるのが一番良いです。
    ・得意なパターンが決まっていれば、文章を組み立てる作業が楽に進められる

    ・私が勧める一番簡単な訓練法は、大学の先生やデレビニュースの解説者のまとまった話をメモに取りながら聞き、それを改めて文章にまとめるという方法です。
    ・文章を構成する際のプロセスは、基本的には次の3つになります。
     ①書きたいテーマを見つける
     ②テーマから、3つのキーコンセプト「言いたいこと」をつくる
     ③3つのキーコンセプトを結び付けて文章を構成する
    ・考えをメモにするプロセスをたどるのが一番です
    ・まず思い切って集められるだけ材料集めをして、どんどん文章化していった方がいいのです。
    ・書くために必要となる力が2つあります。
     ①発見と新たな視点
     ②文脈をつなぐ力、文脈力

    ・ビジネスにおける文章では、立場を意識して物言いをやわらかくソフトにするということと、要件(要求)をきちんと伝えること、両立させる必要があるのです。
    ・ビジネス文章で最悪なのは、何を言ってるのかわからないということです
    ・なぜ文章に残すことがいいかというと、しっかりと文章に書き記すことで、事実関係が確定するからです。
    ・時間をかけて透明度の高い文章をきっちりと書くことで、より正確を期すことができます。難しい問題であればあるほど、結局口頭で説明するよりも時間をかけず解決できる可能性が高いのです
    ・事実関係を説明するために気を付けなければならないこと
     ①事実と自分の感想を混ぜて書かない
     ②ポイント毎に段落を分ける
     ③一行空けて、ここまでが、事実関係ですとハッキリわかる書き方をする
     ④判断には、必ず理由をつける
    ・(提案をして)相手から反応がなければ、また次の企画を考え、適度な間をあけ、軽く打診するような気持ちでメールを打てばいい
    ・相手にとってプラスになるような情報や条件を提唱していくのがコツです
    ・危険なメールを察知できたら、今度は断る際の配慮も必要になってきます。
    ・文面に隠れた相手の意図を丁寧に読み取り、断るときも細心の注意を払うことが必要なのです。
    ・メールでのやりとりは薄氷の上に立ってコミュニケーションをとっているようなものだと考えるできです。
    ・経験知を引継がないまま異動するという仕事のやり方は、社会人にはあってはならないことです。
    ・しっかりとした引継ぎをできるビジネスパーソンは、信頼がおける人だと評価されることになります
    ・会社の場合は継続性が非常に大事です。誰がそこを受け持ったとしても大丈夫という安心感を相手に与えるためには、引継ぎの内容を文章上に残していくkとが必要なのです。
    ・企画書というのは書くものというより、練るものなのだ。練りに練って、考えに考えて、判断することが肝心です。
    ・ビジネスパーソンたるもの、企画書を表面的にうまく書いて通せばいいのだ、などという考え方はきっぱりやめることです。
    ・たたき台としての企画書を数多く書くことで、発想がどんどん湧いてくるからです。
    ・稟議書やそれに準じる書類では、明快に書くことが大事なのです。
    ・最初のA4一枚で審査担当者の心をつかむことができなければ、詳細な資料をどんなに用意しようとも、斜め読みされてしまうのがオチです。

    ・双方が納得できる文章を書くには、どうすればいいのか。まず、目的を考え、ゴールを定めることです。
    ・現在のビジネスパーソンが書く力を伸ばすために絶対に読んでおくべき基本書は、新聞と新書だと思います。
    ・弁証法とは、正・反・合、のステップによる論理展開法のことです。
    ・一人弁証法を身につけるには、まず自分の中で、賛成と反対に立場を分けて考えてみよう、というところから始めます
    ・一人ひとりが、複数の視点を持つことが求められる時代になったということです。
    ・一文ごとに改行して、一つひとつの文がくっきりと目立つようにする

    ・話ながら考えをまとめるというのは、非常に合理的で疲れない作業です。
    ・相手と話ながら、思いついたことやアイデアを手帳やスマホに打ち込むようにすればいい

    目次

    はじめに
    第1章 社会人こそ「書く力」が必要な理由
    第2章 書き方を変えると生き方が変わる!―「書く力」を鍛える基本練習
    第3章 仕事の成否は文章力で決まる!―ビジネス文書の全技術
    第4章 文章の達人になる―ワンランク上の書く技術
    第5章 「読む・書く・話す」の達人になる―言葉を磨く最後の全技術
    終 章 私の「書く力」を鍛えた四〇冊
    おわりに

    ISBN:9784046012333
    出版社:KADOKAWA
    判型:4-6
    ページ数:344ページ
    定価:1500円(本体)
    発売日:2016年03月30日第1刷

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    2023年09月25日
  • NHK「100分de名著」ブックス 福沢諭吉 学問のすゝめ

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    ネタバレ

    さて、そこで、今回の主人公である福沢諭吉です。彼こそはその「明治の人間」の代表というべき人物です。まっすぐ前を向いてどんどん進んでいく明るさ、勇気、胆力。新しいものに順応し、ものにしていく意欲が、まさに明治時代のカラーです。慶應義塾という私立学校を作り、新聞社などの事業を興し、多数の著作をものした一級の評論家・ジャーナリストでもあります。 私はよく思うのですが、「日本人らしさ」というものについて語るとき、そこには大ざっぱに言って二種類のものがある気がするのです。一つは、『古今和歌集』や『源氏物語』に代表されるような「もののあはれ」の心を持った日本人。古代から脈々と受け継がれてきた日本人のオリジナルの精神です。しみじみとした情感を好む、言ってみれば「湿度の高い心」です。 もう一つは、勤勉で器用で、「働きバチ」のような日本人。こちらは、主に明治以降に発揮された精神といえると思います。言ってみれば、前者は情緒的で感性優位の精神、後者は論理的で合理的な精神です。このうち、福沢は後者も後者。合理的精神の極北のようなところがあります。

    まず、福沢は人間の平等を説いたわけではありません、そうではなく、人間は学問をするかしないかによって大きく差がつく。だから、みんな頑張って学問に精を出せ──、と言ったのです。

    このように、福沢諭吉は「人は生まれながらにして平等である」といった単純な平等思想を説いたのではなく、人の富貴(地位や財産)はその人の働き次第で決まるのだと、むしろキビシイ競争原理のほうを説いたのです。

    この本が世に出たのは、明治に改元されて間もないころです。二百五十年以上続いた幕府は崩壊し、藩も解体し、それまで刀を腰にさしていばっていた武士のほとんどが失業しました。「新しい政府」というものが東京にできたというけれども、それがどういうものなのか、一般の国民にはほとんどわからなかったころです。鎖国も解かれたため、これからは海の向こうの国々ともどんどんつきあっていかなければならなくなりました。これは想像を絶する変化です。この本は、そのような世の中を生き抜いていくための指南書でもあったのです。

    (嘉永年間(一八四八―五四)にアメリカからペリーが来て外国との交わりがはじまった。そして今日に至ったわけだ。なお、開港した後でも、「鎖国」や「攘夷」などとうるさく言っていた者もいるが、たいへん狭いものの見方であり、ことわざに言う「井の中の蛙」のようなものだ。こういう議論はとるにたらない。日本といっても、西洋諸国といっても、同じ天地の間にあり、同じ太陽に照らされ、同じ月を眺めて、海を共にし、空気を共にし、人情が同じように通い合う人間同士である。こちらで余っているものは向こうに渡し、向こうで余っているものはこちらにもらう。お互いに教え学びあい、恥じることもいばることもない。お互いに便利がいいようにし、お互いの幸福を祈る。「天理人道(天が定めた自由平等の原理)」にしたがって交わり、合理性があるならばアフリカの黒人奴隷の意見もきちんと聞き、道理のためにはイギリスやアメリカの軍艦を恐れることもない。国がはずかしめられるときには、日本国中のみなが命を投げ出しても国の威厳を保とうとする。これが一国の自由独立ということなのだ)

    福沢自身、自分は政治は得意でない(「政治の下戸」)と言っているのですが、要するに、西郷や龍馬といった志士たちは、時代を変える流れの中でも、新しい国家のあり方、政治のしくみを作る、いわばハードの部分を担ったのです。倒幕という武の要素も担いましたが、むしろ政治のシステムを作ることに功がありました。それに対して福沢は、新しい精神のあり方のほうを作りました。新しい国の中で、日本人一人ひとりの精神はどうあればよいのかという、ソフトの部分の改革を担ったのです。 ですから、福沢は一般に「志士」とは呼ばれませんが、彼もまた志士の一人であったことには変わりはないと思います。吉田松陰などのような「やまとだましい」の志士ではありませんが、ちょっと毛色の違う志士だったわけです。

    学問とは難しい本を読み、和歌や詩の世界に遊ぶことではないと福沢は言っています。むしろ、心ある親は、子どもがそういうことに精を出しはじめると身を持ち崩すのではないかと心配すると言っているのが面白い。そして、「このような実のない学問はとりあえず脇に置いて」、として、次のように続けます。


    (そうだとすれば、いま、こうした実用性のない学問はとりあえず後回しにし、一生懸命にやるべきは、普通の生活に役に立つ実学である。たとえば、いろは四十七文字を習って、手紙の言葉や帳簿の付け方、そろばんの稽古や天秤の取り扱い方などを身につけることをはじめとして、学ぶべきことは非常に多い。地理学とは、日本国中だけでなく、世界中の国々の風土の案内をしてくれるものだ。物理学というのは、この宇宙のすべてのものの性質を見て、その働きを知る学問である。歴史学とは、年代記を詳しくしたもので世界の歴史のようすを研究するものだ。経済学というのは、個人や一つの家庭の家計から世の中全体の会計までを説明するものである。修身学とは、行動の仕方を学び、人との交わり方や世間での振るまうべき自然の「道理(倫理)」を述べたものである。(……)こういった学問は、人間にとって当たり前の実学であり、身分の上下なく、みなが身につけるべきものである。この心得があった上で、士農工商それぞれの自分の責務を尽くしていくというのが大事だ。そのようにしてこそ、それぞれの家業を営んで、個人的に独立し、家も独立し、国家も独立することができるだろう) 読んでいただくとわかるように、福沢がまず大事だと言っているのは、正しい読み書きや、商いのための帳簿の計算、品物の目方の測り方などです。それをより充実させ、その道のエキスパートとなるために、地理学や物理学や経済学といった学問を学べと言っているのです。福沢が重視しているのは、現実を作っていく力があって、社会を発展させ進化させることに直接寄与するような、いわゆる科学的な学問です。しかもそれを、「学問のための学問」として学ぶのではなく、自分のたずさわる仕事に役立てる形で学べと言ったのです。


    長い年月をかけて、高い授業料を払って学業を修めても、現実の生計が立てられないような者は「文字の問屋」であり、「飯を食ふ字引」であり、国のためには「無用の長物」であり、「経済を妨ぐる食客」だそうです。まったくケチョンケチョンです。 学問をするのならば実社会に役立つことをやらねばならないというのが、福沢にとってはまずもっての大前提でした。そして、やるのならば本気でやれ、大きくやれ、中途半端な気持ちでやるな、と拳を振りあげて力説しました。

    というと、いまの人たちはむりやり勉強の義務を背負わされるようでイヤな感じがするかもしれませんが、当時の人たちはそうではなかったと思います。庶民のほとんどは、どうやったら上の学校に行けるのだろうか、勉強できないのが悔しくて仕方ないという時代でしたから、みんなが学んでいいのだよと言われることは、勇気づけられ、希望を与えられることだったのです。

    特筆すべきは、福沢のこの本を読んで、東京に出ようと思った人が非常に多かったことです。たくさんの若者が『学問のすゝめ』に刺激されて、「オレも一旗揚げてやろう」という気になって上京しました。実際、明治日本は、藩の解体後に全国から集まってきた地方出身の若者たちによって作り上げられた側面が大きいのですから、その意味では、「恐るべし、『学問のすゝめ』」なのです。

    そういえば、遺伝子工学の村上和雄(*5)先生から伺った面白いお話があります。人間という生きものは、身体の中にいろいろな可能性の因子を遺伝子として持っているのですが、持っているだけではダメで、その遺伝子が「スイッチ・オン」にならないと働かないそうです。そのスイッチはなにか大きな刺激を受けたときにはじめてオンになるのだそうで、たとえば、版画家の棟方志功はゴッホの絵を見てスイッチが入り、「わだばゴッホになる」と言ったのでしょう。長嶋茂雄を見て感動してスイッチが入り、野球選手になった人は数多くいるでしょう。同じように、イチロー選手を見てスイッチ・オンした人もいるでしょうし、モーツァルトを聴いてスイッチ・オンした人もいるでしょう。

    間違っていると思うことがあったら泣き寝入りするな、きちんと筋道を立てて、冷静に、しかし身を棄てる覚悟で異議を申し立てよと福沢は言います。

    世の中で学問のない国民ほど哀れで憎むべきものはない。知恵がないのが極まると恥を知らなくなる。自分の無知ゆえに貧乏になり、経済的に追い込まれたときに、自分の身を反省せずに金持ちをうらんだり、はなはだしくなると、集団で乱暴をするということもある。これは恥知らずであり、法を恐れない行為である。(……)こうした愚かな民を支配するには、道理で諭しても無理なので、威力でおどすしかない。西洋のことわざにある「愚かな民の上には厳しい政府がある」というのはこのことだ。これは政府が厳しいというより、民が愚かであることから自ら招いたわざわいである。愚かな民の上に厳しい政府があるとするならば、よい民の上にはよい政府がある、という理屈になる) 国民が正しい知識と判断力を持っていれば、政府のほうもおのずと正しい方法で対応するようになると言っているのです。

    昔の政府は、ただ「力」で圧政を敷いただけだったからまだましだったけれども、このたびの新政府は力に加えてなまじ「智恵」があるから始末が悪いというのです。当時の世の中には、鉄道や学校、軍隊、近代建築といった、それまでは想像だに及ばなかった文明の利器が次々に登場していました。そこで、こんな魔法のようなものを見せられたら、人びとは手もなくひれ伏してしまうに違いない、人民はかつて政府を「鬼」のように恐れていたが、いまは「神」のごとく拝んでいる、ヘタをすると、国民は自主的に行動する気力をもっとそがれるかもしれない――と福沢は危惧したのです。 そのような状況を打破して、「独立の気風を全国に充満させる」ことが、福沢にとっての使命だったのです。

    かくして、福沢は民力を存分に発揮していくのですが、その活動の柱の一つは、教育者として慶應義塾という私立学校を作ったことです。彼は、自分はこれを真に独立した学校のつもりで作ったと言っています。というのも、「私立」以外の学校は「官立」ということになりますが、福沢に言わせれば、「官立」というのは「国のお金(税金)に養われて生きていく」ことであり、真の独立ではありません。逆に、国のお金の世話にならないでやっていくなら、完全に独立した、国と対等な立場だというわけです。

    志を高く持ち、学術の真髄に達し、独立して他人に頼ることなく、もし志を同じくする仲間がなければ、一人で日本を背負って立つくらいの意気込みをもって世の中に尽くさなくてはいけない) 志を高く持って、誰も賛同者がいなくてもやれ、仲間がいなければ一人でもやれ、日本を背負って立つ気分でやれ、と言っています。やや大風呂敷ですが、この頼もしい感じが、明治日本の人びとに大いに受けたのだと思います。

    (独立の気概がない者は、必ず人に頼ることになる。人に頼る者は、必ずその人を恐れることになる。人を恐れる者は、必ずその人間にへつらうようになる。常に人を恐れ、へつらう者は、だんだんとそれに慣れ、面の皮だけがどんどんと厚くなり、恥じるべきことを恥じず、論じるべきことを論じず、人を見ればただ卑屈になるばかりとなる。いわゆる「習い性となる」というのはこのことで、習慣となってしまったことは容易には改められない)

    念のため付言しますと、自分はチームの一員であり、チームの一翼を担っているのだという気概こそが、独立心です。周囲と関わりを持たず、一人ぽつねんと存在することは独立ではありません。それは孤立と言います。

    幕末の志士と呼ばれる人たちはみなそうで、どの人間も己の身一つのために生きていませんでした。志士だけではありません。新選組(*2)の人たちだってそうです。彼らの場合は野心と志と目的とがごっちゃになって、訳がわからなくなって悲惨な最期を遂げましたが、彼らとて、基本的にはこの国を守らねばならないという熱情に衝き動かされていたのです。決して個人のワガママで生きていたわけではありません。

    『学問のすゝめ』の中には、福沢が、まさに「自由とワガママはどこが違うのか」について述べているくだりがあります。それは、自分の分限(身の程と義務)をわきまえ、他人に迷惑をかけずに行動できるかどうかだと言っています。
    自由とわがままの境目というのは、他人の害となることをするかしないかにある)

    また、人間交際(社会)には大小さまざまなレベルがあって、会社もそうであるし、家庭もそうであるし、学校もそうです。政府や国家もそうです。この文脈で考えると、いままで述べてきた「個人の独立」というものが、好き勝手に生きることではなく、公共的存在として責任をもって生きることを目指していた理由がよくわかります。これが独立自尊であり、そのような人間をこの国中に満たして社会全体の成熟度を上げていくことが、福沢が理想として描いたことだったのです。


    学問には内外両様――、すなわち内側で思考を熟成させることと、それを外に向かってアピールすることの二つの区別がある。いまの学者たちは、内はいいけれども、外はヘタクソでいけないと言っています。

    社会の中で自分の考えをはっきりと表明し、人とコミュニケーションを取り、ディスカッションをする。また多くの人の意見を聞いて、自分の考えにフィードバックする。そんな社会的活発さを求めたのです。

    自分自身が自立していて、自足していて、自信をもって行動できていれば、他人を恨んだりねたんだりすることはないはずです。というよりも、そういう人はそもそも他人のことは気にならないと思います。ですから、そのような個人の前向きな考え方を促進するためにも、福沢は「開いていく」ことを奨励したわけです。 気持ちを開いて、考え方を開いて、心の窓を開いて、どんどん光を取り入れていったのが福沢諭吉です。「啓蒙」という言葉がありますが、これもまさに彼のためにあるような言葉ではないでしょうか。啓蒙とは、暗い部分を開いて明かりを入れていくという意味です。福沢はまさにそれを行った人なのです。

    「いやしくも愛国の意あらん者は……独立を謀り」まではいいのですが、「余力あらば」という言い方にひっかかります。そして、最後の「人を束縛して独り心配を求むるより、人を放ちてともに苦楽を与にするにしかざるなり」まで行くと、ほんとに福沢という人は独特の考え方をする人なのだなと、しみじみ思います。すなわち、人にぴったりとくっついて面倒をみてやるよりも、つき放して別個に歩き、お互いに苦労するほうがいいじゃないかと言っているのです。これは、従来の日本人的な精神からすると「異色」と言えるくらい、一線を画しているように思えます。 このあたりの福沢のパーソナリティについては、彼の自伝である『福翁自伝』が面白いので、興味のある方はあわせて読んでみてください。たとえば、私には「いわゆる莫逆の友というような人は一人もない」とか、「世間にないのみならず親類中にもない」などと言い切っているので、びっくりしてしまいます。
    ただ、『学問のすゝめ』全十七編の最後の文章が、ちょっと面白い。なかなか意味深長なのです。それは――、「人にして人を毛嫌ひするなかれ」です。


    「識見と行動力」は、『学問のすゝめ』の第十六編で述べられており、その趣旨は、人間には物事を考える知識(識見)と、それを実行する力(行動力)が両方備わっていなければならない、というものです。これも福沢の主張の核の一つであり、彼はいろいろなたとえを用いて、繰り返し述べています。言葉を言い換えて、「心事と働き」といった言い方もしています。すなわち、いくら理想のようなものを頭に思い描いても、実行しなければ意味がないということです。
    「石の地蔵に飛脚の魂」とは非常にユニークな表現です。また、寝たきりで動けない病人が、神経ばかり穎敏(鋭敏)になったらそれこそ悲劇といえましょう。要するに、識見と行動力のどちらに偏ってもうまくないわけであり、大切なのは「バランス」だということになります。 この福沢の主張を眺めながら、私はあることを考えました。それは、つい最近までわれわれの周囲で流行語的に語られていた「品格」というものについてです。もし「福沢的な品格」というものがあるとしたら、インテリジェンスとアクティビティがほどよく拮抗した、この「識見と行動力」が、まさにそれなのではないか――と。


    (他人の仕事を見て物足りないなあ、と思えば、自分でその仕事を引き受けて、試しにやってみるのがよい。他人の商売を見て、下手だなあ、と思えば、自分でその商売を試してみるのがよい。隣の家がだらしない生活をしていると思えば、自分はしっかりと生活してみよ。他人が書いた本を批判したかったら、自分でも筆をとって本を書いてみよ。学者を評しようとするなら、学者となれ。医者を評しようとするなら、医者となれ。非常に大きなことからとても細かいことまで、他人の働きに口を出そうとするならば、試しに自分をその働きの立場において、そこで反省してみなければいけない) つまり、「反対するなら代案を出せ」ということです。人を評するほどの考えがあるのならば、自分でやってみろ、不平不満があるなら自分で試みろというわけです。 識見と行動力、その両面のバランスが問われる場面は、現実社会でもたくさんあります。たとえば、会社で何かの事業やプロジェクトを起こそうというときもそうです。まずはプランナーやデザイナーといった人たちが、こうあったらいいなという計画を作ります。むろん、その段階の作業も大事です。しかし、どんなに素晴らしいプランでも、実現できなければ意味がありません。理想と現実の間にはギャップがあるのですから、さまざまな制限の中ですりあわせをして、実現可能な落とし所を模索していかねばなりません。 そして、すりあわせの議論自体も、できるだけ無駄なく効率的にするべきです。「議論のための議論」をえんえん続けるようなことは、福沢はとても嫌いました。

    ちなみに、福沢はのちに、『福翁自伝』の中で、いまだから打ち明けるけれども、と前置きして、日本は独立できないかもしれないので、自分の子は「耶蘇宗の坊主」(キリスト教の神父・牧師)にでもしたらどうだろうかと迷ったと言っています。そのくらい、危機感を持っていたのです。 第1章で、私は『学問のすゝめ』によって日本じゅうがスイッチ・オンの状態になったと言いましたが、それは、その前段階として国全体がすでに「危機」というものによって臨戦態勢に入っていたからとも言えます。

    また、人間というのはエネルギーの限られた有機体ですから、スーパーマンのように何でもかんでもできるわけではありません。ここにも、なんらかの方策が必要になってきます。 それはずばり、「優先順位」です。これが、今回の二つ目の要点です。では、福沢がどのような主張をしているか、見てみましょう。

    「物事に優先順位をつける」とは、自分の中にあるいろいろな予定や、計画や、懸案事項や、未解決事項を取捨選択して、何をどのような順番でやっていくか決めることです。福沢はそれを「棚卸し」という面白い表現で表しています。


    棚卸しとは、何が売れるのか、何が売れないのか、何を仕入れなければならないのか、何が不要であるのかを逐一調べることです。これをやると、自分がなすべきこととなさざるべきことがはっきりするわけです。福沢が言うには、人間が失敗をしないためには、この整理をいつも心の中でしておくのがよいそうです。 「心の店の取り締まり」は行き届いているか? とか、「遊冶懶惰など名づくる召使」に穴をあけられたりしていないか? などという表現は、いかにも福沢らしく独創的です。

    例が飛躍するようですが、たとえば福沢の時代に起こった西郷隆盛の西南戦争(*2)などもそうです。あれも、ある意味では優先順位を間違えたのです。西郷も福沢と同じく近代日本を築いた立役者の一人であり、優秀な人間でした。にもかかわらず、「あのとき」に「やるべきこと」を間違えたのです。彼は福沢とは対照的に古い美学を持った日本人であり、「情」というようなものを最優先してしまったのです。


    かたや現代人は、よくわからない暇と保障と豊かさによって逆に心が暗くなり、「やる気」や「行動」にスイッチが入らない体質になってしまったのです。


    福沢式にあっさりと割り切って、「傷つきやすい心の問題」だとか、「いま考えてもしようがないこと」などは風呂敷に包んで、まとめて押し入れに入れてしまいましょう。即座に答えの出ないことは、とりあえず見えないところに片づけるのです。そして、今日やること、今月やること、今年やること、と、優先的にやるべきことを目の前に並べて、一つずつとりかかっていきます。これは、実際にやってみると、なかなかいい方法ではあるのです。


    福沢には合理的な強い精神があります。その「精神」を取り入れることで「心」の問題を減らしていくことができると私は思います。なんとなく元気が出ないという人は、福沢式で心の問題を回避していくルートを試してみてください。
    福沢なら、いまこそできることからやっていけ、とにかく前に進めと言うでしょう。不活発はダメだ、悩んでいるだけ時間の無駄だ、さあ元気出していけ――と、はっぱをかけるでしょう。


    そして、私はこうも思います。そもそもこのような時代は、ヘタにやさしい言葉やなぐさめの言葉をかけられるよりも、味噌汁をすすりながらでも前進せよと背中を押されるほうが、逆に癒されるものなのではないか、と。 福沢が日本中の人びとに向かって、「さあ行け、頑張れ」と呼びかけた、あの時代の明るさを思い出してみたいと思います。青空をカラリと澄んだ風が吹き渡っていったような、明治の明るさを思い出してみたいと思います。 「風通しのいい人」福沢諭吉から、風通しのいい生き方、考え方を学びましょう。



    要するに、それぞれの国にはそれぞれの風習や伝統や国民性など、その国の人間性とか風土とか歴史などに合ったものがある。そしてそれらはみんな、整合性を持って機能している。従って、どこかのものをいきなり持って来て接ぎ木しても、一見、良さそうに見えてもそうはうまく行きませんよ、と戒めているわけです。軽挙妄動してはいけないと。 『学問のすゝめ』では、日本が昔から持っているような制度や習俗を、古臭いというだけであっけなく他国のものに置き換えるなんてことをしてはいけない、と戒めているんですね。よくよく考えて、新しいもののほうが本当にいいということがわかってから変えるべきだと。明治の頃から現在に至るまで、日本人はずっとこの過ちを犯しつづけています。福沢は今の人たちにも、同じようなことを言うと思いますね。


    精神の不安感は、学ぶことで払拭できる。前へ一歩でも進んでいると自覚できれば、人は暗くならないですから。そういう意味では、学生だけではなく中高年になった方も、この言葉を胸に刻み付けて日々学べば、気分も晴れてくるのではないでしょうか。 福沢は、もっとみんなが本を読んで、もっと向上心を持っている日本を、おそらくは想像していただろうと思います。

    この素晴らしい事例のもとには、釜石市の教育委員会が専門家の協力を得て「避難三原則」というのを、徹底して子どもに教えていたということがあります。まず、第一に「想定にとらわれない」。「ここで大丈夫」と思っていたり、言われていたりしていても、今回のは普通じゃないぞと思ったら、「想定にとらわれずに、自分で判断しろ!」ということですね。次の第二原則は、「状況下で最善を尽くす」。これは、その都度状況は変わるので、「状況を見て、自分で最善の判断をせよ!」というものです。最後の第三原則が「自らが率先避難者になる」ということ。この場合は、中学生が自分が率先して避難した。そして小学生の手を引いて移動したわけですね。

    その学問の要は「活用にあり」ということです。身につけて、活用しなくては学問ではない、と。 もちろん彼らがこのような素晴らしい行動に出られたのは、何度も具体的に説明されて、身に付くように徹底されていたことが背景にあると思います。それによって、独立した判断力が養われたんですね。


    福沢の言う「学問をしろ」ということは、いまで言えば、「読書をせよ」ということと、ほとんど同じことを意味していると私は思います。読書をすることによって、きちんとした論理的思考ができるようになる。つまり、今回の震災直後にはさまざまな風評が起きましたが、そういうものに惑わされないような科学的思考ができるようになる。あるいは歴史等を勉強して大局観などを持てるようになる。人間のもつ深い情緒を理解できるようになる。そうなると、それは人生の武器になるんです。

    情報の真偽が判断しにくく、政治の混迷も収まらないようないまの状況下では、福沢の言う「一身独立して一国独立」、つまり一人ひとりの人間がみんな一所懸命に学問をして、成熟した判断を下せるようになる、ということが大事なんです。そうしないと民主国家というのは成立しない──、そういうことを考えさせられましたね。

    苦しみはにげるとおいかけてくるぐずぐず言わず黙って本を一生懸命読んで、論理と情緒とそして言葉というものをきちんと身につけて、そして奮い立て──と。震災からの復興も、現在までずっとこの日本が抱えている種々の困難も、一気に怒濤の如く解決しつつ前に向かって突き進めと、檄を飛ばしてくれるのではないかと思いますね。 齋藤 何事も不退転の決意で、本気でやれということですね。


    『新訂 福翁自伝』福沢諭吉著 富田正文校訂 岩波文庫 『福翁自伝 福澤全集緒言』福澤諭吉著 松崎欣一編 慶應義塾大学出版会 福沢本人による自伝です。幕末から維新を経て、新しい明治という時代を自由な魂で駆け抜けた、福沢諭吉という才能ある若者の人生が小気味よく描かれています。 日本に生まれながら神も仏も何者をも怖れない、科学的・合理的精神を生まれながらに持っていた青年が、西洋を知り、新しい時代の先頭を羽ばたいていった。その時代の空気を感じ取りながら読んでいただくと、これほど面白い「自伝文学」もないと思います。自伝でありながら古典文学となりえている稀有な書です。
    漱石は、その飄々とした作風のイメージとは異なり、幕末の志士のような強い意識をもって「独立国・日本」というものを考えた人物でした。留学先のロンドンで漱石が感じた焦り、苦しみ、閉塞感は、日本という国の先行きを我が事として背負った、民主主義を体現する正しい人間の苦しみでもあったのです。

    デカルトは、理性というものを正しく用いて、自分自身で考え抜いて生きていけばそこに不安はなくなる――と考え、それを実践したのです。その結果がたとえ間違っていたとしても、自分自身で考え抜いた結果であればそこに後悔はない。自分で考えてきっちりと判断しろ――というシンプルな主張を説いた本書を、福沢諭吉の「独立」の思想を理解するための参考文献として最後に挙げておきます。

    新時代の興奮とともに、みんながこの本を貪り読み、向学心をかき立てられ、奮い立ちました。学べ、そして奮起せよ――。そんなミッション(使命)を与えられ、日本全体がワクワクと浮き立つような、そんな時代の空気を想像しながら読んでもらえれば、いかにこの『学問のすゝめ』が当時センセーショナルで、かつ現代にも通じる普遍的な内容を含んでいるかがわかっていただけると思います。


    『学問のすゝめ』と『第三身分とは何か』は、ともにそれまで虐げられてきた一般の人びと(平民)こそが、新たな時代の主役である、と論じている点がよく似ています。しかし、『第三身分とは何か』が革命前夜に読まれたものなのに対し、『学問のすゝめ』は明治維新という革命後の人びとの生き方、考え方を説いたところに大きな違いがあるでしょう。『第三身分とは何か』が熱い怒りに満ちたアジテーションであるとすれば、『学問のすゝめ』は新しい時代への希望に満ちた、明るい叱咤激励の本だと言えるかもしれません。


    にわたっているのです。 同時代の福沢評として、芯が強いのに人当たりが柔らかく、お酒が大好きだけれども飲まれることは決してない、器の大きな人物だったといいます。そんな福沢諭吉という人物の大きさも、いまの日本人は身につける必要があるのではないでしょうか。

    『学問のすゝめ』と『福翁自伝』を両の車輪として併読すると、そんな著者の息遣い、気質までもが伝わってきます。「古典」を読むときには、内容ももちろんですが、そういった偉人の「身体性」を受けとることがとても大切です。 『学問のすゝめ』から『福翁自伝』刊行までの間には、およそ二十年の隔たりがありましたが、時代が経ったいまであれば、この二冊の「古典」を併行して読むことができます。それによってさらに理解は深まるわけですから、それを体験できる私たちは幸運だと思います。

    私自身、大学では入学してきた一年生に『学問のすゝめ』を読むように薦めています。すると、現代の学生も福沢の熱を感じ取って、読むたびに気合いが入ると好評です。彼の文章には、若い人を奮い立たせるエネルギーのようなものがあふれているのでしょう。 学生たちは、福沢が本の中で繰り返し述べている「ミッションを持って生きなければならない」「独立することと学ぶことはワンセットである」というメッセージをしっかりと受けとめています。「精神の骨格」を形成していく年代の大学一年生にとって、『学問のすゝめ』はちょうどよい教材なのです。

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    2023年09月19日
  • 君の心を強くする世界のすごい人のことば50

    Posted by ブクログ

    小学生から中学生向けの児童書という扱いですが、大人が読んでも非常に学びが多い一冊です。
    わかりやすい表現で、著名人の言葉から悩みにこたえていくかたちで本が構成されています。いわゆる歴史上の人物あり、現在活躍中の人物ありでとても身近に感じられスッと心にはいってきます。
    子どもたけでなく、是非大人にも読んでもらいたいなと思う一冊です。

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    2023年09月18日
  • 情報活用のうまい人がやっている3色ボールペンの使い方

    Posted by ブクログ

    何かを読む時、メモをする時、手帳に書く時、色分けをして、より上手くインプットやアウトプットができるようになりたい。

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    2023年09月19日
  • 頭が良くなるインプット

    Posted by ブクログ

    子ども向けの本だからこそ、大事なことが凝縮されて書いてある。何度も読んでインプットするための知識を自分のものにするのに丁度よい。本が苦手な大人も読める本。

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    2023年09月17日
  • 究極 読書の全技術

    Posted by ブクログ

    読書がより面白いものとなるようなやり方、速読の方法はもちろんのこと、本を読むことで得ることのできる力をわかりやすく、解説を含めて書かれている1冊。
    読書の見方、捉え方が変わる。また読書がより面白くなる方法が、私の中では新鮮に感じた。
    この本でいた読書法を今後の自分の読書で活用していきたいと思う。

    感覚で言えば、本を読むという行為は書いている著者の知性が高ければ高いほど読んでいるうちに、より高い知性や物の考え方が自分に乗り移ってくる感覚をつかめると齋藤先生は著書の中で書かれているが、実際私自身も同じような感覚を体感出来たことに驚いた。

    本を読めば読むほどに文章力も知らず知らずのうちについていると言うのも、あながち嘘ではなく、自分が書く文章は、自分が好きな著者と似てくるような気がしているのも、きっと読んでいる本の著者が私の中に乗り移っているような感覚があるからなのではないだろうか。

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    2023年09月16日