小熊英二のレビュー一覧
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淡々と書かれているが、内容は壮絶。
シベリア抑留、結核療養所など、身体的にも過酷で精神的にも厳しい状況でただただ日々を精一杯生きて、今日まで命をつないできた人生に、心から敬服する。
当時の日本を生きてきた人は、多くがそういう思いを経験を乗り越えてきたのだと思うと、なんとも言えない気持ちになる。
あのような戦中、戦後を生き残った人々が、必死で今日を作り上げてきてくれたのに、今の世代がこれでいいのだろうかと申し訳ないような気がする。
後半、現代に近い部分は少し駆け足で語られたような気がするが、社会的な動きは自分でもある程度記憶があるので、それほど物足りない気はしなかった。
戦後補償の問題など、きっと当事者の方たちには語り切れない思いがあるのだろうということが察せられる。
しかし、何よりもやはりシベリア抑留時代から引き揚げのあたりの想像を絶する体験談が圧巻だった。 -
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慶応義塾大学教授の小熊英二氏が、自らの父親である小熊謙二氏から聞き取った戦前・戦中・戦後の体験を記録した本です。当時の人々の暮らしや考え方などが誇張されることなく淡々と描かれています。「現実は映画や小説と違う」(p172)という謙二氏の言葉どおり、それらはあまり劇的ではないけれど、事実ということの重みを感じさせます。
謙二氏が六〇歳を過ぎてから社会運動といえるものに関わり始めたことには、さすがに「社会を変えるには」の著者である英二氏の父親だと思いました。
社会問題に対する謙二氏の言葉には、どきりとさせられるものがありました。
「現実の世の中の問題は、二者択一ではない。そんな考え方は、現実の社会から遠い人間の発想だ」(p211)
「自分が二〇歳のころは、世の中の仕組みや、本当のことを知らないで育った。情報も与えられなかったし、政権を選ぶこともできなかった。批判する自由もなかった。いまは本当のことを知ろうと思ったら、知ることができる。それなのに、自分の見たくないものは見たがらない人、学ぼうともしない人が多すぎる」(p377)
それにしてもすごい記憶力ですね。いつか失われていく貴重な記憶を本にしてしっかり残すことは大切だと思いました。 -
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俺の立場は反中央である。
就活の結果、東京からはじき出されたという思いが今でも残り、地方生活が長くなった今となっては人口集中した東京の機能不全が目について仕方がない。
地方から人口を吸いあげた上に、都民ファーストと称する傲慢さは都民に自覚がないのだろうか。
ところでなのだが、保育園不足による待機児童の問題は、俺が持つ市民感覚からは完全に外れている。
知人の話では、児童数の減少により保育園の経営が成り立たなくなり廃業が増えていて、遠くの保育園までの送り迎えが大変だという。
こちらのほうが正しいと思う。
待機児童の問題と俺の市民感覚のギャップが何かと考えると、つまりは保育園不足は東京の話だ。首都圏事情を日本の問題と混同している。
逆に何故、東京事情の保育園不足の問題が全国区になったのか。その理由は本書で示されている。
保育園不足に悩む地域の母親小集団の連携と効果的な発信。さらには小集団にありがちな「我々は大多数だ」という勘違いを無くすために、Twitterで複数アカウントにより常に様々な集団からの情報を仕入れていたという。
筆者は社会問題は地域による解決が望ましいという。過去、世界において人々の繋がりの最小単位は家族、地域、宗教であった。近年において家族のつながりは薄くなり、日本ではもともと宗教は馴染まない。
地域社会の強化が必要という答えには首肯するが、現実は個に分断されている。事実、俺自身も地域社会では何のつながりも持っていない。
個と個と繋ぐ人と場が必要だろうと思う。その場は全国で局地的ながらも、その活動は広がっているようだ。
本書では身近な社会問題から、憲法九条や沖縄基地問題、反原発デモを分析する。 -
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どんなに平凡に見える人にもそれぞれの人生があり、社会や時代といった背景を舞台にして語られる時、それは個人を超えた同時代のドラマにもなる。NHKにファミリーヒストリーという出演者の知られざるルーツをたどる番組があるが、これは父兼二の人生を中心に語られた社会学者小熊英二自身のファミリーヒストリーでもある。
以前、辺見じゅん著「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」を読みシベリア抑留の一端に触れ、過酷な環境を生き抜いた日本人捕虜の姿に感銘を受けた記憶があるが、今回この著書を通じてソ連全土に散らばった収容所ごとに環境は異なり、そこでの処遇も過酷さの中にも程度の差がかなりあったことを知った。歴史の多様性と複雑さに思いを致し、複眼的にそして謙虚に歴史に向き合うことの大切さを改めて感じた。 -
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社会構造の変化とともに、社会運動がどのように変化していったのか。知らない情報も多く、面白かった。特に、古代ギリシアからひもとき、哲学、科学、そして20世紀の近代の行き詰まりまでを広く追いながら説明していく。ただ、説明が冗長な部分も多かった。また一番最後の章で、社会を変えていくにはどのような「戦略」が必要なのかを、社会運動における資源動員論を始め、様々な理論的研究も紹介しているが、戦略としては弱いのではないかと思った。民主主義の可能性を信じて疑わないその主張に共感できる部分も多いが、2016年現在の状況を見ていると、そんなに楽観視できないのではないかとも思う。2012年に出版されているので、それから4年経っている。学生の時に読んだら、とても勉強になっただろうなと思う。でも筆者は、教科書的に本書が使われることは拒否しているようだ。
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戦争の様子を、戦時だけでなくその前後、現代に致までひとりの目を通して語られる自伝。当時の生活がありありと描かれており、重要な資料だと思う。普段、読書しながら気になるところは書き留めて置くのだが、箇所が今までに無く多く、色々な学びが有ったと感じる。
【学び】
戦前は親が「日雇い」「月給取り」かで生活様式が大分違った。
シベリアでの話。空腹時は、配給の雑炊を公平かで争い。
最初の冬は飢えと寒さとの闘い
二年目は共産主義思想に基づきお互いを凶弾
その中でも、人間的な扱いをしてくれる点ではソ連軍は日本軍よりまし
移動を頻繁にすると収容されている人達は団結出来ない。これは管理の常套手段
日本は殴れば終わりだが、反動にされると日本に帰れなくなるかもと精神的な苦痛があり、その方がきつかった。
農民や労働者出身の若くて素直な人が、自分の境遇を解き明かしてくれるものとして、マルクス主義をそのまま取り入れた。
アクチブになると労働免除、食料も左右、それからいじめが好きなもの。ソ連の働きかけがあったことは事実だが、日本人捕虜が過剰反応した部分も大きかった
実際に帰国が始まると反動の人も帰れると分かったが。疑心暗鬼でどうにも
帰国後(一緒に暮らした人、兄弟にもあえず)、「出てきたのは、ごく普通の食事だった。これにも失望した。夢にまでみた帰国がこんなものかと思った。」
天皇は自ら責任をとるべきだ、の意見も生々しい
シベリア帰りだった為に警察に監視されていたて例も少なくない
日本の社会という物は、一度ならず外れてしまうと、ずっと外れっぱなしになってしまう
2012年非正規雇用の人達がどんなに頑張っても駄目な世の中になっている、希望が持てない。使う側のモラルが無くなった。若い人がかわいそうだ。との感想を残している。 -
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前半の相当量を社会を変えることを考えるために必要な知識・知見の概説に充てており、その意図は理解できるが、それでも新書としてはかなりの分量。また個々の思想紹介は超訳的なものもあり、ここまで網羅的でなくても良かったのではないかとは感じた。
また終盤にかけて、批判の矛先が保守側の「自助努力」「回帰」に偏り、リベラル側にはほぼ言及がないまま「対話」「基本保障」といった処方箋に着地する構成にはやや違和感。根本的な情報格差が埋まらないまま参画や対話を推進することで、体制側に判断の負荷だけが偏っていく点、更には運動を推進する側も認知負荷が増大し、誠実さを維持し続けることが難しくなる点への言及が薄いのも気になった。
最終的な結論は「関心のあるものにまず関わる」という運動論に収斂しており、目的設定の適正性や、参加後に生じる情報格差・責任の重さといった論点には踏み込まない。これは著者も本書を「読者を動かすための運動」の一環として捉え、あえてここまでにしているフシもあるのかも。著者自身も末尾で述べているように、他の主張や言説と比較検討されるべき一冊である。 -
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社会を変えるなら、変えたいなら、行動しよう、という本だと思う。いかんせん難しくて、ついていくのが大変だった。
先日、「ヘルシンキ生活の練習は続く」でフィンランドでは普通にデモが起こり、気軽に参加するという話を読みながら、自分はデモのような社会活動に一歩引いてるよなぁと思っていた。
この本の中で、昭和の社会活動、特にあさま山荘事件などで、社会運動は危ないというイメージがついてしまったという。まさにそのイメージが残っているのかもしれない。
以下メモ
・戦後日本の社会運動における特徴
①強烈な絶対平和志向(すべての戦争否定)
②マルクス主義(レーニン主義)の影響
戦後、漠然とした戦前回帰への反対や戦争をしたくない気持ちが共産党や社会党の支援につながった
③倫理主義
自分は知識人、特権階級だから、特権を捨てて労働者に奉仕しなければならない。自己改革のための社会運動
民主主義と国家を愛することは両立するのに、日本では両立してなかった。愛国心=戦争回帰になってしまった。
1970年代~80年代の日本
社会運動が少なかった。
労働者が忙しく、社会から「余裕」がなくなる。
発展途上国型の混沌が整理され消えていき、一方で先進国型の市民参加が育つほどの自由がなかった。
・古代ギリシャの民主主義 直接民主主義
みんなで議論、盛り上がる、だから「納得」
単なる投票による多数決ではない
なぜ盛り上がると、納得するのか
「みんな」が参加した気持ちになる
「みんな」が決めた気がする
盛り上がりが「みんな」を作る
・中世 視点の変化 遠近法
それまでの絵は、遠くも近くも、時系列も同じ画面に描いていた。(神の視座)
近いものを大きく、遠いものを小さく、自分を中心に世界を再編成する視点の発明。
・近代科学→近代政治思想
自由で平等な個人が理性的な契約で国家を作る
・民主主義
「みんな」で権力を作る。集団が大きくなれば、「代議制」になる
・自由主義
権力から自由になる
→自由主義と代議制民主主義を組み合わせるには無理がある
みんなで決めないと納得できない
・昔は、共同体が強かったけれど、今は、個々にばらばら。だから、皆が共有している問題意識を足場に行動を起こす
問題意識:誰もが自由になってきた、誰も自分の言うことを聞いてくれない、自分はないがしろにされている(格差)