小熊英二のレビュー一覧
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日本の雇用慣行がどのように形成されてきたのかを、アメリカやドイツと比較しながら検討した結果、「はじめに人ありき」であることが分かった。アメリカは「はじめにジョブありき」。
明治の大学卒が少数だった時代〜戦中〜高度成長までは雇入を増やしても、人不足/組織拡大で経営が維持できた。しかし高度成長が頭打ちになってからは大企業の正社員数も頭打ちになり、パートタイム労働や女子社員ないし非正規雇用を雇用のクッションとして扱い、新たな雇用の二重性が形成されてきた。
日本の社会保障制度は、会社(正社員)or地域で囲われており、どちらにも当てはまらない残余型が約1/3存在する。厚生年金で比較的厚く保護される会社型 -
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あとがきにあるように、『日本社会のしくみ』と言いつつ実質的には雇用慣行に限定した内容だが、逆にこのことは日本社会の構造がいかに会社というコミュニティに依存しているかの裏返しである。自分はかれこれ30年ほどこの主題を追っているが、そのきっかけは入社してすぐ導入された『目標管理制度(MBO)』に疑問を持ったからだった。こんなの絶対にうまく行く訳ないと思っていたら、案の定その後も目標管理の方法を無駄に精緻化したり、役職と報酬を一致させる役割給を導入したりして迷走を続けたものの、結局もとの職能等級制度から一歩も脱することはできなかった。
雇用政策一つを取っても、教育、福祉政策など日本社会の構造と深く連 -
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イメージで捉えられる日本社会の「しくみ」の解明に、雇用と労働の側面から挑む。
西欧やアメリカとの比較で、「これだから日本は…それと比べて…」とよく言われますが、他社会を当て嵌めるのではなく、両者の背景や形作られる過程を分析し、両者の長短を踏まえた冷静な分析がなされます。慣習からなる「しくみ」の変革に対するおぐおぐの言葉も示唆的。
昨今は過激な主張をする/正義を振りかざす政治勢力が台頭し、「日本は…現状は…」という安易な言説が選挙に向けて高まっていますが、誰もが組み込まれている「しくみ」を頭ごなしに否定するのではなく、合意をはかって、我々の手で社会をつくることが必要です。 -
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・仕事内容が違うのに、Aという部署とBという部署の給料が同じ。
・大卒社員と高卒社員の初任給が同じ。
「それって変じゃない?」って、
なんとなく違和感があるのだが、これは「社員の平等」という話。これに異議を唱えても、「まぁでも、日本は『社員の平等』だからねぇ」という話。
「自分の学歴と現在の仕事内容が、釣り合っていないと感じる」━━こういう人が増えているという。
つまり、「大学を出たのに、それに見合った仕事をしていない」「雑務をしている自分に納得がいっていない」と。
しかしそれは昔からそうだったわけではない。
「なぜそういう時代になったのか?」、本書を読めばその歴史がわかる。
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個人的に非常に興味深い内容であった。日本社会は、明治に入り国家が強力に近代化を進めてきたことにより、民間にも「官僚制の移植」が行われたため他国と異なる雇用性質を持っているという。これは他国と比べ違いが大きかった。現在も残る多くの大企業は元々国が運営していた会社も少なくない。官僚制とは、一言で言えば「企業を超えた横断的基準の不在」といえる。米独などの諸外国では、歴史的に「官僚制の移植」は経験してきているが、職種別労働運動などによって日本よりも影響が小さくなっている。
最後の著者の指摘がわかりやすかった。日本型雇用の慣行を打破するには、「透明性の向上」が必要不可欠であるということ。つまり、採用や昇 -
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経営学専攻の大学院1年生である。当然に修士論文を書かなければいけない。修論の提出締め切りは、2026年の1月であり、実は、あと1年ちょっとということだ。
私の所属している大学院・研究室での修士1年生のうちの修論準備のスケジュールは、おおよそ下記の通りである。
■入学前に「研究計画書」を提出し、入学に際して、筆記試験と同時に、「研究計画書」についてを中心とした面接試験がある
■4月に学期が始まって以降、ゼミ内で論文の書き方についての担当教授の説明がある
■学期が始まって2カ月後くらいに、「研究計画書」の修正版の発表を求められる
■夏休み中にゼミ合宿があり、修論の進捗状況の報告を求められる
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論文の書き方のみならず、その歴史的変遷や存在意義も含めて広く議論していてとても面白い。ジャーナリストの書く記事は、良し悪しはともかく出典が明記されておらず(インタビュイーの個人情報保護などのため)、読者が追試可能なようにはそもそも書かれていないことを理解する必要がある。ここを理解していないと、ジャーナリズムに対して引用が無いとか根拠が無いみたいな無意味な突っ込みどころに気を取られてしまう。相対して、論文は追検証可能性が大事ということになる。
論文の章構成としてはほぼ思考停止で、アブスト・イントロ・方法論・結果と考察・結論という風に認識していたが、それはそもそもIMRAD形式と名前が付いていて、 -
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読みやすい。大学に入る前にこの本を読んでいれば……と悔やまれる。
そもそも学問における「論文」とはなんなのかを述べた上で、どんな文章で組み立てるか、を書いている。
確かに学生時代、「論文の書き方」みたいなプチ講座を受けたけど、大体、注釈の書き方とか参考文献の書き方、とかそんなことしか印象に残ってなかったので、なぜそれが必要なのか、が全く分かっていないままだった。
つまるところ、論文は「科学的思考」に基づいて書く必要がある。(お互いが共有する公理を前提にし、その上に根拠と論理を積み上げて論証し、追検証する。そして進歩していく。)主題がなんなのかをを明確にした上で、先行研究を探し、対象を絞 -
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某大学の社会学教授とお話しする機会があり、軽い気持ちで「まったくの素人にお薦めの社会学の本を教えてください」とお願いした。するとしばらくして、「悩みました」とメールがあり、数冊の本を紹介してくださった。これはそのうちの一冊である。
かつて司馬遼太郎は「この国のかたち」という表現で、日本とはどういう国なのかを問い続けた。この、シンプルだが妙に頭に残るフレーズは、広く人口に膾炙して今に至る。そして、気鋭の社会学者である著者は、本書で「しくみ」という、これまた絶妙のワードを用いて日本社会を読み取ろうとするのである。
彼が注目した(あるいはせざるを得なかった)のは近代日本の雇用・教育・福祉、なかで -
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1989年に始まった平成時代は、30年後の2019年に幕を閉じた。本書は平成が終わり、令和が始まった2019年に、平成史を書くという試みのもとに編まれた本である。編者は小熊英二、それ以外に7人の執筆者が参加している。最初に小熊英二が、「総説」を書き、以降、政治・経済・地方と中央・社会保障・教育・情報化・外国人/移民・国際環境とナショナリズムというテーマで、それぞれの専門家が執筆している。
小熊英二は、「総説」の中で、平成について下記のように述べている。
【引用】
「平成」とは、1975年前後に確立した日本型工業社会が機能不全になるなかで、状況認識と価値観の転換を拒み、問題の「先延ばし」のため