河島弘美のレビュー一覧
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『嵐が丘』は、何冊かの訳書でトライしたが、そのつど挫折。
たぶん、わたしにするか、おれにするか、ぼくにするか、そこが気になったのかもしれない。わたくし、わたし、あたし、あたくしも同様。年齢や育ち、性格がそれを決める。私の場合は、最終的に河島弘美訳がはまって、念願の完読。訳文もわかりやすくてよかった。(年齢についてだが、ペンギン・ブックスの冒頭のGenealogical Tableには、登場人物の関係だけでなく、生没年月日も記されていて、very helpful。)
たんなる虚構ではない。場所や家も、そして人々も、個々の材料はエミリーのすぐそばにあった。それらをうまく採り入れつなげて、ひとつの物語を作り上げる。そういうふうに読むと、書き上げた時のエミリーの喜びもわかる。(最終部分は、思っていたより、ちと安易。オースティンの『高慢と偏見』ほどじゃないけど。) -
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ついに読んだぞ、『嵐が丘』。毎回、勢いよく読み始めるのだが、途中でだれがだれかわからなくなり、挫折の繰り返し。
もともと、ミステリやホラー(ゴシックロマン?)の要素もあって、すぐはわからないように作ってある。なんたって、キャサリンが2人出てくるし、アーンショー家とリントン家が対称形でこんがらがるようにしてある。現在と過去の間の往来もある。謎解きと展開を楽しむ作品なのだ。
しかし、人間関係が理解できると、そこはエミリーのストーリーテリングの巧さ、一気に読める。完成品を姉と兄と妹(シャーロット、ブランウェル&アン)に読ませた時には、きっとドヤ顔だったに違いない。
思っていたほどには自然描写は出てこない。荒涼とした自然のイメージは、「嵐が丘」や「ヒースクリフ」という名前から来るのかもしれない。しかし、語り手のロックウッド、冒頭で「人間嫌い」を自称していながら、ゴシップ大好き、結構人間好きなんじゃん。
(p.s. 完読に至るまでは試行錯誤。小野寺、阿部、大和、田中、鴻巣、氷川、中岡、三宅訳を試し読みした。「あたくし」や「あたし」は生理的にだめ。「わし」も、37歳のヒースクリフが言うのはヘン。結局、河島弘美訳に落ち着いた。) -
Posted by ブクログ
読み進めるほど著者の精緻な心理描写がさえわたり、人の愚かさや醜さなどが浮き彫りになっていく様は、読み応えがあります。登場人物は少なく、場所もほぼワシントン・スクエアのスローパー博士の邸宅での話し。文章も会話文が多くテンポ良く進み、時折挟まれるユーモアと相まってとても読みやすかったです。ただ、『アスパンの恋文』同様に絶版なのが残念です。
なお、本作は、『女相続人』の名で映画化されています。
あらすじ:
ニューヨークの町に、裕福な開業医であるオースティン・スローパー博士が住んでいました。彼には、キャサリンという優しくも地味で不器用な娘がいましたが、亡き母の美しい容貌を受け継ぐことなく、また社交性にも欠けた控えめな態度を見るにつけ、博士はとても失望していました。それは、キャサリンが幼い頃に亡くなった母親の代わりに、博士の妹のラヴィニア・ペニマン夫人が世話をしてきましたが、博士の賢い娘に育てて欲しいという希望に、決して応えたとはいえないことも一因でした。
そんな中、博士の下の妹であるエリザベス・アーモンド夫人の娘マリアンの婚約パーティーに招かれ、そこにいた若くてハンサムなモリス・タウンゼンドにキャサリンが求婚されます。彼は海外渡航歴も豊富で弁舌もたち、洗練された容貌の魅力的な男性ですが、定職についておらず財産もありません。
スローパー博士は彼と会話するうちに、さてはキャサリンの持参金や自分の遺産目当てで近づいてきたのではと動機を疑い、娘に結婚をやめるよう説得し、モリスにも冷淡に接します。しかし、キャサリンはモリスを深く愛し、父の反対もよそに結婚を望みますが……。
と、話し的には、娘の結婚に気を揉む性悪な金満おやじと、実直すぎてちょっとめんどうな娘という親子関係に、それを取り巻く人たちの言動や態度などが、実に見事に絡み合った心理描写と相まって、どんどん先を知りたくなるストーリー展開。ただ、読み終えたあとでは、娘のことを思うと複雑ですね。金満おやじに振り回された娘が不憫でならないですが、どっちも頑固だなと。なんだか、物寂しい余韻が残る作品でした。 -
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書き出しがすばらしい。映画の歴史大作を思わせ、まるで壮大なオペラの幕開けのようだ。しかしそれからしばらくは、19世紀後半のニューヨークの時代背景や、上流階級でのみ通じる複雑なしきたりや人間関係を詳細に描こうとするあまり、私たち現代人からすると退屈ともとられかねず、読み飛ばしたい衝動に駆られるかもしれない。
だが、そんな読むのに忍耐が必要な描写が続くのは第一部の最後から1つ前の章の第17章まで。そこまでは何とか読み進めてほしい。なぜなら第18章以降、主人公ニューランドとエレン・オレンスカ伯爵夫人の2人が織りなす物語は、ラヴェルのボレロのようにクレッシェンドしていくからだ。
それは私たちが思い描くような姿での恋とは言い表せられない。同様に愛とも言い難い。だが2人が第18章でお互いの心のうちを告白し合い、その後出会うたびに深められてゆく思慕の念は確かに恋であり愛だと言えるだろう。ただそれらは私たちの通俗的な想像をはるかに越えた姿かたちをしているがゆえに、そう簡単には読み解けないだけだ。
そうは言うものの、本書の新しい訳文は現代的な言い回しで占められ、(本当にその訳文で原文の本意を満たしているのかという議論はあるが、)500ページ以上というボリュームの岩波文庫としては比較的読み進みやすいはず。
そして本編最後のページである550ページ目。この物語の最後の2行によって語られるニューランドの行動は、ここまで読み進めてきた読者の期待とまったく正反対のものだろう。しかし彼にとってはこの結末以外は絶対にありえない珠玉のものだ。
この2行の真意、つまりなぜニューランドがそのような行動をとったのかを理解できるかどうかが、読者自身が人生を味わい深く過ごしてきたかどうかの指標ともなりうるのではないか。まるで自分の人生の密度や深淵さを見積られるようで恐ろしい。だが彼の行動は他人の目や財産やしがらみといった外的要因から一切離隔されており、読者自身に対して自由で正直でinnocenceな生き方をしているかを問いかけているようでもある。 -
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ジェインは事あるごとに「容姿に恵まれていない」と色んな人から言われるが、そんなにブスだったのʕʘ‿ʘʔそれに「頑固」だとか性格までケチョンケチョンに貶される。
一番腹が立つのが、牧師のセント・ジョンで、彼はジェインの命の恩人ではあるのだけれどジェインのことを「労働するように生まれた人」と言って、愛がないのにジェインと結婚して助手としてインドへの宣教に連れて行こうとした。
セント・ジョンは容姿に恵まれているし、きれいな女の人にもモテるのに、自分の過剰な野心を「神からの使命」と勘違いした人。
かつてお金持ちだったロチェスター様の妻の座を狙っていたミス・イングラムのような人は容姿にも家柄にも恵まれているのに「金の亡者」。これも可哀想。
血筋は悪くないが、孤児となったために、意地悪な親戚の家→貧窮院→ロチェスター家の家庭教師→ムーアハウス、貧しい子供達の学校の先生→ロチェスター家 と巡り歩き、最後に盲目となってしまったロチェスター様と再会し、彼の目となり手となる愛を結ぶシーンは本当に素敵。
四半世紀くらい前に読んで、このシーンに感動して、私の「愛のバイブル」となっていたが、ストーリーは99%忘れていた^_^
「強い女の人のストーリーが好きなんだね」と言われたことがある。うん、はい。確かに強い女の人の話は好き。でも、私が好きなのは「芯が強い人」であって、自分や同胞の権利を求めて、回りを攻撃するタイプの人はキライなんだな。
ジェインは何度か絶望の中、一筋の光を求めて荒野の中を彷徨う。それがジェインの心象風景でもあり、イギリス人の心の原風景でもある(たぶん)ヒースの丘や曇り空なんだなあ。暗いけれど、時々見える晴れ間が美しい。
自分に近しい人だと分かったムーアハウスの住人を喜ばせるために、ムーアハウスを女中と一緒に蜜蝋などでピカピカに磨きあげ、敷物やカーテンを変えて、料理を準備するシーンも好き。「上流階級→教養があって働かない人、働く人→教養がない下層階級の人」という認識のあった当時のイギリス社会の中で、自分の足で歩ける教養を身につけ、ある程度の身分になっても主婦のように働くことにも喜びを見出す、今の働く主婦のようにバランスの良い女性になっていったジェインの成長は気持ちが良かった。
そしてまた、机上の空論ばかり並べたて、貧しいものに対して上から目線であった聖職者に対しても「本当の愛」とは何かということを身を持って突きつけるような心地良さがあった。
今、「多様性」文学がもてはやされているが、「ジェイン・エア」もこの頃のイギリスの中では「多様性」を認めた文学だったのではないだろうか?ブスが幸せになるというだけでもʕʘ‿ʘʔ
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ジェインは孤児。母方の叔父に引き取られたが、叔父は亡くなり、伯母と従姉妹たちにまるで「キャンディ・キャンディ」のようにいじめられる辛い日々。唯一の味方は女中のベッシーと体調が悪い時に来てくれた薬剤師さん。
薬剤師さんの薦めもあって、叔母はジェインを「厄介払い」のために学校に入れる。
その学校というのは、孤児院で、「贅沢はさせるべきでない」という尊大な経営者のために、食事は食べられないほど不味いものが僅かだけ出されたり、天然パーマの子が「忌まわしい巻き毛」と言われたり、ジェインの叔母から「ジェインはどうしようもない嘘つき」と吹き込まれたことを皆の前で公表されたりという酷いところだった。
しかし、そんな中で、テンプル先生という美しく優しく聡明な校長先生やヘレンという崇高な精神を持った友人との出会いがあり、ジェインは心を強く持って、勉強に励み、何処へ出ても恥ずかしくない教養を身につけた。
孤児院(「ローウッド」)も改善されてゆき、居心地のよい場所になり、やがてジェインは教師になったが、テンプル先生が結婚退職したことを機に、「もっと広い世界を見てみたい」という衝動に駆られた。そして、こっそり家庭教師の広告を出すと、ソーンフィールドという場所にある、由緒正しいお屋敷に雇われた。
10歳まで、虐げられながら過ごした叔母のお屋敷とその後8年間過ごした孤児院以外の初めての場所にジェインは自分の力で踏み出したのだ。
(抜粋)
自分の運命に無言の反抗をする人も無数にいる。政治的な反乱以外に、人々の間に燃え立っては消される反乱がいかにたくさんあることだろう。一般的に女性は穏やかだと思われているが、女にも男と同じ感情がある。能力を発揮し、努力の成果を生かす場を、男性同様に必要としている。
ジェインは男女の固定観念が強い時代に不遇な子供時代を送ったにも関わらず、自分の足でしっかり歩いて行くことを選ぶことが出来た知的な女性だ。
ソーンフィールドのお屋敷に普段、ご主人は不在だが、ある時帰ってきたご主人は、見かけがいかつくて、性格も偏屈な感じだった。だけど、ジェインに対し、ユーモアや皮肉を交えながらもまっすぐな気持ちをぶつけてくれるご主人、ロチェスター様にジェインは惹かれていく。そして、ロチェスター様のほうも社交界のチャラい女性達よりも美しくはないが知的で誠実なジェインに惹かれていく。
子供の頃にみたアニメのシリーズ「日曜名作劇場」のようにワクワクする。だけど、男の子の冒険物語とは違い、ジェインという女の子の物語は小さな「自分の世界」を自分の力で少しずつ少しずつ勇気を出して広げていく、精神的な冒険物語だ。
もう一つの魅力は“イギリスらしさ“だ。どんよりして凍てつく冬の厳しさの描写。それに対してさまざまな花がさく美しい春の自然の描写。
また、イギリスらしく、お屋敷には「幽霊」!ではないのだが、幽霊と同じくらい不気味な謎の人間が住んでいるようなのだが、実態が分からない。
ミステリー要素も含め、下巻が楽しみ。
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Posted by ブクログ
ネタバレ有名すぎる作品をやっと読む。
やはり文学としては妹エミリーによる嵐が丘の方が格があるように思ったけど、こちらはストーリーの起伏が大きくてよりエンターテイメント性があるというか、分かりやすく面白い。解説によると妹たちのエミリーとアンの作品が世に出るきっかけはシャーロットの本作が成功したおかげだというから、その意味でもやっぱり文学上の重要作品。セントジョンのキャラクター付けとか、なかなかこれまで昔の文学作品で見ない感じだけどわかる!という描写だし。他にも稚拙な作品ではただ嫌な俗物と描写されそうなリード夫人とその子どもたちの描き方もすごく冷静で、ある種の同情も持って描かれていたり。
サルガッソーの広い海をはじめ、この作品のスピンオフ?翻案?的な作品を読みたいがために読んだところがあるので、それらを読むのが楽しみ。本作ではロチェスターの前妻が火事で亡くなったことが知らされてから全く彼女に触れずに2人は結婚したところにもやもやしまくったので、特にサルガッソーが楽しみ!