あらすじ
悦ちゃんはお転婆でおませな10歳の女の子。ちょっぴり口が悪いのはご愛嬌、歌がとても上手で、周りのみんなも目が離せない存在。早くに母親を亡くして、のんびり屋の父親と二人で暮らしているが、そこへ突如、再婚話が持ち上がったから、さあ大変。持ち前の行動力で東京中を奔走、周囲を巻き込みながら最後には驚きの事件が! ユーモアと愛情に満ちた初期代表作。
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昭和初期の本。中古で買い、古さも手伝って面白くなさそうでしたが、内容は良かったです(ギャップもあるかも)。貧乏生活を乗り越える話というか、とにかく記憶に残る1冊でしたね◎
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昔の話し言葉と、悦ちゃんの真っ直ぐさ、人情味溢れる登場人物達。
時代のパワーなのか、活力が湧いてくる本。
なんとも形容し難い、今の時代にはない実直さ。
大好きな本になりました。
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三年前に妻を亡くした“碌さん”の元に、再婚話が持ち上がった。
碌さんの姉が勧めるお見合いのお相手日下部カオルさんは、お金持ちで頭が良くて美人だけれど意地悪そうで、10歳になる碌さんの娘“悦ちゃん”を可愛がってくれそうにない様子。
ちょっぴり口の悪いおませなお転婆娘悦ちゃんは、デパートの水着売り場の優しいお姉さん鏡子さんを大好きになってしまい、彼女を碌さんのお嫁さん、すなわち悦ちゃんのママになってもらおうと大奮闘します。
この作品は昭和11年に報知新聞に連載された新聞小説で、耳慣れない言葉や仮名遣いもあるけれどさほど古臭さを感じさせず、当時の雰囲気が魅力的に伝わってきて、とても楽しく読むことができました。
生き生き、はつらつとした文章で、作者のユーモアが冴え渡っていて、次々と先へ進みたくなります。
吞気な碌さんにやきもきさせられる反面、悦ちゃんの切なる願いがいじらしくてとても可愛い。子どもの手紙って、どうしてこんなに感動するのでしょう。
最後まで楽しく読めるはず、だったのに、フィナーレでうるっとさせてくれるなんて…。
この物語は、温かくて、忘れられない一冊になりそうです。
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通勤中に読む何か軽い読み物をと思って、獅子文六の初期作品。可愛らしくもおマセな10歳の女の子「悦ちゃん」が父親の再婚相手選びを巡って東奔西走大活躍する。ユーモアとバイタリティに溢れた悦ちゃんが何とも魅力的で、戦後、決っして楽ではない生活を送る多くの日本人に元気を与えた物語ではないだろうか。
獅子文六と言えば相場師を描いた「大番」ほか何作かを読んでいるが、いずれも面白くて気に入っている。もう何作か読んでみよう。
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どういうわけか私、獅子文六って関西の作家だと思っていました。
だからお母さんがいなくてお父さんとふたり暮らしの小学生の女の子・悦ちゃんって、じゃりン子チエのイメージだったんですよ。
悦ちゃんは東京生まれの東京育ち。
中野に住んでいますが、ショッピングに行くのは銀座のデパート。
あ、これ昭和11年に発表された作品なんです。
お父さんは歌謡曲の作詞者。
ただしあんまり売れてはいない。
なのにそろそろ再婚しよっかなあ、なんて思って、金持ちと結婚した姉を頼る。
万事に頼りなく、人任せなのである。
で、大銀行の一門の出で、学があって、美人のお嬢さんに惚れられて、さくさく婚約となる。
いや、悦ちゃんが反対しているからさくさくではないか。
悦ちゃんは悦ちゃんで、新しいママは欲しいのである。
だってまだ10歳。
甘えたいお年頃なのだ。
だから悦ちゃんは自分で新しいままを見つけてきた。
銀座のデパートで働く鏡子さんだ。
昭和11年の新聞小説なのですが、思った以上にハイカラ。
2.26事件の起こった直後で、日本が急激に軍国主義に傾いたと習ってきましたが、悦ちゃんは「パパ」「ママ」と言う。
後に悦ちゃんは歌手デビューしますが芸名は「日本のテムプルちゃん」。
当時シャーリー・テンプルが人気だったのね。
ジャズを聴いたりダンスを踊ったりのシーンもある。
悦ちゃんが見つけたママ候補の鏡子さんもまた、幼い頃に母を亡くし、継母に育てられる。
けれども義理堅いお藤さんは、実子のお琴ちゃんよりはるかに鏡子さんを大事にする。
”何事でも、鏡子さんファーストである。”
え?この文章、昭和11年の文章?
金持ちの従兄弟たちと悦ちゃんを比較して
”悦ちゃんを胡椒(パプリカ)娘とすれば、ふたりは砂糖息子にキャラメル娘というところだろう。”
昭和11年にパプリカがあったんだ…。
デパートに海水着を買いに来た悦ちゃんが試着するシーンでは
”やがて彼女は、ドレスを脱ぎ始めた。クリッパーも脱いだ。最後に、おズロも脱いでしまったのは、まア子供だと思って、大目に見て頂きたい。”
おズロっていうのはズロース、つまりパンツのことだと思うのだけど、クリッパーがわからなかった。
多分前開きのシャツ(下着)のことなのではないかと。
悦ちゃんは言葉使いが悪い。
「ママは天国へ行ったッて、この前、いったじゃないか。じゃア、地面の下にいるわけはないぜ。ハッキリしてくれよ」
これが大人になると鏡子さんのように
「あら、そンなことありませんわ。お琴ちゃんだって、年頃になれば、きっと綺麗になりますわ。まだ子供ですもの、そンなこと仰有ったッて、むりですわ」みたいな喋り方になるのだろうか。
ふり幅ひどくて戸惑っちゃう。
笑っちゃったところ
”ウむ、腹が立つ……ヌケヌケと自分をだました柳の奴が憎いが、ここにいるこの女も、可愛さあまってすこぶる憎い。二人とも平均して、めちゃくちゃに憎い!”
それって平均するものなの?笑
いろんな意味で楽しめました。
Posted by ブクログ
※NHK土曜時代ドラマ「悦ちゃん 昭和駄目パパ恋物語」についてのレビュー。
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さえない作詞家の中年男に突然訪れた、 人生最大の「モテ期」。
・・実はそれは、亡き妻の忘れ形見、10歳のおてんば娘が仕組んだことだった!
ほのぼのコメディ・ドラマ。おてんばで父想いの悦ちゃんと、自由人で娘想いの碌さんの温かい親子の絆を描く。
体たらくな碌さんのため、ママ探しに奔走する悦ちゃんが健気で可愛らしい。
そんなある日知り合った心優しいデパガの鏡子さんは、やがて碌さんと相思相愛になり、悦ちゃんもすっかりお気に入り。
しかし鏡子さんは、男手ひとつで育ててくれた職人の父親の薦める結婚話を断り切れない。
そのうえ碌さんは、姉から紹介された財閥令嬢に惚れられて、姉夫婦と令嬢家族は結婚話をどんどん進める。
周囲の人を慮る碌さんと鏡子さんは、想いと裏腹に次第に距離を置き始める。二人と悦ちゃんの行く末は・・・。
普段 人に迷惑をかけないように生きる碌さんと鏡子さんが、自分の想いを貫いて結ばれるラストはまさに大団円。
幸せそうな悦ちゃんの笑顔にこちらも自然と笑みがこぼれる。
ほのぼのとした幸福感につつまれるお話でした。
Posted by ブクログ
最初から最後までずっと楽しかった〜。
登場人物それぞれが人間臭くて、愛着が持てるキャラクターだった。
おませな悦ちゃんに呑気なロクさん、美人で苦労人のお鏡さん。みーんな幸せになって欲しい!と願わずにはいられなかったな〜。
Posted by ブクログ
獅子文六の出世作。1936年7月から37年1月まで「報知新聞」に連載され、3月に単行本が刊行。すぐに映画化もされた。
父子家庭、碌三郎と娘悦子。モデルは文六自身。再婚を考える碌三郎に2人の女性も登場する。さしずめ喜劇風のホームドラマといったところ。
獅子文六は43歳になっていたが、彼の小説としては初期の作品。まだ粗削りで、どこかぎこちない。それに碌三郎は自分勝手で自己本位、魅力的には描かれていない。自分がモデルなので、魅力的には描けなかったのかもしれない。もちろん、その欠点を補うがごとく、悦ちゃんの才気煥発ぶりが強調されているのだが。
Posted by ブクログ
1936-1937年に報知新聞に連載された作品。新聞掲載一回分ごとに文章が区切れているので、通勤電車の中で読み継いでいくのにちょうどよかったです。落語を聞いているような読み心地。当時の音楽業界や銀座のデパートの裏側がかいま見えるのも面白いです。
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獅子文六、素晴らしい。めちゃくちゃ良い。メチャクチャ良いです。ドPOPと軽妙洒脱の極み。この素敵な軽さ、なんなんだろう。ビビっちゃう。
本当にまあ、驚きでしかないのですが、コレ、第二次世界大戦前の作品なんですよね。この作品が、リアルタイムで新聞連載されてたのが、1936年(昭和11年)7月から1937年(昭和12年)1月まで、だそうです。おっとろしい。昭和10年代の作品なのか!?コレが。有りえないよ、って思う。なんなんだこの古びなさは。奇跡的です。
個人的に勝手に思うだけなのですが、この作品の舞台設定に、スマホとネットとあとなんか最近のもんをシレッと登場させて、2021年新春注目の新人作家の作品です!って明日から売り出したら、多分、売れると思います。昭和10年代の作品が。この2021年新春の目玉新作として。「何これ?これオモロいやんか!」って。それぐらいに、なんだろう?本当に、なんというか「圧倒的に瑞々しい」ってね、思いましたね。ええ。あくまでも勝手に思っただけですが。
あと、音楽で無理やり例えると、獅子文六って、「永遠のポップス」だと思います。ビートルズやビーチ・ボーイズより以前の雰囲気があります。すなわち、オールディーズ。1950~60年代の、アメリカンポップス。ロックンロール、ではない感じ。とにかく、ポップス!ポピュラーミュージック。って感じ。問答無用の大衆娯楽。いわば、いっちゃん凄いヤツ。
ニール・セダカ「恋の片道切符」。コニー・フランシス「バケイション」。ポール・アンカ「ダイアナ」。エルビス・プレスリー「冷たくしないで」。ジーン・ピットニー「ルイジアナ・ママ」。などなどね。
あっこらへん。あっこらへんの時代の、珠玉のポップソングと似ている。もうね、オールディーズのゴールデンポップスと相通じまくり。ここには永遠に古びない何かがある。マジでそう思う。自分が、そんな音楽ばっか流れてる職場で働いてるんで、そう感じるのかもしれませんが、、、
めちゃくちゃ失礼なこと言いますけれども、オールディーズの名曲の歌詞って、ホンマにしょーもないんですよ。良い意味で。バリ牧歌的。ばんばん平和。「海だの山だのバカンス遊びたい~♪」「可愛いあの娘にフラれてツラい~♪」「俺の彼女はマジ最高~♪」「一晩中パーティーナイトでガハハしようぜ~♪」みたいな。
バンバン単純。あっけらかん。「むう、、、人生とは、、、なんぞや、、、?意義のある人生とは、、、人はいかに生きるべきか、、、」なんて、なーんも考えてないんですよ。お気楽極楽一直線。だがそれがいい。そのお気楽極楽さが突き抜けて、永遠の魅力を得ている訳ですよ。それがオールディーズ。
で、ホンマに失礼ですけど、獅子文六の作品も、「七時間半」「コーヒーと恋愛」「悦ちゃん」と三作読み進んできましたが、おっとろしく、良い意味で、しょーもない内容なんですよね。バリ平和。めちゃ深刻に書けるであろう内容を、テーマを、ここまでお気楽極楽にスチャラカに書くかね?という平和さ。この「悦ちゃん」も、意味わからんほどホノボノご都合主義。なんなんその展開?ってのばっかり。
でも、それ、おそらく、わざとですやん?ワザと、獅子文六、このお気楽路線で書いている。プロとして。「あっしの作品、シャッチョコばらずに、すっかーんと楽しんで読んでおくれやす」みたいな、私はあなたを楽しませますよ!的な決意を、感じるんです。勝手に。
ええ、勝手に感じました。あくまでも僕が勝手に。勝手に感じてゴメンナサイね。でも感じるんだから、しゃあないやん。すまんですね。
なんなんだろうなあ、この文章は。自分は、町田康の文章が、文体が凄く好きなんですよ。で、それと獅子文六の文章は全然違うと思うんですが、なんらかの共通してる感じの「個性」は、バンバン感じますね。勢い、というか。文字が活きている。みたいな。活きの良いとはこのことか、みたいな。ホンマにね。ピチピチしてるんですよ、文章が。というか文体が。というか文字が。この文章は文体は、魚で例えると刺身だな、みたいな感じ。煮たり焼いたりしてない。海から獲ってきたそのまんま。謎な表現ですけど。凄いな、って思う。なんでこんな文章を書くことができるんだろうなあ。
獅子文六、おっとろしい人ですね。いやもうなあ。温故知新とはこの事です。ちょっと、この人の作品に出会ったのは、2020~2021年における個人的な最大のエポックメイキングな気がする。いやもうね。感動。間違いなく、ええエネルギーを、くれてます。それってもう、いっちゃん素敵なことですやん?いやもう最高だよ獅子文六さん。一生、この人のことを、尊敬しますね。
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途中、碌さんがロクでもないわカオルさんが憎らしいわ悦ちゃんが可哀想だわで泣きそうになった。
夢月やカオルさんはもっと懲らしめて欲しかったけど、鏡子さんが幸せならそれでいいや!
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悦ちゃんが可愛い。悦ちゃんの境遇にはらはら、父親・碌さんの体たらくにイライラ。悦ちゃんがどうなるか、先が気になって一気に読んでしまった。大人達の物語はご都合主義的ではあるけれど、まあご愛敬。ラスト、何とも悦ちゃんらしい一言に、拍手喝采。「よかったね、悦ちゃん」って声をかけたくなった。
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どうしてこんなに噛み合わないのとヤキモキしな
がら読んだ。
それでもいい家族だと思えるのはお互いがお互いを思っての行動だから。
当人たちの真剣さが可笑しくてたまらなかった。
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ドラマが良かったので読んでみた。原作のほうがパパの駄目振りが際立ち、夢月やカオルさんもより一層嫌味が増している。悦ちゃんの奔放ぶりや池部夫妻の義理人情ぶりも、すべてデフォルメされている。そのせいか落語を聞いているような面白さがある。現代人は直ぐにリアリティを追及してしまうが、フィクション故に感じるものもあると思う。
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理想のママを探す悦ちゃんの奮闘。見合い相手に振られたパパは大阪に行っちゃって…
ストーリー展開はさすがに時代を感じるが、世相や情景はモダンで明るくてすがすがしい。
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こましゃくれた口の悪い悦ちゃん10歳。父に勧められて読んでみた。
ママがいない切なさ、パパへのツッコミ、カオルさんや伯母さんへの悪態などなど、悦ちゃんの姿に心を痛めたり笑ったりしながら一気に読んだ。
読んだら誰でも悦ちゃんに会いたくなるはず。
父が「悦ちゃんには幸せになってほしいよ。」と言った時、私も本当にそうだと思った。
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生意気で気が強い悦ちゃんはパパと二人、気ままに暮らしていたが、ある日パパが再婚することになって…
フランス映画のような洒落た出だしから東京の下町の様子にスライドしていく様は見事。
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次回の読書会課題図書。
「獅子文六」の名を読書会で聞くようになってから気にはなっていたけど手に取ったことはなかった。
昭和初期の文豪と言えばいろんな名前が浮かぶが、40を越えてから初めて知った作家さん。聞くところによると、軽い文体で読みやすいらしい。
…の、わりに分厚くない?
以前、本屋さんで「娘とわたし」を見かけたんだが、分厚かったので買わなかったんだよな。
今回は課題図書なので、否応なく獅子文六デビューしてみた。
舞台は1930年代後半の東京。
主人公の悦ちゃんは、2年前にママを病気で亡くした10歳の女の子。天真爛漫で少しおマセな彼女は、歌謡曲の作詞で生計を立てるパパ、碌さんと暮らしている。
碌さんは再婚は考えていなかったが、奥さんの3回忌が済んで少し心持ちがかわり、親戚の勧めもあって、裕福な家柄でインテリ美人のカオルさんとお見合いをする。
一方、親戚のお誘いで夏の避暑へ出かけるため、悦ちゃんの水着を買いに出かけた「大銀座」で出会ったデパートガールの鏡子さんに、悦ちゃんは新しいママになって貰いたいと熱望するんだが…、
という感じで物語ははじまる。
確かに軽いタッチで読みやすい。
分厚いと思ってたけどぐんぐん読めるし、昭和初期の古い慣習や、当時の言葉遣いもそれほど気にならないくらい、展開も面白い。
おお、コレが獅子文六か!
ラスト3/4くらいは目まぐるしい展開で、頁を繰る手が止まらない。
読み終えてから、「テンプルちゃん」というワードが気になっていろいろ調べてみたが、これも興味深かった。
そしてハタと思った。
この時代って、第二次世界大戦の直前なのでは?
「悦ちゃん」が新聞連載で始まったのが、1936年7月。翌3月に講談社から刊行されたらしい。
物語の中で語られていた、テンプルちゃんことシャーリーテンプルが1929年生まれで今年9歳というのだから、舞台の時代は1938年?
いずれにせよ、世界的にナチスが台頭してきて不穏な空気が包んでいた時代。
ついでに言うなら連載の始まった年の2月に、あの2.26事件が勃発しており、国内にも不穏な空気が満ちていた時期の作品という事になる。
基本的には禄さんの再婚を巡るドタバタ喜劇な内容だが、資本力のない10歳の子どもが…いや、資本力がなければ大人でさえ、明日どうなるかわからない日常の不安な感じ、リアリティのある焦燥の気分はところどころに感じられる。
ラストの大団円に多くの文字数を割かず、なんとなくふんわり終わっているのも、今までの喜劇的で軽快で時に饒舌な印象も受けた作品の展開からは、少し不自然な感じがした。
時代背景に気を取られてちょっと深読みしすぎたかな?
これまた知らなかったけどこの作品、
ドラマ化や映画化もされてたみたい。
鏡子さんの愛らしい姿、カオルさんの水際立ったブルジョワな衣装や、街ごとに違う東京の様子、悦ちゃんの歌声の素晴らしさなどなど、確かに映像で観たくなる。
ここに時代背景とのコントラストを考えるとさらに興味深い。
獅子文六、面白かった!
Posted by ブクログ
獅子文六初の1936年から連載された新聞小説。当時ののんびりした世相を表しているのか、文体が現在と違う趣がありました。
妻に先立たれた33才の売れない作詞家碌さんが少し駒茶くれた10才の一人娘悦ちゃんが後妻候補を巡っててんやわんやのお話し。
才気溢れる悦ちゃんを嫌う美人の薫嬢、悦ちゃんがお母さんになってと願う慎ましくも美しいデパートガールの鏡子さん。
そこに持参金5万円と薫嬢の美しさに夢中になった碌さん。
結末はハピーエンドのお後よろしいお話しでした。また、最後に悦ちゃんが継母をママとハハが一緒になったのだから、一番いい
お母さんとまるで落語の落ちのようなエンディングに当時の新聞の読者も満足したのだろうと思いを馳せました。