冨永星のレビュー一覧
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「量子重力理論」の研究を専門とする著者が、量子物理学が生まれた背景や、古典物理学の常識を覆すその特徴的な概念、さらには量子論を事物の「関係性」から捉えるアプローチを解説した一冊。
著者は、量子論の基本概念である「量子飛躍」が、単純な方程式ではなく、観測された結果のみを用いて、確率論を前提とした「行列」によって記述された経緯や、量子論に特有な、対象物は「ここ」にも「あそこ」にも存在する「量子重ね合わせ」の状態にあり、我々が目にするのは「量子干渉」がもたらす一つの状態だけであるという考え方、さらにそれを発展させると、「観測」とは我々が対象物を世界の外側から見ているのではなく、我々自身と対象物との相互作用であるという「関係論」に行き着くと主張する。
「この世界が属性を持つ実体で構成されているという見方を飛び越えて、あらゆるものを関係という観点から考える」べきだという著者の「過激な結論」は、本書後半でナーガールジュナという古代インド哲学者の「空(くう)」の概念との対比をふまえ、これまで絶対と思われていたものが相対であったという発見が、心的世界と物理的世界の境界を消し、双方とも自然現象として捉えるという地点にまで昇華される。難解な内容ではあるが、物理学のイメージが(良い意味で)変わることは間違いない。 -
Posted by ブクログ
頭が固まってきたときは、気分転換に自然科学の入門書を読むことにしている。特に、好きな分野は、宇宙論、量子論、進化論、脳科学、そして複雑系/非線形科学。
複雑系/非線形科学のなかで、特に面白かったのは、この著者の”SYNC”で、これは、これまで読んだ自然科学系の本で、多分、ベスト3にはいると思う。
というストロガッツの数学入門。
本当に小学校の初めから、つまり、数とはなにか、足し算とは、引き算とは、掛算とは、割り算とは、から始まり、徐々に、関数、図形、微積分、統計、そして非ユークリッドやら、トポロジーやら、高等数学の世界まで、ユーモアたっぷりの30章のエッセイで紹介してくれる。
数学ってすごいな、楽しいな、という気持ちが伝わってくる。
文系で、数学コンプレックス満載のわたしが、これを読んで数学の問題を解いたりするのが楽しくなるとは思わないけど、数学が好きでたまらない人の気持ちは分かる気がしてくる。
「博士の愛した数式」を読んだときの幸せ感を思い出した。
なかでも、素数とか、数論の世界は、いつも日常的に使っている整数のなかに不思議なものが隠されているところが、なんとも美しい。
やはり神さまは存在していて、世界を不思議で、美しいものとして、創ったんだろうな〜。世界は数学で出来ているに違いない、と日常の思考からは、かなり違う方向の妄想に満たされた。
あと、学校で、幾何学とか、学習する時間があれば、統計をもっと勉強したほうが、社会で役に立つみたいな話もあって、強く共感。本当にそうですね。コンピューターの性能アップをベースとしたデータ解析なしには、今や、ビジネスはないよね。
統計をもうちょっと勉強しようかなと以前から思っていたけど、すこし前に進めるかな? -
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「ニューヨーク・タイムズ」に連載された数学エッセイをまとめた本。数の起源から無限まで6部構成(数、 関係、形、変化、データ、数学の最前線)で数学の体系に触れることができる構成になっている。各章は日常 の数学に纏わるエピソードから紹介しており、難しい数式も無く、素人にも判りやすい図で解説していて、とても読みやすかった。学生の頃に苦労した数学が、見方を変えると途端に判りやすくなる。そういう事例がこ の本には数多く易しく解説されているので、数学に再チャレンジしたい人は、手始めにこの本で数学の考え方 に馴染んでみるのも良いと思う。
ちなみに、理系でありながら歳と共に数学が苦手になってしまった自分は、この本の最後のフーリエ解析のあたりで理解できなくなって、読み飛ばしてしまった。学生の頃に勉強したはずなのに、、、このあたりに「数学の壁」がありそうだ。 -
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【読もうと思った理由】
時間について気になり、考えていた時に知人から勧められたため
【感想】
序盤に「時間の流れは一様ではなく、山(高地)では速く、平地(低地)では遅」というビックリする事実を知り、そこでグッと心を掴まれましたが、内容は自分には難しく、なかなか理解しにくい印象でした。それでも、時間についてじっくりと考える機会になったため、有意義な時間を過ごすことが出来ました。
【以下、本文で気になった箇所をメモしてAIで要約したもの】
▼1. 時間の遅延と物体の落下(相対性と重力)
場所による時間の速度差:時間の流れは一様ではなく、山(高地)では速く、平地(低地)では遅い。これは現代の正確な時計で計測可能な事実である。
質量の形作動:地球のように巨大な質量を持つ物体は、周囲の時間を減速させる。地球の中心に近い平地のほうが時間の減速が大きいため、平地で暮らす人のほうがゆっくり年を取る。
落下運動の正体:物体が落ちるのはこの時間の減速が原因である。宇宙空間のように時間が一様に経過する場所では物は落ちずに浮いているが、地球上では物体は自然と「時間がゆっくり経過する方向(地表)」へと動く。
移動による時間の遅延:山と平地のような場所の差だけでなく、動き続けている(移動している)人間にとっても、じっとしている人に比べて時間はゆっくり進む。
▼2. 時間と「熱」の不可逆性(過去と未来の区別)
過去・未来と熱の関係:時間と熱には深い繋がりがあり、過去から未来への違い(時間の向き)が現れる現象には、必ず「熱(ヒートアップ)」が関係している。
摩擦と熱による時間の方向:転がる球が摩擦によって動きを鈍らせて止まる映像は、逆再生すると「静止した球が勝手に動き出す」というあり得ない現象になるため、正しい向きが判別できる。この摩擦が熱を生む。熱が存在するときに限り、私たちは過去と未来を区別できる。
人間の思考:思考が常に過去から未来へと一方通行で展開するのも、ものを考えると頭のなかで実際に熱が生じるからである。
▼3. 時間の定義の歴史と変遷
アリストテレスの定義(古代):時間に最初に向き合ったアリストテレスは、「時間とは事物の連続的な変化を計測した数(人間が勘定したもの)」であると結論づけた。
ニュートン流の絶対時間(近代・常識):事物やその動きから独立して一様に流れる「事物とは無関係な時間」という概念は、ニュートンが考え出したものである。これが教科書を通じて世界中に広まり、現代の私たちの「常識」となったが、人類の太古からの自然な直感ではなかった。
▼4. 「物」ではなく「出来事(関係性)」でできた世界
世界は過程の集まり:この世界を「物」ではなく「出来事(過程)」の集まりとして捉えることが、相対性理論と両立できる唯一の方法である。
「物」と「出来事」の違い:
物(例:石):時間をどこまでも貫いて存在し、「明日どこにあるか」を問うことができる。
出来事(例:キス):継続時間に限りがあり、「明日どこにあるか」という問いは無意味である。世界は石の集まりではなく、こうした「キスのネットワーク(出来事の連なり)」でできている。
現実の相対性:客観的で全体に共通する「現在」は存在しない。動いている観察者との関係性によってしか「現在」を語れないため、私とあなたの現実は異なっており、世界を単純な「現在の連続」とみなすことはできない。
▼5. 永久主義と「ブロック宇宙論」
永久主義:時間の流れや変化は幻であり、現在・過去・未来はすべて等しく現実として永遠に変わらず存在している、とする哲学的な見方。
ブロック宇宙論:アインシュタインの「過去・現在・未来の違いはしつこく続く幻にすぎない」という言葉に代表される考え方。宇宙の歴史全体を単一のブロックとみなすため、そこではすべてが同様にリアルであり、瞬間ごとの時間の移り変わりは幻とされる。これに従うと、世界は何も変わらず動かないただ一つの現在ということになる。
▼6. 世界を動かす「エントロピー」
世界の原動力:世界を動かしている真の資源は「エネルギー」ではなく、「低いエントロピー」である。
熱平衡と時間の喪失:低いエントロピーの資源がなくなると、エネルギーは薄まって一様な熱となり、世界は「熱平衡状態」となって眠りにつく。そうなれば過去と未来の区別は消え去り、もはや何も起こらなくなる。 -
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ブラックホールが白くなる、という挑戦的なタイトル。時間と空間を短絡して移動するワームホールという概念は、SFの世界では聞いたことがあるが、これと関係するのか?という素朴な疑問から手に取る。ブラックホールはそこに落ち込んだ物は再び出れない、のに対して、ホワイトホールはそこに留まることは出来ずに、そこから出てくるだけ、らしい。この両極端のホールが実は進化の過程で変質するらしい。これは空間の観念で話していても理解困難だが、これに時間のファクターを入れて説明されているが、理解は不能になる。ホールとともにあるものの時間の経過は常識的に進んでいくが、ホールの外の世界では遅々として進まず、数十億年という桁外れのスケールになる。検証ができない科学は認められない世界で、途方もない理論に取り組んでいる。
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時間って何だろうということを考える良いきっかけとなった。
考えてみると不思議なものであり、目には見えないし、感じることしかできない。その感じいているものでさえ、私たちの生きているスケールが大きすぎるあまり近似されたものであり、そもそも時間は存在しない。でもじゃあ、何で感じるの?という疑問に物理学に最先端を行くカルロさんが答えてくれる、そんな内容だった。
文体は詩的で扱うトピックのせいか、哲学的な内容も多く正直わかり易くはない。エッセイというジャンルだからか、物理学の数式や理論的な記述は少なく、結論や表面だけをさらっていくだけでモヤモヤする。ただ、深い議論をされたところでほとんど理解できないのだろうが。 -
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ネタバレ“するとナーガセーナは勝ち誇ったようにいう。「馬車と同じように、ナーガセーナという名前も関係と出来事の集まりを指しているにすぎない」と。
わたしたちは、時間と空間のなかで構成された有限の過程であり、出来事なのだ。
それにしても、わたしたちが独立した実体でないとすると、何がわたしたちのアイデンティティー、「自分は一つのまとまった存在だ」という感覚の基になっているのか。このわたし、カルロをまとまりあるものとし、その髪や爪や足、さらには怒りや夢をも自分の一部だと感じさせ、悩み考えさまざまなことを感じている今日のカルロが昨日や明日のカルロと同じだと思わせているのは何なのか。”
自分が何者であるのかという問いでもあり、哲学的(宗教的?)、叙述的とも言えるが難しい。
“わたしたちは、時間と空間のなかで構成された有限の過程であり、出来事なのだ。”とあるが、ある意味自分が世界だということかもしれない。
しばらくしてから、また再読したい。 -
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ネタバレ量子力学が分かりにくい。ニュートン力学など従来の考えではとうてい納得いかない。
多くの人の共通した認識ではなかろうか。本書もこの観点、筆者も通った道から説明をしている。そもそもこの導入が罠である。もっとも私達の多くはこの文脈からしかのみこの山を登れない。この山は様々な状態を内包している。しかしそこにはすぐには気づかない。
第五章にて、ボーアの直感をあらゆる自然現象に拡張した記述として以下を挙げている。
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以前は、あらゆる対象物の属性は、たとえその対象物と、ほかの対象物との相互作用を無視したとしても定まると考えられていたが、量子力学は、その相互作用が現象と不可分であることを示している。どんな現象であろうと、明瞭に記述するには、その現象が発現する相互作用に関係するすべての対象物を含める必要がある。
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ニュートン力学を是としているがそもそもそれが間違いである。工学を学んだ者なら誰でも知っている。つまり、ニュートン力学通りの実験は行えない。必ず誤差が生じる。つまり、ニュートン力学はある可能性を無視した理想でしかない。重力による落下を考える。観測系に含まれるのは、空気抵抗だけではない。そもそも重力は私たちに一定に働いていない。近くに重力物があれば相互作用してしまう。
本書では外側から見る観察者もいないとしている。つまり物理学とは常に一人称である。内側から外側を記述しているに過ぎないという。
これもしんであるあ。たまたま、一人称でも三人称でも同じに結果になる。それがニュートン力学という認識である。つまり、特殊解のはずのそれを一般的であるとし、そこから普遍して考えるからおかしなことになる。
私たちのコミュニケーションはうまくいかないことが多い。それは自分が正しい。もしくは、自分のものの見方を、他者もしていると勘違いしている時に生じる。
絶対はない。全ては相対的である。ただし、同じ系での相互作用を経験している別の存在とは、同様な知見を持っている可能性は高い。よって相互作用する中で、互いの認識を合わせられる可能性は高まる。ある程度の合意のが生じることで、語り合う、という相互作用が生じる。
これはヴィトゲンシュタインの言うところの言語ゲームに他ならない。
私たちは本書を簡易に理解する方法がある。ニュートン力学などに依拠する認知や理解は、世界を楽に認知するための方便である。確かに近似はするが正解では無い。
より小さいものの理解は、観測するための系の影響が無視できない。様々な実験の不可思議さは、その実験が世界の在りようのいったんをたまたま極端な形で提示しているのに過ぎない。
世界は不確定かつ確率的にしか観測できない。エンタングルメントは生じる。その事実があるに過ぎない。
問題は特殊解であるニュートン力学的な理想で記述しようとする無謀さである。
そう考えると、一切皆苦。空。等の仏教世界も量子力学の世界を解釈するのに使われるのも納得である。