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Posted by ブクログ
慶長13年、家康は全国の外様にイエズス教徒取締りを命じる。慶長16年、毛利家でも修道士処刑、松浦唐津肥後でも弾圧開始。一方で上秋月や柳川に教会が建つ。
慶長17年3月、切支丹禁教令。小倉中津博多甘木の教会閉鎖。天領で弾圧開始。慶長19年10月高山右近マニラ追放。
元和7年、領主が替わり取締りが厳しくなる。
寛永元年、中原ジュリアン神父来訪。各地での殉教の様子を語り、各地で弾圧による逃散も起こっている旨話す。
寛永7年、信徒ではないという証文および血判提出。
寛永8年、道蔵磔刑。
一般人はあまり死なないけれど、ペドロ岐部神父や中浦ジュリアン神父など神職の人たちはほぼほぼ処刑されてしまう。
寛文5年、宗旨人別帳。光琳寺住職、磔刑になった道蔵から信徒のみなをよくよく頼まれているから引き受けると。
宝永5年、11歳以上の男女に絵踏み。その後水害や旱魃が起き、今村でも餓死者が出る。
慶応3年、大浦天主堂が建ったとの噂あり、2年前に建っていたが、公儀の回し者ではないかと警戒して探りに行かせる。しかしまだ禁教令下にあった。7月に大浦四番崩れが起き、信徒3394名が遠流にあい、613名が殉教。
今村にも公儀の手が入り、ロザリオやザビエルの絹布が焼かれてしまう。取調べが村人全員に行われたが、今更、村一つまるまる信徒ということでは責任問題になると無罪放免。
明治6年、外圧により開教。
明治14年。道蔵の墓の上に今村教会建立。
静かな筆致で見事な作品でした。
こうしてみると、よく耐えたなとか思うと同時に、何が信徒発見だという気がしてしまいます。
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