黒川祥子のレビュー一覧
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本書に登場する7つの事例をもって、8050問題の全てを包括しているわけでは無い、100の事例があれば全て違った問題を抱えている、というスタンスは評価できる。
しかしながら、7つの事例に関しても表層をなぞっているだけという印象はまぬがれない。それだけ家族の問題というのは奥深く、他者の介入を許さないということもできる。
この手の本では「居場所」づくりなることが盛んに言われる。確かにそれで救われる人も少なくないのだろうが、「徹頭徹尾人とは関わりたくない」人へのアプローチをどうするべきなのか、就労をゴールとするこれまでの支援に意を唱えたのは良いが、やはり他者との交わりを最終ゴールに据えている点ではこれまでと変わりないのではないかと感じてしまった。 -
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ネタバレ「子どもは愛情さえあればスクスク育つものだと思っていました」という里親さんの言葉にドキリとしました。そうでない場合もあるのだということを私も初めて認識しました。最近のことでは“ゆあちゃん”の事件がそうですが、虐待による子どもの死は悲しいことに無くなりません。虐待が疑われる場合は児童相談所が施設に保護して、それで良かった助かった、と終わらないところが難しいところです。
この本を読む前は、虐待するぐらい子どもを育てるのが苦痛なら預けてしまえばその子にとっても幸せなのに、と思っていましたが、施設に保護されてそれで終わりではないのですよね。
虐待され続けた子にとっては様々な影響が残り、“普通の子”のような生活をおくれるようになるには、里親さんのように我が子と同じかそれ以上の愛情や手間をかけないと心の傷、トラウマが癒されるのは難しいのだと思いました。それにいくら愛情があったとしても上手くいかない場合も多いでしょうね。
この本で紹介されている中で明日香ちゃんのケース「奴隷でもいいから、帰りたい」は本当につらいと思いました。親も精神的に未熟で自分の気持ちをコントロール出来なくて虐待してしまうのでしょうが、どんなつらくあたられても子どもは母親の愛情を求めてしまうのです。
母親の気まぐれな一言に一喜一憂して振り回され、「やっぱりあんたなんていらない」と見捨てられてしまったら、本当につらく悲しいです。親の子どもに対する無償の愛というより寧ろ子どもの親に対する無償の愛を思う、というような本書の文面がとても印象に残りました。
虐待の問題、どうしたらよいのか、とてもとても考えさせられた本でした。 -
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この本を読んでなお自分の娘に子宮頸がんワクチンを接種させようと考える親はおそらくいないだろう。
『子宮頸がんワクチン事件』を読んだ後は作者の冷静なトーンの影響もありまだ私自身安易に判断できないと考えていた。
しかし本書を読んだら公平な視点とかどうでもよくなって、もう誰一人このワクチンのせいで悲しい思いをして欲しくないという気持ちでいっぱいになった。
現段階では政府も製薬会社も多くの医師たちもHPVワクチンによる重篤な副作用を認めてはいないし、結論が出るにはまだまだ時間がかかるだろう。
仮に少女達の症状が痛みが原因であるとしても、もしくは精神的なものだとしても、今は打つべきではない。
理由は実際に苦しんでいる少女達になんと医師や看護師、はたまた教師や世間の目が冷たいことか。
ただでさえ不可解な症状と闘っているのに周りの不理解が追い打ちをかける。救済される公的システムが全くない。
私のごく近しい人が子宮頸がんに罹りまだ再発の恐怖と闘っている。彼女の姿を見るのは辛いし心配でならない。この病気がワクチンで撲滅できるならなんと素晴らしいことだろうと心から思う。
でもとうていこんな訳のわからないワクチンに賛同する気にはなれない。
一人でも多く現状を知ってもらいたい。
是非読んでほしい。
そしてもうこれ以上苦しむ少女が増えないことを心底願う。 -
購入済み
勉強になった
こういう世界があることを初めて知った。
子供は何一つ悪くない。
子供を手放すという選択をする親もある意味悪くない。
無理して虐待する事だけはさけなければならない。
子供は社会にとって、尊い、美しいものだと思う。
親が親の役目を果たせない状況は確かに存在する。 -
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ネタバレまた虐待のケース報告かなぁ・・と思いつつ
「2013年開高健ノンフィクション賞受賞」
これに引き付けられて買ってしまった。
今まであまり取り上げられなかった
被虐待児の保護された「その後」
そこに焦点が当てられていて、
問題の深さに改めて考えさせられた。
保護されたらハッピーエンド、
そんな簡単なことではない とは分かっていたけれど
虐待された子どもの心の傷は想像以上だった
優しい里親さんなど関係者も多い日本でこの状態
とすると、インドなど最貧国の捨てられた子どもたちは
どうやったら傷を癒すことができるのだろうか・・
絶望的になる -
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開高健ノンフィクション賞を受賞した、被虐待児たちのルポタージュ「誕生日を知らない女の子」の最終章に登場した沙織さんのその後の話。
前作では、被虐待児だった沙織さんが今は自分の娘に虐待を行ってしまっているというこの最終章が、問題の深刻さを表しており、最も読み応えがあった。
本書は前作よりも女性の生い立ちについて一人称で詳しく書かれており、ドラマだったらやり過ぎじゃない?というくらい壮絶すぎる過去に唖然とした(お寺に捨てられて家庭を知らないで育ち、その後、幼少期のレイプや実父からの性暴力など、、)。
ただただ同情しかなかったのだけど、今回、後半は彼女の娘の視点になるというのが興味深い。娘もやはり記憶を失くすくらいの虐待にあっており、でも母親がそんな環境で育っていたら普通に育てるの無理だよね、でも娘には罪はないのに、、と読んでいてこちらはどの立場に立てば良いのか分からくなった。
ちなみに正直前半の沙織さんのターンのほうが読み応え(というと語弊があるが、、)があり、後半の娘さんのターンは現在進行形ということもあるのか、同じような内容が繰り返し書かれているように感じ、正直もう少し短くても良いような気がした。
よく加害者は被害者だというが、この本を読むとそれがよく分かる。
もちろん暴力はするほうが悪いけど、暴力を振るった人を皆で糾弾するだけでは何の解決にもならないとよく思う。
こうしたら良い、とか明確な答えは見つからないけど、様々な視点に立ち、何で虐待や暴力が行われてしまったか、そういう裏側に思いを馳せるためには、大変貴重な本だと思う。
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「誕生日を知らない女の子」が良書だったのでこちらも読んでみた。著者自身もシングルマザーであるとは知らなかった。半分は貧困などに苦しむシングルマザーのインタビュー、もう半分は有識者へのインタビューで構成されていた。
シングルマザーが大変なのは単にワンオペや働き手が一人になることだけだと思っていたので、知らなかった内容が多く衝撃だった。日本は配偶者控除など専業主婦を優遇する制度は多くあるが、総合職に就けないシングル女性に対する制度が厳しいという。その上、シングルマザーに関しては、死別と離婚の場合で補助金の額が全く違い、先進国でそのような差別をする国は他にはないらしい。
フランスや韓国の例も詳しく書かれており、これらの国では離婚したシングルマザーでも暮らしやすい制度が整っているそう。日本ではシングルマザーという響きに「大変そう」というイメージが強くあるが、それは国の制度の問題だった、というのは目から鱗だった。
登場するシングルマザーたちのこれまでの人生を聞くと、これ貧困を免れるのはどうやったって無理じゃない?という絶望的な気持ちになった。著者も、貧困はあなたのせいではなく国せい、ということをしきりに訴えており、ぜひ高市首相に読んでもらいたい一冊、、と思った。
ラストに、貧困女子はこれまで問題視されてきたが、高齢女性の貧困はあまり問題視されていない、とあり、確かに、と思った。そういう意味でも貴重なノンフィクション。 -
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著者はノンフィクション作家なのでその名に覚えがあり、ああ何か読んだことがあるなあと思っただけだったのだが、過去に読んだ『誕生日を知らない女の子』の著者で、本書はその続編というべきか、『誕生日を〜』の中に登場した人物へのその後の取材をもとに書かれたものだった。
壮絶な被虐待者である沙織さんは、最初の体験から30年以上経った今もその後遺症に苦しむ人物でもあるのだが、その後授かった娘との共依存の関係にも苦しんでいた。はた目からはやりきれない思いしか湧いてこないのだが、どうにかこうにか、二人がその共依存関係から抜け出しつつあるらしい様子なのはせめてもの救いか。なのに娘の方が、やっと母の呪縛から解き放たれんとしているにも関わらず、別の人物と新たなる共依存関係を作りそうな状況なのが気になる。まあそれも含めて、こういう育ちをしてしまった人物の辿らざるを得ない道ともいうべきか。連鎖は罪深い。
それから、本書の内容ではないところでとても気になったのが著者の文章。失礼を承知で言えば、正直、あまりうまくないというか、わかりにくいというか。取材対象者の逐語表現の箇所はそれはそれでいいと思うのだが、著者が文章を書いている部分は、構成とか時系列とか、もう少し整理して改善できる余地がありそうなんだよね。誰の話なのか、一瞬、ん??と思うこともままあるし、唐突に今の文脈には関係ない著者自身の話が混じったり。それを書きたいなら、それなりの文章の運びがあるよねーと思う。
読みにくくはないのだけど、巧拙で言えば後者な感じです。ごめんなさい。 -
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生まれてすぐお寺に預けられ
小学校卒業までここで暮らした滝川沙織さん。
実家に引き取られ実の父親、継母、兄との生活が始まる。
後に継母が家を出たことで地獄が始まる。
P76〈死んだように生きる、生き地獄〉
辛い人生を乗り切るには別人格になるしかない。
2013年刊行の『誕生日を知らない女の子 虐待ーその後の子どもたち』に
登場する沙織さんも53歳になった。
2人の子どもを持つお母さん。
別人格となった沙織さんの元で育った娘、夢ちゃん。
彼女が聡明で、お母さんとの距離も弁えている。
若さゆえの危うさもあるのだけれど、夢ちゃんに救われた気持ちもある。
どうか、沙織さん、夢ちゃん、海くんが幸せでありますように。
前作を読んだときにも思ったけれど
なぜ、どうして、このように残酷なことができるのか。
読み進めるのに時間が掛かったが
この先、沙織さんの人生が輝いていますようにと
願わずにはいられない。 -
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【感想】
心が痛い。ページを1枚ずつめくるごとに、やり場のない悲しみが押し寄せてくる。虐待者から逃れたあとも、まだ悲劇が終わらないとは。残りの人生でこんなにも過酷な時間を過ごさなければならないとは。
本書は、里親や施設のスタッフ、被虐待者本人から聞き取りを行い、「虐待の後遺症」について論じていく本である。
「虐待の後遺症」とは、虐待者から逃れた後も、暴力によるPTSDやうつといった症状に苛まれ、再び問題行動を起こしてしまうことである。私たちの感性からすると、虐待者から保護された子どもは、施設や里親の手によって暴力のない平和な生活を営むことができる、と考えるのではないだろうか。しかし、心の傷が元通りになるのには相当な時間がかかり、なかには大人になっても完治しないケースもある。乳幼児期という人格の形成期間に養育者から暴力・育児放棄を受けることで、社会性が身につくことなく成長してしまうからだ。
また、実親だけでなく、なんと被虐待児を引き取った里親も虐待に及ぶケースが多いらしい。
虐待されている子どもたちは感情を抑圧されているが、それを実親に向けて発散することは不可能である。実親から引き離されたあと、その貯まった怒りが優しく保護してくれる人たちに向かうことがある。これが「虐待の後遺症」の典型例であり、それに耐えかねた里親が養子に暴力を振るうことがあるのだ。
加えて、虐待の後遺症は子ども時代に終わるわけではなく、本人が親になったときにも起こってしまう。自身は親から愛情をかけてもらった記憶がないため、我が子に対してもどう愛情を注げばいいかわからない。言うことを聞かない、早く寝ないといった育児上の障害が起こったときに、自身の子ども時代の経験を思い出し、虐待の記憶がフラッシュバックする。その結果、親と同じく暴力を振るうことで問題を解決しようとするのだ。
私が本書で一番胸を締めつけられたのは、明日香ちゃんのエピソードだった。実母から虐待を受けた後に里親にもらわれ、そこで不自由なく生活していたが、実母からの「一緒に暮らそう」という甘言に乗せられて、里親と学校の同級生に暴力を振るうようになる。実母は明日香ちゃんを「弟と妹の面倒を見る奴隷」としかみなしておらず、きちんと育てる気など最初からない。その先に幸せなどないと内心わかりつつも、「おかあしゃまは、めがみしゃま。なんでもかなえてくれる、めがみしゃま」と、赤ちゃん言葉で実母にすがる。
こんなに理不尽なことはあるのか。ただ愛してもらいたいだけなのに、元の生活に戻りたいだけなのに、自己中心的な親によって、再び傷が広がっていく。
虐待は、親元から離れて終わりではない。成長期を暴力で染められた子どもは、人間のような社会性や思いやりを身に着けることなく、動物のように成長していく。なんとか社会に適応し、自分が親になっても、今度は虐待者として悲劇の連鎖に加担していく。
筆者「だからこそ今、虐待で保護された膨大な数の子どもたちに正しい光を当てなければならない。『子どもたちの現実』から目を逸らしてはならない。それが『子どもの側』から虐待を見ていくという視点だ。『虐待の後遺症』という視点を持って、『殺されなかった』被虐待児の現実を、私たちは社会全体で見つめていかなければならないと強く思う。
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【まとめ】
1 虐待を受けた子どもの「その後」
「先生(医師)が気になる子、目をかけなければいけない特別な子の母親に見られたかった。あたし自身、常にいい母でありたいと思っていましたし、子どもと時を重ねることに自分の価値があると思っていました。熱心に看病する母であると評価してもらえることに、非常な満足感と安定感を感じていました」
香織は、このような理由で自らの子どもの点滴に水を混ぜ、容体を悪化させた。犯行動機は「入院生活を長引かせること」。病院は香織にとって心地いい場所だったからだ。
検察官からの動機にまつわる執拗な問いに、香織はこう答えた。「子どもと二人だけで24時間いられるというのは、日常を離れて子どもと濃密な時間を過ざすこと。すべてをあたしに委ねている子どもは、あたしの一部。小さな子どもと密接にいられるのはとても心地いい。入院することによって常に、先生や看護師さんの目が向けられ、わが子を特別な患者として気にかけてくださり、私も看病する母として特別な存在となって、言葉をかけてもらえることに居心地の良さを感じていました」
「代理ミュンヒハウゼン症候群」と括られる人たちに、共通に見られる特徴だった。
虐待を受けた子どもというのは、どんな状態にさせられているのだろう。それまで私は、虐待を受けた子どもは、児童相談所によって保護されて親から離されれば、それでひとまず問題は解決すると思っていた。少なくとも、もう殺される危険はないのだと。はっきりわかったのは、私は何もわかっていなかったということだ。
あいち小児は日本で唯一虐待外来を持っている。病院内には虐待を受けた子どもたちを入れて(隔離して)おくための閉鎖病棟がある。
「虐待を受けた子どもは、とにかく問題行動をひっきりなしに起こす。そして自身の弱さが外に出て、イライラが募ると暴れてしまう。つまり、虐待的な対人関係を繰り返すのです。でも子ども同士がお互いに脅威を与えるようでは、安心がもたらされない。安心がないところでは治療ができない。この病棟は、そうした不安定な子どもたちを安心な構造全体で抱っこするというイメージなのです。子どもを閉じ込めることが目的なのではなく、守るためのものなんです」
そう施設長は語る。
虐待を受けた子は怒りや恐怖など、さまざまな感情に蓋をしているのだが、保護されて警戒が緩むと、蓋が開く。そうすると陰湿ないじめをしたり、激しい暴力衝動が抑えられなくなったりする。
2 美由
5年前、里親の久美さんが一時保護所で見た美由ちゃんは、「壁になっていた女の子」だった。児童相談所の児童福祉司は、「この子は、しゃべれないかもしれません」とまで言った。
彼女が虐待されたのは、なんと里親からだった。虐待された子どもたちの抑圧された怒りは、優しく保護してくれる人たちに向かうことがある。これが「虐待の後遺症」であり、それに耐えかねた里親が養子に暴力を振るうことがあるのだ。
美由ちゃんは暮らしの中で、急に獰猛で暴力的になることもあれば、ボーッとして呼んでも返事をしないこともある。何かで注意されると、そこで感情を切ってしまって、フリーズすると何時間でも無表情のまま立ち尽くす。記憶をそうやって飛ばすので、注意されたことが積み上がらない。だから、何度でも同じことをやる。これは「解離」という。
解離とは、脳が器質的な傷を受けていないのに、心身の統一が崩れて記憶や体験がバラバラになる現象の総称だ。虐待というつらい記憶を消すために、スイッチを切って生き延びるのである。
「悲しい思いをした時に 『悲しい』と感じると、悲しみに関連した外傷記憶(トラウマ)がフラッシュバックしてくる。怖いと思うと、怖い過去がどっと出てくる。性的な興奮を感じてしまったら、同じように過去の性的なトラウマが出てくる。それはつらいことですし、また、恐怖だとかの感情を顔に出したら、余計に虐待者を怒らせてしまうので、それらの感情も含めて全部に蓋をするんです。残るのは薄っぺらい、にこにこ笑っているだけの人格です。そうやって、自分を守っているんです」
解離は防御である。殴られるという痛くてつらい経験も「感じない」ようにして自分から切り離してしまえば、痛みもつらさも軽くなる。美由ちゃんも「壁になって」感じないようにして、その場を生き延びてきたのだ。
3 雅人
雅人くんのお腹には、刃物で切られた痕があった。それも縫うなどの処置がされたものではなく、自然についたような傷口だった。手には、ケロイド状のやけど痕もあった。
「痛みに対して、忍耐強い」「人の目を見ない。見られるのもいやがる」「自分自身、人間関係、人生に否定的な考えを持っている」「パターンに固執し、柔軟な考えができない」
雅人くんに見られるこのような特徴は、「愛着障害」という症状に括られるものだ。この「愛着障害」こそ、被虐待児のほとんどが抱える問題といっていい。
愛着とは、赤ちゃんと母親など養育者との間に作られる情緒的な関係のことだ。心理学的には、幼児期までの間に子どもと養育する側との間に作られる、母子関係を中心とした情緒的な結びつきを指す。人を信じ、世界を信じ、成長していくすべての基盤となるのが「愛着」なのだ。
「産まれたばかりの赤ちゃんには、 『心地よくなりたい』という肉体的な欲求と、『甘えたい』という情緒的な欲求があります。この欲求が継続的に無視されると、他人の気持ちをくみ取る脳の部分が成長せず、愛着障がいの症状が出てくるといわれています」
愛着とは愛され、守られ、大切にされた記憶。いつでも戻れるあたたかなお母さんの膝があり、守られてきたことにより、自分を信じ、他人をも信じることができるのだ。ゆえに愛着が育っていない子は、往々にしてスキンシップをすることができない。
虐待的な環境で生きてきた子どもが養育者との間に獲得するのが「虐待的な絆」であり、それは人にマイナスに作用する「愛着」だ。痛みや痺れや怒声だけが養育者とのつながりだとしたら、子どもはその感覚だけを頼りに生きるしかない。これが虐待者との間に形成される〈歪んだ愛着〉=〈虐待的な絆〉だ。こうして作られた虐待的な絆は、虐待の連鎖へとつながっていく。
雅人くんはADHDを発症していた。
虐待と発達障害は、複雑に絡み合っている。なぜ、被虐待児に発達障害の子が多いのか。それは養育者が、発達障害をもつ子どもに対して育てにくさや非社会的な特徴を感じ、それを「しつけ」によって正そうとした時に、あっとう間に虐待へと横すべりしてしまうという傾向があるからだ。たとえば、落ち着きのないADHDの子に対して、どうして他の子と同じようにできないのかと苛立ち、つい手を上げてしまうことがある。
杉山医師はあいち小児の臨床で、生まれつき発達障害でなくても、虐待を受けることで発達障害のような状態を呈するということを「発見」した。その「発見」の上に立ち、子ども虐待を「第四の発達障害」と位置付ける。子供への虐待そのものが、脳に器質的な変化を与え、広範な育ちの障害をもたらし、発達障害と言わざるを得ない状態を作り出す――。虐待とはどれだけ残酷で過酷な結果をもたらすのだろう。
4 拓海
「家庭を知らない子」――施設側が言うとおり、拓海くんには2歳で保護されるまでの家庭の記憶はない。母親からの虐待を覚えていないことが幸せなのかどうかはともかく、「愛着」という基盤のないまま施設で成長してきた子だった。
拓海くんがいた施設では、職員が子どもたちの動きを徹底的に支配していた。加点・減点の権限を持っている職員がポイントをちらつかせて子どもたちの行動を規制していた。
「俺の部屋は四人部屋で、俺は二段ベッドの上なんだ。夜の一時に先生の最後の見回りが来て、それが終わると、あとは大人は誰も来ないから、寝てると、下の子にベッドから引きずり下ろされる。だから、夜は寝ちゃだめなんだ。寝たら、やられる」
「俺がいる間に二回、戦争があった。中学生が計画を立てて、先生をぶっ飛ばすんだ。俺は中学生の命令でガラスを割ったし、女の保育士に突っこんで、その人を辞めさせた。小学生は中学生の決めた通りにやるんだ。バケツに水を入れたのを、先生にぶつけたり…。中学生の決めたところに隠れていて合図があるとバーッと出て行くんだ」拓海くんのいた施設は、年度内でもしょっちゅう職員が辞めることで里親仲間でも有名なところだった。
「ママ、大人になるってつらいことだろ。俺はもう、死んだ方がいい。大人になっても、どうせ俺はバカだから、お仕事はできないし、今、死んだ方がいい。大人になるって、つらいことだろう」
5 明日香
筆者が取材で訪れた乳児院は、「より小さい集団での、担当との愛着形成」を目指し、懸命に努力を重ねていた。一人一人の乳幼児に担当の職員がつき、担当以外は抱っこや授乳もしないというシステムで、その職員との愛着形成を図っていた。授乳は抱っこしてちゃんと目を見て、入浴は職員が裸になって一緒に入り、離乳食の介助も担当職員が笑って話しかけながら行うなど、できる限り「お母さん」のような養育が心がけられた。
赤ちゃんの食事がすむと、体験取材中の筆者にも「一緒に、子どもたちの前で同じものを食べてください」と声がかけられた。そこに、どんな意味があるのかと聞くと、職員が説明した。「おいしいね」って私たちが食べるところを見せないと、子どもは大人が食べるということがわからないのです」
これこそ、施設のジレンマだった。ここまで気を配らないと、赤ちゃんたちは「食べる」という当たり前の営みすら目にし、学ぶ機会がないのだ。家族の生活の場である「家庭」で育つこととは、根本がどうしても違うのだ。
明日香ちゃんは川本恭子さんの里子として、まるで本物の親子のように愛情を注がれて育った。しかし小学6年生のころ、実母から「一緒に暮らそう」と言われ、生活が一変する。上手くいっていた学校でも、家でも、自分の居場所がなくなるように暴れ、他の子どもたちに暴力を振るうようになった。何かと実の母親と里親を比べ、「本当のママはよかった」と、恭子さんを傷つけるような発言を繰り返したのだ。
「帰りたい。オレは嫌われても帰りたい。お母さんのところに帰りたい」。明日香ちゃんは何度も口にする。恭子さんが「わたしたちがいるよ」と言っても、「親でもないくせに」とはねのける。
実のところ本当の親からは、「弟と妹の面倒を見る奴隷」としかみなされていなかった。明日香ちゃんが6年生になり、多少の分別はつく年になったと思いこんでいたため、育児を負担させるために呼び寄せようとした。責任を持って引き取る気など毛頭なく、そこに本当の愛はなかったのだ。
それは、明日香ちゃんにもわかっていたはずだと恭子さんは思う。しかし明日香ちゃんは止まらない。「お母さんと幕らす」という念願は、これまで積み重ねてきた学校の友達関係や勉強や川本家という家族をゼロにしてでも、明日香ちゃんにはなくてはならないものだった。「おかあしゃまは、めがみしゃま。なんでもかなえてくれる、めがみしゃま」。六年生だというのに、赤ちゃん言葉で実母にすがった。
明日香ちゃんはその後、家庭復帰から2ヶ月足らずで実母の家から追い出され、今は情緒障害児短期治療施設に入所している。
6 虐待の後遺症
「お母さん」と、精一杯の思いを込めて呼びかけた、たった一人の存在が継母だった。愛してほしい、守ってほしいと心から望む存在から、愛され、守られ、大切にされた記憶が欠片もないとしたら、なぜ生まれてきたのかがわからない。この世界にすがりつく一本の糸すらないのなら、どうやって生きていけばいいのだろう。
だから、人は探し求めるのだろうか。どれほど親に虐待を受けたとしても、そこに一片でも愛情があったのなら、それだけで存在の意味が立ち現れ、暗闇の世界にたった一人でさまよう地獄から救われると。
ただ、その果てに何があったのか。
感情のスイッチを切ってプレーカーを落とさない限り耐えられない、過酷な現実を強いられた子どもたちは、すべてがズタズタに寸断されていた。心も身体も脳も、すべてだ。親から与えられたものといえば血の味、痛み、輝れる感覚、そして恐怖。
だからこそ今、虐待で保護された膨大な数の子どもたちに正しい光を当てなければならない。「子どもたちの現実」から目を逸らしてはならない。それが「子どもの側」から虐待を見ていくという視点だ。「虐待の後遺症」という視点を持って、「殺されなかった」被虐待児の現実を、私たちは社会全体で見つめていかなければならないと強く思う。 -
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ネタバレドラマを観て気になって読んだ。本当にこんな学校があるのかと読みながらずっと信じられなかった。教師たちが本当に素晴らしい。
生徒の立場も、教師の振る舞い方も勉強になった。
①どうして非行に走るのか、どうして不良になるのか
→困った生徒は困っている生徒。
自分が大切にされた経験がなければ、自分も他人も大事な存在だと思うのは難しい。自分を受け入れてくれる存在がいない。
②朝起こしてもらえないから遅刻する、というワードが印象的
→普通の家庭なら、遅刻しそうになったら起こす。
③生徒を個別で見る、対話
④生徒が変わる瞬間に立ち会う
⑤インバイト
⑥どんな学校に飛ばされるか本当にわからない