これほど貴重な読書体験はありません。
少しでも興味があるなら読むことをお薦め致します。
本書がどれほど素晴らしいかは既に語られつくしていると思いますので、少し違った視点で申し上げると、本書は本書をビジネス本の延長のような短いTIPSを得る為に読むか、著者の言う通り体験記として読むかで理解が違い、前者の読み方だとあまりにも勿体ないのではないかと思っています。
どういうことかといいますと、まず私はYouTubeで本書の要約動画を視聴した後に本書を読みました。しかし読んだ印象は動画とは全く違いました。要約動画みたくセンテンスを単純化したり、あるいは重要そうな結論だけ短く区切って捉え理解すると重要...続きを読む なニュアンスがごっそり抜けてしまって、著者のメッセージが正しく理解されないのではないかと思います。
一例を挙げると、新版129p「人生に何を期待するのかではなく人生から何を期待されるかと180度転回する」という記述がある点なのですが、要約動画の大半がこれを「外的状況に期待することなく絶えず人生に問われているという立場で課された義務を行動で示すべきだ」と切り取り説明されているのですが、これだけだと文字通り"生きる"ためだけに何か目標をたてそれに向けた"実行能力"だけ求められているといったニュアンスで捉えられ非常に説明が不十分だと思います。
まず、ここで人生に何を期待されてているかですがこれは、目標というよりあなたが人生を通し"どうありたいか"が問われており、それに対して行動はもちろんですが"正しい答え"を出し続けることが求められている。これが本筋のメッセージだと思うんです。なぜなら、131pにはこうありますが「わたしたちは生きる意味というような素朴な問題からすでに遠く、何か創造的なことをしてなんらかの目的を実現させようなどとは一切考えていなかった」とあります。つまり、絶望から踏みとどまらせていた何か(人生から期待されている何か)は、目標ではなく(当然俗っぽい自己実現でもなく)より漠然としたやや抽象的な概念であることが分かります。また、これは直前のページでニーチェの言葉で「なぜ生きるかを知っているものは、どのように生きる("どう行動するか"と言い換えられるはずの)ことにも耐える」と引用していることからも行動以上により上位の抽象的な考えが大事であると思います。
また、それに続く文章として、「わたしたち(被収容者)にとって生きる意味とは死をも含む全体としての生きることの意味であって、"生きること"の意味だけに限定されない、苦しむことと死ぬこととの意味にも裏付けされた、総体的な生きることの意味だった」とあります。つまり、ここで人生から問われている意味は"生命維持を目的とした期待されていること"では必ずしもないことが分かります。つまり、それら生死苦楽の状態とは関係がない問いは常に生きることから問われ続けている。そのため、その問いの内容は、ビジネススキルや職能に関わる具体的な目標ではなく、あえて一言で表すとそれらを超越した抽象的な問い"どうありたいか(orなりたいか)"がニュアンスとして近いんじゃないかと思っています。その前提があってこそ、その"正しい答え(どうありたいかへの答え)"を具体的に行動と適切な態度で示せと言っていると思うんです。
これら2点のニュアンスは間違いなく抑えておかないとメッセージの趣旨が大きく変わってしまうと個人的に思いますし、そして付け加えるならば、この「どうありたいか(なりたいか)」は同時に、134p「かけがえのない(私の代わりはいない)」ものであるかが重要であり、私以外の誰にも成し遂げられないものである点も踏まえなければなりません。
こういったニュアンスはやはり本書を"ビジネス"に生かす、あるいはTIPSを求める目的で読んでしまうと抜け落ちる可能性が高く、ここまで完成度の高い本書を読むにあたっては非常にもったいなく思います。
先ほど紹介したあたりの本書の論旨は、個人的に禅でいう莫妄想の教えもよぎる印象を受け感動した部分でしたので、まだご覧になってない方は是非本書を手に取り著者の微細且つ深い思考に直接触れていただきたいと思います。
追記(25/12/6)改めて読み直してみるとこの私の解釈も絶妙に外してる気がしてきました。人生から何を期待されているかの問いには抽象的な概念であり一貫性がありつつも、著者の体験に照らし合わせるならば、刻一刻とかわる状況に応じてこの問いもまた(大元の"どうありたいか"から具体性を持つ形で)変容しているようにも感じます。
著者の状況変化の都度行ってきた正しい答えの全てが"たくさんの聴衆の前で講演する"という人生からの期待(問い)に向かっていないのは間違いないため、このニュアンスもまた踏まえないといけないと思われます。