獅子文六のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
昭和の時代背景が漂うユーモアたっぷりの恋愛小説。主人公、モエ子はドラマの人気端役だが、物語もテレビドラマを観るような感覚で読んだ。
43歳のオバさん(作中ではおばあさんとまで言う)が主人公の恋愛話は余程変わっていると思うが、その展開も中々新鮮で、恋愛心理だけを延々と書き連ねながら表向きのエピソードはほぼ皆無に近い恋愛小説とはちがって展開を楽しむ事もできる。登場人物それぞれが、人物像を持ち、説得力があり、そして皆に共感できるところは流石と感じる。
60念前の小説だが、文体はここまで違うか、と思うほど。嫌いではなく、むしろ味わい深いし、面白い言い回しに感心する。終盤の物語のまとめ方がとても好きです -
Posted by ブクログ
ネタバレ獅子文六、素晴らしい。めちゃくちゃ良い。メチャクチャ良いです。ドPOPと軽妙洒脱の極み。この素敵な軽さ、なんなんだろう。ビビっちゃう。
本当にまあ、驚きでしかないのですが、コレ、第二次世界大戦前の作品なんですよね。この作品が、リアルタイムで新聞連載されてたのが、1936年(昭和11年)7月から1937年(昭和12年)1月まで、だそうです。おっとろしい。昭和10年代の作品なのか!?コレが。有りえないよ、って思う。なんなんだこの古びなさは。奇跡的です。
個人的に勝手に思うだけなのですが、この作品の舞台設定に、スマホとネットとあとなんか最近のもんをシレッと登場させて、2021年新春注目の新人作家 -
Posted by ブクログ
昭和30年代、東京―大阪間を7時間半で結ぶ特急「ちどり」の中で起こるユーモラスなドタバタラブコメディ。
食堂車でウェイトレスのリーダーである藤倉サヨ子とコック助手・矢板喜一のすれ違い気味な恋の行方、美人乗務員・今出川有女子と彼女に思いを寄せる大阪商人・岸和田社長、大学院生・甲賀恭雄、結核療養所で静養中の佐川英二という3人の男。
旧子爵家の娘である有女子は3人を手玉にとりながら、喜一にもちょっかいを出し、サヨ子と対立する。
さらに、列車には総理大臣が乗り込み、あろうことか、爆弾が仕掛けられているという情報が流れ列車内はパニックになり、サスペンス小説の様相も呈してくる。
60年安保の世相を反映した -
Posted by ブクログ
ネタバレ友人から紹介されて読みました。
獅子文六さんの作品は初めてでした。
電車の中の7時間半の中での人々の心の動きを描いた物語です。
藤倉、今出川、という女性の人間性の対比が描かれておりました。実際こんな人いるよな、と思いながら読んでおりました笑
女性にも好かれる女性、女性から嫌われがちだけど、その美貌から男性から寵愛される女性。僕は前者のほうが好きです笑なんかほっとする人間性の方なんだろうなと思いました。
それとこの作品のテーマは「すれ違い」なのかなと思いました。
ちょっとした出来事でも、その人の想いはがらっと変化してしまう。その変化の結果、お互いに通じ合っていたと思っていた状況が変わってしま -
Posted by ブクログ
ネタバレ神奈川近代文学館で催されていた「没後50年獅子文六展」へお邪魔する前に、『娘と私』『コーヒーと恋愛』以外の文六作品も読んでおこうと手にした本作。
横浜中華街も旅程に組み込まれている中、舞台は横浜、そして解説がかなぶん学芸員の方だなんて何たるお誂え向き!
売れっ子作家だった彼の作品は、本当に退屈と無縁だ。
近代文学と言う堅苦しい響きから程遠い所で、個性豊かな登場人物達が群像劇を繰り広げる。
悲劇も喜劇然として、頁を閉じる度に惜しくて堪らない読書も久々だった。
<Impressed Sentences>
—亮子も、心細かったろう、この六年間。
妻を労わる気持ちが湧いてくるのも、久振りのことだった -
Posted by ブクログ
主体性というものを持たず
「先生」のいいなりに利用されてきた男が
戦争の時代を経て、侮辱されていると気づき
呪縛を脱していく話
自我の目覚めというよりも、絶望からくるニヒリズムなんだが
1950年代の日本では、これが大変に売れて映画化もされた
話の舞台となった宇和島市では
作品にちなんだ饅頭が、今も土産物として売られている
「先生」の推薦で、軍の情報局に勤務していた主人公は
戦犯として逮捕されることを恐れ
やはり「先生」の勧めで
惚れた女に心を残しつつも
東京から愛媛県の南予地方へと逃れるのだった
長閑な田舎ぐらしのなかで東京者は珍しがられ
いろいろといい思いをさせてもらううちに
「先生」へ -
Posted by ブクログ
「この作品で、私は、わが身辺に起きた事実を、そのままに書いた」とあり、今まで読んだ獅子文六作品よりも抑制した文章で綴られている。
題名から想像していた“娘と自分”とのこと以上に、“再婚の妻と自分”とのことに比重が置かれていて、それに関して「自跋」で明かされているし、本書の献辞もその亡妻に贈られている。
作者は出来るだけ包み隠さず、率直にその時々の心情を振り返って語ろうと努めたのだと思う。「私という人間は、子供だとか、妻だとかのために、犠牲となることを、喜びとするような風に、できあがっていない」と記す、個人主義で我儘でへそ曲がりの作家の、時に妻や娘がいなかったらと我が不自由を嘆き、時に愛情や思慕