安田松生(やすだ まつお)28歳、小説家(いちおう)。新人賞をとって、1年後に単行本を上梓したものの、ある出来事がきっかけで小説を書くことが怖くなってしまった。今の仕事は、叔母の美智留(みちる)から引き継いだ『喫茶シトロン』の雇われ店長。
美智留がとりわけ心を砕いて安田に託したのは、月に一回例会が開かれる、「坂の途中で本を読む会」という、老人ばかりの読書会だった。
読書会の老人たちは、とても個性的。歳をとると「濃く」なるらしい。
安田は心の中で愛称をつけた(増田夫妻は例外)
・『会長』大槻克巳(おおつき かつみ)88歳。元人気アナウンサーだったので、常に自分に注目を集めたい。誰かがその場の空気を支配したりすると不機嫌になる。
・『シルバニア』三田桃子(みた ももこ)86歳。元、中学の先生。みんなが騒いでいる時にシビアな一言を発する。良くも悪くも空気が変わる。
・『マンマ』加藤竜子(かとう たつこ)82歳。彫り深くハスキーボイス。イタリアのマンマっぽい、ってこと?
・『蝶ネクタイ』佐竹均(さたけ)86歳。元中学校の先生。お堅い。いい人だけど少しつまらない系?
・『まちゃえさん』増田正枝(ますだ まさえ)92歳。最年長。「明典(あきのり)」という息子のことを繰り返し話す。妄想も入っている。
・『シンちゃん』増田晋平(ますだ しんぺい)78歳。正枝の夫。付き添いで入会。いい人だと思う。
読書会のテーマ本は、佐藤さとるの『だれも知らない小さな国』
本の読み方は人それぞれだが、老人たちの頭の中は常にお迎えが近いことで一杯らしく、本の中に出てくる得体の知れないものを、「おみとり(看取り)さん」や死神に結びつけてしまう。どうしてそっちの方向に曲がるの?という方向に曲がるのである。
そして、「読む会」は今年20周年を迎え、記念事業として、これまでの歩みをつづった自叙伝のような冊子の発行と、公の場での「公開読書会」を計画している。比較的しっかりしている蝶ネクタイとシンちゃんは、自由すぎる老人たちを二人だけで引っ張っていくには不安があり、安田に協力を仰いだ。というか、全面的な協力というか、事実的に丸投げというか。
「有る程の 菊抛げ入れよ 棺の中(あるほどの きくなげいれよ かんのなか)」という夏目漱石の俳句を会長が引用した。
読みの会のような活動をして人生を楽しく過ごすことは、自分の棺桶に自分で花を投げ入れるようなものかもしれない。道を間違えず、ちゃんと冥土に行けるようにと。
とても刺さるくだりだった。
自分もこれから、自分の棺桶の中に少しづつ花を投げ入れていこうと思った。いつか、花いっぱいの棺の中に横たわれるように。
今書いているレビューも、その一本の花になるのだろう。
安田は読書会に参加するうち、自分の中によみがえる面影を感じるようになる。