向坂逸郎のレビュー一覧
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一言でいえば、共産主義者はどこにおいても、現存の社会的ならびに政治的状態に反対するあらゆる革命運動を支持する。
このようなすべての運動において、共産主義者は、所有の問題を、それが多かれ少なかれどれほど発展した形態をとっていようとも、運動の基本問題として強調する。
最後に、共産主義者はどこにおいても、すべての国の民主主義諸政党の結合と協調に努力する。
共産主義者は、自分の見解や意図を秘密にすることを軽べつする。共産主義者は、これまでいっさい社会秩序を強力的に転覆することによってのみ自己の目的が達成されることを公然と宣言する。支配階級よ、共産主義革命のまえにおののくがよい。プロレタリアは、革命においてくさりのほか失うべきものなものをもたない。かれらが獲得するものは世界である。
万国のプロレタリア団結せよ! -
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貧富の差は自己疎外により拡大再生産される。
資本主義社会では、持てる者は更に持ち物を増やし、持たざる者は更に持ち物を失う。
この理由を「疎外」概念で説明した。
これはとても明晰な分析だと思う。
働く、否働かざるを得なくなる、というのは、その非自主性故に、
心も体も懐も貧しくなってしまうのだ。
これについては、アリストテレースも言っていた。
「だから真っ当な市民は政治以外の場面で働いちゃダメなんだよ。生活の為に働くのは奴隷だけで良いんだよ。」
つまり、資本主義下で働く者は、本質的には資本家の奴隷なのだ。つまり、自由を身代とされた金の奴隷なのだ。
何か暗い話になりそうですが、ここで素敵な助け船が登場。
バタイユは言う「ある時点に達すると、拡張の利息は逆の利息、すなわち奢侈のそれによって相殺される。」。
稼ぎすぎるとマイナスになるくらい吐きださなくちゃいけなくなるよ、と。
つまり、富を独占しちゃうと革命を起こされちゃうよ、と。
あ、マルクスと同じだ。
(でも、ココから私有財産否定にまで跳んでしまったのは、マルクス痛恨のミスだろうなぁ。。) -
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この岩波第8巻は、資本論のクライマックス、地代論である。
詳細な土地評価を通じて、土地という天然物から地主が絶対地代という不労所得を得ることが証明される。
マルクスは、信用論の後にこの地代論を置くことで、自然と結びついた地代こそが、金融資本に増して資本の増殖にとって決定的だと見ていたのだろうが、
今の自分からは、利子も地代も共に不労所得であり、そこまでの差は感じない。
逆に、様々なルール変更を通じて利益を吸い上げる銀行の方が、現代では資本主義のラスボスという感じがするが、そこは時代の違いなのだろう。
あと残り1巻だが、ここまでの流れを簡単にまとめる
■《現状分析》当時の労働者の窮状
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■《原因分析》資本家による労働者搾取。剰余価値は労働者のタダ働きによりもたらされる
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■《証明》流通過程の分析。生産費用は個別のものではなく社会全体で決まります
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■《根本的問題追究①》信用論。産業資本家は実は管理労働をする労働者にすぎない。本当に巻き上げているのは金融資本、つまり金貸し、つまり銀行
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■《根本的問題追究②》地代論。地代も金融資本と同じく不労所得
だから、結論から書いてほしかった。 -
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何で先に結論から言わなかったんだ。
と、著者に無粋な質問をしたくなる。
後半に来て、ようやく利子と信用の話。
金貸し=銀行が利子を追求することが、そもそもの資本の支配の根源である、と言う内容だ。
ここまで議論されてきた、
当時の労働者の窮状や、
企業オーナーつまり産業を通じてそれを推進する産業資本家
(ここに至って結局「管理という仕事内容の労働者」と呼ばれる)、
社会全体の流通過程、
と言う話は結局、
利子という不労所得の追求にその根本的原因が求められる。
この肝心要をこんなわかりにくい本の後半戦に書いても、
辿り着く前に読むのをやめてしまう人がほとんどだ。
その失策こそが、以後数百年の共産主義がマクロ視点にたどり着かず、
平等やプロレタリア主義と言ったミクロ視点の範囲に留まってしまった元凶ではないか。
純粋にこの『資本論』を読めば、
それは理路整然とした、そしてもちろん現代にも普遍的に通じる、
「資本制への批判」に過ぎない。
そして、資本が人間を置き去りに暴走する、という制度的問題に対しては、
革命よりもルールや規制=手綱が適したのではないか、という気がする。
この信用論の後は地代の話になるとか。
もしもマルクスがマクロから書き始めるか、せめて本書の最終的な方向性を先に示しておきさえしてくれたならば、
歴史はもう少し違っていたのかも、などと考えた。 -
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この岩波文庫第六巻、本編の第三巻では、生産過程の分析を経て、流通過程を含め、資本制度が商業全体を動かす流れと、その中の利潤の発生過程を分析している。
驚くべきは、マルクスが資本制度の分析から的確に未来社会を予測している点である。
と言うよりも、それは資本制の当初から何も変わっていないとも言える。
社会の中での機能的役割を重視した教育制度。
市場価格の下を潜る新たな薄利多売モデルの継続的な出現。
企業の競争や吸収、合併により、小規模ビジネスが巨大資本に飲み込まれる、など。
マルクスと言えばマルクス主義=共産主義、という月並みな知識で読み始めたが、改めて本著は資本制についての批判の書であり、共産主義についての書ではないと意識させられた。
以下、内容のメモとして。
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第三巻 資本主義的生産の総過程
第一篇
剰余価値の利潤への転化と剰余価値率の利潤率への転化
-利潤とは、単純な販売価格とコストの差ではない。
そもそも、コスト自体に不払い労働=剰余価値が含まれている、つまり労働を犠牲にしている。
第二篇
利潤の平均利潤への転化
-利潤とは社会全体的な視点により決まっている。
それが、生産と商業の流れのなかで個別資本家に振り分けられるだけ。
第三篇
利潤率の傾向的低下の法則
-規模の経済の話。
生産は、大量生産に向かうことで、単位当たりの不変資本(設備など)に対する可変資本(労働)の割合を減少させる。
これに伴い、剰余価値率が下がるので利潤率が下がるが、規模がその減少を遥かに上回って拡大し、利潤額は上昇する。
規模が拡大できない既存小規模資本は淘汰されるかより大規模な資本に合併される。
そして、利潤率の低下に伴い新規参入のハードルは下がるため、新規資本が参入して新たな競争が起こる。
つまり、競争があるから利潤率が下がるのではない、逆である。
第四篇
商品資本および貨幣資本の商品取引資本および花柄取引資本への転化(商人資本)
-産業資本(生産過程)が不払い労働という剰余価値を生むのに対し、商人資本(流通過程)は直接利潤を生まない。
-近代的信用制度のもとで、恐慌は常に、消費者側ではなく、銀行業及び卸売業にて勃発する。
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第五分冊は、社会全体の資本の循環について書かれている。
その要旨を短くまとめるなら
「労働者は商品を生産し、資本家から給料をもらい、その給料をもって、資本家のもとで自分が生産した商品を買って、、の繰り返し。この労働と消費の循環が、資本家と労働者と言う地位を永久に固定します」
第四分冊の要旨は「資本家の利潤は労働者のタダ働き」だったが、
この第五分冊では、その地位がどのように固定されているかが論じられる。
縦書きの計算式の書き方が独特で読みづらさがあるのと、
そもそも分析の結果と言うよりは、種々前提条件を合わせて、初めから結論を目指して式を組み立てている印象。
今読んでいるあたりは商品生産だけに焦点を当てていて、マルクス主義と言えば唯物論、と言われる所以も分かる気がする。
一つ感じることは、この本のタイトルは「共産主義論」ではなく『資本論』であり、マルクスはそのタイトルの通り、純粋に資本についてだけ論じている。
ここからどう展開するのか、まだ道半ば。 -
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第四分冊。
この一冊全体にわたって、
資本主義的生産の利潤は可変資本(労働力)が生み出す剰余価値が資本家に移転することで生み出される、
と主張している。
つまり、資本家の儲けとは労働者をタダ働きさせて生み出した分の利益であり、売買の商取引の瞬間にそれが生まれるわけではない、というのがこの巻の主旨だ。
その前提には、前巻までにマルクスによって議論された、
・(純粋な)労働→「労働すること」によって実際に生み出される価値
と、
・労働力→ 労働者としての「人間」が生む価値への可能性
との混同及び、資本家によるその混同の濫用にある。
マルクスの批判をたどれば、アダム・スミスを初めとするマルクス以前の経済学者は、
不変資本(設備など)/可変資本(労働力)
の区別を
固定資本/流動資本
と混同しており、そのために労働者搾取の現実が隠蔽されているという。
その説明が延々と続く。
他にも、在庫や回転についての説明が冗長であるが、
それが「昔の新発見も今となっては常識」と言うことなのか、或いは深い意味が隠されているのか、今のところ読み取れなかった。
今後読み進めて確認したい。 -
Posted by ブクログ
共産主義者はすべての社会秩序を暴力的に転覆することで、その目的を達成しよう。支配階級を共産主義革命の前に戦慄させよう。労働者はこの革命によって鉄の鎖のほかに失うものはない。労働者が得るものは全世界。各国の労働者は団結しよう。労働者階級の解放は労働者自身で達成するべき。マルクス&エンゲルス『共産党宣言』1848
暴力による革命ではなく、議会を通じて言論で社会主義を目指すべき。エドゥアルト・ベルンシュタイン『社会主義の問題』1896
デモクラシーは腐敗した少数者の政治にとって代わった無能な多数者による政治である▼自由は責任を意味する。そのため、たいていの人間は自由を怖れる▼人生には二つの悲劇がある。一つは願望が達成されないこと。もう一つはそれが達成されることである。バーナード・ショウ『革命主義者のための格言』1903
※フェビアン協会(後の労働党)を創設。
鳥の歌声がいつも同じ調子にしか聞こえてこないというのは、無頓着な人間の粗雑な耳だけのことです。ローザ・ルクセンブルク『獄中からの手紙』
※スパルタクス団1916、ドイツ共産党を組織1918。ポーランド人。女性。
社会主義はすべての人類に文明を行き渡らせようと欲するものである。資本主義下では、文明は少数の特権階級の独占物である。カール・リープクネヒト。演説
国家はブルジョアがプロレタリアートを支配するための道具。国家がある限り、自由はない。国家の消滅が自由を打ち立てる。議会による漸進的な改良を目指す社会民主主義けしからん。今すぐ国家を廃止しようとする無政府主義者もけしからん(階級支配がなくなれば国家は死滅に向かう)。ウラジーミル・レーニン『国家と革命』1917
銃殺隊のいない革命など意味はない。流血の上に新しい社会システムを構築する。レーニン
共産主義の急進派は現実の客観的な状勢を無視し、公式通りに行動することで、誤ったり行きすぎたりする。ウラジーミル・レーニン『左翼小児病』1920
労働組合の運動は労働者の悲惨な労働環境を改善するためのもので、いかなる政治体制とも両立できる。シドニー・ウェッブ&ベアトリス・ウェッブ『産業民主制論』1927
※フェビアン協会(後の労働党)を創設。
企業の所有と経営が分離されるに伴い、企業者の機能の一部が職員層に委譲された。これにより労働者層とは区別されるホワイトカラー層が生まれた。マルクスが想定した労働者層の結束は弱まった。クローナ―『ホワイトカラーの社会学』1962
資本主義が成長すると、会社の所有(創業一族)と経営は分離されていく。大会社の社長はサラリーマンのトップにすぎなくなる。ホワイトカラー労働者が増え、炭鉱などで集団で働く労働者たちは減り、彼ら貧しい労働者の団結力は影を潜める。普通選挙で政治は平等になり、福祉で貧しい労働者は救済される。労働組合や労使交渉の法整備が進み、階級闘争は暴力性を失う。ラルフ・ダーレンドルフ『産業社会における階級および階級闘争』1964
グローバリゼーションと市場重視の(ネオリベラルな)政策により、貧富の差が拡大している。政治家は大企業を優遇。貧しい人は政治に不信感を覚え、投票にも来ない。コリン・クラウチCrouch『ポストデモクラシー』2000