津原泰水のレビュー一覧
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不思議な感覚で意識が曖昧、頭にモヤがかかった状態で読むとなんとなく理解できる。そして文豪作家より読みやすいと思ったら少女向けの小説も書いていた作家。羅刹国という夢の中の精神世界とでもいうのか、そこは砂漠で最終を探すため歩き続ける。留まる事は死を意味する。
死に至った主人公はまた羅刹国に戻っていたそこで話は終わるが本当はまだ続くらしいが完結する前に作者が亡くなって未完のまま出版された。
でもこのまま終わっても読み応え充分な作品で羅刹国の描写や主人公の心情は理解できるしもっと深い意味があるという余韻に浸る事ができる。
初期の精神疾患を患っている設定なのか常軌を逸していないので理解不能には至らない作品でした。 -
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ネタバレいつまでも目覚めることができない悪夢のような小説だった。
けれど流れるような美しい文章にスーッと吸い込まれていくようで、読んでいて苦にならない。語り手が冷静で、あまり感情的でない点もいい。難しくてなんのことを言っているのか分からないシーンもあるのに、読む速度が落ちないのが不思議だった。
自暴自棄のような木根原の生き方も、すべては娘の事故から始まったと分かった瞬間に嫌悪から同情に変わった。第一章の終わりで、死んでいく娘と語らうシーンは特に良かった。娘と父親だけが知っている美しいシーンだった。この別れのためにあの幻覚があったのかと納得した。
第二章で理沙が消滅していないことが判明したときは鳥肌が立ったし、第三章でまたあの浜辺の家に入るときも胸が潰れそうだった。要所で、幼い理沙の大事な思い出が鍵になっていることが切ないのだ。理沙に繋がるシーンはいつも良い。
テクノロジーが発達した世界では価値観も変化していくと思うけれど、そこに生きるのが人間である以上は根本的には変われない気がする。たとえ現実が一致していても、他人と認識が一致しているとは限らないのは今も同じだ。 -
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理恵は十二歳のとき、崖から叔父を突き落として殺した。高校生になった理恵は、見知らぬ少年に「人殺しのくせに自分が鬼だと気づいていない」と言い放たれ、自分の額に二本の角が生えているのを知る。それから理恵の夢は角を持つ者たちが互いを貪り合う〈羅刹国〉へと通じるようになった。2000〜2001年に発表された作品の初の書籍化。
未完扱いらしいけど本当に続きを書くつもりあったのかな。確かにもう一段深いところへ潜り込んでいくところで終わっているようにも思えるけど、強烈だけど魅力もある悪夢から、灰色で虚無的な現実に着地する宙ぶらりんの余韻が相応しい作品にも思える。空想的な飢えと争いから、現実的な経済と労働へ。羅刹国が単なる現実逃避とは異なるからこそ読後に苦味が広がる。
発表順的には『ペニス』の次の作品だったと知ると、なるほど女子高生版『ペニス』だなという気がしてきてしまう。猥雑な世界を分厚い氷の壁越しに見ているような『ペニス』の文体に対して、本書の文体はじっと水鏡を覗き込んでいる気分になる。それは羅刹国が罪悪感の成れ果てであると同時に、露悪的なナルシシズムの表出だからかもしれない。ただ、水面は時折揺れるだけでひたすら静かだ。
叔父との関係は明確に描写されないものの、「崖から突き落とした」は性的にまなざされることへの抵抗を表しているとも取れる(叔父を好きだったことと、妻の身代わりとして性的な相手をさせられることに同意できるかは当然全くイコールにならない)。情報開示の順序から母親の態度によって引き起こされたかのように思える過食症は、本当はより深いトラウマ——自分が被害者だと認めることすら難しくて、加害者になったと言い聞かせるしかないようなトラウマによるものだという物語なのではないだろうか。同じく角を持つ上級生、教師、精神分析医の人格造形はそれを示唆しているように思う。あるいは角は精神疾患によるスティグマを表すものでもあるかもしれない。
傷つけられたと認めるより傷つける側になるほうがプライドを守れるという矛盾。その捻くれた〈被害者意識〉がピノキオの鼻よろしく伸びていったのが角であり、恐怖と悪意の国を生みだしたということなのか。ボスニアの内戦になぞらえて書かれたと知ってしまうと、今はイスラエルという羅刹国のことを考えずにいられない(連載期間中に911も起きている)。
死に憑かれた少年少女の暗い青春小説として読めば乙一の『GOTH』とも共通するところがあるが、『GOTH』にあるロマンティックな陶酔感は全くない。『羅刹国通信』というタイトルからして、津原先生自身はきっと中井英夫の『人外境通信』を意識してらしたのだろう。このあと『少年トレチア』が書かれたことを鑑みると、中井英夫にとっての戦後のようなものとして世紀末とミレニアムを捉えていたのだろうか。 -
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解説の方は自己完結的なフィクションだと最初思ったと書いていたけれど、私には最初からこれは社会と人のありようを示した寓話のように思えた。本当は対立がないかもしれないところに二項対立を自ら作り出し、どちらかの側に着くと決めて戦う。それがいつの間にか生きるよすがになっている。多分、そうしている方が楽だから。でも、その二項対立を超えて次の世界へ至る様がラストシーンなのだろうと感じた。きっとそうする力が、個人にも、社会にも、あると信じたいという気持ちが結実したようなラストだった。読み終えてしばらく、感慨に耽ってしまって動けなかった。きっと折に触れて思い出し読み返す作品になるだろうと思った。(人によって解釈は違うかもしれない)
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圧倒的なまでの90年代の香りを醸し出す作品。
バブル期日本の思想が無く、目的もなく、ひたすら周りよりいかにイケてるかという軽薄なかっこよさと同時に存在する虚無感と死への誘い。
岡崎京子のリバーズエッジや岩井俊二のリリィ・シュシュのすべてを思い出さずにはいられなかった。
解説でラストがオープンエンドであることに触れられていたが、エヴァにしろ何にしろこの時代の作品はオープンエンドが多い。結局目指すべき方向性とその基となる思想を失っていた時代なのだからきっちりとした結末を用意できない事は仕方がない。
心地よいナルシシズムと表裏一体の自己破壊願望を存分に堪能しつつも、やはり時代と寝た作品でもあると思った。 -
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ネタバレどの短編もそれぞれの個性があって濃厚だが読みやすかった。意味はわからなくてもなんだか頭に残るという作品が多い。たぶん最後の一行が余韻を残しているのだと思う。
書かれている女性たちがリアルな女の姿に思えた。こういう人いるよね、となんとなく思うことが多かった。
全部良かったけれど「五色の舟」「手」「クラーケン」「YYとその身幹」「土の枕」が印象的かな。
中でも「土の枕」は凄いと思ったが、まさかほぼ実話とは!
戦争で混乱しているときならあり得ることなのかもしれない。偽りの身分で騙し通したこと、本当の名前をもう自分以外に知っている人はいないこと、奇妙な虚しさに包まれた。
私は、自分が何者かを決めているのは名前のような気がしていて、だから本当の名を名乗れないまま死ぬのはかなりの苦痛が伴うだろうと想像した。 -
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例えばこういった感想のようなものを書いていると、自分の文才の無さに絶望的な気持ちに陥ってしまうのですが、津原泰水は文章を綴ることが楽しくて仕方がなかったのだろうなと思わせるような多様な文体で楽しませてくれます。
幻想小説というのは、ストーリーよりも、その文体が持つアトモスフィアによって成り立つものだと常々思っていたのですが、まさにその通り。どの作品も作品の中に溢れる空気がもう違います。
ただ、興味深く読んだのは、「赤仮面傳」「玄い森の底から」「ドービニィの庭で」。僕自身はストーリー重視のようです。
津原泰水は川上未映子の「わたくし率 イン 歯ー、または世界」が本書収録の「黄昏抜歯」からアイデアを盗用していると指摘していたそうです。真偽は判りませんが両作品とも面白かったです。 -
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久しぶりに続編が出たのかと喜んだら出版社を変えての再版だった。だが書下ろし短編が加わっていたし久しぶりに津原さん作品の一筋縄ではいかない感じを味わえて良かった。
主人公はリストラされ再就職までの繋ぎとして祖母が営んでいた小さな〈玉阪人形店〉を引き継いだ澪。
だが資産家の坊で人形マニアな冨永と、謎の多い腕利き人形師・師村という二人の職人を得て、人形修復に店の主軸を移すと経営が軌道に乗り始める。
依頼人がモデルだという活人形と、少年が添い寝に欠かせないテディベア。大切なはずの人形たちが持ち主自身によって無残に壊されたのは何故かという第一話「毀す理由」。
この後の話も修復のために持ち込まれる人形を巡る謎が続くのかと思わせておいて、そうではないのは津原さんらしい。
第二話「恋は恋」のラブドールの話はミステリーというよりはその製作者・束前との出会いが主体だった。
第三話「村上迷想」の丹能家の殺人事件はガッツリしたミステリーなのだが人形の絡みは少なめ。
第四話「最終公演」は津原さんの『幽明志怪』シリーズのような不気味さがあり、書下ろしの第五話「回想ジャンクション」に至ってはホラーだ。
第六話「ガブ」では澪が師村の正体に迫る。個人的には本人が望まないものを無理に暴く必要はないのではと思うのだが、そのおかげで良い出会いもあった。そして澪はある決断をする。
最終話「スリーピング・ビューティ」はドタバタ喜劇のような話なのだが、最後の澪と冨永のやり取りは津原さん節全開。
冨永は本当に資産家の坊ちゃんだったのだなと改めて分かる。
初読がずいぶん前なので記憶が薄れていたが、冨永だけでなく師村も澪に結構失礼なことを言っている。まだ三十代半ばの澪に中年女と言う冨永に対し、姥桜という誉め言葉があるなどと塩を塗り込むようなことを言う師村。
今ならセクハラだなんだという話になりそうだが、澪も負けていないし上手く返しているので嫌な感じはない。
それから記憶していた以上に束前の存在感が大きかった。師村の正体に迫ったのは彼のおかげだし束前との交流は今後も続きそうだ。
師村と冨永が職人としての視点だけでなく人形を持つ者、愛玩者としての心理も読み解こうとするのが良かった。
澪は『なんの土台もないままこの世界(人形の仕事)に入った』わけだが、そうした素人目線も必要だろう。さらに束前に言わせれば『人を使う才覚がある』そうだ。二人が遺憾なく才能を発揮し気持ちよく仕事をしているのは澪がそうした環境を作っているからだろう。
詰めが甘いのは本人も自覚している通りだが、師村と冨永、束前など心強い仲間がいるから大丈夫と思える。
続編「たまさか人形堂それから」も創元推理文庫から間もなく出るらしい。読んでみよう。