中上健次のレビュー一覧
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ネタバレ女の一生。
あまりの緻密な描写に中上健次は実は女だったのでは?と疑うほど。2度読み返したが情景描写があまりにも美しくてうっとりする瞬間瞬間。
最初は説明描写が多いなーと思っていたが、気がついたら言葉の海で泳いでいた。
カルマの渦中で生きて行く生々しいフサの一生。
矛盾と心細さと強さが、その時の空気のままの母の姿と重なるように描かれている。
私は女なので、随所に出てくる男からの目線や性差を前にした時の無力、恐怖感、手籠にされることへの羞恥と恐れなんかがあまりにもリアルで、気味の悪さまでも感じるほど。
三部作も読み進めていきたい。 -
Posted by ブクログ
どうしようもなく暗い。救いがない。系譜としては長塚節の『土』の系列。ただ、地主から見ていない確かな土着性と現代性がある。本来『暗夜行路』の主人公だって、こういうふうにねじれてもおかしくないはずである。
生き変はり死にかはりして打つ田かな 村上鬼城 という俳句を思い出す。 「岬から山にあがったこの墓地に葬られている人々は、昔から、水は、雨水を飲み、海がすぐ目と鼻の先にあるのに船を着ける湾がなく、漁もできずに、暮らした。山腹を開いて畑を打ってくらしたのだ。」という文章が示すものはそれだ。
角川春樹と中上健次との対談で、角川春樹は熊野が褻の土地である、すなわち再生を孕むのだと指摘する。この峡暮らしに近い形がこの作品の本質で、個々人の境涯に落とし込んではならぬのだろう。(余談だが松本旭の指摘するように、村上鬼城においても、風土性の指摘が大事な所以である。) -
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とても複雑な血縁関係。どれも中上さん自身をモデルにされているらしく、母親が複数回結婚している人で、母親と初めの夫との間に出来た姉、兄、母親の今の夫の連れ子であった血の繋がらない兄がいる。そして主人公自身は母親と“あの男”と呼ばれている悪名高い男との間の子で、主人公には腹違いの同い年の異母妹が二人いる。母親は主人公がお腹にいる時にそのことを知り、その男とは別れ、しばらくひとりで行商をして四人の子供を育てたが、男手一人で男の子を育てていた今の夫と出会い、まだ小さかった主人公だけを連れて再婚した(四話ともどれも同じような血縁関係なのですが、「岬」に焦点を当てて書きます)。
この親族関係がドロドロの濃い関係で…。母親との血でしか繋がっていない姉達との憐憫を伴った絆。優しかったが、主人公だけを連れて再婚した母親と主人公を憎み、何回も母親と主人公を「殺してやる」と包丁で脅した挙句、首吊り自殺をした兄。全く血は繋がっていない、今の戸籍上の兄との絆。優しかったが、亡くなってしまった母親の最初の夫(姉達の父)の思い出。アル中である叔父(姉達の父の弟)。
一族は土方仕事の請負業者をしていて、汗と土にまみれた厳しい仕事である。仕事をしながら、仕事終わりの酒盛りをしながら、下ネタだらけの会話が飛び交う。主人公自身はそういう会話には極力加わらず、性に合った土方仕事に黙々と励んでいる。主人公の本当の父親は、地元の地主たちから山林を巻き上げた成金で悪い噂が絶えないが、それでもその息子である彼のことを親族たちは結構可愛がっている。けれど、主人公はいつもどこか居心地悪く感じている。「俺には“あの男”の血が半分入っている」ということを拭いたくて仕方ないのに、“あの男”との類似点ばかりを意識してしまう。そして、娼婦をしているという異母妹に「会ってみたい」という衝動にも駆られる。
逞しい母親を中心としたどちらかというと女系家族だからか、求心力は強く、例えば母親の初めの夫の法事に対する母親や姉たちの思いれとか、そこに直接繋がりはないのに協力してくれる義父や姉達の夫の懐の深さとか感じられるのだが、みんな根が弱いのか、お酒が入ると、親族を刺し殺してしまったり、法事の場で暴れ回ったり、自殺騒動を起こしたりというどうしようもないドロンドロンの世界。
最近読んだ、川上未映子さんの「夏物語」には、「父親が誰でも関係ない。育てるのは女なんや。」というようなセリフが出てきたり、どうしても自分の子供が欲しいから匿名の男性の精子提供を受けたりする女性の正当性?のようなことが書かれていた。また、逆に非配偶者間人工授精を秘密にして出産し世間体を保っている事例も書かれていた。しかし、中上さんの作品のこの小説を読むと、いやいや人が生まれて、生きて死ぬということは血なまぐさいことなんだ。どんな父親であっても「知らなくていい」ということはないんだ。たとえそのことでどうしようもなく傷ついたとしてもその事実と一緒に生きていかなくてはならないんだと思った。また、こういう問題は男性視点で書くのと女性視点で書くのとでは全然違うのだとも思った。
脱線するが、やはり文学って人間にとって必要だと思う。例えば出生の問題でいうと自然科学が進歩し非配偶者間人工授精が可能になったことで、恩恵を受けた人も沢山いるが、その手段を利用することが時と場合により正しいのか正しくないのか白黒つけるのが社会科学である。だけど、“自然科学”にも“社会科学”にも救われない人間の気持ちというのがある。文学はそれを“救う”とまでは簡単には言えないけれど、進歩し続ける文明の中で置いてけぼりにされる人間の心に寄り添うために“言葉”を使う立派な人文学だと思う。
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Posted by ブクログ
血と土地と宿命と
彼らはそれに縛られているのか?
はたまた誰よりも自由なのか?
縛られているとしたらそれは果たして本当に血なのか?
刹那的に生きることでしか彼らは生きられなかったのではないのか?
オリュウノオバの語りで三次元という小説の一般的な枠組みを超えて、物語は過去と現在と未来をつなぎ、路地から世界へと、全てが並列につながる。
この作品の到達点こそ、日本文学の誇りであり、改めて中上健次という圧倒的な才能に震える。
何よりこの作品には切実さがある。ここにある物語は語られねばならなかった物語たちなのである。
出会えて良かったと心から思う作品だ -
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表題作の『十九歳の地図』のみ読んだ。
19歳という子供でもなく大人でもない不安定な時期の鬱屈を、主人公がアルバイトの新聞配達で担当しているエリアの住民に悪戯電話をして発散する。
このようなテーマはありきたりに思えたが、「かさぶたのマリア」と近くに住む家族のギミックが面白い。予備校生として上手くいかず落ちていく主人公は、落ちた人達を嫌いながらも、その苦しさに否が応にも共感してしまう。中でも「かさぶたのマリア」の言葉がリフレインする場面ではそれが顕著だろう。
また、近所に住む夫婦は喧嘩ばかりしているが、セリフとして描写されるのは妻のセリフのみである。そして、この妻のセリフが主人公を痛烈に批判している。本作全体のリズムは、この外部の声によるところが大きいだろう。