あらすじ
戦争とは、平和とは、戦後日本とは、いったい何だったのか。戦争体験は人々をどのように変えたのか。徴兵、過酷な収容所生活、経済成長と生活苦、平和運動への目覚め……とある一人のシベリア抑留者がたどった人生の軌跡が、それを浮き彫りにする。著者が自らの父・謙二の語りから描き出した、日本の20世紀。
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Posted by ブクログ
著者の父親を題材として、オーラルヒストリーの手法をとって戦前、戦後の日本の歴史を知識層ではない層から見たものとして記述。
中国派兵、シベリヤ抑留の後に日本に帰国して結核で片肺を失いながらも運と時勢をつかんでき、戦争時の体験をベースに元日本植民地の徴兵後の保証に関する社会運動に晩年は携わる。時代にほんろうされつつも生きる逞しさおよび世の中の流れを社会学者としてわかりやすく背景描写を重ねている一級の資料。
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古本屋で何気なく手にして読み始めた。
小熊英二が社会学の英知を傾けて描いた父親の『自分史』である。社会状況や経験した事実を丹念に聴き取り丁寧に書いている、視点や文調が独特で新鮮だ。
戦争に明け暮れた昭和の混乱期、逆境を這いながら地道に生きた父親の人生を口承で辿った一人息子の計らいに共感を持って読むことができた。
小熊謙二の自分史であると同時に、日本が太平洋戦争に向かう時期から、敗戦、戦後の高度成長へ、そして現在までの推移を、一国民の目を通して語り表現した『社会史』でもある。
彼は敗色濃い満州に徴兵され、敗戦になり捕虜でシベリアに抑留され、帰国して結核で隔離病棟生活を経てスポーツ用品店の経営者となり、結婚し四人家族の長男に死なれ、残った一人息子の英二を育てる。
貧困と不運が重なり、人に迷惑をかけず補償など国には頼らず、波乱のなかを実直に生きた父の生涯を感情を抑えて冷静に描写している。
あの時代を生きた生活者への讃歌である。
小林秀雄賞の受賞は宜なるかなであり、自分も星五つの評価をした。
読みながら、地方の没落家系に育ち大企業の技術者から出征後零細事業者になり、妻や祖母と貧困に苦労し一人の娘を失い、事業税を払い続け軍人恩給の受給を拒み、子供たちを大学まで出した自分の父の切実な人生を思い胸を締め付けられた。
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戦前・戦中・戦後を生きた一人の国民の人生を、それぞれの時代の社会背景を交えながら綴った歴史書であると言える。
記述の対象は、小熊英二先生の父親である小熊謙二氏。
先の戦争に学徒兵として徴兵され、満州にて終戦を迎える。その後、ソ連軍の捕虜となってシベリアに3年間抑留された。
帰国後もなかなか安定した生活基盤を築くことができず、「死の病」と言われた結核にかかるなど、不運は続く。
サナトリウムからの退所後、職を転々とする中でスポーツ用品の販売会社に就職し、サラリーマン生活を送る。
結婚し子をもうけ、「一億総中流」の日本社会の一員として戦後日本を生きることになる。
こう要約してみるとなかなか分かりにくいが、興味深く戦後史を学ぶことができる良書だと思います。
分量が多く、読み応えあり。
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ある一般市民がどのように戦争に巻き込まれ、戦後を生きたか記録されている。
戦時に始まり、シベリア抑留から帰国するところで終わる本だと思っていたが、彼の両親・祖父母がどのように暮らしていたかから丁寧に紐解かれ、彼がどのようにして徴兵されたか、戦後どのように生計を立て、引退後の生活をどのように過ごしたかが克明に記録される。
いままでわたしが触れてきた戦争について描かれている媒体では、戦争中の悲惨なエピソード、玉音放送を聴いて打ちひしがれる国民、という描写に留まるものが多かった。本書を読んで、一般的な市民にとっては、戦争が終わっても、無事生き残っても、必死の思いで生還しても、特に金銭的・物理的な救いがあったわけでもなく、ただ単に戦後の貧しい暮らしが続くだけだったということがわかった。
あとがきにもあるように、個人の体験を残すのはその体験を文章に残すことができる高学歴の者によることが多いから、こんなに素朴というか、「下の下」の人の戦争体験は初めてだった。
あの戦争で国民の日々の暮らしは否応なく変わり、命を失った人までいたにも関わらず、力のある者が声を上げ続けない限り国が補償を行わなかったというのはショックだった。
そしてまた、謙二による裁判での陳述は胸に迫るものがあった。何も間違ったことは言っていないのに、それにもかかわらず請求棄却されたということが、日本人として本当に残念だと感じた。
わたしの祖父母は戦争について語りたがらなかった。わたしの祖父母にも、本書で記録されているような、祖父母たち固有の歴史があると思う。聞くことができなかったのが惜しい。
「昔は水族館だったというアパート」という描写が気になった。
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著者の父で、「立川スポーツ」創業者・経営者でもあった小熊謙二の戦争体験・戦後の生活史体験の聞き取りの記録。1925年生まれの小熊謙二は、北海道・佐呂間に生まれ、北海道に残った父と離れて東京の祖父母のもとで育ち、早稲田実業学校卒業後に富士通信機に勤めるが、1944年に徴兵のため召集。電信第17連隊の二等兵として満洲に送られる。敗戦後は牡丹江でソ連軍に投降、シベリア送りとなり、1948年3月に帰国するまでチタの収容所で強制労働を強いられた。
日本敗戦後は貧困にあえぎ、職を転々とする中で結核に罹患。1956年に退所後は東京学芸大で職員として勤務していた妹・秀子を頼り、多摩に向かう。その後、つてをたどって立川ストアに就職、高度成長期にスプロール状に拡大していった住宅地に出来ていく中学校・高等学校にスポーツ用品を売り込むセールスマンとしてようやく生活の安定を得ていった。退職後は地域の住民運動を手伝う傍ら、シベリア抑留のわずかな縁から再会した朝鮮人元日本軍兵士の国賠訴訟を支援、自らも共同原告として裁判に参加した。
「立川スポーツ」という社名には記憶がある。高校教員時代、クラブ活動の関係でお世話になったことがあったかもしれない。小熊は父親の生活史をある種の典型性というレベルで捉えているが、父親のコメントの周囲に当時の文脈や資料を紹介していくというスタイルは、確かに政治史や社会史の記述ではすくい取れない生の実感というか、生きた人間がそこにいる、という感覚を与えてくれる。
しかし、「あまりにもよくできている聞き取りの記録」という気がしないでもない。いかにも典型的な日本敗戦後の社会党支持者という父親のイメージだが、聞く側の姿勢というか、聞く側の質問やコメント(どんな質問をしたかは記録されていない)が引き出される記憶に無視できない作用を及ぼしているとは思う。
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社会学の研究者である小熊英二さんが、自身の父(小熊謙二氏)が辿った、戦争、勾留、闘病、労働などの人生を、膨大な資料、インタビューから理解・構築し、詳述した一冊。著者自身があとがきに書いており、かつ読み始めるとすぐ理解できるように、これは単なる「戦争体験記」ではない。随所に、当時の日本の状況を表す統計データやその他の文献引用などがなされており、小熊謙二氏という1人の人生を通して、戦前から現在に至るまでの日本社会の変化に触れられる。まさに、1人の主体としての「経験」と、それを客観的に、ときには批判的に補足・検証する「資料、データ」とを結合させた研究活動であると言えよう。
もちろん、本書の内容を読み、その時々で小熊謙二氏が何を感じていたのか、極限の状況に追いやられたとき、どのように振る舞ったのか、などという事実は、「人間とは何か」という途方もない問いに対して、確かな一側面を与えてくれる。ただ、個人的に本書を読んで最も感じたことは、「(特に社会科学において)真実を解き明かすヒントは、社会に規定され、日々行動する個人の中に、その多くが隠されているのかもしれない」ということである。本書の中でも言及されているように、歴史として語られるものの多くは、語ることのできる社会的階級にいる、もしくは語らざるを得ないほどの熱量を持っている個人、集団のみである。つまり、貴重な知見、経験を携えているにも関わらず、社会的階級が相対的に低く、自ら語るインセンティブも持ち合わせていない人は、歴史に反映されないのである。
この気づきは社会科学の研究に携わる身として、非常に重要な示唆を与えてくれた。もちろん、安易な解釈主義に陥ることは避けなければならないが、そのものが動態的に変化する社会を捉えようとする限り、完全な真実を掴むためには、膨大な研究を行い、多様な視点から分析を試みる必要があるということである。こう書くと、シンプルに思えてくるが、これが難しい。どのような人が言っていることも、どのような些細な情報であっても、その裏に何かメカニズムが存在していると信じ、全てから学ぼうとする姿勢こそが研究者に求められているのかもしれない。もちろん、全てを自分1人で行うことは、人間という生物の特性上、不可能である。だからこそ、あらゆる分野の研究者と対話し、全体で知を前進させていく必要があるのである。
ここまで、自分が得た示唆ばかり書いてきてしまったが、本書の締めの一言は、純粋に、希望を与えてくれた。引用して、感想を終えたい。
「さまざまな質問の最後に、人生の苦しい局面で、もっとも大事なことは何だったかを聞いた。シベリアや結核療養所などで、未来がまったく見えないとき、人間にとって何がいちばん大切だと思ったか、という問いである
「希望だ。それがあれば、人間は生きていける」
そう謙二は答えた。」(p.378)
Posted by ブクログ
面白くって2日で読んだわー!
著者の父親の聞き書きを基にした、20世紀前半に生まれた名もない日本人男性のライフヒストリー。
北海道への移住、上京、就学と就職、徴兵。シベリア抑留。帰国後の困難な再就職と結核治療。景気の上昇。結婚と仕事の成功。マイホーム。
昭和初期、小学校を出たら日銭稼ぎでも働くのが当たり前だった。話者は早稲田実業中学に通ったが国公立の滑り止め的存在。月謝を払って高等教育を受けられる人は限られていた。
庶民レベルでは戦争賛美はみんな案外冷ややかだった。学校の先生や一部のインテリは批判的だった
シベリアでは零下35度になると、屋外作業が中止になったが冬でもダムの凍結除去など外で働かされた
抗生物質が使えるまでは、結核治療のために肺や肋骨を切除する外科手術が行われていた
1957年までガス、水道なしの下宿暮らしだった
話者は最晩年になって、日本兵として徴兵され、シベリアに連行された朝鮮人の抑留仲間が起こした賠償裁判に協力する。たとえ勝てない裁判と分かっていても、公の場で一言言わせろ。人としての気概を感じた。
著者は日本の近現代社会史の専門家だけれども、戦争や生活の記録として残された書物が、特定の学識層の経験に偏っていたり、個人の感性でバイアスがかかっていることをたびたび感じ、普通の庶民がどう生きたかを残したいと思ったそう。
この本のように、私の家族のライフヒストリーも残したいな、と思った。
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昭和を生きた一人の男の生涯の記録。時代背景と庶民の暮らしがバランスよく記述され、大変読みやすい。書いたのがご子息だとは読み終わるまで気がつかず。
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小熊謙二の生涯の軌跡をたどっていくことで戦前から戦中、そして戦後の日本の姿を描いている。著者の小熊英二(謙二の息子)があとがきで書いているように、本書が他の戦争体験記と異なるのは次の二点。
・戦時のみならず戦前と戦後の生活史がカバーされている点
・個人的な体験記に社会科学的な視点がつけ加えられている点
本書は戦争というものが国だけではなく個人の人生をいかに破壊するかを物語っている。たとえば、謙二が戦前のように水道とガスのある生活に手に入れたのは1959年のことである。終戦から考えても15年近くの歳月を要しているのである。戦争とはかくも悲惨なものであるということは肝に銘じておく必要があるだろう。また、本書の主人公、小熊謙二の「ものを見る目」の鋭さにも注目して読むと面白い。
Posted by ブクログ
読む前は一時期話題となったフィリピンの密林から帰ってきた日本兵の話と思っていたが、本書はシベリア抑留から帰還した方の話だった。
私の母方の祖父もシベリア抑留からの生還者であったが、今まで全く知らずに生きてきた。本書を通じてその経験者の生の体験を知ることができ、その過酷さや当時の背景を知ることができた。特に終戦時に関東軍が労務の提供を申し出ていたというのは驚愕したし、憤りを感じた。
また、帰還後の生活にも多くの紙数を割いており、あまり知ることの無い庶民の戦後の生活を知ることができる。韓国人や台湾人なども強制的に日本兵として動員していたという事実も重い。昨今の軽々と在日排斥を叫ぶ人達はどのくらいこの事実を知っているのだろう。
Posted by ブクログ
「五色の虹」「模範郷」と立て続けに個人的な話の本を読んで来ました。どれも興味深い本でした。この本は、戦中に特別な地位や役割があった者ではない、表現の能力に長けている作家でもない、著者の父親の戦中・戦後の話の聞き取りという点で個性のある本でした。戦後、著者の父親が戦中のことが書かれた本を読むものの個人的な体験を語る本には違和感を覚えることが多い様子が伺えました。だれが、どんな立場で、どこで、どのように、なにを思って敗戦を迎えたかは千差万別で、歴史の上で、ひとつの出来事でもひとつの思いでもあり得なかった。このような本は脈々と繋がる現在を考えるときに無視出来ない内容であると思いました。
Posted by ブクログ
400ページ弱、新書としては厚い方だろう。
「生きて帰ってきた」というタイトルの通り、ひと言で言えば、シベリア抑留を体験して帰国した元日本兵の一生ということになるのだが、本書はそれだけには留まらない。
地味な体裁、淡々とした語りの奥に、昭和初期以降の庶民の暮らしが詳細に活写されている。
大上段に振りかぶらず、地に足がついた、そして激情に流されることのない、一市民の人物史である。
主人公は著者の父。息子がインタビュアーとなって父の語りをまとめている。
このお父さんという人は、学があった人ではないのだが、観察眼があり、記憶力にも抜きん出たものがある。加えて、冷静で、自分に酔うようなところがない。
著者は歴史社会学者である。父の語りを補足する形で、その時々の政治状況、国際情勢の流れを解説する。
主体は庶民の生活ぶりを詳細に捉える「虫の目」、ときに社会全体を眺め渡す「鳥の目」といったところである。
父・謙二の生まれは大正14(1925)年、北海道常呂郡佐呂間村(現・佐呂間町)である。その父の雄次は新潟県の素封家に生まれたが、家が零落して半ば流れ者のようにして佐呂間の旅館に入り婿となった。やがて謙二の祖父母は旅館を手放し、東京に出てきて零細商店を営む。謙二もそこに引き取られることになる。
故郷に確たる根を持たない、上流階級でも知識層でもない、「表」の歴史に残りにくい庶民史が非常に興味深い。
昭和初期に各地に建設された公設市場。「月給取り」と「零細商店」の子供たちの間にあった見えない壁。娯楽としての紙芝居や映画。地方出身者が増えて以降、目立つようになった盆踊り。
時代は戦争へと向かい、経済状況が悪化していく中、物資の流通が滞り、人々の暮らしにも影響が出てくる。そうした社会情勢と庶民の肌感覚が複眼的に昭和初期という時代を捉える。
進学率が上がりつつあった時代にあり、中学への進学を果たす。しかしさほど向学心に燃えることもないまま卒業・就職。時代が時代ならばそのまま「サラリーマン」人生を送るところだったのだろうが、ここで召集。父の本籍地だった新潟に配属され、満州に送られる。初年兵としてこき使われるうちに終戦。
このあたりの内側からの軍隊生活の描写も、一兵士の実感と観察眼が生きていて興味深い。いわく、軍隊生活ではとかく連帯責任が問われ、あるはずの備品が足りないと隊が罰せられるため、余所の隊からの盗みやごまかしが横行していたとか、「軍人勅諭」といったものを暗誦させられるが、大意を汲んでもダメで一字一句暗記していないと殴られる等。
敗戦時、体をこわしていた謙二は部隊から切り離され、あぶれものの集まりとしてシベリア行きとなる。この際、命を落としたもの、辛くも日本に帰ったもの、シベリアに行ったもの、収容所で帰国を待った年数は、それぞれの境遇でさまざまだったが、ちょっとしたことが運命を分けたようである。
シベリアでは極寒の地で厳しい収容所暮らしを送る。最初の冬は極限状態で、栄養失調から、人としての感情もなくすような日々だったという。その後は生活状態自体は徐々に改善されていくが、一方で「民主運動」が起こってくる。ソ連人に気に入られようという狙いもあってか、「アクチブ」と呼ばれる共産主義礼賛者が幅をきかせ始めるのだ。こうした運動に心底熱中していたものもいたが、冷静に距離を置いているものも多かった。
先が見えないと思われた収容所生活だが、帰国できる日がやってきた。
しかし、帰り着いて父の故郷・新潟を訪ねたが、極貧の暮らしで、食べるものも満足には食べられなかった。職を転々とするうち、戦中戦後の無理と栄養不足がたたり、謙二は結核になってしまう。当時、結核は非常に恐れられた病気で、特効薬も出てきてはいたが、貧しいものに行き渡るほどの供給はなかった。金がなかった謙二は病巣に冒された肺胞をつぶす、苛酷な外科手術を受ける。もう少し前であれば死んでいたかもしれないが、もう数年後であれば、薬の供給が改善され、大手術を受けずに済んだかもしれない。その境目にあったのが、1950年代前半だった。
何とか病棟を出た後、高度経済成長の波に乗り、謙二はスポーツ店の営業として、徐々に頭角を現してくる。時代の波に乗ったことに加え、冷静な観察眼が営業職には向いていたようだ。後には自身の会社も興している。
現役を引退した後は、ふとしたことから戦後補償裁判に関わることになる。このあたりの経緯も非常に興味深い。
全般として地に足のついた昭和・平成の庶民史で、読み応えがある好著である。
時代に揉まれたとも言える人生、シベリア収容所や結核療養所など先の見えないときに、何が一番大切だと思ったかとの息子(聞き手)の問いに謙二が答える言葉は重く深い。
必ずしも表の歴史に残ることはなくとも、人は生きていく。そのことの強さを思う。
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小熊英二慶大教授の父の体験を子供である著者が聞いて再構成した、戦前から戦後にかけて、大きな戦争という時代の渦に巻き込まれた一個人の話。当たり前の庶民目線から見た歴史書といえる。その時の庶民がどのように時代を知り、あるいは知らずに、巻き込まれていたかわかるし、過去を美化する人たちが、事実は違ったりすることがわかる、貴重なオーラルヒストリーと思える。著者も肉親からの話を聞いてまとめる作業であり、感情を引いて淡々と記述しているが、時に愛情がほとばしる場面もある。淡々としながら、時に感動という、戦前戦後史を別の側面から知る良書と思う。最後に「希望だ。それがあれば、人間は生きていける」という言葉が印象的だった。
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・いわゆる学徒兵や将校など、中産層ではなく、都市下層の商業者という「庶民」の視点から、淡々と当時のシベリア抑留を起点とした戦争体験が描かれている。
過剰かつ感傷的な表現が少なく、全体がとても読みやすい文章で描かれており、当時の日本軍や戦争に対するある意味「冷めた」感情もまた、当時のリアルの一側面なのだろうと感じた。
・時代を経ていくごとにいわゆる高度経済成長の波に乗り変化する筆者の生活に、
当時の社会全体の「希望」を感じた。
・・その延長線上にある現代日本は若者が「希望」を持てる国になっているか?果たして信義をもって人権を尊重する国になっているだろうか。
そんな疑問を持ちつつ、読み終えた。
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時系列が行ったり来たりするので第一章で挫けましたが、少し時間が経ってから何も考えずに開くと読めました。この一冊を参考に他の昭和を題材にした本を読むと面白いと思います。
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生きて帰ってきたある日本兵の戦前戦後史。
センチメンタルに、あるいは大仰に語られがちな戦前戦後史を、ある1人の生涯を軸に語っている。
そのため、月並みな感想だが、この本を読むことで戦前戦後史に対して違った見方を得ることができる。或いは、歴史に対して違った見方を得ることができる。
その時の人が、どう感じ、どう生きたかは、いわゆる歴史書では知ることができない。当時世間を賑わせた出来事であっても、その時代に生きた一部の、或いは多くの人にとってはどうでも良いことだったのかもしれない。そのような実感を考えることなく、歴史を語ることは非常に浅いことなのかもしれないと感じる。何故なら、歴史を作ってきたのは、他ならぬその時代に生きた人々だからである。
他の本で、著者は、戦争責任に対して、誰もが被害者であり加害者でもある、というより、それすら整理できないのが戦争なのである。という趣旨のことを述べている。おそらく、著者のこの考えは、この本と通ずるところもある。なぜならば、この本の語り手である謙二も、戦争の加担者でありながらも、その責任がどうであるとか、考える暇もなく、時代の流れに巻き込まれていたからである。
なんとなく、「この世界の片隅に」に通じる気がする。
読み物としても興味深いし、誰でもない1人の目線をもとに歴史を描き出すという試みの本という目線から見ても、非常に良い本。
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某所読書会課題図書.小熊謙二の波乱万丈の一生を普通の人の視線で描いた長編だが、戦前の庶民の暮らしぶりや上からくる規制を巧みに交わす生き方が具体例で示されている.小生の記憶と合致する、高度成長期の話も正確な記述と相まって楽しめた.あとがきにもあるが、サラリーマン的な生き方は人口の一割弱だという指摘は重要だと感じた.大多数の人々は、自分たちの人生を自分で切り開いてきたのだ.政府を当てにしないで.それにしても敗戦直後の我が政府の無責任さは憤り以上のものを感じる.
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この国の「戦後」について考えようとする人は、これを読んでからにしてほしい。でたらめで、ご都合主義がハヤリらしいが、いつの時代にも、人生をまじめに生きようとする人間はいるのだし、社会に翻弄されながら、人間であることを、誠実に貫こうとして生きている人はいるのだから。
どういう目的か知らないが、そういう人間をバカにするような「知性」は終わっていることを思い知らせてくれる。
若い人が書いていうことに、明るさを感じた。えっ、もう若くない?
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太平洋戦争末期に徴兵されて、シベリアに2年ほど抑留された人の話なのだけど、それ以前から戦後の混乱期、高度経済成長期を経て定年後の話もあり、物凄く濃かった。
もちろん、彼の生き方・考え方が徴兵された人代表というわけではないが、市井の人の素朴な価値観を知ることができた。
印象的な箇所はたくさんあったが、自分が特に印象に残ったのは以下の点。
・戦前の素朴な戦争感。
・戦中の報道は新聞を読んでたけど、日本軍が転進・玉砕と書いてあり、薄々おかしいと感じてたこと。
・戦中末期に徴兵され、毎日しごきを受けてたこと。
・シベリア抑留時代の過酷な話。
・戦前に富士通信機で働いてて戦後に戻ろれるはずだったけど、シベリア帰り=アカということで受け入れられなかったこと。
・シベリアの民主教育でアカには染まらなかったけど、心情的には左寄り、ただしアメリカの方がソ連よりはましという考え。
・戦争責任について。
政治家は元より、天皇にも一定の責任があるという考え。
あと、結核療養所で青春時代を5年過ごしたというのも中々切なかった。
ペニシリンが普及する前で、肺を潰したというのはえぐかった。
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第二次世界大戦へ参加し、シベリア、帰国を経てきた人のオーラルヒストリー。筆者の父親。
一般市民が戦争をどのように感じていたのかを知ることができる。
1937年にはタクシーがなくなり、ガソリンが不足していた。配給制がはじまり、物資が不足していた。
アカザはアク抜きすると食べられる。
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淡々と書かれているが、内容は壮絶。
シベリア抑留、結核療養所など、身体的にも過酷で精神的にも厳しい状況でただただ日々を精一杯生きて、今日まで命をつないできた人生に、心から敬服する。
当時の日本を生きてきた人は、多くがそういう思いを経験を乗り越えてきたのだと思うと、なんとも言えない気持ちになる。
あのような戦中、戦後を生き残った人々が、必死で今日を作り上げてきてくれたのに、今の世代がこれでいいのだろうかと申し訳ないような気がする。
後半、現代に近い部分は少し駆け足で語られたような気がするが、社会的な動きは自分でもある程度記憶があるので、それほど物足りない気はしなかった。
戦後補償の問題など、きっと当事者の方たちには語り切れない思いがあるのだろうということが察せられる。
しかし、何よりもやはりシベリア抑留時代から引き揚げのあたりの想像を絶する体験談が圧巻だった。
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慶応義塾大学教授の小熊英二氏が、自らの父親である小熊謙二氏から聞き取った戦前・戦中・戦後の体験を記録した本です。当時の人々の暮らしや考え方などが誇張されることなく淡々と描かれています。「現実は映画や小説と違う」(p172)という謙二氏の言葉どおり、それらはあまり劇的ではないけれど、事実ということの重みを感じさせます。
謙二氏が六〇歳を過ぎてから社会運動といえるものに関わり始めたことには、さすがに「社会を変えるには」の著者である英二氏の父親だと思いました。
社会問題に対する謙二氏の言葉には、どきりとさせられるものがありました。
「現実の世の中の問題は、二者択一ではない。そんな考え方は、現実の社会から遠い人間の発想だ」(p211)
「自分が二〇歳のころは、世の中の仕組みや、本当のことを知らないで育った。情報も与えられなかったし、政権を選ぶこともできなかった。批判する自由もなかった。いまは本当のことを知ろうと思ったら、知ることができる。それなのに、自分の見たくないものは見たがらない人、学ぼうともしない人が多すぎる」(p377)
それにしてもすごい記憶力ですね。いつか失われていく貴重な記憶を本にしてしっかり残すことは大切だと思いました。
Posted by ブクログ
どんなに平凡に見える人にもそれぞれの人生があり、社会や時代といった背景を舞台にして語られる時、それは個人を超えた同時代のドラマにもなる。NHKにファミリーヒストリーという出演者の知られざるルーツをたどる番組があるが、これは父兼二の人生を中心に語られた社会学者小熊英二自身のファミリーヒストリーでもある。
以前、辺見じゅん著「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」を読みシベリア抑留の一端に触れ、過酷な環境を生き抜いた日本人捕虜の姿に感銘を受けた記憶があるが、今回この著書を通じてソ連全土に散らばった収容所ごとに環境は異なり、そこでの処遇も過酷さの中にも程度の差がかなりあったことを知った。歴史の多様性と複雑さに思いを致し、複眼的にそして謙虚に歴史に向き合うことの大切さを改めて感じた。
Posted by ブクログ
ソ連の捕虜になって「生きて帰ってきた男」の体験記なんだけど、その戦前と戦後の生活をその社会情勢とを交えてよくわかる。
あまりにも淡々としていて、これがリアルなのか…
抑留と結核療養の思うままにならない期間を経て、食べていくためにさまざまな仕事をし、裁判や運動に係わっていく。
謙二にとっては下の下で生きてきたという一貫した姿勢。特別才能と幸運に恵まれていると思うが。
多摩に住む私には身近に感じる部分も多くあり、自分の記憶する事柄なども微かに思い出され、戦後は終わっていないという人も未だにいるのが腑におちた。
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戦争の様子を、戦時だけでなくその前後、現代に致までひとりの目を通して語られる自伝。当時の生活がありありと描かれており、重要な資料だと思う。普段、読書しながら気になるところは書き留めて置くのだが、箇所が今までに無く多く、色々な学びが有ったと感じる。
【学び】
戦前は親が「日雇い」「月給取り」かで生活様式が大分違った。
シベリアでの話。空腹時は、配給の雑炊を公平かで争い。
最初の冬は飢えと寒さとの闘い
二年目は共産主義思想に基づきお互いを凶弾
その中でも、人間的な扱いをしてくれる点ではソ連軍は日本軍よりまし
移動を頻繁にすると収容されている人達は団結出来ない。これは管理の常套手段
日本は殴れば終わりだが、反動にされると日本に帰れなくなるかもと精神的な苦痛があり、その方がきつかった。
農民や労働者出身の若くて素直な人が、自分の境遇を解き明かしてくれるものとして、マルクス主義をそのまま取り入れた。
アクチブになると労働免除、食料も左右、それからいじめが好きなもの。ソ連の働きかけがあったことは事実だが、日本人捕虜が過剰反応した部分も大きかった
実際に帰国が始まると反動の人も帰れると分かったが。疑心暗鬼でどうにも
帰国後(一緒に暮らした人、兄弟にもあえず)、「出てきたのは、ごく普通の食事だった。これにも失望した。夢にまでみた帰国がこんなものかと思った。」
天皇は自ら責任をとるべきだ、の意見も生々しい
シベリア帰りだった為に警察に監視されていたて例も少なくない
日本の社会という物は、一度ならず外れてしまうと、ずっと外れっぱなしになってしまう
2012年非正規雇用の人達がどんなに頑張っても駄目な世の中になっている、希望が持てない。使う側のモラルが無くなった。若い人がかわいそうだ。との感想を残している。
Posted by ブクログ
仕事のスタイルは
時代が求めるものによって変化する。
当たり前のことだけれど
社会はどんどん変化していく。
戦中、戦後
激動の時代に求められた「生きる力」は?
全体を俯瞰的に見ること。
ニーズを把握すること。
ニッチな分野に目を向けること。
人と繋がり合うこと。
ご縁を大切にすること。
今求められる力と、同じ。
Posted by ブクログ
ここで書かれていることが本当のことなんだろうなと思う。戦争とその後のある平凡な男性の話
実は平成になってもまだ戦後が残っていたんだなあと思った。
Posted by ブクログ
社会学者の小熊英二氏が、父親、小熊謙二氏から聞き取りを行いまとめた1925年(大正14年)から今日の記憶。戦争、シベリア抑留、結核療養所、高度経済成長、未精算の植民地支配。ひとりの、平均的ではないにせよ平凡な男の個人史を大きな文脈に結び付ける作業を通して、東アジアと日本の大きな変動、その中における都市下層商人の生活や意識、移動が浮かび上がる。
晩年には朝鮮系中国人とともに戦後補償裁判の原告にもなり、今も人権団体の活動を支援しているという謙二氏も興味深い人物だが、その人生と絡めて語られる社会事情の細かい話が知らないことが多くてとても面白い。たとえばホワイトカラーとブルーカラーの間には城詰めの侍と農民の間のような身分差別があったとか、結婚式が宗教化したのはつい最近のことであるとか。
本書のもつ大きな意味は、このように一人ひとりの人生がいかに異なる形で大きな文脈と結びついているのかを明らかにすることによって歴史を多様な視点から立体化することが可能であること、そして私たち一人ひとりが身近な人々を通して歴史と接近することが可能であることを示したことにあるといえるだろう。とはいえ身近な人が必ずしも謙二氏のように細部を鮮明に記憶しているとは限らないのだが…