山田美明のレビュー一覧
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ネタバレ最近話題の自動運転について
自動運転によるメリットは相当に大きく
・交通事故関係の医療に係るコスト(米国で年間180億ドル)およびそれに関連する賃金(330億ドル)が節約される。そのかわり医療、保険、臓器提供などの産業は大きな収入源を失う。
・ドライバーのコスト(トラック、タクシーなど)を削減する。輸送コストの問題で地方でしか販売できなかった食材などを他地域で売ることができるようになる。
流通業も現在は集荷センターに一旦集めて輸送するというハブ・アンド・スポークの形を取っているとことが多い。これはドライバーのコストが高いためこれを減らそうとしているのだが、走行距離が長くなり、配送も遅くなるなど効率は良くない。自動配送車が普及すれば、店から直接消費者の所に商品を届けるようになるだろう
・運転に費やす時間を削減する。平均的な米国人は1日3時間を運転に費やし、年間63時間渋滞にはまっている。こうした時間を生産的な労働時間やプライベートに当てられる。
・事故の可能性が少ないため車体は小型化、軽量化できる。無人配送車は配送物並みの大きさで事足りる。
現在、交通事故による死亡者は毎年世界中で120万人にのぼる。
米国人が交通事故による怪我で入院する日数は年間述べ100万日になる。
臓器移植の約20%が交通事故の犠牲者からによる。
飲酒運転による犯罪は刑務所の入所者の7%を占めている。
駐車違反などの取締は自治体の財源にとって、大きな比重を占める
・人間が運転しなくなれば道路標識や信号もいらなくなる。デジタル3次元モデルの中に仮想的な「標識」が表示されるだけになる
ただし、実現に向けての課題も多い
・まず部分的な自動運転を実現し、その後段階的に全自動運転を、という考え方は一見自然なのだがうまくいかないだろう。人間と機械が協調することは難しい。運転のように退屈な作業では人間が責任を機械に譲り勝ちになるからだ。一気に完全自動化を目指す方がよい。
・現在の技術もかなりよいところまで来ているが、ソフトウェアに自分の命を預けるためにはその制度を99%ではなく、99.9999%にしなければならない。これはかなりの難題である。
・車同士で通信するという考えもあるがこれは難しい。例えば10%の車に通信機能が普及したとしても相互に情報を伝達し合える車と出会う確率は1%にしかならない。それにこの手の分散型の通信方式は脆弱で、セキュリティ上の問題を抱えている。不正アクセスを防げないだろう。
・事故が不可避であるとき、右側にいる子供と左側にいる老人をそれぞれどのように数値化し、どちらを選ぶのか、という問題も出てくる -
Posted by ブクログ
ネタバレ謎に満ちた画家ゴッホ。
自ら切り落としたとされる「耳」の謎を追う。
著者の、大量のデータベースを作成し真実を探求していく姿勢にまず驚かされた。
けれどこれは単なる「耳」の謎解きに留まらず、ゴッホが過ごしたアルルの素晴らしい自然や、数々の絵を描いた背景も丁寧に綴られてあり、ゴッホの魅力を再確認させるものだった。
気性が激しく些細なことにも思い詰める質のゴッホ。絵を描くことに情熱を注ぎ、どんなに過酷な環境の中においても自分の絵を描き続ける。
彼が生み出す優しい色使いや筆のタッチは見ている者を癒してくれる。
病に侵され思うように描けない苦悩や絶望。
そして最期は非業の死を遂げてしまう。
そんな常に不安定な状況の中にある彼が、自分の甥の誕生を祝って描いた「花の咲くアーモンドの木の枝」は日本の桜を彷彿とさせる位優しさとおおらかさを感じる作品で、正に「生きる」力を連想させてくれる。
日本を愛し日本の浮世絵から多大なる影響を受けたゴッホ。
一度も日本の地を踏むことは叶わなかったけれど、彼の絵が彼に替わって日本の地を訪れ多くの日本人に愛されている。
それはとても素敵なことだと思う。 -
Posted by ブクログ
「ゴミ山」とそこからのゴミ拾いで生計を立てる人々は世界のいくつもの地域に存在すると聞いたことあるが、本作はうちインドのムンバイから運ばれる「ゴミ山」を舞台にしている。
いくつもの家族に密着した数年が記されているが、いずれの家族も「ゴミ山」から卒業できる日を夢見つつも、その夢は実現しない。著者が設立した、低利で資金支援を行う人道的財団の手助けがありながらもだ。教育の問題、誰か一人でも家族が倒れれば(そしてゴミ山は深刻な健康問題を生む)当座を支えるためにもやはりゴミ拾いに依存せざるを得ない問題、さらには最も厄介に感じたのが、一攫千金の可能性があるゴミ拾いによって射幸心を刺激されてしまい、コツコツとした労働に向かなくなってしまう問題─などなどいくつもの要因が絡み合っているように思える。
ゴミを拾いながらそれらが捨てられる前の生活を思い描く場面が何度かあるが、都会での人々はおそらくそのゴミを漁る人々に思いを馳せることなどなく気軽にゴミを捨てているはずで、その非対称性にドキリとした。
遅々として進まない行政の対応も並行して描かれているが、福祉の網で人々を丁寧に受け止めながら、少しずつ良い環境となってほしい。 -
Posted by ブクログ
行動の自由とトレードオフを切り口に、「なるべく多くの市民の自由を向上させられる可能性が最も高い経済・政治・社会システム」として、進歩的資本主義を提唱します。それは、「あらゆる市民のウェルビーイングを中心に据え、物質的な財にとどまらず安心や自由まで組み込んだ枠組み」であり、ルールや規制などによる「力の分散が中心的課題」で「社会正義という目標」があります。
ある新聞に2025年にエコノミストが選ぶベスト書籍に本書がなっていたのですが、何か腑に落ちない感じがします。「現在こそが、失敗が明らかになった新自由主義を放棄する歴史的瞬間なのだ」という言葉に、勇気づけられた方が多かったのでしょうか。著者の考えはともかくとして、論述が冗長に感じられ、編集でどうにかならなかったのかな、という印象が残りました。 -
Posted by ブクログ
新自由主義を一方的に批判している本。ミルトン、ハイエクという20世紀に台頭した新自由主義の2大巨頭を全く分かっていない人達と断ずる。著者のスティグリッツは、民主党の経済的顧問だったからか、共和党を真っ向から批判する。新自由主義においては、小さい政府が望ましいが、そのせいで適切なルールが形成されず、富裕層の自由ばかりが優先され割を食う不自由な人達が増えたとする。本書でも例えられていた信号機の例は分かりやすい。信号機というルールがないと、交通ルールが制定されずまともに車を運転するという自由を失うというロジック。信号機と経済主義をアナロジーで語るのは若干無理があるように感じるが言いたい事は何となくわかる。
いずれにせよ、「自由」という物をアメリカ以上に考えている国は他にないのだろう。自由こそがアメリカのアイデンティティであり、自由の形は変わっても「自由の国」というイデオロギーで多民族をまとめるという構図は変わらないのではないかと考える。
経済理論と統治のゆくえ:知性と実務の相克
1. 経済理論の根底にある「情報」と「人間観」
核心的問い: スティグリッツとハイエクの違いは、単なる「政府の大きさ」の論争なのか?
論点:
ハイエクは、知識が社会に分散しているため、政府による計画は不可能であり、「価格」こそが情報を統合する唯一の装置だと説いた(情報の分散)。
スティグリッツは、情報の偏り(非対称性)が市場を失敗させるため、政府による修正が不可欠だと説く(情報の不完全性)。
この対立は、「自生的秩序(市場)」を信じるか、「設計された秩序(理性)」を信じるかという哲学的な人間観の違いに基づいている。
2. 歴史の教訓:自由の果てに生まれる「反動」
核心的問い: 世界で最も自由と言われたワイマール共和国が、なぜ反動としてヒトラーを生んだのか。現代の格差が同様の独裁を招くのではないか。
論点:
市場の暴走が伝統的なコミュニティや生活基盤を破壊すると、社会は自己防衛として「強い指導者」を求める(ポランニーの「二重の運動」)。
ハイエクは大きな政府を「隷従への道」と呼んだが、現代では「小さすぎる政府が生む格差」こそが独裁(ポピュリズム)への舗装道路になっているという逆説。
3. 「賢い政府」という名の現代的寡頭制
核心的問い: スティグリッツの説く「賢い政府」は、古代の寡頭制や法家思想に似ている。情報が氾濫する現代、国民を納得させる「説得コスト」は高すぎて非現実的ではないか。
論点:
リベラル派は政府を「民間の独占を監視する審判」と定義するが、価値観が分断された現代では、エリートによる「正解」の提示は逆に不信感を煽る。
「納得させるコスト」を払えない政府は、経済的な実利(中間層の再生)を事後的に示すことでしか、その正当性を維持できない。
4. 西洋的OSの限界と「覇権国」の苦悩
核心的問い: スティグリッツの主張は西洋的観念が強すぎ、非西洋圏では通用しないのではないか。また、現代のアメリカが抱える分断は、南北戦争時のような再生を可能にするのか。
論点:
彼の理論は「西洋文明の延命パッチ」であり、宗教や独自の統治観を持つ地域には適合しない。世界は「多極化したブロック」ごとに異なるOSで動く時代へ向かっている。
米国は「外部の敵(中国等)」を設定することで国内を統合しようとしているが、これは覇権国ゆえの「内乱(システム停止)」を避けるためのアクロバティックな手法である。
5. ヘーゲル的「意識改革」への回帰と右派の拒絶
核心的問い: スティグリッツは「人間の意識改革」を前提としているが、これはヘーゲル的な社会的後退ではないか。また、なぜ自由を重んじる右派がトランプのような強権を許容するのか。
論点:
「賢い我々が導く」という啓蒙主義的姿勢は、エリートへの生理的拒絶を生む。
右派は「見えないシステム(官僚・専門家)による永続的な支配」を最も恐れており、それに対抗するために、あえて「見える独裁(強力な個人)」を武器として選択している。
6. 実務から見たインセンティブと「負の財産」
核心的問い: 企業の成果を「共有財産」とする議論は、研究開発の動機を削がないか。また、共有を謳うなら、企業の権益だけでなく「赤字や責任」といった負の財産も共有すべきではないか。
論点:
「独占的利益」という報酬がなければ、誰も困難なリスクを背負わなくなる。
正の成果だけを社会化し、負の責任(自己責任)の所在を曖昧にすることは、社会の駆動力を奪い、モラルハザードを招く。実務の現場は「責任」があるからこそ維持される精度がある。
7. エリートの再生産と再配分の副作用
核心的問い: 「賢い人たち」はどう再生産されるのか。富の再配分は、かえって資産の逃避や社会の分断を加速させるのではないか。
論点:
現代の能力主義は世襲化し、現場の「実践知」を持たないエリートを量産している。
再配分は「奪う側」と「奪われる側」というゼロサム・ゲームの戦場を作り出し、社会の統合という本来の目的とは正反対の「相互不信」を生むリスクがある。
まとめとしての感想
スティグリッツの理想は「理性の美学」に基づいた洗練されたシステム構築を目指していますが、実務や現場の視点から見ると、そこには「人間のエゴ、能力差、責任の所在」といったエンジニアリング的な変数の欠落が目立ちます。
社会という巨大プロジェクトを動かすには、理論上の「正しさ」以上に、参加者の「納得感」と「リスクに見合った報酬」の設計が不可欠です。この「知性と実務の断絶」こそが、現代の政治・経済が直面している最大のバグであると言えるでしょう。