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作家の郷里・紀州の小都市を舞台に、のがれがたい血のしがらみに閉じ込められた青年の、癒せぬ渇望、愛と憎しみ、生命の模索を鮮烈な文体でえがいて圧倒的な評価を得た芥川賞受賞作。この小説は、著者独自の哀切な主題旋律を初めて文学として定着させた記念碑的作品として、広く感動を呼んだ。『枯木灘』『地の果て 至上の時』と展開して中上世界の最高峰をなす三部作の第一章に当たる。表題作の他、初期の力作「黄金比の朝」「火宅」「浄徳寺ツアー」の三篇を収める。
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Posted by ブクログ
1975年芥川賞受賞作。人物関係がややこしくて読みにくいです。出自という避けられない事実に苦しむ人間について書いてあります。今の世の中で「多様性」みたいに言われることの、本当の姿というものがあり、それが憑依して書かせた文章なので読みにくいのも仕方ないという印象。
性的描写がある作品のうち、最適な文量で最大限の役割を果たしているものって少ないから、そういう意味で性的描写とはこうあるべきだと示してくれる教科書のような存在 最初は読みにくいけど最後が圧巻、流石芥川賞受賞作
私たちの人格はどうやって作られたのか。先天的に与えられた部分と、後天的に獲得した部分がある、と言われるが、おそらくはそのいずれにも当てはまるのが、時代、そして地縁・血縁だろう。私という存在は、この時代に、この場所に、この親のもとに生まれるほかなかった。どんなに新しい未来を手にしようとも、出自から完全...続きを読むに逃れることは不可能だ。一般的に言われるように、文学というものが、何らかの意味で書き手にとって「やむを得ず」書かれるものだとすれば、自分という存在の根源に潜行し、そこから言葉を立ち上げてくる小説が、文学でないはずがない。そういう小説、そういう文学に、青年期にこそ出会いたい。 中上健次は、一九四六年、和歌山県新宮市生まれ。一九九二年に四六歳で没するまで、故郷紀州の土地を舞台に、複雑な家族関係だった自らの出自を見つめる作品を書き続けた。それらの作品群は「紀州サーガ」と呼ばれている(「サーガ」とは、「一家一門の物語を壮大に描く長編の叙事小説」Wikipediaによる)。 『岬』は、一九七六年の芥川賞受賞作。翌年に出版された『枯木灘』はその続編。さらに後年出版される『地上の果て 至福の時』はさらにその続編。主人公ほか、登場人物も時間も連続している。螺旋的に繰り返し紹介されるその複雑な人間関係と、人間の根源が剥き出しの出来事を追いながら、これら三作読み進めていく作業は、文学と向き合うという行為が、生ぬるい娯楽ではないことを教えてくれる。中上文学にいつ入門するか。考えておいてほしい。(K) 紫雲国語塾通信〈紫のゆかり〉2016年5月号掲載
表題の作品のパワーが凄まじい。思わずじっくり読み進めている自分がいた。さすが芥川賞受賞作品。短い文での状況説明や心象表現が特徴的で、戦後直後の朴訥とした荒めで不器用な男っぽさがよく出ているように思った。 「紀州サーガ」シリーズとして、同じ登場人物で同じ紀州で、また違った物語が展開するらしく、次の「...続きを読む枯木灘」も読んでみたい。
(引用) 彼は、一人残っていた。腹立たしかった。外へ出た。いったい、どこからネジが逆にまわってしまったのだろう、と思った。夜、眠り、日と共に起きて、働きに行く。そのリズムが、いつのまにか、乱れてしまっていた。自分が乱したのではなく、人が乱したのだった。ことごとく、狂っていると思った。死んだ者は、死ん...続きを読むだ者だった。生きている者は、生きている者だった。一体、死んだ父さんがなんだと言うのだ、死んだ兄がなんだと言うのだ。 * とことん下へ下へと潜っていくような気分。いろんなことが乱れたように事あるごとに思ってしまうのは、自分のせいであることを認める勇気がどこかのタイミングで必要だと思う。
「岬」には、James Joyceの短編集「ダブリナーズ(ダブリンの人々)」のなかの1作「死せる人々(The Dead)」との関係性を強く感じる。 例えば、一族の物故者の影や息使いが、普段は姿を見せないものの、今を生きる者の言葉や立ち居振る舞いその他の様々な所作において、それが姿を現し、なおかつそ...続きを読むれが明確な映像や音声となって立ち現れる場面しかり。 そしてアイルランド人としてのアイデンティティからの逃避欲求があり、しかしそれに絡めとられ纏わりつかれも逃れられない宿命のようなものを改めて意識する場面しかり… 他の3作品の通俗的な完成度から比して、中上健次がある日ジョイスの作品に出会い、そしてダブリンから紀州へとの劇的な翻案と、中上のなかに眠る自己の地縁血縁に関する物語性の抽出と進化(深化)か突然変異的に起こったものと推測している。
ぐいっと引き込まれるものがあります。 リアリティ溢れる描写は、作者の育った境遇が目の前に浮かぶようです。 それ故に、なかなかに辛く、救いがない。 どうにも乱暴になってしまう人達の性は、境遇によるもなのか。乱暴を乱暴のままにして許してはいけないと思う。 先に、紀州という著者のルポ?を読みました。 作...続きを読む者の育った土地や、そこに住む人々が、作者が洞察し、描いた作品のとおりであるなら、あまりに悲しい。そういう事実や性質がそこにはあったのだと思いますが、その他のものもあると思います。良いところ、明るいところも。 文学として、あるいはその境遇を残すという意味で、価値あるものだと思いつつ、個人的にはもっと希望や救いを生きる上で持つべきだと思います…それは理想主義的?けど、出てくる人々があまりにも呪いのようなものに縛られ過ぎている。 岬は紀州サーガの第一作目で、枯木灘、千年の愉楽へと続くようで、作者が育った境遇、土地をどう昇華していったのか気になるところですが、ひとまずおやすみしたい。
紀伊半島の南部を舞台にした著者の経験をもとに書かれた表題作を含め四作の作品が収められている。どの話も重苦しく、特に「岬」は切っても切り離すことができない血縁に縛られた主人公の男の苦しさに、読み手側も辛くなった。 親族関係かなり複雑で時々この二人はどんな関係なのかと分からなくなる部分もあったので、「岬...続きを読む」は一気読みのほうがいいと感じた。個人的には「黄金比の朝」が一番面白かった。中上健次の他の作品も読みたいと思った。
舞台は和歌山、田舎、インターネットも何もなく他の世界とつながりようもない時代。 閉じた人間関係、どろどろのしがらみの中での愛憎、ふりほどけそうもない。 主人公は土方の仕事が好きで、毎日汗を流して、精錬潔癖に生きれたらと思ってる。 でも自分に流れる血がそれを許さない、最後はあの男への復讐を遂げる場面で...続きを読む終わる。
朝日新聞の和歌山文学紀行での紹介本である。読んでみて、岬へ家族でピクニックに行くことと甥っ子がクジラを見に行くということで和歌山ということがかろうじてわかる程度である。最後が性交で終わる。
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