帚木蓬生のレビュー一覧
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あけましておめでとうございます。
お正月に長崎に行って大浦天主堂を見てきました。26聖人の碑は怖いから見てきませんでした。というよりこの頃のキリスト教のあり方には明確な反発があります。というわけで読まざるを得ない守教。上巻から。
永禄12年。大友宗麟より毛利との戦で足を怪我して使い物になくなった一万田右衛門は、高橋の村の庄屋を任される。彼の息子はキリスト教の孤児院で育った子で大友宗麟の斡旋で養子に来た子だ。名を米助というが、元服名久米蔵をいただく。
大友宗麟の一万田にかける思いは、「小さなイエズス教の王国を築いてほしい」ということだった。農民も庄屋たちも妻も子も小作人もこぞって洗礼を受け、ロザリオの祈りのやり方を習得し、信者は増え、隣の秋月には教会もできる。神父や修道士は3年に一回しか回ってこないから、たまに仏教徒に戻る人もいたけれど、ちゃんと帰依しなおしてくれたりして、このまま繁栄していく予定だった。しかしイエズス会に寛容だった織田信長が打たれる。
天正15年(1587)秀吉の手で大友宗麟の死を待って、 6月19日期付でバテレン追放令施行。ただ領主がキリシタンだとその地のバテレン追放はあまりうまくいかず、バテレンたちは地下に潜る。一万田右衛門は禁令も知らず、「小さなイエズス国を作れた」と感慨深く死ぬ。バテレン追放令は一般市民には関係ないので通達もされず。しかしこの後は3年に一回巡ってくることも難しくなる。
秀吉は秀吉なりに長崎と大浦が教会領になっていることをバテレン追放後に初めて知り、激怒しているがどうにもならない。
少年遣欧使節団の4人が9年かけた欧州への旅路から帰り、秀吉に謁見。その後も問題なく布教している。
(途中寄ってもらったため、一万田家では家宝がふえる。ルイスフロイスから託された絹布、アルメイダ神父のロザリオ、中原ジュリアンのロザリオの3つである。)
1597年2月5日、畿内から26人の棄教しない人々が長崎に送られてきた。6人は修道士だから仕方ないとしても、17人は一般人だった。全員が驚いたことに磔の刑に。
そこで秀吉が死ぬ。関ヶ原は終わった。禁教令としては結果的にどっちつかずだったので、みんなが希望を持つ。禁教令は一体どうなったのか?
下巻に続く。 -
Posted by ブクログ
ネガティブケイパビリティという
すぐには解決できなくても
なんとか持ちこたえていける能力。
これは本当に大切な力だなぁと
よく理解できました
本の中では
このネガティブケイパビリティの力が
高い方々として
ジョン・キーツ
シェイクスピア
紫式部
といった歴史上の方々が紹介されているのですが
勉強不足の私は彼らのお名前は存じ上げているものの、その作品についてはあまり知らず…
それらを著者さんがわかりやすく
作品内容の紹介もしてくれていたり
その方の生涯も少し紹介してくださっているので
1冊を読んだというよりも
途中、「私、今、3冊くらい読んだ?」
…と、まるで各著書を読んだ気持ちになりました!
そして精神科医をされている
帚木さんの元を訪れた8人の受診者さんの
身の上話と、それに対してどんな対応になるのか
というお話への共感。
プラセボ効果
や
メディシンマン
についての説明もなるほど、、としか
言いようがないです
「意味付け」と「期待」があれば
脳は希望を見出して、影響を与えるのだということが沢山の実例で起きている。凄いことで…
そして書籍のおわりに締めくくられたお言葉。
精神科医として1番大切なのは親切だと。
親切こそが、共感への入口。
そして人間の最高の財産はEmpathy共感
娘たちのこれからの成長に際して
彼女たちの中に共感の力が育ってくれる様、
ネガティブケイパビリティをもって親として伴奏し続けたいなと思いました
本の締めくくり…には号泣してしまいました。
ルワンダ内乱後の孤児院にいた子どもが
アメリカの子どもからの寄付文具と共にあった
お手紙を読んでもらい、
それを胸に抱きしめて泣いたという姿…。
他の誰かが自分の事を思ってくれていると知ること。
それは世界中の人々が必要としていること。
本当にそう思います
共感の力があれば
戦争が起きるわけないし
人生も少し生きやすくなるはず
学び大き1冊でした。
本当に良書過ぎて…読めてよかったです -
Posted by ブクログ
ケイパビリティというか、キャパビリティっていうと理解しやすい、
ネガティブに対する許容量って感じでしょうか。
著者は患者の話を聞くたび、してあげられることがない、という思いがあった。
できることは、
目薬(見て話を聞いてあげること
日薬(時間経過で状態が良くなることに期待する
ぐらいとのこと。
答えを決めずに、考え続ける、受け止め続ける、
哲学的な考えでもある。
メディシンマン
- 占い師と病魔退治の祈祷師
「精神療法科は医学教育を受けているものも、そうでいないものも、伝統的占い師の継承者と見なすことができる」
「現代精神医学の勝利は薬理の領域内のみである。社会的境遇の面では、伝統的治療師の方がよく実践している」
つまり、オカルティックなメディシンマンに、目薬では敗北しているということ。
山の向こうのキノコを取りに行かせるのは、そのキノコならきっと治るという思いにさせれるから。
日薬で自然治癒の可能性もある。
万が一亡くなられても、やることはしたと、残された家族の慰めになる -
Posted by ブクログ
仕事上で、外的要因によって業務内容が変化し、不安や億劫さを感じていたときに、その対処のヒントを得ようと思い本書を手に取った。しかし、読み進めるうちに、本書が扱うネガティブケイパビリティは、仕事に限らず、もっと広い人間の在り方に関わる概念であることを知った。
この言葉自体は以前から聞いたことがあったが、原典は詩人キーツが詩作の苦しみの中から生み出したものであり、その170年後に精神分析医ビオンが医学的観点から再評価した概念であることを知り、背景の深さに驚いた。また、著者である精神科医が語る臨床現場や終末期医療における「答えの出ない事態」に直面する実例は、ネガティブケイパビリティの必要性を実感させるものだった。
自分自身を振り返ると、子育ての中で思い通りにいかない場面で、この概念の大切さを感じることがある。また、仕事においても、未知のことを未知のまま受け止められず、知っているふりや知った気になってしまうことで、かえって不安が増していくことがある。キーツが言う外界に対して開かれた詩人の態度という視点で考えると、未知のことに対して、創作過程での必然性として、状況と真摯に向き合えそうな気がした。 -
Posted by ブクログ
ネガティヴケイパビリティとは、容易に答えの出ない事態に耐えうる脳力。キーツが発見をし、精神科医のビオンが再発見し、発展させた。
教育や医療の現場ではポジティブケイパビリティ、つまり即時の問題解決能力が求められ、この事象はわたしの生活でも同じ。実際小学校中学校でも、質問と問いが二項対立にあり、その速度を求められる。またビジネスも同じように事象に対して、過去の経験やフレームワークから解決策を落とし込むことが推奨される。前提として、ビジネスは提供できるサービスの幅や品質などに制限があるため、すべての目の前の患者、目の前の人へ向き合い、一人一人に目を向け耳を貸すことは不可能は部分もあるかもしれないが、ただフレームワークに落とし込みすぎてしまい、それ以外の部分を見落とすないしは見ないようにしてしまっているのは確かに寛容ではない。本書においては、寛容や共感、まさに相手の心を読もうとする力であったり、相手の立場に立って考える力といったものが求められたりと本読んでみて、謙虚さであることの重要性っていうのを感じた。また世の中にはポジティブケイパビリティで解決できないことばかりであり、その際にはその問題に対して辛抱強く耐えることが求められる。 -
Posted by ブクログ
めちゃくちゃ好きな系統の本だった。哀しくて温かい群像劇にはこのまま終わらないで欲しいと思ったし、最後の法廷での「退院したよ!」に胸熱だったし、いつかまた読み返してチュウさんや秀丸さん、昭八ちゃんに会いたいと思ったので、文句なく星5つ!
クロちゃんの自死の心理が丁寧な描写で描かれていたのが、秀丸さんが事件を起こすための心理経過の伏線描写になっていたりして、前半の「病棟の日常風景」が組み上げられて後半のドラマにクローズアップされていく感じ。良かった。
戦時中の話も絡む時代性や、九州の言葉がガッツリ出てくる地域性なんかもとても味わい深い。
この精神病院での何十年にも及ぶ生活を送る人々のコミュニティは社会から隔離・閉鎖された時空間で、ホロスコープでいう12ハウス。
「患者はもう、どんな人間にもなれない。(中略)そこではもう以前の職業も人柄も好みも、一切合切が問われない。骸骨と同じだ。」
そこから、チュウさんは退院というプロセスを経て、1ハウスの自分自身を生きるシャバに飛び込んで(戻るというよりも新たなチャレンジとして)行ったんだな。
「すべてを自分の意志で自由に決定できる。それこそが病院の中にいる患者との決定的な違いだ。」
中学生の身に余る多難を経験した島崎さんが未来に向かって歩み出している終わり方も、こちらの心まで希望に照らされるようで良かった。 -
Posted by ブクログ
Audible !!
25年振りの再読!
当時の記憶は重めだけど良い話しだったな〜程度でした。読み返してみて、、うん、重いけど良い話しだった!成長してね〜(-_-;
◆2行概要
精神科病棟のお話で、一人一人の生い立ちをとても丁寧に描写されていました。
◆感想
精神病患者は何をするか分からない危ない人にみられがちってのは昔から言われていることだけど、今でもだな〜って感じました。
穏やかな人もいれば、怒りやすい人もいる。そんな当たり前のことに気づけない。
そんな社会だから一時的に休む場所のはずが、ずっといすわってしまう人も多いのかなと。
ただ、病院に限らず、皆んな何かしらのコミュニティに属してて、一括りにされてる面はあるなぁと思った。その中にいるのは楽なんだけど、日々流されていく感がある的な。
まぁそんな日々が幸せなのかもだけど、、
一つのコミュニティだけだと周りが見えなくなるし、その一つに合わないと逃げ場が無くなるから複数持って一人の時間も大切にってことかな。
等々、色々と考えさせられたけど最後はとても素敵な結末で、新しい一歩を踏み出したくなるそんな読後感でした。