中上健次のレビュー一覧
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表題作、十九歳の地図について。
素晴らしい読書体験だった。
ここには、青春のただ中にいる一人の青年の、本当のことしか書かれていない。
そう感じさせるのは、中上健次が、借り物の言葉ではなく自分の言葉で語っているからだろう。
僕は、今日が19歳最後の夜。
自分の、やりきれない十代の形にならない想いは、ちゃんと中上健次が分かってくれていた。
文学とは作品を読んで全体を俯瞰しながら分析するものではない。
言葉では表せない「何か」を言葉で読み、それによって読者は否応なしに心を動かされる。
悲しい物語でも、感動する物語でもないのに、心が形にならない涙を流す。
文学とは本来、そういうものだ。
作者は自ら -
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全集で難しいのは数多ある代表作の中から何を選ぶかということだろう。中上といえばよく引き合いに出されるのがアメリカ南部にある架空の地ヨクナパトーファ郡に起きた多くの人々と出来事を描いたウィリアム・フォークナーのヨクナパトーファ・サーガだが、中上がそのサーガの舞台としたのは、架空の場所ではなく彼の郷里である紀州、新宮のとりわけ路地と呼ばれる集落であった。その路地生まれの秋幸を主人公とした『岬』『枯木灘』『地の果て 至上の時』の三部作を池澤はあえて避け、秋幸の母フサを主人公に据えた『鳳仙花』を選んでいる。これが好い。
わざわざ日本文学全集で中上健次を読んでみようと考える人は、中上健次について不案内 -
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夏芙蓉の甘い薫りが漂うと金色の鳥が甘い蜜を吸いに来る。熊野の山は烏天狗が舞い、天女が羽を休めにくる。龍は天へと昇っていく。鶯の声、梟の声が聞こえ銀色の川が流れる。蓮の池の上につくられた浄土は路地という。四民平等に憤り竹槍で刺されるは落人狩りをした土民たちの再現か。千年もの長きに渡って受け継がれてきた澱んだ血の所為か先祖が歌舞音曲に狂った報いの為の仏罰か。歌舞伎役者のような男振りに淫蕩、盗人は澱んだ血の為せる業。百年も千年も生きていたオバ。産婆と毛坊主の生と死を司る夫婦。非業の死を遂げる男衆たち。
紀州熊野の山村を舞台にした連作短篇集。ゾラのルーゴンマッカール家の遺伝を彷彿とさせる中本の血、マ -
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★★★
山にへばり付くような土地作られた”路地”は、昔は町への出入りも制限され、男たちは革をなめしたり土木仕事をするしかない集落だ。
オリュウノオバはその路地のただ一人の産婆で住民の親世代は全員取り上げた。夫だった礼如さんは寺の和尚がいなくなってから在宅の坊主になった。坊主と産婆の夫婦である二人は、路地の住人の人生の出口と入口を見てきた。
礼如さんは中本家の血統。浄く澱んだ血を持つ中本の男たちは女を腰から落とすようないい男揃いで享楽に生き動物のように女と交り、決して長生きできない。
今は年を取り寝たきりとなったオリュウノオバはその床で中本の男たちの人生を想う。
中本の中でも格段の男振りを誇る半 -
購入済み
圧倒的な物語力
物語の強度に圧倒された。
「血」の持つ宿命に抗いながら翻弄される男たちと、その生と死を見守る語り部たる産婆。
作者のいうところの「路地」、すなわちひとつの(被差別)部落の中で展開するストーリーがこれほどまでに広がりと深さと崇高さとエロスを持ち得るとは。
登場する6人の男たちの魅力もさるものながら、時空を超えて彼らを語りつくす産婆=オリュウノオバの奔放な思考が、本作品の常ならぬトーンを作り出している。
そして緻密で難解は文体も、この物語を支える不可欠の存在だろう。
それで、映画は.......どうなんだろう?