あらすじ
文豪、獅子文六が「人間」としても「作家」としても激動の時を過ごした昭和初期から戦後を回想し、深い家族愛から綴られた自伝小説の傑作。亡き妻に捧げられたこの作品は、母を失った病弱の愛娘の成長を見届ける父親としての眼差し、作家としての苦難の時代を支え、継娘を育てあげ世を去った妻への愛、そして、それら全てを受け止める一人の人間の大きな物語である。
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Posted by ブクログ
650ページ、一気に読ませる。
獅子文六のいわば私小説。もとは「主婦の友」に、1953年1月号から56年5月号まで連載。61年にはNHK朝の連続ドラマの第一作になった。
獅子文六、留学先のパリでマリー・ショウミイと恋に落ち、妊娠した彼女を伴い帰国。生まれた女児は巴絵と名づけられた。しかし巴絵が7歳の時に、マリーが病死。文六は男手ひとつで巴絵を育てなければならなくなる。小説は、1925年の巴絵の誕生に始まり、51年の巴絵の結婚で終わる。戦前・戦中・戦後という時代の移り変わりもそこに描かれている。
読みどころは父子家庭の大変さ。とくに印象的だったのは、麻里が小学校の寄宿舎で重い肺炎になってしまう場面。でもやがて、救世主が現れる。文六は静子という女性と再婚し、静子は麻里を育て上げる。文六は仕事をしながら、ふたりをただ傍観するのみ。後半の主題は「娘と静子」。
小説中の人名や学校名は実名ではない。たとえば、ミッションスクールの白百合は白薔薇、マリーはエレーヌになっている。巴絵も、母親マリーの名をとって麻里。後妻の静子は千鶴子として登場する。残念なことに、静子は巴絵の結婚の前年に亡くなった。本書は「亡き静子に」捧げられている。
(タイトルは、有名なミュージカル『王様と私』のもじりなのかも。ミュージカルの初演は1951年。連載の直前だし、文六は演劇人でもあったので。)
Posted by ブクログ
フランス人の妻に先立たれ、六歳の娘と二人きりで残された著者が、大人になった娘を羽田からフランスへと飛び立つのを見送るまで。
自伝的小説である。
固有名詞などは変えてあるが、そこに描かれた心情は紛れもない真実であろう。
主婦に先立たれ、仕事も駆け出しで収入も乏しく、育児と不慣れな家事、しかも子供は病気ばかりする。
ーー仕事に没入できず、神経衰弱になりかかった。父親は事業を愛すると共に、子供を愛したい。どっちが大切というのではない。別のところから出る愛であるーー
今、片親で子供を育てている人にとっての厳しい現実と変わらないだろう。
著者は、極論で「娘のため」に再婚を決意する。
家事の負担は減ったけれど、継母と娘と私の、新たなる日々が始まった。
戦争があり、疎開があり、都落ちと、戦争小説を書いたことにより戦後の処分に気を揉むなど、自分には絶えず不幸が襲いかかるような気がしている。
気がつけば、妻との関係性も変わってきていた。
つくづく、暮らしという毎日の積み重ねによって、人は、家族の関係は、変わっていくものなのだと思う。
娘の結婚式にすでに妻はいない。娘を育て上げた一番の功労者は、ウェディングドレスを見ずに一生を終わってしまった。
失って初めて気づくものもある。
愛情と感謝とともに心の中で、娘の結婚式に妻も列席させた。
その後、著者はあっさりと三度目の結婚をするのだが、この本は、「私の娘を育てるために、一生を送ってしまった」二度目の妻に献げている。
Posted by ブクログ
『砂糖の用い方』に大変感銘を受け、次に読んだ獅子文六。好きだなぁとしみじみ思う。
なんだろう。ユーモアがあり、例えが上手で、戦前戦後の日本を見てないにも関わらず目の前に広がるよう。ちょっとひねくれてて、喜怒哀楽が豊富で人間味のある文章。
長いけど、夢中で読めてしまう。
Posted by ブクログ
GWを利用してやっと読み切れた!
獅子文六にハマって約2年。ちくま文庫で近年復刊された作品を読み漁り、評伝や企画展などで彼の生涯を知ったうえで、今だ、と思って読み始めた私小説「娘と私」。
タイトル通り、娘とのエピソードが中心なのかなと思ったら、2番目の妻を迎え3人家族となった文六一家と、戦中〜戦後の自身の苦悩について詳しく記されていた。
あまりにも正直な感情を書きすぎていて、千鶴子さんに少し同情してしまう箇所もあったけれど、読み終えると、また違った感慨が湧いてくる。
カラッと明るくモダンな作品で世間を楽しませた流行作家が、私生活でこんなに苦悩し奮闘していたことに驚き。
牧村さんの解説の結び、巴絵さん(作中では麻理さん)について触れた数行に何故か泣けた。
Posted by ブクログ
本当に大好きな作品。父と娘の物語ってなんか惹かれるんだよな〜。
楽しいときもあり、辛いときもあり、でも、ひとつひとつのエピソードがとてもあたたかい。
一番好きなシーンは、娘が産まれた日。男の人ってこんな感じなんだろうな〜って、微笑ましくて、でも、じんわり涙が出てくるような。ラストもとてもよい。
そしてこの作品は「悦ちゃん」とセットで読むべし!
Posted by ブクログ
この父親、子供が小さいのに離れて暮らすと独身に戻ったように気楽になったり、生計が立たずまだ勉強したいと思ったり、30代はまだ子供だ、みたいに自分で言って、共感できるわー。子供が産まれたからって大人になるわけではない。育児ノイローゼの親は読んで気楽になってほしい。でも、再婚した妻と新婚旅行の夜に避妊薬わたすなんてがっかりさせてくれるわ。風俗にも悪びれず行くし、こんな家族の話の中で平気でこういう行動を書かれると、男ってほんと人間として生まれて偽善者として育つものなんだなと思う。
それにしても、新しい妻との間に子供が生まれることと自分の前妻との子のことで勝手に葛藤して、どこまで自分の世界に生きてるのやら。でも子持ち再婚の男はこんな気持ちなんだなとわかったのは良かった。
マリの結婚相手が年下なのを、10才以上年下の妻が婆さんくさく見えてきたから不安なんてほんとこの男はあきれるね。
Posted by ブクログ
「この作品で、私は、わが身辺に起きた事実を、そのままに書いた」とあり、今まで読んだ獅子文六作品よりも抑制した文章で綴られている。
題名から想像していた“娘と自分”とのこと以上に、“再婚の妻と自分”とのことに比重が置かれていて、それに関して「自跋」で明かされているし、本書の献辞もその亡妻に贈られている。
作者は出来るだけ包み隠さず、率直にその時々の心情を振り返って語ろうと努めたのだと思う。「私という人間は、子供だとか、妻だとかのために、犠牲となることを、喜びとするような風に、できあがっていない」と記す、個人主義で我儘でへそ曲がりの作家の、時に妻や娘がいなかったらと我が不自由を嘆き、時に愛情や思慕を抱く、その何れもが偽りのない本心であるだろうところに、作者の誠実さが伝わってきた。
Posted by ブクログ
前半の部分は獅子文六とは何と身勝手な男だろうと思って読んでいました。
でも話は最初から興味深くて引き込まれて行きました。
読み進むうちに獅子文六の娘に対する深い愛情があふれている事が分かってきます。
獅子文六が結婚という制度に向いてないことや、
子育ても出来る事なら放棄したいという気持ちを持ちながら後半では立派に娘を嫁に出し終えてほっとしているが少し寂しい気持ち等が素直に書かれていて、好感が持てました。
獅子文六の生き方も素敵でした。
もっと早くこの小説を読んでいたら男心が理解出来たかも知れません。
この本を読むのに10日間もかかりました。
少し長いですが、毎日サクサクと読め、私的には久しぶりのヒット作で面白かったです。