【感想・ネタバレ】岬のレビュー

あらすじ

作家の郷里・紀州の小都市を舞台に、のがれがたい血のしがらみに閉じ込められた青年の、癒せぬ渇望、愛と憎しみ、生命の模索を鮮烈な文体でえがいて圧倒的な評価を得た芥川賞受賞作。この小説は、著者独自の哀切な主題旋律を初めて文学として定着させた記念碑的作品として、広く感動を呼んだ。『枯木灘』『地の果て 至上の時』と展開して中上世界の最高峰をなす三部作の第一章に当たる。表題作の他、初期の力作「黄金比の朝」「火宅」「浄徳寺ツアー」の三篇を収める。

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Posted by ブクログ

1975年芥川賞受賞作。人物関係がややこしくて読みにくいです。出自という避けられない事実に苦しむ人間について書いてあります。今の世の中で「多様性」みたいに言われることの、本当の姿というものがあり、それが憑依して書かせた文章なので読みにくいのも仕方ないという印象。

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2025年08月11日

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性的描写がある作品のうち、最適な文量で最大限の役割を果たしているものって少ないから、そういう意味で性的描写とはこうあるべきだと示してくれる教科書のような存在
最初は読みにくいけど最後が圧巻、流石芥川賞受賞作

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2025年05月11日

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私たちの人格はどうやって作られたのか。先天的に与えられた部分と、後天的に獲得した部分がある、と言われるが、おそらくはそのいずれにも当てはまるのが、時代、そして地縁・血縁だろう。私という存在は、この時代に、この場所に、この親のもとに生まれるほかなかった。どんなに新しい未来を手にしようとも、出自から完全に逃れることは不可能だ。一般的に言われるように、文学というものが、何らかの意味で書き手にとって「やむを得ず」書かれるものだとすれば、自分という存在の根源に潜行し、そこから言葉を立ち上げてくる小説が、文学でないはずがない。そういう小説、そういう文学に、青年期にこそ出会いたい。
中上健次は、一九四六年、和歌山県新宮市生まれ。一九九二年に四六歳で没するまで、故郷紀州の土地を舞台に、複雑な家族関係だった自らの出自を見つめる作品を書き続けた。それらの作品群は「紀州サーガ」と呼ばれている(「サーガ」とは、「一家一門の物語を壮大に描く長編の叙事小説」Wikipediaによる)。
『岬』は、一九七六年の芥川賞受賞作。翌年に出版された『枯木灘』はその続編。さらに後年出版される『地上の果て 至福の時』はさらにその続編。主人公ほか、登場人物も時間も連続している。螺旋的に繰り返し紹介されるその複雑な人間関係と、人間の根源が剥き出しの出来事を追いながら、これら三作読み進めていく作業は、文学と向き合うという行為が、生ぬるい娯楽ではないことを教えてくれる。中上文学にいつ入門するか。考えておいてほしい。(K)
紫雲国語塾通信〈紫のゆかり〉2016年5月号掲載

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2024年10月06日

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表題の作品のパワーが凄まじい。思わずじっくり読み進めている自分がいた。さすが芥川賞受賞作品。短い文での状況説明や心象表現が特徴的で、戦後直後の朴訥とした荒めで不器用な男っぽさがよく出ているように思った。

「紀州サーガ」シリーズとして、同じ登場人物で同じ紀州で、また違った物語が展開するらしく、次の「枯木灘」も読んでみたい。

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2024年06月10日

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(引用)
彼は、一人残っていた。腹立たしかった。外へ出た。いったい、どこからネジが逆にまわってしまったのだろう、と思った。夜、眠り、日と共に起きて、働きに行く。そのリズムが、いつのまにか、乱れてしまっていた。自分が乱したのではなく、人が乱したのだった。ことごとく、狂っていると思った。死んだ者は、死んだ者だった。生きている者は、生きている者だった。一体、死んだ父さんがなんだと言うのだ、死んだ兄がなんだと言うのだ。




とことん下へ下へと潜っていくような気分。いろんなことが乱れたように事あるごとに思ってしまうのは、自分のせいであることを認める勇気がどこかのタイミングで必要だと思う。

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2024年01月21日

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「岬」には、James Joyceの短編集「ダブリナーズ(ダブリンの人々)」のなかの1作「死せる人々(The Dead)」との関係性を強く感じる。

例えば、一族の物故者の影や息使いが、普段は姿を見せないものの、今を生きる者の言葉や立ち居振る舞いその他の様々な所作において、それが姿を現し、なおかつそれが明確な映像や音声となって立ち現れる場面しかり。
そしてアイルランド人としてのアイデンティティからの逃避欲求があり、しかしそれに絡めとられ纏わりつかれも逃れられない宿命のようなものを改めて意識する場面しかり…

他の3作品の通俗的な完成度から比して、中上健次がある日ジョイスの作品に出会い、そしてダブリンから紀州へとの劇的な翻案と、中上のなかに眠る自己の地縁血縁に関する物語性の抽出と進化(深化)か突然変異的に起こったものと推測している。

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2018年05月12日

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ネタバレ

筆者の生い立ちから作り出された家族関係が複雑に描かれている作品でした。ラストに向かうにつれて姉がおかしくなっていってどう終わるのかと思えば、自分の血の繋がり全てを陵辱するために妹と交わるのは衝撃でした。

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2025年09月22日

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ぐいっと引き込まれるものがあります。
リアリティ溢れる描写は、作者の育った境遇が目の前に浮かぶようです。
それ故に、なかなかに辛く、救いがない。
どうにも乱暴になってしまう人達の性は、境遇によるもなのか。乱暴を乱暴のままにして許してはいけないと思う。

先に、紀州という著者のルポ?を読みました。
者の育った土地や、そこに住む人々が、作者が洞察し、描いた作品のとおりであるなら、あまりに悲しい。そういう事実や性質がそこにはあったのだと思いますが、その他のものもあると思います。良いところ、明るいところも。
文学として、あるいはその境遇を残すという意味で、価値あるものだと思いつつ、個人的にはもっと希望や救いを生きる上で持つべきだと思います…それは理想主義的?けど、出てくる人々があまりにも呪いのようなものに縛られ過ぎている。

岬は紀州サーガの第一作目で、枯木灘、千年の愉楽へと続くようで、作者が育った境遇、土地をどう昇華していったのか気になるところですが、ひとまずおやすみしたい。

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2025年08月29日

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紀伊半島の南部を舞台にした著者の経験をもとに書かれた表題作を含め四作の作品が収められている。どの話も重苦しく、特に「岬」は切っても切り離すことができない血縁に縛られた主人公の男の苦しさに、読み手側も辛くなった。
親族関係かなり複雑で時々この二人はどんな関係なのかと分からなくなる部分もあったので、「岬」は一気読みのほうがいいと感じた。個人的には「黄金比の朝」が一番面白かった。中上健次の他の作品も読みたいと思った。

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2024年08月04日

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舞台は和歌山、田舎、インターネットも何もなく他の世界とつながりようもない時代。
閉じた人間関係、どろどろのしがらみの中での愛憎、ふりほどけそうもない。
主人公は土方の仕事が好きで、毎日汗を流して、精錬潔癖に生きれたらと思ってる。
でも自分に流れる血がそれを許さない、最後はあの男への復讐を遂げる場面で終わる。

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2024年05月13日

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朝日新聞の和歌山文学紀行での紹介本である。読んでみて、岬へ家族でピクニックに行くことと甥っ子がクジラを見に行くということで和歌山ということがかろうじてわかる程度である。最後が性交で終わる。

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2023年07月04日

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一つの段落で時間軸が過去と未来で変わったり、一人称のようで三人称だったり、それでも読者が混乱せずに読める文章が不思議で、とても面白い作家でした。
よく南米文学と比較されるようですが、確かに肉感的で時間軸を自在に操る感じがガルシア・マルケスに似ている気がして、文章の存在感がグイグイ読ませます。
押し寄せてくるヒューマン・ドラマ、といったら月並みかもしれませんが、正にそんな作風です。

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2023年04月03日

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どうしようもなく暗い。救いがない。系譜としては長塚節の『土』の系列。ただ、地主から見ていない確かな土着性と現代性がある。本来『暗夜行路』の主人公だって、こういうふうにねじれてもおかしくないはずである。
生き変はり死にかはりして打つ田かな 村上鬼城 という俳句を思い出す。 「岬から山にあがったこの墓地に葬られている人々は、昔から、水は、雨水を飲み、海がすぐ目と鼻の先にあるのに船を着ける湾がなく、漁もできずに、暮らした。山腹を開いて畑を打ってくらしたのだ。」という文章が示すものはそれだ。
角川春樹と中上健次との対談で、角川春樹は熊野が褻の土地である、すなわち再生を孕むのだと指摘する。この峡暮らしに近い形がこの作品の本質で、個々人の境涯に落とし込んではならぬのだろう。(余談だが松本旭の指摘するように、村上鬼城においても、風土性の指摘が大事な所以である。)

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2022年12月26日

Posted by ブクログ

 とても複雑な血縁関係。どれも中上さん自身をモデルにされているらしく、母親が複数回結婚している人で、母親と初めの夫との間に出来た姉、兄、母親の今の夫の連れ子であった血の繋がらない兄がいる。そして主人公自身は母親と“あの男”と呼ばれている悪名高い男との間の子で、主人公には腹違いの同い年の異母妹が二人いる。母親は主人公がお腹にいる時にそのことを知り、その男とは別れ、しばらくひとりで行商をして四人の子供を育てたが、男手一人で男の子を育てていた今の夫と出会い、まだ小さかった主人公だけを連れて再婚した(四話ともどれも同じような血縁関係なのですが、「岬」に焦点を当てて書きます)。
 この親族関係がドロドロの濃い関係で…。母親との血でしか繋がっていない姉達との憐憫を伴った絆。優しかったが、主人公だけを連れて再婚した母親と主人公を憎み、何回も母親と主人公を「殺してやる」と包丁で脅した挙句、首吊り自殺をした兄。全く血は繋がっていない、今の戸籍上の兄との絆。優しかったが、亡くなってしまった母親の最初の夫(姉達の父)の思い出。アル中である叔父(姉達の父の弟)。
 一族は土方仕事の請負業者をしていて、汗と土にまみれた厳しい仕事である。仕事をしながら、仕事終わりの酒盛りをしながら、下ネタだらけの会話が飛び交う。主人公自身はそういう会話には極力加わらず、性に合った土方仕事に黙々と励んでいる。主人公の本当の父親は、地元の地主たちから山林を巻き上げた成金で悪い噂が絶えないが、それでもその息子である彼のことを親族たちは結構可愛がっている。けれど、主人公はいつもどこか居心地悪く感じている。「俺には“あの男”の血が半分入っている」ということを拭いたくて仕方ないのに、“あの男”との類似点ばかりを意識してしまう。そして、娼婦をしているという異母妹に「会ってみたい」という衝動にも駆られる。
 逞しい母親を中心としたどちらかというと女系家族だからか、求心力は強く、例えば母親の初めの夫の法事に対する母親や姉たちの思いれとか、そこに直接繋がりはないのに協力してくれる義父や姉達の夫の懐の深さとか感じられるのだが、みんな根が弱いのか、お酒が入ると、親族を刺し殺してしまったり、法事の場で暴れ回ったり、自殺騒動を起こしたりというどうしようもないドロンドロンの世界。
 最近読んだ、川上未映子さんの「夏物語」には、「父親が誰でも関係ない。育てるのは女なんや。」というようなセリフが出てきたり、どうしても自分の子供が欲しいから匿名の男性の精子提供を受けたりする女性の正当性?のようなことが書かれていた。また、逆に非配偶者間人工授精を秘密にして出産し世間体を保っている事例も書かれていた。しかし、中上さんの作品のこの小説を読むと、いやいや人が生まれて、生きて死ぬということは血なまぐさいことなんだ。どんな父親であっても「知らなくていい」ということはないんだ。たとえそのことでどうしようもなく傷ついたとしてもその事実と一緒に生きていかなくてはならないんだと思った。また、こういう問題は男性視点で書くのと女性視点で書くのとでは全然違うのだとも思った。
脱線するが、やはり文学って人間にとって必要だと思う。例えば出生の問題でいうと自然科学が進歩し非配偶者間人工授精が可能になったことで、恩恵を受けた人も沢山いるが、その手段を利用することが時と場合により正しいのか正しくないのか白黒つけるのが社会科学である。だけど、“自然科学”にも“社会科学”にも救われない人間の気持ちというのがある。文学はそれを“救う”とまでは簡単には言えないけれど、進歩し続ける文明の中で置いてけぼりにされる人間の心に寄り添うために“言葉”を使う立派な人文学だと思う。

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2022年10月22日

Posted by ブクログ

二度目にして目を洗われた。

これだけ複雑な血縁関係を背景にして、よく筋の通った物語を書いたもんや。

二つの頂点で高く釣り上げた分、物語の幅が出ていて、それを複雑に入り組んだ登場人物で固め、それが力強いうねりとなってる。

方言によって土地に吹く風を与え、それになびかない人間関係を描くことによって、逆にその土地に根付いた地場の力を表現しているんやと。

テーマがあまりに近く感じるのは、偶然なのか著者の力量なのかわからんけど思わず自分の血縁を振り返ってしまう。

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2021年06月26日

Posted by ブクログ

血生臭い表現であるのに、温度がない。
薄暗い日本的(昔の)田舎を感じる。
岬に限らず、血縁、地縁、一族的考察はどうにも暗いテーマである。

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2021年02月14日

Posted by ブクログ

ネタバレ

『推し、燃ゆ』で芥川賞を受賞した宇佐美りんさんが、受賞インタビューで好きな小説家を聞かれて、中上健次と答えていた。買って読んでいなかった『岬』が家にあったので、中上健次ってどんなもんだろうと軽い気持ちで読み始めた。中上健次を読むのは初めてだった。

そしてあまりの男くささに驚いた。

次々に変わる情景を的確に描写してゆくスタイルで、僕が読んできた小説家の中では一番テンポが早い。登場人物がどんどん増えていく。野暮ったい説明がなく、リズムがいい。そして内容が凄まじい。

岬には4つの短編が収められているが、どの作品もどぎつい内容になっている。抗えない血筋に対しての嫌悪感が全開で、なんとも男くさい作家だ。ただ登場人物が多すぎて、誰が誰だかわからなくなるときがある。何度か読まないと把握できない。

『黄金比の朝』 
左翼の兄が、予備校生のぼくの家に転がり込んでくる。道で出会った風俗嬢に頼まれ、兄や友人と共に占い師を探す。登場人物が少なく比較的わかりやすい。クサレ〇〇〇〇という今の時代なら規制をくらうだろうパワーワードが頻出する。主人公の母も風俗業の従事者で、その母が貰ってきた食べ物を食べて育った主人公は母を嫌い、自分自身も穢れていると思っている。感情表現がストレート。兄とはことあるごとに衝突する。親父がオートバイで木に激突して死んだ設定。

『火宅』 
町に放火して回る無法者の男。どこからやってきたのかわからない。大柄な男で、ふらっとやってきてはどこかへ去っていく。僕の母親を孕ました後、別の女を2人孕ませて僕の母親から縁を切られる。その男の、子供であるぼく目線で、僕が居合わせなかっただろう幼少期の場面が語られる。幼いぼくの兄は男について回っている。「黄金比の朝」より誰が誰だかわからない。妹や伯父が多すぎる。「黄金比の朝」より内容がよりダーティに、書き方もより不親切になっている。後先を顧みない、暴力的で放火魔なその男の血が僕に引き継がれている。成人して家庭を持った僕は暴力で妻を脅す。田舎のじめじめした感じ、あるいはからっとした荒廃さみたいなものが伝わってくる。家の中の描写なのに路上のような放り出された感がある。男、つまり僕の親父は歳をとって老人になって、オートバイで切り株に激突する。あばらは砕け顔面はぐちゃぐちゃに。「黄金比の朝」と共通している。四作のうちで唯一実の父親について詳しく書かれている。いい意味で最もひどい内容の作品だと感じた。男の描き方がとても上手く、突き抜けている。男は無法者の犯罪者なのだが、同時に畏敬の対象というか、なにか神秘的なものも感じる。語りも幻想的でいい。

『浄徳寺ツアー』 
旅行会社で働く男。自ら組んだパッケージ旅行、「浄徳寺ツアー」で爺さん婆さんの相手をしながら思うのは、同じく参加してきた由起子との夜の不倫のことばかり。今度はおばあさんが多すぎて登場人物がわからなくなる。今頃は産まれているかもしれないな、と自分の子供を他人事のように考える。男を支配しているのは性欲。家庭のことなどどうでもいいのだ。
「実際、子供などどうでもよかった。子供など親の快楽の滓にしかすぎない。滓が、親の足を引っぱる。足枷をはめる。」どぎつい、身もふたもない表現。
血筋に関する言及があまり無い。四作のうちでは最もおとなしい作品だった。

『岬』
土方をしている主人公。家族関係は他の話と同じでもの凄くややこしい。登場人物も多い。ある日親戚の光子の旦那である、安雄が、光子の上の兄である古市の足を包丁で刺して殺してしまう。ショックで病気が再発し、発狂する異父姉・恵美。四作のうちで最もドラマ性が強い。その割にはどぎつい表現自体はなりを潜めていて、この控えめさゆえに芥川賞に選ばれたのかなと思った。まぁラストでやはりどぎついものが来るんだけど。個人的には火宅>岬=黄金比の朝>浄徳寺ツアーの順で気に入った。

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2021年01月31日

Posted by ブクログ

子供の頃から、30年以上。
本屋さんで見て知っていて。いつかは読もう、と思いながら。

あんまり暗くて重そうで敬遠していた中上健次さん。記念すべき初の中上さんは、やはり読書会がきっかけでした。ありがたいです。

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黄金比の朝
火宅
浄徳寺ツアー


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の、四編が収録されています。

1970年代前半に書かれた小説だ、という以外は、何の予備知識も無しで読みました。

読書会に挙げてくれた人が「暗いですよ、暗いですよ、暗いですよ」と予め警告してくれていたんですが。
読んでみると。

暗い。

重い。

救いがない。

強烈でした。小説としての、なんというか、ヘビー級なパンチ力はすごいですね。多少外れても、一発入ったらもう立ち上がれません。

中上さんの他の小説はわかりませんが。
この本に収録されている四編は、まあ大まかに言うと似ている話です。

紀州。和歌山県。
の、山深き田舎町。親の代から、まあかなり貧しい家です。その上、昭和戦前から戦後くらいの地方って、(地方都市、ではありません。地方、です)良いとか悪いとかじゃなくて、そういうものなんだよなあ、というどろどろに満ちています。

具体的には。
母が数度結婚した人で。
主人公=中上さんには、腹違いや種違いの兄弟姉妹がいっぱいいます。
そして、遺伝子上の父はいるけれど、母と婚姻関係にはない。
男たちは無教養で粗暴で暴力をふるい、酒を飲む。女たちはそれに耐え、罵倒するか罵倒される。

仕事は土方が多い。
将来に明るい希望はあまりない。
だから酒を飲むし、だから荒れる。

 そしてそういったことが全て、生まれながらに与えられてしまっているんですね。

 これはえらいこっちゃです。

 こんなこと言っちゃなんですが、僕も親戚縁者血縁の中に、当たらずといえども遠からずな、一族が地方にいるので、なんとなくわかります。

 そして小説の世界では。

 そんな状況、そんな血の繋がりがある一方で。

 そうじゃない世界がある。
 そうじゃなさそうな世界、というか。

 戦後25年とかを経て。オリンピックも経て。まさにこの、「岬」の世界から遠ざかって、知らないふりをして都会でキレイゴトに暮らし始める。そんな、なんだか激変、身分、勝ち組負け組、摩擦ときしみ。

 考えたら僕自身は、彼らの子供の世代です。

 僕たちはどこから来たのか。

 そういう普遍性があるから、重いし暗いし切ないし娯楽性も無いし、だけど、やっぱり面白い。

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読んでからちょっと調べたんですが、中上健次さんの血統が、いわゆる被差別部落なんですね。

なんともやりきれない、なんだか投げやりな人生という肌触り。根本的な、本質的な、圧倒的な、理不尽や怒りや、暴力やセックスという剥き出しな体臭が、覆い隠す余裕や品性やカッコつけを超えて。怖いもの見たさを超えて。

うーん。山羊料理とか食べちゃった気分ですね。
ちょっと味がすごいんですけど、これは多分、美味しい。
僕たちはこうであってはいけないのだけど、それは僕たちが生まれながらに何割か、こうだからなんですね。
そして、そうでないというのは、そうでないのではなくて、そうでないふりをして居られているという幸運だけなのかもしれない。

そして、その醜悪さと悲しみを見据えた先じゃないと、キレイでも幸せでも、しょせんはツルツルしてるだけなのかもしれませんね。
なんて思ったりして。

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黄金比の朝===
東京、貧乏な大学生と浪人生。鬱屈して面白くない日々。学生運動に入れあげてしまって、大人ぶる種違いの兄。
反発。
どうにも饐えた、やり場のない10代の腐った感じがよく出ています。なんという不毛、そしてなんという純粋。
身内を探している、知恵遅れっぽい娼婦のエピソードが、やりきれないくらい空気感を作っています。
なんというか、初期大江健三郎さんっぽさが満ちています。

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火宅===
黄金比の朝 の主人公が大人になると。家庭を持つとどうなるのか。
要するに、酒を飲んでむちゃくちゃになって、妻子に恐ろしい暴力を振るう男のお話です。
暴力性というのを、加害者の側から描いた感じ。
主人公の男は当然紀州出身で、前述のようなどろどろの家庭の出です。
そしてその出自が、東京でサラリーマンをしていて家庭をもっていても、主人公を精神的に支配しています。哀しい、なぞというよりも、加害される側のことを考えるとそれどこじゃないんですけれど。

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浄徳寺ツアー===
いつもの主人公は、今度は2流の旅行代理店社員。地方の現実に向き合うような、ストリップとか地元のヤクザにおもねるような、泥水仕事。
 妻がいてもうすぐ子供が生まれるのだけど、粗暴で浮気している。
 その主人公が浮気相手の女と、とある田舎の寺のツアーを企画実行する。もう全般的にため息がでるような、救いのなさと品のなさ。なんでそうなのか。でも、そうじゃなかったら、じゃあ一体どうなんだ。そこで上品にして、どういう救いがあるんだろうか。
 嫌がる浮気相手ととにかくHしようとする男の浅ましさが、実になんとも触覚的なまでになまなましくて、なんでこんなにひどい話なのに哀しくなるんだろう。

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岬===
いつもの主人公は今度は10代で、地元の岬の村に家族といる。
土方をやっている。
実の父がいるが、他人のように暮らす。
つまらない刃傷沙汰。人の噂。偏見。アル中の厄介な親戚。腹違いの妹かも知れない娼婦。気が触れる姉。
なんとも切なくドラマチックで、骨太で強固な小説。

どれか1編、ということなら、まずこれで。

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2021年02月02日

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いわゆる「紀州サーガ」二冊目にあたる「枯木灘」を先に読んだ。「岬」が一冊目。
「引用」に移した文章は本編ではなく後記のもの。
作者は紀州の路地に住む一族の複雑な血縁を形を変え目線を変え書いているけれど、吹きこぼれるように表現したい自分の世界があるのですね。

===
予備校に通う主人公の下宿に転がり込んできた右翼活動者の兄、主人公の友人、彼らが妹を探す娼婦と関わることになった一日。
/黄金比の朝

「枯木灘」と家族関係はほぼ同じ。
枯木灘で秋幸にあたる人物の兄の幼少時代から始まる。兄が引き入れた「男」が母を孕ませ、長じて母に捨てられたと兄は自殺する。
主人公の鬱屈も激しく、父を憎み想い飲んで暴れて妻を殴る。
/火宅

主人公は旅行の案内人。妻は出産を迎えている。何度も降ろさせた。今回のツアーはお寺の檀家ご一同。死の近い老人、白痴娘、旅行の話思ってきた彼の愛人。
/「浄徳寺ツアー」

紀州の山に囲まれた路地は火付けと殺人が盛な土地。
主人公はその鬱憤を異母妹と思われる娼婦と関係することで晴らそうとする。
/「岬」

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2014年05月14日

Posted by ブクログ

ネタバレ

表題作のみ読んだ。
田中慎也「共喰い」を想起した。
平易な単語ばかりで、句読点が多く軽快な文体で読みやすい。しかし、内容は極めて難解に読んだ。
噛み砕ききれず、だがなにか心を掴まれたような気がして、秋幸になにか自分と似たところを感じた気がした。
人の解説を読んでようやく少しずつ掴めてきた気がする。他人にがんじがらめになっているところが、秋幸に共感したんだと思う。
紀州サーガをまた読もうと思う。

262 彼は一人になりたかった。息がつまる、と思った。母からも、姉からも、遠いところへ行きたいと思った。あの朝、首をつって死んでいた兄からも自由でありたかった。

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2025年11月23日

Posted by ブクログ

表題作をまず読んだ。
舞台は紀州。日常風景に主人公の親戚縁者が登場。読み進めていくうちに関係性が徐々にわかっていくが、最初はすんなり入ってこなくて何度かページをめくる手が止まってしまった。
だが、明け透けなセリフからは登場する人たちの体温がムンムンと伝わってくる。人の死が大きな事件に思えてこない不思議。むしろ大事件が起こるラスト3Pのために全てがあるように感じた(初見にて)。

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2023年08月28日

Posted by ブクログ

まさに紀南の夫の実家に帰省中、大勢の親戚たちに囲まれたり話を聞いたり、辿れば遠い親戚だったりする彼の地元の友達と会ったりしているときにこの小説を読んだ。
買ったのも夫の地元の鄙びた書店。
血縁のつながりの強い紀南の家族の在り方をちょうどリアルタイムで感じながら読んだので、物語の雰囲気はよく掴めたし登場人物が多くても没入しやすかった。
登場人物の方言も、夫のおばあちゃんのしゃべり方で脳内再生された。

ただ、中上健次は紀南の最下層を描いているので(男はもれなく土方で女はもれなく女郎、みたいな世界観)、「紀南は確かに田舎だが、いくらなんでもそこまでひどくはなくないかこの土地は?」とは思ってしまった。
『岬』以外に4作品入っているが、どれも登場人物が少し被っていたりして緩やかにつながっている。

全編に共通して言えることは、暗いのとミソジニーがすごい。
女はヤリまくる馬鹿だと思っているのだろうな…という描写ばかり。おそらく母親への屈折した感情から来ると思われるが、当然ながら読んでいて気分の良いものではない。
DVシーンも複数あり、それは複雑な家庭環境、血の濃さ、生きづらさゆえなのだろうけど好きにはなれない。

中上健次は生涯この生きづらさを克服できなかったのかが気になる。

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2023年08月14日

Posted by ブクログ

こんな気持ちの良い天気の時に読まないと落ち込んでしまいそうな、一族のしがらみに生気を絡め取られる話。しかし,地方でなくても多くの人は本当は避けて通れないことだと思う。
人間関係が分かりにくく、何度か戻って読み直すことを繰り返してしまった…

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2023年04月10日

Posted by ブクログ

真の意味での身寄りがあるようでない、
そこにいるようでいない、
ただ梢を揺らす木のようにして佇む若人の運命は非情でグロテスクだった
また彼の搾り出したかのような復讐は結局は空虚なものにすぎなかった

全体を通して「む、難しい、、、」と感じっぱなしだった
はっきり言えば『岬』に関しては、自分の中での感情移入および心の揺れは大して感じられなかった
もちろん大枠としての彼の「地理的にも血縁的にも閉ざされ縛られることへのどうしようもない憂鬱」のようなものは感じられるが、今の私には秋幸の心の機微は完璧には解読し難い
偏に想像力不足、偏に感受性不足なだけかもしれない、だとしたら本当に憂鬱だ

そもそもの文章構成も難解で、定型を破壊しているとも言えるが、単に読みづらいと感じる人も少なくないだろう
加えて、
「『卓袱台』という漢字が読み書きできるようになったことがこの本を読んで最もよかったと思える点である」、そう言いたくなるほど本文に登場する漢字でも躓いてしまった
おそらく私の漢字弱者っぷりも影響しているだろうが、それでも現代の漢字使いとは大きく異なる文章に翻弄されることも多々ありその都度調べてなんとか読み進めなければならなかった

ここからは短編ごとの感想を述べる
『黄金比の朝』
この短編を読み終えて初めてこの文庫本が短編集なことに気づいた(遅すぎる)
「女」は大義を掲げる兄から下らない人間の一面を引き出す要素なのではないか
やがて「ぼく」は自分も兄や社会と変わらない中途半端な存在であると理解し歓喜する

『火宅』
燃え盛る家屋のように男の運命は尽きる
あまりに複雑な人間模様に圧倒される
そして「彼」も同じく血と運命には抗えず、、、
兄だけが良い人

『浄徳時ツアー』
老若幼の要素がそれぞれある、私自身は若者の分類に入るからなのか、老人の方々の溌剌さに羞かしささせ感じ度々憤った
終盤にかけての畳み掛けがすごい
人生で何度も読み、振り返りたくなる作品だろう

『岬』
秋幸は「解放」されたのか?おそらく違うだろう、彼が異母妹と姦ることで彼は救済されるどころか憎っくき「あの男」と完全に同化してしまった
救済の術を知らないあたりも田舎ならでは、、、

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2023年01月16日

Posted by ブクログ

欲望と性、暴力、呪われた血縁。どうしようもない話。

人間というものを正直に描こうとするならば、他にどんな方法があるっていうんだ?とでも言いたげな、ある意味での真摯さと、だからこその閉塞感。

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2022年07月21日

Posted by ブクログ

ネタバレ

「岬」路地三部作の一作目。自殺した兄と同じ二十四になった秋幸の、なにかが狂い始める。誰が悪いのか。俺を産んだ犬畜生だ。だからぶっ壊してやる。俺の血に関わるすべてを壊すために、あの男の娘を、この俺の実の妹を凌辱してやる。
「火宅」私小説的な、路地シリーズにつながる短編。“男”とつるんでいた兄の眼を通して、かつての男の行いを追憶する。その暴力性を現在の俺も受け継いでいる。その男が死にかけているらしい。どこの馬の骨とも知れない男。俺の父。俺のほんとうの父。あの男は、俺にとっていったいなんだったのだろう。

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2022年06月02日

Posted by ブクログ

芥川賞を受賞した表題作である「岬」など4編を収録。
いずれも面白いという感想には至らなかったが、まさに純文学という感じは受けた。

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2021年04月11日

Posted by ブクログ

比較的読みやすい純文学。
クソみたいな男は今も昔も存在するんだなと
複雑な形の人間関係模様が生々しかった

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2021年01月10日

Posted by ブクログ

ネタバレ

昭和の複雑な家庭が描かれた四編。

混み入った血縁関係による葛藤や苦しみが、この本の大部分を占めている。生まれた場所、逃れられない血の繋がり、若さによる暴力的なエネルギーに否応なく巻き込まれた。
一人一人の濃厚な人生が絡み合っているので、主人公とは別の人物から見たらどんな世界なのか読んでみたい。

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2020年11月23日

Posted by ブクログ

登場人物の縦と横の関係がよく分からなくなる事もあったけど独特の世界観があって面白かった。
ある意味唯一無二。
たまに読みたくなる作家のひとりかも。

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2020年07月25日

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