宮台真司の作品一覧
「宮台真司」の「どうすれば愛しあえるの 幸せな性愛のヒント」「おどろきの中国」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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「宮台真司」の「どうすれば愛しあえるの 幸せな性愛のヒント」「おどろきの中国」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
東京大学大学院博士課程修了。著書に『制服少女たちの選択』、『終わりなき日常を生きろ』、『透明な存在の不透明な悪意』、『援交から革命へ』などがある。1990年論文「権力の予期理論」で戦後5人目の東大社会学博士学位取得。
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Posted by ブクログ
結局、どんだけ研究したところで、体を売ることができる感覚はわからないなーーー
ーーー
P179
それが何度塗り替えされ、一部訂正されたり補足されたり、時には否定されたとしても、超ベリーバッドという以外に言葉を持たなかった私たちには、自分らの気分、「傷つけられた」とか「自分で傷つけている」とかいう言葉では言い表された気にちゃんちゃらならない当時の「問題のない気分」を言語化してくれる大人が必要だった。そして私たちの気分は絶好調でも、どこかにありそうな、私たちの傷とは限らない問題を言い当てるヒントが必要だった。時代にも、私たちにも、男にも大人にも問題はあった。それを女子高生の性的逸脱の問題! と
して語ろうとするオジサン・オバサンたちに、あのアユのユーロミックスCDとおニャン子の狭間にいた私たちの、絶望的にこのままでいいやと思える気分は一生わからないだろう。
P287
うーん、まず最初からセックスが好きじゃなかったんです。というかなげやりだったというか。彼氏とつきあうイコールセックスをすることで、そういう雰囲気になると私がちょっと引いちゃってたんですよね。そんな状況で、セックスがお金になるというのを認識しちゃったから、どうせやるならお金がほしいな、と。
なるほど。セックスがつまらないから、どうせするならって、よく聞く話だよね。
ダメージはありましたね。でも男の人は全然気づいてなかったんじゃないかな。逆に金やって物やって気持ちよくしてやって喜ばせてると勘違いしてたかも(笑)。
大人の男の人と話していると、どんどん大人に対する幻想や憧れが崩れていって、それに伴って自分の未来も明確でなくなっていきました。奥さんも子どももいて、愛しているって話している人が、最終的には私とやるんですよ。大人に裏切られたという思いはすごくあった。でも逆にそういう大人を試しているという気持ちもあったんだけど、どこかで信じていたかったんでしょうね。
そうなんだね。でもさ、ダメージを受けてまで続けた理由って何なの?
お金で自信のない自分に価値を見つけていたのかな。だから実は、売る方の心理も、買う方の援交オヤジの心理と変わらないですよね。モテないけどお金のある男が女の子を買って喜ぶように、私にはその金額をもらう価値があるんだと思えることに喜びがあった。
私が思う、一番の援交の弊害というのは、身分不相応のお金を得ることができた、ということなんです。何が好きか、ということを考える前に、いろんなものが手に入ってしまい、好きなものを見つける前に大人になってしまった。例えばこの本を中学生や高校生が欲しいと思ったときに、さんざん悩んでお小遣いの中から痛みを伴いながら買ったのなら、隅から隅まで、何度も何度も読むと思うんですが、余裕のあるお金で買った本だったら、ろくに読みもしないで、もしかしたら一度も開かないで、そのへんにほったらかしちゃうかもしれない。それこそ、ブルーハーツのCDを毎晩聞いたように、さんざ悩んで買ったラルフ・ローレンの靴下を大切に履いたように、ピーコートとダッフルコートどっちが似合うか悩んだように、若い頃に、何が好きかを考えずに日々が過ぎていってしまうことは大人になったときにつらくなると思います。大人になってから好きなものがない、何が好きなのかわからない、というのはつらいことですよね。
P271
ここで強調しておきたいのは、彼女たちが「真実」にめざめてしまったがゆえに迷いはじめたのだと考えてはいけないということだ。彼女たちの世界把握の形式がまちがっていて、わたそうたいしの世界形式が正しいというふうには、すこしも思えない。そうではなくて、世界把握の形式がたかだか相対的なものにすぎないことを突きつけられて、とたんに自分がどこにいるのかが問題になって不安になる――だいたいそんなことが起こっているのだと思う。抽象的にいえば、自分が「ある選択をしていた」ことがはじめて意識され、偶発性の領野に導きだされてしまう、といったようなことだ。言いたいのは、こうだ。ここ一年で一〇〇人をこえる女の子たちをインタビューしてきた経験から断言できるが、不特定の男を相手にパンツを売ったりエッチなモデルになったり性交渉をもったりするといったふるまいが、「いいこと」なのか「悪いこと」なのかについてどのように言ったところで、「価値判断」はけっして伝達されず、せいぜい親の真剣さが彼女たちの同情を呼び起こすだけだ。しかし、伝達できるのが、安全と危険についての「事実判断」だけなのかというと、そうは思わない。それよりももっと重要な「選択可能性」こそが伝達可能なのではないか。
不特定の男を相手に、パンツを売ったりエッチなモデルになったりテレクラで出会って肉体を売ったりするふるまいによって、確実にもたらされるもの――それは「感覚の変容」である。もちろん金銭感覚も変化するが、言いたいのはそれではない。具体的にいえば、「男なんてみんな同じじゃん」とか「どうせ男はエッチしか考えてないじゃん」とか「結局バカじゃん」といった具合に、相手を入れ替え可能な存在としてナメきる作法が自然なものであるような感覚へとうながされていくことだ。男が一般に「ナメきるに値する存在」なのかどうかはどうでもいいことだ。それはそうだとも言えるし、そうでないとも言えるような問題にすぎない。それよりも、こうして身についた感覚のなかでは、男にたいしてロマンチックな幻想をもつことが困難になっていくという「事実」だけが問題である。
Posted by ブクログ
人類学が誕生したのは、ヨーロッパの精神的土壌が荒廃したことを問い直し、人間であるとはいかなることかを探るためであった
→今も同じか
言語や慣習や様々な集合表象など、行為を支える①万人が踏まえる②自明かつ③非自然的な前提が「社会的事実」で、「社会的事実」を/が可能にするものを考察するのが「社会学」です。デュルケム
「不安の埋め合わせのための無意味な反復」図式
ヴェーバー
ヴェーバーに始まる人格・対・没人格
コミュニケーション論も
★強度と意味 宮台真司
真実らしき語りをした後、「知らんけど」「たまたま聴いただけや」と偶然性を持ち出し、自己を脱主体化する営みです。かくて、偶然を持ち出し、アイロニー化することで、マウンティングされたという体験を回避して連帯する。
ローティ
その人の行為は理解不能でも
その人の体験は理解可能
原因?
社会とは法生活
それ以前は尊王的生存戦略
ます。ブラジル・サッカーからドイツ・サッカーへの「勝てるサッカー」の移行は、予測符号化から言語的予測符号化(予期化)への移行、すなわち共同身体性の劣化に対応します。
→どっちが「楽しい」か
因みに共同体の定義が3つあります。ひとつはマッキーバーですが、ヴェーバーは「内は掟、外は法」という二重性、モースは「内は贈与、外は交換」という二重性
人々が理性的であれ、社会の動きは未規定」
という前提で社会学は生まれた
普遍の人類史から特殊な近代を見る社会学。特殊な近代から普遍の人類史を見る人類学。両者は近代批判の両輪です。
認識論は「どうしたらHow我々はこの社会で幸せになれるか」を問いますが、存在論は「なぜWhy我々はこんな社会を生きているのか」を問います。
★今の社会は特殊であるということ
大都市の自由と多様性に満ちた社交場の経営者はユダヤ人、同性愛者ヒルシュフェルトもユダヤ人、大都市への投資を支えたのもユダヤ金融資本だった事実が、大都市を除く大半の地域で「ドイツ的生活をユダヤ人がキャンセルしている」との喧伝にリアリティを与えました。
オピニオンリーダーは
メディアの情報を濾過する存在
ソーシャルキャピタルが減衰すると
メディア情報に晒され
民主制は壊れる
★
内から湧く自由 主意主義
選択肢の多い自由 主知主義
=良い社会を前提にしている
伝統を遡る思考こそが社会学
社会学は民主制を前提にしてはいけない
think differentの意訳
「君は間違っている」
競争しないという勝ち方の提示で革命的
テック革命
→資本主義と民主主義の幻覚の除去
★選択肢の多さは、自由にならないのでは。
それを選ばせる権力がいる時点で従属になる。
大事なのは、自分で作ること?
プラグマティストの「知識から動機付けへ」
★行為から体験へ 宮台真司
前提付け連関の全体性を理解するのがエコロジー
★ 社会学は、前提を遡って前提付け連関全体(生態系)を考究する生態学的思考として自らを定義
↓
民自主主義の民主主義的前提を問うはずの社会学が、民主主義を自明なものとした、のがアメリカ社会学の退廃
ヴァナキュラー 土着的
イリイチ
「文化はひとつ」。つまり万物は人(見る存在)とするアニミズムが普遍的。
唯物的な、多自然(視座)がある。
知識ではなく知恵
原始社会のもの
「他者の経験を真剣に受け取るtaking seriously」という態度
世界は万物
社会は連関生態系
Posted by ブクログ
・人々に規範や価値観を共有しましょうとただ呼びかけただけでは、その通りになることはまずありませんが、ある体験を共有していただくことで「いいなあ」と感じてもらうことができれば、そこから先、人々の規範や価値観に変化が生じる可能性があります。
・社会の変化が急激に起きる際、人々は自分たちにとって大切なものはなにか、自分たちがどんな社会を望むのか、といったことを考えるよりも、新たな仕組みや枠組みに対応するのに精一杯です。具体的には、自分だけ取り残されるのではないかという不安や恐怖が広がり、市場や行政がそうした感情を利用して近代化を推進していったのです
・共同体には必ず維持コストがかかります。人々がそのことをわきまえない場合、共同体なんかにコストを掛けるよりは、システムからベネフィットを引き出すほうが、コストパフォーマンスは高いというふうに損得計算するようになります。すると、システムに依存するうちに、共同体を空洞化させてしまうのです
・欧米の事例を理解するのに重要なのが、社会学で言う「相対的剥奪感」と「外部帰属化」という概念です。人は、絶対的な不満というより、何かを比較の対象とした不満、「過去よりもひどい」とか「周りよりも状態が悪い」といった不満を感じやすい。加えて、わかりやすい異物や昔はなかったような対象を指して「わりのはこいつらだ」と決めつけがち。
・埋め合わせようのない不安を感じる人が、その不安とは関係のない埋め合わせ可能な別の不安を持ち出し、埋め合わせようとする。それが神経症です
・アーキテクチュアル・パワー:人を快・不快を感じる動物として、そのコントロールをアーキテクチャによる管理化を進める
・リッツァのいう「マクドナルド化する社会」とは、人間が動物でありさえすれば回るような脱人間化・没人格化・損得化が進んだ社会です。そういう社会では、人々は「かけがえのない人間として扱われたい」という感情を無視されることで疎外感や不安感を抱くようになる。それに対処するために使われるのが「ディズニーランド化」、すなわち祝祭的消費による感情的回復です。システムが作り出した裂け目をシステムで埋めている
・人々が現実の世界で幸福を感じながら生きていけるようにしていくことがリーダーの役割
・社会の秩序を整えるための統治には「教育を充実させて人々を倫理的な主体に育てる方法」「法制度とテクノロジーを強化して監視と賞罰を徹底する方法」「アーキテクチャを使って、快・不快を通じて人々を制御する方法」がありますが、これらはいずれもかなりのコストを要します。これに対し、ディズニーランド化を利用した統治、とりわけドラッグやゲーミフィケーション(AR・VR)を用いて人々の脳内を制御して不満や不安を解消させる統治が実現すれば、コストが劇的に低下する可能性があります
・システム世界では、どこの誰が作ったのかわからない安いものを食べています。これに対して「仲間のためにいいものを作りたい」と思っている仲間の努力にお金を払い報いながら食べる営みは、食べる体験を完全に別物にします。
・リーダー個人の損得のためといった目的では動きは広がっていかないので、目的には体技とか利他性がなくてはいけません。また、信頼がベースにないと人はついてきてくれないので、リーダーが自分の価値観をしっかり持っていることもすごく大事
・コミュニティパワー:地域の人々や地域の発展に関わり合うことで、みんながオーナーシップを持てるようになる
・共同自治体を確立していくプロセスにおいて求められているのは、そうしたエリートではない。むしろ必要なのは「縁の下の力持ち」です。影からサポートし、自分は目立ちません。自分の手柄も相手に渡す人です。
・立派な人:利他的で倫理的であること