泉谷閑示のレビュー一覧
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ネタバレ⚫︎教育とは
泉谷先生の本として他書から派生。良い子ほどダメになるというタイトルに妙に惹かれて読んだ。技術は原子力の時代にあり、心は石器時代にあるという言葉に納得であった。 わかりやすい、きめ細やかな教育などとさまざまな場面で行われているが、果たしてそれが教育される側にとって有益となっているか、教育方法が発展してると言われるが、果たして人は成長しているか常々疑問であった。 本書に言う音楽道に陥っている自分がいた。練習や、基礎理論を重要視していたのである。なんでも基礎から学ぶことや、学校で学び直すことが教育である、正しい流れであると思っていた。しかし、それは明確に異なる。心からの学び、自発的な興 -
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薄々気づいていたことではあるが、タイトルが斬新だったので、手にとって読んでみた。
ギリシャ時代には「観照生活」(瞑想や内省)が一番大切で、次はwork(芸術や職人仕事など)であり、laborは奴隷が担っていた。しかし、産業革命から、大量生産が主流になり、work(仕事)がlabor(労働、食べるための仕事)に成り下がってしまった。だから、現代人は、労働で疲弊しがちで、生きがいにするのは難しい。
ここまで読み進めてくると、仕事をしていくうえで、そのつどより良い、あるいは最善と思われる対応を自主的にしていくことによって、自分も周りもlaborからの脱却を少し図れるのではないか、という攻めの気持 -
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本書は、仕事中心の生き方に疑問を投げかけ、生きる意味を仕事以外に見出す重要性を説いた一冊である。著者はまず、現代人が「仕事=生きがい」と捉えがちであることに警鐘を鳴らす。分業化や効率重視の働き方により、自分の仕事に創造性や意義を感じにくくなり、多くの人が虚無感やうつ状態に陥っている。こうした状況を著者は「歯車化」と呼び、人間性の喪失を危惧する。
著者は、かつての「ハングリー・モチベーション」―飢えや欲望を動機に生きる時代―は、終焉を迎えているとし、外部評価や経済的成功を目的に生きることの限界を示す。代わりに、内面の声や本来の自分に従って行動する生き方が求められているという。
また、現代人は -
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ネタバレフェルミ研究所の動画から知って購入。
結果、そんな買うほどのことでもなかったかな?
端的に言うと、
ハングリー・モチベーション、食べるために働かなければならなかった時代から、
働かなくても食べていける時代に移行して、何のために生きてるのか?何のために働いてるのか?
と自問する人が増えた。
働くことを美徳とする時代の中で、
無心になって遊ぶことを忘れてしまったのかもしれない。
効率重視の風潮に流されて、無駄なことを避けるようになって、ますます遊ぶことを忘れてしまった現代人。
即興的な遊びを生活に取り入れることが、無意味感に苛まれる日常を救うかもしれない。
私がこの本を読んで受 -
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泉谷さんの本は3冊目で本書も興味深かったです。私はうつではないですが、読んで良かったなと思いました。
泉谷さんによれば、うつは「頭」によるコントロールに対する「心=身体」の反逆だそうです。確かにやる気がなくなったり昼夜逆転の症状を考えると納得がいく。そして治った人は生まれ直すことができる。価値観が大きく変わるのだそうです。
うつの人に限りませんが何もしない時間も大事で、すぐに意義を考える頭によるコントロールから逃れることも必要です。バランスが大事だとおっしゃているのだと思います。
私もすぐに効率とか将来への備えとか考えすぎて頭中心になりがちなので、気をつけないといけないなと思いました。 -
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ネタバレ『「私」を生きるための言葉』
〜日本語と個人主義 泉谷閑示
泉谷閑示さんの本『「普通がいい」という病』と重なる分があったが、新たに言語学分野が入ってきたことで新しい視点があった。
◯"YOU"のような普遍的2人称代名詞を持った言語を用いて暮らす人々と我々日本人は、何か決定的に違う世界を生きているのではないだろうか。また、その違いは、個々の人間のあり方や、人間関係の性質、社会の性格等にも大きな影響及ぼしてはいないだろうか。
という命題で始まる。
大学時代私は仏文学部にいたが、言語学の先生に「言語学を専門にして卒論を書いてみないか」と誘っていただいたことがあった -
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尊敬している精神科医の泉谷閑示さんの本。
日頃から人間を徹底的に見つめ、深く洞察されている結晶が、沢山書かれていた。
特にまえがき、第二講、四講はハッとさせられた。
第2項の、パブリックな言葉と内的な言葉について。個人的に、言葉に対するこだわりが割とある方なので、独自の意味を帯びさせてしまっているきらいがある。そんな内的な言葉を、時々そう親しくない人にも使ってしまうことがたまにある。ゆっくりと話して、その言葉について説明できるときは良いのだが、そううまくはいかないので、相手に誤解されたまま、ときには失礼にあたるまま会話を終えることになり、確かに内的な言葉を使う時や場所、相手を考えなければいけ