元GEの人事で、現在LIXILの副社長である八木洋介氏のお話を中心に、金井先生が解説を加える形で、人事の在り方について述べられている。正直火傷するくらい熱い八木氏の筆致に、私自身感激し、読後の興奮冷めやらぬ中で、感想を書いている。
八木氏ははじめ日系企業であるNKKで人事を経験した後に、GEに転職し、最終的にはGEの日本法人のトップとして人事部門を率いてきた。そうして経験の中で、日本企業の人事が「継続性のマネジメント」により、目的を失った前年踏襲的な運用を行っていることと対置し、本来あるべき人事の姿として、目的を明確にし、時には覚悟をもって制度を改廃する「戦略性のマネジメント」を提唱している。
八木氏の人事観で印象的だったのは、八木氏自身の人生観にも通じるが、逃げずに建前を貫くという意識である。おそらくこれは、常に目的を明確にし、手段としての人事制度を運用する上でも、なあなあにせず、正論ベースで物事を進めることの重要性を訴えるものである。本書でも、通勤手当の是非や、家族手当の必要性等、福利厚生についても、プリンシプルベースで物事を考えることを具体的に述べている。
人事担当者にとって、過去をを見る継続性のマネジメントではなく、現在に対応し、企業が成長をしていくための大きな絵をストーリーとして語ること、正しいことを正しく伝えるこというリーダーシップの取り方についても語られている。
さらに、GEと言う会社の特徴としても、何をすればゴールか、というそもそものゴールが明確である点も本書を読んで納得したポイントであった。世界のトップを目指していく上で、愚直に成長に邁進し、明確化されたゴールに逆算された手段を遂行していく。この本質ベースでの物事の進め方は、ぜひ仕事でも応用したいと感じる。
本書は、八木氏の主張や経験談の合間に、金井氏の解説が入る体裁をとっているが、金井氏の解説もまた非常に良い。八木氏とは旧知の仲であると言うが、八木氏の卓越性の中に、自分自身のコアとなる価値観や哲学があることを見出す。本書でも八木氏自らが語っているが、学生時代やNKK時代の経験として、「逃げない」「正しいことを正しく語る」というキャリアアンカーのようなものが形成され、それを実行していくことの重要さを語っている。
さらに、そうした自分自身の価値観や哲学をもつためには、仕事だけをするのではなく、しっかりと内省の時間を取り、自分自身に向き合うことが肝要である。八木氏も、「仕事だけやっているとバカになるよ」と冗談っぽく言うが、仕事に対して、距離をとって、腰を据えて考えることが、自分自身のコアや価値観を明確にし、仕事に対して機械的にならないという好循環を生み出すのであろう。
後半では、八木氏のリーダーシップ論の話になるが、GEでは45歳でトップになるということが、慣習となっている。ジャック・ウェルチやイメルトもまた、45歳で社長になっている。45歳でトップになるからには、10年以上の長期政権となることが見込まれているが、トップが文化を形成し、盤石な成長基盤を作るまでには、やはりそのくらい時間がかかるという思想に基づく。GEでは、トップの条件として、経営や事業への知識、自分自身の専門性、環境の変化に対応する能力を備えていること、さらに、GEバリュー(外部思考、明確でわかりやすい思考・想像力・包容力・専門性)をもっていることが重視される。まさに、文化の体現者であることが求められるのである。そうした中で、一番難しいのは、45歳のリーダーを育成することである。
大学院を卒業してはいることを考えると、25歳から45歳までの20年間でトップを育成しなければならないのは、とてもスピードが求められる。(その点、日本は大卒で22歳から、平均的に62-3歳で社長になることを考えると、40年間と約2倍の時間がある)。八木氏いわく、日本のリーダー育成において難航する点は、リーダーにとって必要な「勝ちたい」「一番になりたい」「創造性を発揮したい」「正義を実現したい」という根本のエンジンがないことであると看破する。だからこそ、日本では独自に八木氏が「軸づくり」のプログラムを実施し、まずは自分の軸や確固たる価値観を認知し、実行してもらうように促すことを研修の中で支援している。専門性や事業への知識は大前提としたうえでも、マインドセットが重要であるということは改めての本書の学びである。そうした軸づくりの過程としては、過去の決断を振り返ることなどが挙げられる。軸づくりのプロセスは、まずはその軸を自分自身の中で発見し、明確化すること、そしてその軸によって行動に活かすこと、そして、それが無意識的にもできるようになるということである。
個人的には、こうしたプロセスはスポーツをやっていると、やはり実行しやすいのではないかと思う。私自身は、バレーボールを中高大、そして今も月に2-3回、さらには母校の女子バレー部のコーチもやっている。いずれのスポーツでもそうであるが、バレーボールにもポジションがあり、レシーブするリベロや、トスを上げるセッター、得点するアタッカーに分類される。部活であれば、まずは個としてどのようなポジションで強みを活かすか、さらにはそのポジションの中で試合に出たり、貢献をするためには他のメンバーとどう違うかという差別化や戦略性が求められる。私はトスを上げるセッターというポジションであったが、意識していることとして、「主体性・自責思考」と「アタッカーを活かすために自分から情報を取りに行く」という点であった。前者についてで言えば、セッターというポジションの特性上、絶対に2本目を触る、触らないのであれば、他に人に指示を出すという明確な役割がある。言ってしまえば、セッターは1本目が上がった瞬間に、2本目について無限責任を負うということでもある。そのような役割の中で、常に自分にできることを瞬時に考え、実行するという意識は身に付いたと思う。さらに、後者についていえば、チーム内とチーム外において情報を取りに行くことである。まずは普段の練習から、チームメンバーの得意なコースやシチュエーション、性格、思考について、ヒアリングしていく。あらゆるシチュエーションで、小まめにフィードバックを求めることを意識している。チーム外と言う意味では、トスの配分を考えるうえで、自チームにとって最も有利で、相手チームにとって最も不利な状況を作ることが求められるが、その為には相手チームの分析や準備も欠かせない。トスには、どのアタッカーに、どの場面で、どのタイミングであげるかという、ある種四次元での配分が求められる。しかもそれを、トスを上げるまでの数秒の間に行う必要がある。そのためには、常に数手先を読むことや、視座を引き上げ、状況を冷静に見極めることが必要である。そうした中で、現在の仕事においても、チームメンバーに小まめにフィードバックを求める点や、自分の業務以外にも視野を広げ、自社のビジネスや強み/弱み、特性を常に意識しておくという点は生かされていると感じる。
さらには、自分自身はバレーボーラーとしてはかなり背が低い(163cm)ということもあり、高さで勝負できない分、そうした高さ以外の部分においては勝たなければならないという切迫感があり、上記のマインドセットの部分を磨いてきたのかもしれないとも事後的に思う。兎にも角にも、人と同じことしていたら勝てないという意識は、今も役に立っている。
本書での最後に、人事としての条件、求められる役割が記載されている。人事は、曖昧な状況で方向性をしめすアンバサダーの役割、トップが言うことを社員に、社員が思うことをトップに伝えるトランスレーターの役割、社員のやる気を引き出し、集団の能力を最大化するために会社の戦略をストーリーとして伝えるストーリーテラーの役割、社員のフラストレーションを言葉によって前向きに変えていくエンライターの役割があると八木氏は言う。そして、そうした役割を全うするためには、情熱があること、そして「人間のプロ」であることが求められるという。人の心を揺り動かすために、常に正しいことを言って正しい行動を取れるストイックさ、変革を恐れない勇気、やさしさと温かさ、強さと厳しさを合わせもち、人の心に火をつけ、前向きにさせる言葉をいつでも瞬時に出せる教養や見識があることが、1人の人格者、そして人間のプロとして必要であると言う。
この部分を読んでいるときに、真っ先に思い浮かんだのは全日本男子バレーのセッターである関田選手である。今、この文章を書いている時、パリ五輪の前哨戦であるVNLの準決勝を控えている土曜日であるが、これまでの予選から、準々決勝を見て、関田選手のトスの上げ方に毎度、唸らされる。技術、ボールの下に入る早さ、冷静さ等のセッターとしてプレーで必要とされる点は勿論のこと、アタッカーの心情や性格を踏まえたトスの上げ方が卓越していると感じた。特に、中盤の場面で、少々調子が落ちそうになっている選手に対して、普段より余裕を持ったトスを上げ、自分のペースを取り戻す働きかけをそっとしたり、調子が上がっている選手、その瞬間に波に乗っている選手にトスと集めたり、データだけでは現れない、言ってしまえば人間の感情や感性、そうしたものを踏まえたトス回しをしていると感じる。
少々話が脱線したが、八木氏も語っているが、人事でもセッターでもなんでも私自身も関心があることとして「人間と言う存在の不可解さ、底知れなさ」がある。人間はわからない、だからこそ好奇心があるし、そうした人間が少しでもパフォーマンスを高めるための仕組みなりストーリーなり声掛けを考える。そうしたことにやはり関心と愉しさがあると、私自身も本書を読んで気づいた。私の場合、人間のわからなさの中で、共感をベースとしないセーフティネットの在り方、会社としてセーフティネットを提供することによる従業員のローヤリティの向上に関心があるが、究極的にはやはり底知れない人間というものへの関心があるからであると思う。