泉谷閑示のレビュー一覧
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ネタバレフェルミ研究所の動画から知って購入。
結果、そんな買うほどのことでもなかったかな?
端的に言うと、
ハングリー・モチベーション、食べるために働かなければならなかった時代から、
働かなくても食べていける時代に移行して、何のために生きてるのか?何のために働いてるのか?
と自問する人が増えた。
働くことを美徳とする時代の中で、
無心になって遊ぶことを忘れてしまったのかもしれない。
効率重視の風潮に流されて、無駄なことを避けるようになって、ますます遊ぶことを忘れてしまった現代人。
即興的な遊びを生活に取り入れることが、無意味感に苛まれる日常を救うかもしれない。
私がこの本を読んで受け取ったことは、こんなとこかな?
ジョギングしたり、読書に絵描き、色々趣味に取り組んできたけれど、もっと色々なことにチャレンジしてみようと思った。 -
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泉谷さんの本は3冊目で本書も興味深かったです。私はうつではないですが、読んで良かったなと思いました。
泉谷さんによれば、うつは「頭」によるコントロールに対する「心=身体」の反逆だそうです。確かにやる気がなくなったり昼夜逆転の症状を考えると納得がいく。そして治った人は生まれ直すことができる。価値観が大きく変わるのだそうです。
うつの人に限りませんが何もしない時間も大事で、すぐに意義を考える頭によるコントロールから逃れることも必要です。バランスが大事だとおっしゃているのだと思います。
私もすぐに効率とか将来への備えとか考えすぎて頭中心になりがちなので、気をつけないといけないなと思いました。 -
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ネタバレ『「私」を生きるための言葉』
〜日本語と個人主義 泉谷閑示
泉谷閑示さんの本『「普通がいい」という病』と重なる分があったが、新たに言語学分野が入ってきたことで新しい視点があった。
◯"YOU"のような普遍的2人称代名詞を持った言語を用いて暮らす人々と我々日本人は、何か決定的に違う世界を生きているのではないだろうか。また、その違いは、個々の人間のあり方や、人間関係の性質、社会の性格等にも大きな影響及ぼしてはいないだろうか。
という命題で始まる。
大学時代私は仏文学部にいたが、言語学の先生に「言語学を専門にして卒論を書いてみないか」と誘っていただいたことがあった。その時は、言語学がどういったものかよくわからず、言語なんてその土地の人にしかよくわからないのだから、日本人が研究して何になるのだろう?と低レベルな考えしか持っていなかった。この本を読んでいると、自国の言語と他国の言語の成り立ちや特徴を理解する事はとても奥が深く、面白いということが初めてわかった。
日本語のBE言語と、英語のHAVE言語の特徴を示した文例一覧は興味深かった。
また、池上嘉彦氏『経験と思想』『英語の感覚・日本語の感覚』から抜粋して…
・欧米人の会話では、主に「話し手責任」が重視されるのに比べて、日本人の会話においては、「聞き手責任」が大きい。
・日本は察する文化であり、「現実嵌入」が言語の一部になってしまっている
といった、日本語の特性を論じている。
0人称的から1人称的になる過程に現在の人はいるのではないかと著者は考察する。
まず、個人主義とは、自分も1人称を得て主張するが、他の人たちの個性を認めて、お互いに共存することを完成としている。しかし、完全な個人主義的にはなれず、1人称的に自分を主張するが、相手を認めないので主張ばかりが目立ち衝突する。(利己主義になってしまっている)
とは言え、一度個人主義に傾きかけた世の中は、0人称には戻ることができない。
なので、
1、正しく個人主義を目指す
(利個人主義にならないように気をつける)
2、「他者」を「聴く」という経験を積み重ねていくことによって超越的0人称に開かれるよう進む。則天去私の境地(夏目漱石)
3.世間に絡め取られないために、自分の内に潜んでいる神経症性を一掃する。
ことが必要と結論づけている。
印象的だった(金子光晴)さんの言葉
自分自身を深く知って、都合の悪いところを要領よくごまかすのでなく、真正面から「絶望」すること。そのとき初めて自分自身が成熟し、日本の「世間」的な精神風土に流されない生き方ができる。
個人的には、一語で事物が纏っているものまで表現できるような、日本語の含みのあるところなどは好きだ。英語ではこうはいかない。フランス語も、文法的には論理的な印象を持たれるが、個々の単語は、日本語のような美しい緩やかさがあると感じている。
しかし、泉谷さんはこう論じている。
◯曖昧さを曖昧さのままで、日本語の美徳として取り扱う事は、プライベートな領域の楽しみにおいては結構。しかしひとたび、他者とのコミュニケーションの道具として用いる場合に、言語はパブリックなものとして要請されている。パブリックなものは、通貨と同様、実に味気ないものであり、趣や土の匂いなどとは、縁のないものです。
ここまで言い切られてしまうと、少し寂しい気もするが、言われていることもわかる。
それぞれが、どのような「私」で話し、生きたいのか、変遷する時代に一旦立ち止まって、じっくりと考えようと、呼びかけられている。 -
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尊敬している精神科医の泉谷閑示さんの本。
日頃から人間を徹底的に見つめ、深く洞察されている結晶が、沢山書かれていた。
特にまえがき、第二講、四講はハッとさせられた。
第2項の、パブリックな言葉と内的な言葉について。個人的に、言葉に対するこだわりが割とある方なので、独自の意味を帯びさせてしまっているきらいがある。そんな内的な言葉を、時々そう親しくない人にも使ってしまうことがたまにある。ゆっくりと話して、その言葉について説明できるときは良いのだが、そううまくはいかないので、相手に誤解されたまま、ときには失礼にあたるまま会話を終えることになり、確かに内的な言葉を使う時や場所、相手を考えなければいけないなと反省した。
そして、この2つの側面のある言葉の使い分けをうまくできなくなっているという指摘は、現代をとてもよく表してるなと思った。
覚えておきたいことが多すぎる。でも、忘れてしまうので、備忘録として…
まえがき
人間の特性を理解し、その上で「自分で感じ、自分で考える」という基本に支えられた生き方を回復しなければいけない。
正常と異常の境界線上にあるような視点や言葉が今の時代では失われている。
鬱が治るとは、実際は、「あるべき悩みを悩むようになること」
第二講
言葉には、(内的言語:自分の内側を把握するのにも使われる)と(公共性を持つ言葉)の二つの側面がある。この2つの使い分けができない人が増えてきた。それは、自分と他者が違う内界を持ち、違う価値観で、言葉1つにも自分とは違う意味合いを載せているかもしれないということが想像できないから。
この想像は、自分はこう感じるが、この子はどう感じるか?など、丁寧に観察し、擦り合わせが行われるなど、子育てにも役に立つ。
第四講
『エミール』ルソーより
子供につけさせなければならないただ一つの習慣は、どんな習慣にも染まないという習慣です
お腹が空いていないのに、習慣で3度食事を取る、天候やホルモンなどにより体調は変わるのに、毎日同じ時間に起き寝るなどの習慣は、本来の体の声を聞いていない。
自己形成のイメージ、
あるべき自分になるように足りないところを身につける(粘土や石膏をくっつけていくイメージ)
ではなく、
本来の自分を削り出す(彫刻のイメージ)
をすると良い。
第5講
心由来の深い感情の場合は、それを大切にし、頭由来(しかも心由来のように見せかけている)の場合は、それに振り回されないようにする必要がある。
意識と無意識の間には、浅いところから怒・悲・喜・楽の順に感情の井戸があり、古い怒りから吐き出していかなければ、その先にある本当の楽は発せられない。
三様の変化
駱駝(従順さ、忍耐、努力、勤勉さ)
→獅子(窮屈であることに気づき、怒りが爆発し、1人称の自分の誕生)
→小児(全てあるがままに。創造的な遊びに没頭する)
第六講
角を矯めて、牛を殺す(少しの欠点を直そうとして、かえって全体をダメにしてしまう)
欲望を大欲(より深く本質的な魂の満足に向かうこと)に膨らませていくことにより愛になる。
第七講
絶望とは、残していた一抹の期待をきちんと捨てることである。しっかり執着を断つことによって、真の絶望が訪れ、自由に解放されていく。
繊細で神経質な人が感じていることを、感じないようにすることはできない。無理にやれば離人症になる。
ガラス細工のような壊れやすい純粋さから、螺旋状にグレードアップしながら変化成熟していき、強化ガラスのような強さと純粋さを手に入れる。
第八講
森有正の経験と体験の考え方。
「苦労が身になる人」と「苦労が勲章になる人」の違い。
第九講
すべての良い仕事の核には、震える弱いアンテナが隠されている
第十講
人生の目的を考える→あるところから先へ行くと、目的や目標というものは、ある種の導入に過ぎなかったことがわかる。→目的に向かって、生きることの貧しさや窮屈さもわかってくる→何か大きな流れが私たちを運んでいると感じられてくる。
つまり、自分らしく生きることを追いかけていくうちに、主語の(自分)が消え、天命とでも言うべき、大きな力が自分を動かし生きていることに気づく。
[十牛図]禅の考え
ある者が、牛(本当の自分)を探し、手なづけ、遊び、また牛(牛と自分:本当の自分とそれまでの偽りの自分)はいなくなり、無になり、自然の一部としてあるがままになり、仙人のように暮らし、また人里に下りて、若者に会い、その若者に影響与え、若者がまた牛を探すようになる。 -
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現代人は生きるために日々「仕事」をする。しかし、仕事や労働で忙しいあまり、多くの人々が疲弊しているのではないか。本書は、そんな疑問を持つ読者に向けて、精神科医の著者が答える。
まず、著者は、現代人の消費活動は受動的であることを指摘する。言い換えると、多くの人々は、自分の内面に向き合わず、周囲の情報に翻弄されて、生活を満たすために、何か代わりとなるものに依存し、満足してる。これと関連して、現代思想(ポストモダン)の問題点を簡潔にまとめている。科学技術の発展、また、人間の理性を過剰に信頼した時代、目新しいものやよくわからない物事を良しとする風潮があった。とにかく差異性を求めたが、結局は何かを解決したわけではなかった。このように、試行錯誤したものの、依然として近代的価値観は残っている。
では、労働を良しとする近代的価値観に、どのような対抗で打つべきか。そこで鍵となるのが、「即興」である。近代は、人間の理性、合理性を重視する。そのため、無駄なこと、非合理なことは悪いこととされる。ところが、著者はあえて、一見無駄で役に立たないことが実は大事だと唱える。効率や計画性を無視して、今すぐに思い浮かんだことを試してみる、そんな心構えが、今の生活が息苦しい人々に良いきっかけを与えるのではないだろうか。 -
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「うつ」の本質・根本と向き合う本。感覚的であったり、なかなか表現し難い部分を、非常にわかりやすい例えで表現しており、樺沢紫苑先生等、他の精神科医の先生が仰るような主張とも方向性は同じなのも安心した。
【以下、重要部分のメモ】
・「頭」が「心=身体」に強権的に命令するような、意志力があり、我慢強い人間がうつになるリスクが高い。「頭」の支配からの脱却が重要。
・「病は、何らかのメッセージを自分自身に伝えるべく内側から沸き起こってくる」、「病は、その中核的な症状によって、自分自身をより自然で望ましい状態に導こうとしている。」という見方。
・「うつ」からの脱出は、repair(修理)ではなく、reborn(生まれ直した)やnewborn(新生)といった深い次元での変化が不可欠。
・クスリは「頼る」のではなく「活用する」。
・脳内物質のアンバランスが「うつ」ではあるが、それは「中間現象」である。薬物治療でアンバランスを整えることは、「うつ」への対症療法ではあるが、「うつ」を引き起こした何らかの根源に対する根治療法ではない。その次元へのアプローチは、精神療法である。
・重荷に耐える精神である〈駱駝〉→怒り、苛立ち、攻撃性の〈獅子〉→物事をあるがままに捉えることができる〈小児〉の「三様の変化」(ニーチェの『ツァラストラはかく語りき』より)は、人間の変化成熟のプロセスを理解するうえで非常に有用な記述。そして、臨床場面でのクライアント(患者)の変化に合致する。
・漱石が『私の個人主義ほか』に記したように、主体性や主張がなく「他人本位」の傾向であることは、現代においても「うつ」を引き起こしている大きな原因の一つである。外から鵜呑みで受け入れた知識や価値観で生きるのではなく、丁寧に吟味し咀嚼し「わが血や肉」を自分の中に養成し、それに基づいて生きる「自己本位」に覚醒することで主体的な生を回復し、「うつ」状態から脱していくことができる。 -
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こんなに不適応の人がいるんだから、周りと社会が変わっていくことも必要だよね
*「頭」は「心」の出した結論を「気まぐれで当て
にならないもの」と決めつけ、却下してしまう傾向があります。
*感情の井戸
上から、怒・哀・喜・楽の順で溜まっている
上から出て行くからイライラする
つまり、イライラすることは病状の悪化ではない
「心の吐き出しノート」がおすすめ
*子どもにつけさせてもいいただ一つの習慣は、どんな習慣にもなじまないということだ(エミール)
*努力をやめても熱中が待っている
*病は、自分自身を、これまでの好ましくない状態から救い出そうとしている。
*その人の人間的な感情や知覚が自然に動き反応しているか、その人が人間的に生きているかどうかということを尺度にするべき。
*うつに本気で関わるということは、クライアントとともに、うつが知らしめようとしている現代人へのメッセージを受け取り、自分自身が率先して、より自然な生き方に身を開いていこうとすることに他ならないのです。
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ネタバレ従来の西洋医学的アプローチでは、「うつ」の症状をいわば「悪」とみて、それを抑え込み駆逐することを治療としていたが、このアプローチだけではうまく「うつ病」を治癒することはできないと筆者はいう。西洋医学的アプローチでは切り捨てられてきた「病が示すメッセージを読み解き、対応する」という視点からうつ病に取り組んでいくことが必要と説く。 すなわち、うつ病とは「脳内セロトニンのアンバランス」が原因とされるのを、それは中間要因として捉え、そもそもその「アンバランス」が何故生じたのかという主因をうつ病から読み解き、対応していくことが必要としている。
本書ではうつ病の主因を、一般的に使われる「頭」「心」「身体」という概念を使って説明している。
「頭」はシミュレーション機能を持ち、過去の分析や未来の予測を担い、「すべき思考」に基づき、外界だけでなく「心」「身体」もコントロールしたがるもの。
「心」は過去や未来ではなく「いま・ここ」に焦点を合わせ、「~したい」「好き」「嫌い」という概念に基づき、直感的に結論を出す。
「身体」は「心」とともに、生きものとして人間の中心にあり、一心同体の関係にある。
これらの「頭」「心」「身体」の関係の中で、有意義・効率的に働くべきとか、本当のモチベーションがないにも関わらず努力すべき、体調が悪くても頑張るべきといった、「頭(理性)」による「身体」「心」に対する強権的な支配が肥大しているのが現代社会である。そして「頭」の支配に対して、「身体」「心」が悲鳴を上げてストライキを起こす、または「頭」の支配によって「身体」「心」が消耗してしまった状態がうつ病であると説明している。うつ病の初期に生じる身体症状なども、「心」が「身体」を通じてSOSを上げている状況と捉えられる。このため、「頭」の支配から脱却して「心」や「身体」のメッセージを読み解き、「心」や「身体」をいたわり、主権を戻すことが必要であると説明している。
この考え方をベースに本書では、うつ病の療養のポイントや周囲の人たちに必要な認識、予防的観点や、うつが治るとはどういうことかといったことが解説されている。特に、自分にとって参考となった点は次のとおり。
・うつ病になる人は、「心」や「身体」が悲鳴を上げていても、「頭」でコントロールを続ける結果生じるので、ある意味では辛抱強い、精神力が強い人がなりがち
・うつ病の人を励ますことは、頑張るべき、自己コントロールすべき、死んではならないという道徳に基づき「頭」の支配をより強化せよというメッセージになるので、逆効果
・病前性格としては、メランコリー親和型の性格があり、その基盤として作業手順や社会的秩序を重んじる傾向がある。また、他者からの評価を気にし、自分自身を無条件に愛せないという自己愛に問題がある傾向がある。性格は、先天的な「資質」と後天的な要素としての「自己愛」の傷や心の歴史から成り立つ。この後天的な要素を見直す、即ち未消化な感情を整理し、認知のゆがみを取り、「資質」がプラスに働く様に仕向けていくことが重要。
・「心」に湧く怒りも、無理に押さえつけずに受容すること。外に出すのはコミュニケーションの方法の問題と、課題を区分することが必要。
・うつ症状で、外出できない、電話一本かけられないというのは、「心」が弱っていて心理的バリアが弱体化しているために外界との接触ができないということ。体力の低下ではなく、心理的バリアの問題のために、普通の人には何でもない様なことができなくなる。
・努力は自分の資質にあっていないことを我慢して頑張ることで、熱中は自分の資質にあったことに夢中になってやること。熱中して成功した人を見て、努力が大事と考える倒錯が生じ、努力信仰が形成されている。性悪説に基づき、「頭」主導の自己コントロールにより、努力することで、あるべき姿に到達すべきという人間発達モデルがあるが、この自己コントロールが支配的になっていることが問題。自己コントロールによる偽りのモチベーションを排しても人間は堕落しきらず、本当の興味により熱中できるものは必ずある。
・従来の発達心理学における人間の発達モデルでは、小児(ありのまま)→反抗期→適応的社会人という段階までの説明で止まっている。しかし、その先に一見逆行ともいえる適応的社会人→反抗(こうしたいという心の解放)→小児(ありのまま)という成熟のプロセスがあるのではないか。社会的に適応するとは、生物的自然から乖離した現代社会のゆがみに麻痺するということでもある。夏目漱石はそうしたゆがみに適応できないことを神経症といい、神経症のある人間でなければ信頼できないと言った。また、漱石は適応的社会人を他人本位といい、成熟の果ての小児を自己本位として自己本位に生きるべしと言っている。
・「頭」は「~すべき」というのを、「~したい」と言い換えてモチベーションを偽造することがある。「心・身体」がまだ疲弊しているのに復帰したいということや、うつを直したいと闘おうと考えることは、「頭」と「心・身体」が拮抗している状態で、真の休息を得られない焦った状態といえる。このため、病という「心・身体」が発するメッセージに従い、しっかり「うつ」をやってみて、しっかり休むというアプローチが治療の一歩となる。
・「何もしたくない」というのも、うつ病での「心・身体」の拒絶反応の現れ。これもしっかり「うつ」をやって休みをとれば、徐々に拒絶の対象が絞り込まれてくる。人間のマイナスイメージは、本当に拒絶しているものの周辺まで拡大していくものなので、治療の過程でこの肥大した拒絶のイメージを絞り込んでいく必要がある。拒絶の対象「~したくない」を絞り込まないまま転職などの判断をすると問題の本質を見誤るので、うつ状態では大きな判断はしない方が望ましい。絞り込まれた拒絶は、自分がこうありたいという中心的なこだわりに反することなので、そのこだわりを見極めて、社会復帰の方向性を検討することが必要。
・「頭」は過去や未来に捉われて、結果「いま・ここ」が疎かになり「心・身体」が阻害されてしまう。未来や過去に捉われて「いま・ここ」という生きることがおざなりになるという本末転倒な事態が生じているので、「心・身体」に寄り添い、いまを生きることが重要
(感想)
「頭」主導の自己コントロールにのみ傾倒せず、「身体・心」の声を聴き、内なる自然との調和をとることが必要と理解した。「心」では、今の仕事・都会での生活・一人での生活に限界を感じているので、それをどう調和させていくかが自分にとって必要だと感じた。仕事を中心として今のライフスタイルに対して、心のレベルでは強く限界を感じて拒否反応が生じているので、その拒否反応が生じる原因を慎重に分析して、何が拒否反応の元になっているかを明らかにし、それに応じて今後の取りうるキャリアを検討したい。その際、書籍にあった、拒否反応の中心に本当にやりたいことがあるということを参考に、やりたいことを探し出したい。また、自分の性格を分析して、自分の本来の資質と、後天的に得た心の傷や認知のゆがみについても振り返り、自分の資質を活かす道を探し出したい。
加えて、自身の白黒思考の裏側には、本書で指摘されていた「自分には価値がない」という自己愛の不全があるのかもしれない。子供のころに、「やり始めたことは最後までやる」「努力信仰」を強くしつけられた自分がいて、努力・鍛錬の結果で成功体験も重ねてきたのだが、良い子的な従順さに依存する傾向が強いと自覚している。このため、自己愛不全についても関連書籍を読むとともに、自分が心から熱中できるモチベーションを改めて確認して人間的にさらに成熟したいと思う。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ『普通がいいという病』が良かったので、次に手に取った泉谷閑示さんの著書。
「対話の最も重要な部分は、話すことよりも、むしろ聴くところにあります。話し手が語る場を提供し、聴いた話を処理しようと急ぐのではなく、まずはそれを共有することに意味があるのです。」
養老孟司さんの『考えるヒト』に「われわれの意識は主観である」と書いてありましたが、対話を成立させるためには、われわれが各々違う主観に基づいて世界を認識していることを意識し、先ず相手が認識している世界を知った上で対話することが大切なのだということだと思います。
>「理解する」というのは「同意する」ということではない…という話は、多くの人の気持ちを楽にしてくれるのではないでしょうか?相手の気持ちに寄り添い(自分は違うけれども、そういう気持ちになることは)理解できますよ、という応対は、対話を円滑にするコツでしょうね。
>「頭」が用いる言葉は「~すべき」「~してはならない」と分析を行った上で打算的な行動をする。「心」が用いる言葉は「~したい」「~したくない」と即興的に物事を判断する。「心」は「頭」には解析不能な高度な判断を行っている。
相手の話は、相手と自分のコンテキストの違いを意識しながら聴く必要があります。そのギャップを埋める姿勢がないと、中立的な立場で判断できないからです。平たく言うと、相手の立場になって考えるということです。