獅子文六のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
「この作品で、私は、わが身辺に起きた事実を、そのままに書いた」とあり、今まで読んだ獅子文六作品よりも抑制した文章で綴られている。
題名から想像していた“娘と自分”とのこと以上に、“再婚の妻と自分”とのことに比重が置かれていて、それに関して「自跋」で明かされているし、本書の献辞もその亡妻に贈られている。
作者は出来るだけ包み隠さず、率直にその時々の心情を振り返って語ろうと努めたのだと思う。「私という人間は、子供だとか、妻だとかのために、犠牲となることを、喜びとするような風に、できあがっていない」と記す、個人主義で我儘でへそ曲がりの作家の、時に妻や娘がいなかったらと我が不自由を嘆き、時に愛情や思慕を抱く、その何れもが偽りのない本心であるだろうところに、作者の誠実さが伝わってきた。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ初めての獅子文六。知り合いが絶賛していたので読んでみることにしました。
時代は私が物ごころ着き始めた頃の昭和35年。そのせいで「こんなだったよな~」と{そうだったのかしらん」が入り混じります。
冒頭は箱根開発をめぐる西郊(西武)と関急(東急)の2大勢力の争いでスタートします。箱根山戦争という名前が付けられたくらい有名な事件のようですが、私は初めて知りました。まあ、時代もですし、地方生活者にとって箱根そのものに馴染みが無いのです。地名なども判りやすく置き換えられている様ですが、そもそも土地鑑が無いのでついて行けない。という訳で、少々辟易しながら読み進めます。
途中から話は芦ノ湯(文中では足刈)の2軒の旅館間の争いに移ります。
元々、親戚関係だった2軒の確執。89才の元気な女将、忠義な番頭、家業そっちのけで趣味に生きる主人。登場人物もちょっと古風で多彩です。そしてその背景に描かれる高度成長期の日本。マイカーブーム、大衆レジャーランド、スモッグ、クーラーの無い夏場。元気で若々しい日本です。考えてみればちょっと今の中国に似ています。
そんな中で生まれる微笑ましい純情可憐な恋愛。ノスタルジックな昭和期の映画・テレビドラマの世界を思いながら、楽しく読みました。
全てが幸せな方向に向いたところでスパッと切り落としたようなエンディングが特徴的です。 -
Posted by ブクログ
映画になりそうと思ったら、ずいぶん昔にもう映画になってるんですね。
自分が人にどう思われるかということを気にする人がどこにも出てこない。
みんな自分のしていることにちゃんと責任を持ってそれに対してクヨクヨしたり、どうせ自分なんかって言って最初から自分を守ったりしない。
それはこの時代だからなのか、獅子文六だからなのか。
まっすぐで清々しくて、心のひだに隠れた気持ちを書くときだって、獅子文六の手にかかると、ああ、ことはこんなにシンプルなんだなぁと思えてくる。
色々思ったり考えたり、もっと自分に責任と自信を持って自由にやっていい。
そう言われてるみたいだなぁと思った。 -
Posted by ブクログ
「てんやわんや」。獅子文六さん。1948~1949に連載された小説だそうです。
原爆、終戦が1945年夏。憲法施行が1947年。
獅子文六さん、というのは、徐々に再評価されている人だと思います。
いわゆる、流行作家だったひと。
その当時から、言ってみれば「軽い」のが持ち味で、決して純文学でも重いテーマでもなかった。
この「てんやわんや」も軽いんです。
そして、連載物っぽい。つまり、ラストを考えずに適当に書いているんだろうなあ、という。
主人公の犬丸順吉さん、というのが、まあ恐らく30凸凹のサラリーマン。
上役社長の言いなりになってきて、終戦を迎え。
ホッと一息と思ったら、社長が戦犯になりそうで。つまりまあ、社長はかなり戦前社会で美味しい思いをしてきたわけです。
対岸の火事かと思ったら、「君も戦犯になるよ。逃げたまえ。この書類の包みを持って逃げたまえ。決して見ないように」。というわくわく展開。
この犬丸さん、実は社内の、積極的なパワフルガールとちょっといい感じになっていたんですが、命が大事、と紹介された愛媛宇和島に逃げます。
ここから、愛媛宇和島に舞台を移すや、荒廃した東京とは打って変わって桃源郷。食べ物はあるは、人心は穏やかだわ。
ここンところで戦後直後の都市と田舎の風俗の差を見せながら。
話しはこの地方での、さまざまな風俗や祭りを織り込んでのてんやわんや。
犬丸さんは、辺境山地の娘に恋い焦がれたり、このままではイカンと思い直したり、このままでずっといようと願ったり。
かなりイケてない主人公の右往左往を、あははと笑っているうちに。
件の社長がやってきたり、パワフルガールが社長の愛人になっていたり(そうかと思うとそうではなくて純潔だったり)。
つまりは、面白そうなトコロに向けて、実に節操も無くよろめいていくストーリー。
ところが、そのはざまで煩悩に焼かれてみっともなくてんやわんやを繰り返す主人公には、戦後直後でも、きっと多くの人はこうだったんだろうなあ、という「人間味」が溢れていて、実に飽きない。
最終的には、どうやら伏線を回収しきれないままに勢いで終わった、という匂いが充満するのですが。
それでも、なんだか楽しいからいいや、というのも、これまたある種の完成度。
うーん。噺家で言えば...昔々亭桃太郎...。独特の味わい。志の低さをテクニックの高さと確信犯なアドリブ感。
この軽さ、テキトーさ、なんとも腰砕けな明るさ。
こんな小説が、太宰治や坂口安吾と同時代にのほほんと完成度の高さを醸し出していたことを思うと、なんだか灰色で重苦しく勝手にイメージしていた戦後直後っていうのも、結局はひとの営みでしかなかったんだなあ、という視野が開けてきて、楽しからずや。パチパチ。